◆今里廣記

《藤井伊藏》【人事興信録.第13版(昭和16年) 下】【人事興信録.第14版】

《藤井伊藏》
【人事興信録. 第13版(昭和16年) 下】昭和16年10月1日発行
【人事興信録. 第14版 下】昭和18年10月1日発行

【人事興信録. 第12版 下】昭和14年10月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127945/1108
《藤井伊藏》  p664/1112
記載なし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127945/664

【人事興信録. 第13版(昭和16年) 下】
 昭和16年10月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070514/993
《藤井伊藏》   p540/1000
若松商工會議所  會頭
九州採炭(株)  社長
東洋特殊鑄物(株)社長
新長崎炭鑛(株) 社長
大平鑛業(株)  社長
日滿鑛業(株)  社長
深坂炭礦(株)  取締役
福岡縣在籍
  妻  シメ  明治二八年(1895)一月生
         福岡 藤田市太郎 女
  養子 則文  明治三七年(1904)三月生
         長女 ヒサエ 夫
         大分 高田東太郎 六男
  女  ヒサエ 明治四〇年(1907)一一生
         養子 則文 妻
  養子 久吉  明治三九年(1906)四月生
         二女 美惠子 夫
         山口 田中屋友次郎 三男
  女  美惠子 大正二年(1913)七月生
         養子 久吉 妻
  女  睦子  大正八年(1919)六月生
  女  鈴子  大正十二年(1923)一〇月生
宮崎縣 藤井采藏の弟にして
明治十四年(1881)七月出生
明治二十年(1887)家督を相續す
現時 若松商工會議所會頭にして
前記各會社の重役たり
家族 尚ほ
孫  昭伍郎(昭和五年(1930)一月生、養子 則文 長男)
同  和子 (昭和六年(1931)九月生、養子 則文 長女)
同  道子 (昭和九年(1934)二月生、養子 則文 二女)
同  寛治 (昭和十年(1935)二月生、養子 久吉 長男)
同  剛  (昭和一五年(1940)二月生、養子 久吉 二男)
同  日出雄(昭和一六年(1941)一月生、養子 久吉 三男)あり
三女 繁子 (大正四年(1915)九月生)は長野縣 春日悅司に
養子 富子 (大正七年(1918)三月生)は長野縣 春日省吾に嫁す
(福岡縣若松市修多羅九八八)
(電話 八五八)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070514/540

【人事興信録. 第14版 下】昭和18年10月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455/1012
國債★債権で
さあ もう一機
   もう一艦!
大東亞戰爭國債
戰時貯蓄債権 報國債権
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455/2
《藤井伊藏》  p521/1019
若松商工會議所  會頭
九州採炭     代表
東洋特殊鑄物(株)社長
新長崎炭鑛 (株)社長
大平鑛業  (株)社長
合同製器  (株)社長
深坂炭鑛  (株)取締
福岡在籍
 妻  シメ  明治二八年(1895)一月生
        福岡 藤田市太郎 女
 養子 則文  明治三七年(1904)三月生(別掲)
 養子 久吉  明治三九年(1906)四月生
        山口 田中屋友次郎 三男
        醫博士 岡山醫大卒
 女  美惠子 大正二年(1913)七月生
        久吉 妻
        若松高女卒
 女  睦子  大正八年(1919)六月生
        若松高女卒
 女  鈴子  大正十二年(1923)一〇月生
        若松高女卒
宮崎縣 采藏の弟にして
明治十四年(1881)七月出生
明治二十年(1887)家督を相續す
現時 若松商工會議所會頭にして
前記會社の重役たり
家族 尚ほ
孫  寛治あり
三女 繁子(大正四年(1915)九月生)は
   長野縣 春日悅司に
養子 富子(大正七(1918)年三月生)は
   長野縣 春日省吾に嫁す
(福岡縣若松市修多羅九八八)
(電話 八五八)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455/521
《藤井則文》  p525/1019
九州採炭  (株)社長
大平鑛業  (株)常務
東洋特殊鑄物(株)監査
福岡在籍
  養父 伊藏  明治十四年(1881)七月生
         戸主(別掲)
  妻  久江  明治四〇年(1907)一一月生
         養父 長女
         直方高女卒
  男  昭伍郎 昭和五年(1930)一月生
大分縣人にして
明治三十七年(1904)三月出生し
伊藏の養子となる
福岡中學を卒業し
御穗炭礦營業部勤務を經て
現時前記會社の重役たり
趣味 謡曲 旅行
宗教 佛敎
家族 尚ほ
   長女 和子(昭和六年(1931)九月生)
   二女 道子(昭和九年(1934)三月生)あり
(福岡縣若松市山手通六)
(電話 八五六)
? 藤井伊藏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455/525

