大江暹:大江卓の實弟

《小野梓》共存同衆の文庫【近世日本文庫史】昭和18年

《小野梓》共存同衆の文庫【近世日本文庫史】昭和18年

【近世日本文庫史】昭和18年
 共存同衆の文庫   p107-113/224
 三七
 明治六年九月、
英國倫敦に留學中の小野梓は、
馬場辰猪と議して日本學生會を組織し、
その發會式をゴールデン・クロス・ホテルに擧げた。
當時同地にある留學生の數は百餘名に達し、
道路邂逅することも稀ではなかつたけれども、
封建割據の風習未だ全く脱却するに至らず、
交情冷淡、殆んど相互に風馬牛の觀があつた。

本會の成立するやこの陋習は打破され、
相會して胸襟を開き、時務を談じ、
友情は極めて濃厚となり、
親密は日に加ふるに至つた。

小野の病を得て歸朝するや、
曾ての經驗から有識者相會し、
泰西の制度文物を攻究し、
思想上の修養を圖るとともに、
弘くこれを内外に宣布する目的を以て
一の結社を作ることとし、
同じく留學生たりし
赤松蓮城・三好退藏・岩崎小次郎・廣瀨進一等と議して
共存同衆を設立した。

そしてその開會式を明治七年九月、
兩國中村樓において開いたが、
五十餘名に招待狀を發送したにも拘らず、
當時會するもの前記の四名に
尾崎三良・松平信正と小野を加へて
七名に過ぎなかつた。

この事實は一面に於て彼等を失望せしめたが、
同時にまた彼等を奮起せしめた。

その後、
金子堅太郎・島田三郎・鳩山和夫・
增島六三郎・菊池大麓等の加盟があり、
爾來共存同衆は歐米留學の新知識と、
國内における新思想家とを加へ、
漸次に盛大を致するに至り、
官吏・政客・實業家・宗敎家・學者・敎育家等
朝野の名士を網羅し、
討論講談を行ひ、
また『共存雜誌』を發行し、
一大啓蒙運動に從事し、
一種の學術團體にして兼ねて社會敎化・
政治思想の普及に乘出した。

明治十一年十月九日改定の
『共存同衆條例』には次の數條がある。
 ―略―

 ―略―
 明治十一年九月二十九日、
同衆第一年會における小野梓の講演によると、
共存衆館は明治八年十月二十五日の決議により經營を始め、
十年二月十四日に落成したものである。

最初樓上を講堂とし、
階下を圖書室に宛てたが、
漸次狭隘を告げ、
明治十二年七月十六日更めて講堂と文庫の建設を發議した。
これに與りしは左の諸員であつた。

  岩崎小二郎   馬場 辰猪   小野  梓
  金子堅太郎   加藤 九郎
  溪口 一藏   長岡 護美   永井  碌
  武者小路實世  大内 青巒
  萬里小路通房  松平 信正   肥塚  龍
  子安  峻   菊池 大麓
  三好 退藏   島地 默雷   廣瀨 進一
  廣橋 賢光   關  博直
  中村 武雄   南部 義籌

 講堂・文庫の建設には寄附金を募集し、
現に岩崎彌之助より金五拾圓寄捨の書面もあり、
岩崎彌太郎貳百圓、
本願寺百圓などの大口の寄附もあつて、
申込のもの總て約七百餘圓、
別に原六郎より參百圓を借用し、
合計壹千圓を以て日吉町五番地の煉瓦建を買収し、
明治十二年十月廿六日
同衆の第二年會に落成式を擧げた。

小野の日記『留客齋日記』
明治十二年七月十四日の條に
「共存の常會也。此日講堂文庫を造營するの議を發せり。
 是れは余が歷史の一となるべし」と誌してゐる。

以て彼の抱負を知るべく、また日記の奥書に
「共存文庫開發ノ趣旨」として、

 人智の學問に關係ある以上、
 學問の書籍に關係あることは
 世の人の夙に熟知せる所にして、
 いま更に言ひ解くことを要用なりとせざることなれども、
 實とに人文の進歩は人智
 の開發を促すに在りて、
 その人智を開達することは、
 實地の經驗に據るとも、
 また讀書の功にあらざるによることの又甚だ多ふし。
 是れ人智學問書籍の相集て並び存する所以にして、
 盖し文明に切要なるもの也。
 然るに書を讀むや、

