[恒遠醒窓=和市(和一)=頼母:紹介者 別府一九郎]
【淡窓全集】
【淡窓全集. 上巻】大正14年12月20日発行
文政二年己卯。余年三十八。濠田ノ宅ニアリテ。業ヲ講ス。p149/603
此年入門スル者。
―略―
恒遠和市 豊前人。
―略―
岡 研介 防州人。
―略―
和一 後ニ頼母ト稱ス。
塾長ニ上リ。
後ハ鄕里ニ在ツテ。
鄕先生トナレリ。
―略―
研介ハ少クシテ蘭學ヲ好ミ。
其名世上ニ高シ。
其事ナホ下ニ出セリ。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/149
文政四年辛巳。予年四十。咸宜園ニ在リテ。業ヲ講セリ。p162/603
此年入門スル者。
―略―
小川壽吉 豊前人。
恒遠運平 豊前人。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/162
壽吉ハ上等ニ至レリ。 p163/603
運平ハ頼母カ弟ナリ。 p163/603
才子ノ稱アリ。
後 小倉官醫ノ義子トナリ。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/163
【淡窓全集. 下巻】昭和2年1月30日発行
入門簿 巻九
氏名 住所 紹介者
恒遠和市 豊前國上毛郡薬師寺邑 別府一九郎 p616/724
入門年月日 文政二年己卯二月十九日(1819年3月14日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/616
入門簿 巻十二
氏名 住所 紹介者
小川壽吉 豊前下毛郡樋田村 恒遠頼母 p618/724
入門年月日 文政四年辛巳三月廿日(1821年4月22日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/618
入門簿 巻十二
氏名 住所 紹介者
恒遠運平 豊前上毛郡薬師寺村 兄 頼母 p618/724
入門年月日 文政四年辛巳三月廿日(1821年4月22日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/618
恒遠醒窓(つねとう せいそう)【1803(享和3)~1861(文久元)】
◆教育者 近世の地域教育を担った「蔵春園」創始者
上毛郡薬師寺村(現;豊前市薬師寺)に生まれ、
17歳のとき広瀬淡窓の咸宜園(日田)に入門し、
塾頭を務めるなどしました。
その後、長崎への遊学を果たし、
当時唯一海外に開かれた地で国際感覚を養った後に故郷へ帰り、
1824年(文政7)に漢学私塾「蔵春園」を開くことになります。
―略―
http://www.city.buzen.lg.jp/kanko/miru/jinbutsu/tuneto.html
【淡窓全集】
【淡窓全集. 上巻】大正14年12月20日発行
文政二年己卯。余年三十八。濠田ノ宅ニアリテ。業ヲ講ス。p149/603
此年入門スル者。
―略―
恒遠和市 豊前人。
―略―
岡 研介 防州人。
―略―
和一 後ニ頼母ト稱ス。
塾長ニ上リ。
後ハ鄕里ニ在ツテ。
鄕先生トナレリ。
―略―
研介ハ少クシテ蘭學ヲ好ミ。
其名世上ニ高シ。
其事ナホ下ニ出セリ。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/149
文政四年辛巳。予年四十。咸宜園ニ在リテ。業ヲ講セリ。p162/603
此年入門スル者。
―略―
小川壽吉 豊前人。
恒遠運平 豊前人。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/162
壽吉ハ上等ニ至レリ。 p163/603
運平ハ頼母カ弟ナリ。 p163/603
才子ノ稱アリ。
後 小倉官醫ノ義子トナリ。
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913200/163
【淡窓全集. 下巻】昭和2年1月30日発行
入門簿 巻九
氏名 住所 紹介者
恒遠和市 豊前國上毛郡薬師寺邑 別府一九郎 p616/724
入門年月日 文政二年己卯二月十九日(1819年3月14日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/616
入門簿 巻十二
氏名 住所 紹介者
小川壽吉 豊前下毛郡樋田村 恒遠頼母 p618/724
入門年月日 文政四年辛巳三月廿日(1821年4月22日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/618
入門簿 巻十二
氏名 住所 紹介者
恒遠運平 豊前上毛郡薬師寺村 兄 頼母 p618/724
入門年月日 文政四年辛巳三月廿日(1821年4月22日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913251/618
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
[豊前市:緑豊かな田園都市]恒遠醒窓(つねとう せいそう)【1803(享和3)~1861(文久元)】
◆教育者 近世の地域教育を担った「蔵春園」創始者
上毛郡薬師寺村(現;豊前市薬師寺)に生まれ、
17歳のとき広瀬淡窓の咸宜園(日田)に入門し、
塾頭を務めるなどしました。
その後、長崎への遊学を果たし、
当時唯一海外に開かれた地で国際感覚を養った後に故郷へ帰り、
1824年(文政7)に漢学私塾「蔵春園」を開くことになります。
―略―
http://www.city.buzen.lg.jp/kanko/miru/jinbutsu/tuneto.html