【人事興信録. 第15版 下】昭和23年9月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123783/289
《藤井伊藏》  p155/294
記載なし
《藤井則文》
記載なし
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123783/155

醫博 ≪舊姓 田中屋久吉:藤井久吉≫ 山口
【岡山医科大学一覧. 自昭和9年至昭和10年】
 昭和9年12月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278887/96
◎學生
 四年級(昭和六年入學) p59/100
≪田中屋久吉≫ 山口
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278887/59

【岡山医科大学一覧. 自昭和15年至昭和16年】
 昭和16年5月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453821/113
昭和十年三月卒業(七十六人) p86/114
醫博 ≪舊姓 田中屋:藤井久吉≫ 山口
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453821/86

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《今里廣記:副社長》[九州採炭]
【ポケツト会社職員録】昭和14年~15年版
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2398626.html

[黒板傳作]【現代人名辞典】明治45年【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】

[黒板傳作]
【現代人名辞典】明治45年
【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】

【現代人名辞典】明治45年6月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/1020
[黒板傳作君] p610/1017
君は機械工業家なり、
肥前國舊大村藩士黒板要平氏の二男にして、
文學博士黒板勝美氏の令弟たり、
夙に刻苦勉學し、
第五高等學校を經て
東京帝国大學に入り
學力優秀貸費生に擧げられ、
明治三十三年機械工學科を卒業して
工學士の稱號を得、
直ちに鈴木鐵工部技師長兼
大日本製糖株式會社機械主任技師となり、
更に大學院に入りて機械學を專功し、
三十八年九月獨立して
東京月島機械製作所を創立し
技術員職工を督勵して、
自ら經營の衝に當り、
傍ら徒弟敎育を實施して
將來の職工の選良發達を企畫し、
更に京橋區橘町二十一番地に
黒板工務所を設立して
諸機械製作販賣の外
特に機械、電氣、土木等
各專門技師を主任とし
工事設計請負業務を開始し、
各部門を分ちて
理想的經營の下に事務を擴張し
日本橋區呉服町に電氣分店、
深川東町及磐城湯本に分工場及出張所を設置し、
日を逐ふて業務甚盛なり、
如上繁劇の身
特に囑せられて
別に帝國製糖會社並に
深川金子工場等の顧問たり、
尚ほ輓近
台灣に黒板台灣事務所を創立して、
益々發展の域に進めり、
夫人ひで子は京都高等女學校出身にして、
生花琴曲茶の湯を能くす、
駿策、いね子の二子あり
(京橋區月島東通五ノ一二
 電話 京橋二〇三〇、二七四二)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/610

【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/722
[黒板傳作] p410/723
月島機械(株)社長
日本鑄鋼(株)社長
君は長野縣の人 ※長崎縣の誤植
黒板要平氏の二男にて、
明治九年六月を以て生る。
現に前記の外
日華同興株式會社取締役たり。
現に東京市牛込區新小川町二ノ二番地に住す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/410

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[黒板勝美]【現代人名辞典】明治45年【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】