 斷章であるから十分の意味は酌みとれないが、
文庫設立の趣意書ではなからうか。
小野はまた「書籍館規則」「縱覽手續」をも草する意思があつた。
後に掲げる「共存文庫定則」「書籍閲覽手續」が、
彼の手に成るや否やは不明であるけれども、
同衆の中心人物として、
また萬年幹事の如き地位にあつた小野であるから、
恐らく彼の原案になるものであらう。

 共存同衆第二年會筆記に、次の如き祝文が載せてあるといふ。
  祝 文 一 則   同衆員 加藤九郎 艸
   ―略―
昭和十八年六月十五日印刷
昭和十八年六月廿五日發行 初版2000部
定價  停     參圓五拾錢
特別行爲税 相當額 拾八錢
合   計     參圓六拾八錢
著   者     竹林 熊彦
發 行 所     取締役社長 田村 敬男
          株式會社  大雅堂
          京都市中京區寺町通二條南入
印 刷 所     橋本岩太郎
          (西京 一九〇) 眞美印刷所
          京都市上京區上椹木町千本東入
發   兌     株式會社  大雅堂
          京都市中京區寺町通二條南入
          電話 上 ③二九〇番
          振替 京都二三四一五番
支   店     東京市本郷區湯島一丁目一番地
          電話 下谷三六〇〇番
          (日本出版會登錄第一一六五六六號)
〔配給元 東京市神田區淡路町二ノ九
       日本出版配給株式會社〕
(松尾製本)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年05月28日
《大江暹:共存同衆:明治9年(1876)5月13日》
『小野梓全集 第五巻』
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《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》 『小野梓全集 第五巻』昭和57年

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年

『小野梓全集 第五巻』昭和57年

<留客斎日記>

1884(明治17)年9月      p506-507
5日 到東洋館処事。
   筆之骨。            ※之骨:「民法之骨」
   此日聞清仏又開講話之議。
   接大江暹之訃。         ※大江暹

6日 到東洋館処事。
   午後会大江之喪。        ※大江:大江暹
   元為望美塾同窓之友。     ※暹:大江暹:下記参照

7日 到東洋館処事。         p507
   午後訪大江卓弔其喪。      ※大江卓
   夜筆之骨。           ※之骨:「民法之骨」
   接稠松兄之書。         ※稠松:小野稠松(小野梓の兄)

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所


<暹元為望美塾同窓之友>  ※暹:大江暹

『酒井南嶺伝』 p81
[望美楼開塾]
 一 望美楼新築
 南嶺はここで塾生を教育した。
 塾生の名は大江卓の書簡によって知ることができる。
※大江暹の名は記載が無い。
1<暹元為望美塾同窓之友> 
『酒井南嶺伝』 p82
門弟中にては、
小生ならびに小野梓は最も信任を受けたり。
およそ門弟中にて小生程
先生の墨跡を所持いたし居る者は
これ有るまじく候。
もし御遺筆これ無く候わば、
一幅差し上げ候てもよろしく候。
慶應元年、大江卓十九歳、小野梓十四歳だった。
大江はよく愛されて
南嶺の書幅を多く頂戴したのであろう。
2<暹元為望美塾同窓之友> 
『酒井南嶺伝』昭和63年発行
昭和63年10月10日印刷
昭和63年10月21日発行
著 者 小山松勝一郎
    弘中敦子
発行所 東京宿毛会
    東京都中野区野方1-56-2
印刷・製本 誠宏印刷株式会社

《土佐宿毛の教育者 酒井南嶺》
『酒井南嶺伝』昭和63年発行
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377292.html



《大江暹:共存同衆:明治9年(1876)5月13日》『小野梓全集 第五巻』

《大江暹:共存同衆:明治9年(1876)5月13日》
『小野梓全集 第五巻』

『小野梓全集 第五巻』昭和57年
Ⅰ  共存同衆             p3
八 〔演説者・会頭・書記輪番決定公告〕 p23
   一昨十三日 第二土曜日
   習演の初会に於て、
   新定の条例に照し
   演説者・会頭幷に書記輪番の鬮(くじ)を引行ひ、
   左の通り一決せり。
   依て周(あまね)く之を衆中に布告す。
     五月