[黒板勝美]
【現代人名辞典】明治45年
【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】

【現代人名辞典】明治45年6月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/1020
[黒板勝美君] p614/1027
君は文學博士にして、
東京帝國大學文科大學
助教授兼
史料編纂官にして
高等官四等たり
(豐多摩郡千駄ヶ谷町原宿二〇二)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779591/614

【現代日本人名大辞典. 昭和5年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/722
[黒板勝美] p403/723
文學博士
東京帝國大學教授
君は長崎縣の人
黒板要平君の長男にして
明治七年九月を以つて生る。    ※明治7年(1874)9月
夙に郷校を卒ふるや笈を負ふて東上し、
明治二十九年           ※明治29年(1896)
東京帝國大學文科大學國史科を卒業し
更に大學院に入り、
次いで斯学研究の爲め
歐洲に留學し
歸朝するや
東京帝國大學文科大學講師、
同大學助教授兼史料編纂官等を歴任し
現に史料編纂官兼東京帝國大學教授にして
功に依り從四位勳四等高等官二等に叙せらる。
夫人喜代子は東京府の人
水野權之助君の長女にして
君との間に三男五女ありて
庚一君、揆君、壬生夫君及び
冬至子、澄子、康子と呼ぶ。
現に東京市外澁谷町中澁谷五三二番地に住す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029372/403

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

<ぴゅあ☆ぴゅあ1949>
2013年03月21日
実相・今里広記(6)
◎『魅力学』では曖昧に記述されていた、
 今里広記の日本精工社長就任の経緯について
引用元:『私の財界交遊録 - 今里広記』(1980、サンケイ出版)
―略―
「私の母加代は黒坂家から嫁入りした。
母は大村藩士・黒坂要平の娘で、
兄弟には長兄の黒坂勝美(東京帝大教授)、
伝作(月島機械創業者)の両氏がいた。
(同社現社長)駿策氏は伝作氏の長男である。
またテレビ朝日の三浦甲子二専務も親類筋にあたる。
(甲子二の父は)
長崎選出の代議士をつとめた
今里準太郎氏の息子である」
―略―
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51435707.html

[Wikipedia]
[黒板 勝美](くろいた かつみ)
(明治7年(1874年)9月3日 - 昭和21年(1946年)12月21日)は、
日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。
専門は、日本古代史、日本古文書学。号は虚心。
経歴 [編集]
明治7年9月3日、旧大村藩の士族黒板要平の長男として、
長崎県彼杵郡下波佐見村(現在の長崎県東彼杵郡波佐見町)に生まれる。
―略―
縁戚関係 [編集]
黒板昌夫…歴史学者。黒板勝美の養嗣子。国士舘大学教授。
黒板伸夫…歴史学者。黒板勝美の甥。作家永井路子の夫。醍醐寺霊宝館館長。
黒板伝作…事業家。東証一部上場月島機械株式会社創業者。黒板勝美の実弟。
今里広記…事業家。日本経団連副会長。黒板勝美の従弟。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9D%BF%E5%8B%9D%E7%BE%8E

<波佐見町の偉人>
[黒板勝美]
明治7年9月3日、下波佐見村に生まれる。
(下波佐見村は後、1956年6月1日、
 上波佐見町と合併し現在の波佐見町となる。)
実弟に黒板傳作、
従弟に今里広記がいます。
(黒板兄弟の妹が今里家に嫁ぎ
 その実子が今里広記になります)
―略―
http://hasamiooen.fc2web.com/hasami-kuroita-katsumi.html

《今里廣記:今里友次郎》[日本特殊鋼材工業]【株式二季】[昭和18年]

《今里廣記:今里友次郎》
[日本特殊鋼材工業]
【株式二季】[昭和18年:上期篇 下期篇]