   演説者輪番 毎回四名宛 但し在外之衆員は数へず
第一回 矢島作良  広瀬進一  小野 梓  岩崎弥之助
第弐回 高原弘造  児玉淳一良 戸波親信  万里小路通房
第三回 大江 暹  内藤類二良 松平信正  青江 秀
第四回 谷口一蔵  鈴木福三  横尾平太  岩崎小二良
   (溪口一蔵)
第五回 福原芳山  大内青巒  吉井茂則  岩野基将
                     (石野基将)
   会頭輪番 順序如左
吉井茂則 大江 暹 高原弘造 岩崎小二良 万里小路通房
     ―略―
   書記輪番 毎回二名宛  p24
第一回 溪口一蔵 鈴木福三
第三回 青江 秀 岩崎弥之助
(ママ)
第三回 大江 暹 岩崎小二良
第四回 横尾平太 岩野基将(石野基将)
第五回 戸波親信 矢島作良
     ―略―
(赤松尚爾氏蔵 一八七六年五月一五日筆)
       ※明治9年(1876)5月15日

昭和五十七年三月三十一日発行
編集者  早稲田大学大学史編集所
発行者  早稲田大学
     東京都新宿区西早稲田1-6-1
発行所  早稲田大学出版部
     東京都新宿区戸塚町1-103
印刷製本 早稲田大学印刷所

《大江暹:大蔵省》
【官員録】明治8年11月~明治10年6月
【英国会社類編】明治10年11月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377298.html

《小野梓:大江卓宛書翰:明治17年(1884)5月11日》
『小野梓全集 第五巻』
六〇 大江卓宛書翰「一八八四(明治一七)年」五月一一日 p277-278
   本月五日付之尊書に接候。 ※①
   爾来絶て欠起座候処幽窓御健全之旨何より大慶之事に存候。
   ―略―
   過日は御舎弟を以て
   該著之下巻指出候様被仰越、
   細仔拝承致候。
   ※御舎弟:大江暹
   ※該著:「国憲汎論」⇒上巻・中巻は贈呈済
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377307.html

《小野梓:大江卓宛書翰「解題」中村尚美》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377309.html

《小野梓:大江暹之訃・明治17年9月5日》
『小野梓全集 第五巻』昭和57年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377314.html

《大江暹:大蔵省》【官員録】明治8年11月~10年6月【英国会社類編】明治10年

《大江 暹:大蔵省》
【官員録】明治8年11月~明治10年6月
【英国会社類編】明治10年11月

【官員録. 明治8年11月改正】
○大蔵省 大手町壹丁目    p24/171
卿 參議 正四位  サガ   大隈重信
六等出仕 兼
 紙幣寮 六等出仕 サガ   土山盛有
八等出仕      シカ   大音竜太郎
九等出仕      カウチ  酒井三治  ※酒井南嶺
十等出仕      カウチ  大江 暹
十一等出仕     ツルオカ 和田信郎  p25/171
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779237/24
○紙幣寮 二等 大手町二丁目 p31/171
六等出仕 兼
 大蔵省 六等出仕 サガ   土山盛有
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779237/31

【官員録. 改正明治9年11月】
○大蔵省 大手町壹丁目    p27-28/184
卿 參議 正四位  ナガサキ 大隈重信
少丞   從六位  ナガサキ 土山盛有
十等出仕      カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1086591/28

【官員録. 明治9年12月】
○大蔵省 大手町壹丁目    p27/195
卿 參議 正四位  ナガサキ 大隈重信
少丞   從六位  ナガサキ 土山盛有
十等出仕      カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779248/27

【官員録. 明治10年3月】
○大蔵省 大手町壹丁目    p34-35/164
卿 參議 正四位  ナガサキ 大隈重信
少書記官 正六位  ナガサキ 土山盛有 ※正六位⇒從六位
六等属       カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779249/35

【官員録. 明治10年5月】
○大蔵省 大手町壹丁目    p36-37/197
卿 參議 正四位  ナガサキ 大隈重信
少書記官 從六位  ナガサキ 土山盛有
          麹町元園町一丁目二十番地
六等属       カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779251/37