【株式二季. 昭和18年 上期篇】昭和18年7月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124828/156
[日本特殊鋼材工業] p29/157
設 立  昭和十四年十二月
本 社  東京市京橋區銀座一ノ三
    (電話 京橋 四九〇〇)
出張所  大阪市西區立賣堀南(電話 新町 四二五一)
資本金  七百五十萬圓(全額 拂込済)
株 數 (五〇・〇)十五萬株
資本變化 昭和十五年五月 最終拂込 十五圓徴収シ全額拂込済トナル
重 役  社長 舟崎由之
     専務《今里廣記》
     常務 遠藤隆太
     常務 小寺半三郎
     取締 舟崎俤次郎
     取締 畑 威
     取締 日野原節三
     取締 上森子鐵
     取締 大川又三郎
     監査
     常任 矢野範二
        松榮俊三
事 業  特殊鋼材磨延加工、磨鋼帯製造、砂鐵採掘、海綿鐵製造
工 場  王子、戸田工場、町田製作所
鑛 區  茨城縣鹿島鑛山
資本構成
―略―
業績
―略―
株主數 一、〇三八名 名義書換 十銭
大株主 三七、八五〇 舟崎由之
     四、五六〇《今里廣記》
     二、八七〇《今里友次郎》
     二、〇〇〇 根本富士雄
     二、〇〇〇 舟崎俤次郎
     一、七三〇 玉塚商店
     一、四〇〇 大藪證券合名
決算期 五、十一月  配當期 六、十二月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124828/29

【株式二季:昭和18年 下期篇】昭和18年12月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124833/166
[日本特殊鋼材工業] p28-29/168
當社は磨帯鋼の重點會社である。
設備擴充をはかり一部一貫作業體制を確立した當社は、
この體制を押進め所要鋼塊の自給完成を企圖し
○○爐の増設と新製品製造に進出すべく研究中であつたが
確信を得るまでに至つた。
この資金調達のため
當社では大巾増資を考慮してゐる模様であり、
遠からず具體化を見るだらう、
業績は毎期若干ながら向上を示してゐるから
現行八分配當は無難である。
設 立  昭和十四年十二月
本 社  東京市京橋區銀座一ノ三
    (電話 京橋 四九〇〇)
出張所  大阪市西區立賣堀南(電話 新町 四二五一)
資本金  七百五十萬圓(全額 拂込済)
株 數 (五〇・〇)十五萬株
資本變化 昭和十五年五月 最終拂込 十五圓徴収シ全額拂込済トナル
重 役  社長 舟崎由之
     専務《今里廣記》
     常務 遠藤隆太
     常務 小寺半三郎
     取締 舟崎俤次郎
     取締 畑 威
     取締 日野原節三
     取締 上森子鐵
     取締 大川又三郎
     監査
     常任 矢野範二
        松榮俊三
資本構成
―略―
業績
―略―
決算期 五、十一月  總會 六、十二月
名義書換停止期 六月、十二月 各一日ヨリ 定時總會終了日迄
名義書換 十銭
株主數 一、〇一九名 移動 一九名減
大株主 二八、五二〇 舟崎由之
     八、一〇〇《今里廣記》
     三、〇九〇 玉塚商店
     二、二〇〇 東京火災
     二、〇〇〇 日本生命
     二、〇〇〇 根本富士雄
     二、〇〇〇 舟崎俤次郎
     一、五〇〇 野村證券
     一、四〇〇 大藪證券
株 價 十八年九   八八・八 ―― 八一・〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124833/28

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《今里廣記:専務》[日本航空機工業]【株式二季】[昭和18年:上期篇 下期篇]

《今里廣記:専務》
[日本航空機工業]
【株式二季】[昭和18年:上期篇 下期篇]

【株式二季. 昭和18年 上期篇】昭和18年7月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124828/156
[日本航空機工業]  p37/157
設 立  昭和十四年二月
    (舊 航空機材工業)
本 社  東京市麹町區大手町一ノ六
    (電話 丸ノ内 一〇八五)
資本金  七百萬圓(全額拂込済)
株 數 (五〇・〇)十四萬株
資本變化 昭和十七年七月 四百萬圓増資 現 資本トナリ
     十八年三月 新株 第二回 拂込 一株二十五圓 徴収シ
     全額 拂込済トナル
重 役  社長 舟崎由之
     専務 畑 威
     専務《今里廣記》
     常務 赤坂卯之助
     常務 伊藤音次郎
     取締 淸家岳三郎
     取締 板垣禮作
     取締 工藤富治
     取締 關山 延
     監査 矢野範二
     監査 八塚秀二郎
資本構成
―略―
業績
―略―
株主數  七〇九名 名義書換 十銭
大株主  二三、一四〇 舟崎由之
      六、〇五〇 野村證券
      四、六五〇《今里廣記》
決算期  三、九月   配當期 五、十一月
株 價  十八年四   十七年
  高  八四・五   八三・一
  低  七四・五   四九・〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124828/37

【株式二季:昭和18年 下期篇】昭和18年12月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124833/166
[日本航空機工業]  p41/168
當社は他社に比較して小型會社であるが、
最近の擴充は積極的だ、
既建設各工場の擴充も進捗し、
新設○○工場の第一期工事は略完成の域に達した、
○○○○工場の操業は繁忙を極めて居り
勢ひ収益率も良好だ
當社は今回當局より新規部門への進出を慫慂されたが、
近く具體的發表を見せるだらう、
何れにせよ、
尨大な急需は當社の飛躍的擴充を要求してゐるから、
それに對應する今後の當社擴充計畫は
當然増資を必要として來た情勢にある
設 立  昭和十四年二月
本 社  東京市麹町區大手町一ノ六
    (電話 丸ノ内 一〇八五)
資本金  七百萬圓(全額拂込済)
株 數 (五〇・〇)十四萬株
資本變化 昭和十七年七月 四百萬圓増資 現 資本トナリ
     十八年三月 新株 第二回 拂込 一株二十五圓 徴収シ
     全額 拂込済トナル
重 役  社長 舟崎由之
     専務 畑 威
     専務《今里廣記》
     常務 赤坂卯之助
     常務 伊藤音次郎
     取締 淸家岳三郎
     取締 板垣禮作
     取締 工藤富治
     取締 關山 延
     監査 矢野範二
     監査 八塚秀二郎
資本構成
―略―
業績
―略―
決算期  三、九月   總會 五、十一月
名義書換 十銭
株主數  一、〇八五名 移動 三七六名増
大株主  一八、八六〇 舟崎由之
      四、四〇〇《今里廣記》
      三、四〇〇 野村證券
株 價  十八年九   十七年
  高  九六・七   八三・一
  低  七四・八   四九・〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124833/41

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[今里準太郎]衆議院議員:長崎縣第三區【職員録】大正13年~昭和3年1月1日

[今里準太郎]
衆議院議員:長崎縣第三區
【職員録】大正13年~昭和3年1月1日

【職員録. 大正13年】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p388/763
東京市四、霞ケ丘、一七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986606/388

【職員録. 大正14年7月1日現在】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p390/746
東京市四、霞ケ丘、一七
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986608/390

【職員録. 大正15年1月1日現在】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p148/236
東京市赤、靑山北、四ノ五一(靑三八〇三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986609/148

【職員録. 昭和2年1月1日現在】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p114/193
東京府 豐多、千駄ヶ谷、??一七〇、一六?(靑三八〇三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447641/114

【職員録. 昭和2年7月1日現在】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p307/600
東京府  ??? (靑三八〇三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447671/307

【職員録. 昭和3年1月1日現在】
衆議院 議員
長崎縣第三區
正八 今里準太郎 p114/190
東京府  ???二一(靑三八〇三)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447685/114

【帝国議会衆議院議員名簿. 第49-60回】昭和2年
昭和二年四月二十五日印刷
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443455/29
第五十三回 帝國議会 衆議院議員名簿 p4/32
(大正十三年五月十日 第十五回總選擧)※大正13年(1924)5月10日
 昭和二年四月二十五日現在      ※昭和2年(1927)4月25日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443455/6
府 縣  長崎縣           p9/32
選擧區  三區
氏 名  今里準太郎
住 所  東京市赤坂區靑山北町四ノ五一
身 分  陸軍三等主計 正八 會社員
生年月日 明治一九、一一、一五    ※明治19年(1886)11月15日
當 派  政友會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443455/9