【大蔵省職員録. 明治10年3月】
○大蔵省 職員録    p2/113
卿 參議 正四位  大隈重信 長崎縣士族 p2/113
          飯田町一丁目一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779097/2
少書記官 從六位  土山盛有 長崎縣士族 p3/113
          麹町元園町一丁目二十番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779097/3
  六等属     大江 暹 高知縣士族 p6/113
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779097/6

【官員名鑑. 明治10年6月】
○大蔵省 大手町壹丁目    p44-45/200
卿 參議 正四位  ナガサキ 大隈重信
          飯田町一丁目一番地
少書記官 從六位  ナガサキ 土山盛有
          麹町元園町一丁目二十番地
六等属       カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151978/45

【英国会社類編】明治10年11月印行
大蔵少丞從六位     土山盛有
提校 大蔵省十一等出仕 和田信郎 譯
   大蔵省 十等出仕 大江 暹 校
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/792789/10

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《大江卓:實弟・大江暹》
【大江卓君之略伝】明治23年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2377297.html

《大江卓:實弟・大江暹》【大江卓君之略伝】明治23年

《大江卓:實弟・大江暹》
【大江卓君之略伝】明治23年

【大江卓君之略伝】明治23年
[大江卓君之傳] p21-22/31
 ―略―
明治七年ノ正月十五日
君ハ突然縣令ヲ罷メラレテ
大藏省ニ轉任シ
中嶋氏代リテ縣令ニ任セリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781122/22
 ―略―
是時ニ當リテ征韓論者ノ不平益盛ニシテ
殊ニ佐賀ノ如キハ不穏ノ形勢
既ニ顯然タルヲ以テ
大隈氏ハ頗ル之ヲ憂ヒ
君ニ問フニ
佐賀縣令ニ任ス可キ人物ヲ以テス

君即チ
岩村高俊ヲ神奈川縣權參事ヨリ擧ケテ
縣令タラシムヘキヲ以テ荅フ

大隈氏其昇進ノ例ニ違フヲ難ンス

君笑テ曰ク
例ハ我知ラズ
人物ヲ要スレハ
岩村ト荅フルヲ知ルノミト

事遂ニ決シ
君ハ尚野村維章
實弟大江暹
岩村ニ隨從セシメタリ

岩村赴任ノ後チ
二日ニ至リ果シテ
佐賀暴動ノ變アリシト云フ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781122/22
明治二十三年四月十日印刷
明治廿三年四月十一日出版
(非賣品)
編纂兼發行人 角田九郎
       巖手縣士族
       巖手縣西磐井郡一關町五百三十番戸
印刷人    横山篤三郎
       巖手縣士族
       巖手縣西磐井郡一關町五百二十五番戸
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781122/26

【官員録. 明治7年毎月改正】
○外務省 霞關壹丁目    p14/170
卿 參議 正四位 カゴシマ 寺島宗則
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779236/14
○大蔵省 大手町壹丁目   p23/170
卿 參議 正四位 サガ   大隈重信
五等出仕 正六位 コウチ  大江 卓
九等出仕     コウチ  酒井三治  ※酒井南嶺
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779236/23
○内務省 大手町壹丁目   p16/170
卿 參議 從三位 カゴシマ 大久保利通
大丞   正五位 シヅヲカ 前島 密
五等出仕     カウチ  岩村高俊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779236/16
神奈川縣 武蔵國久良岐郡  p115/170
     高 三十二萬石余
令        コウチ  中島信行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779236/115
佐賀縣 肥前國 佐賀郡   p163/170
    高 二十五万石余
令   從五位  トウケイ 北島秀朝
權參事 正七位  コウチ  野邨維章 ※野村維章
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779236/163

【官員録. 明治8年11月改正】
○大蔵省 大手町壹丁目   p24/171
卿 參議 正四位 サガ   大隈重信
九等出仕     カウチ  酒井三治  ※酒井南嶺
十等出仕     カウチ  大江 暹
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779237/24
愛媛縣 伊豫國温泉郡松山  p157/171
    高 四十四萬石余
權令  正六位  トウケイ 岩村高俊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779237/157

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


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