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《野村 實》日本精螺株式會社 常務取締役【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】

《野村 實》
日本精螺株式會社 常務取締役
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】

【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/548
《野村 實》 p405-406/554
日本精螺株式會社 常務取締役
出身地  福岡縣
現住所  東京市品川區西大崎二ノ二二五
     明治三十二年二月五日生 ※明治32年(1899)2月5日生
     大正十五年       ※大正15年(1926)
     專門部 政治經濟科卒
     昭和四年        ※昭和4年(1929)
     政治經濟學部 經濟學科卒
福岡縣人 野村仁三郎 長男
日本大學中學校出身
大正十五年 專門部        ※大正15年(1926)
昭和四年  經濟學部 各 卒業後 ※昭和4年(1929)
日本勧業銀行に入り 三ヶ年勤務
昭和七年             ※昭和7年(1932)
江ノ島電気鐡道(株)會社 支配人 兼
逗子埋立(株)會社 常務取締役たり
同年 渡滿            ※昭和7年(1932)
奉天に於て
滿州自動車運輸(株)會社を創立
總務部長となるに及び
前記會社を辭す
昭和十一年            ※昭和11年(1936)
歸京後
專ら軍需品を製作する
日本精螺(株)會社を創立
其の常務取締役として
現在に至る
家庭 夫人 須磨子
   長男 圭一郎(昭和四年生) ※昭和4年(1929)生
   長女 英子 (昭和七年生) ※昭和7年(1932)生
   次男 健次郎(昭和十年生) ※昭和10年(1935)生
   三男 柾次郎(昭和十二年生)※昭和12年(1937)生
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/405

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《舟崎由之》東京磨鋼帯製造所:三國磨鋼帯製造所【早稲田大学紳士録昭和15年版】

《舟崎由之》
東京磨鋼帯製造所:三國磨鋼帯製造所
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】

【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/548
《舟崎由之》 p445/554
東京磨鋼帯製造所 主
株式會社 三國磨鋼帯製造所 專務取締役
出身地  新潟縣佐渡郡眞野村
現住所  東京市豐島區雜司谷町二ノ四六八
    (電「自宅」牛込六六五
      「工場」電 王子三六六三 赤羽二三二七)
     明治二十七年三月生 ※明治27年(1894)3月生
     大正六年      ※大正6年(1917)
     大學部 理工科 機械工學科卒
新潟縣の人
佐渡中學校出身
大正六年      ※大正6年(1917)
大學部 理工科 機械工學科卒業 直後
磨鋼帯の製造研究に專念し
王子に東京磨鋼帯製造所を設立して
獨力經營するの外
大阪に株式會社 三國磨鋼帯製造所を創立して
其の專務取締役たり
昭和十二年五月   ※昭和12年(1937)5月
斯界の研究視察の爲め
歐洲を歷遊し
九月歸朝す
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/445

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《今里廣記:取締役》[伊藤飛行機株式會社]昭和17年

《今里廣記:取締役》
[伊藤飛行機株式會社]昭和17年

【日本全國銀行會社録. 第48回】昭和15年
[伊藤飛行機株式會社] p558/1216
千葉縣 千葉郡津田沼町鷺沼
設 立 昭和十二年十二月
資本金 五拾萬圓(拂込済) 一株 五拾圓
取締役(代表) 伊藤音次郎
取締役     富尾留雄
        岡田徳二
        佐渡島英祿
        福西泰一郎
監査役     富尾 章
        伊藤清平
        川口爲之助
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083017/558

《今里廣記:取締役》
【日本全國銀行會社録 : 役員録. 第50回】昭和17年
[伊藤飛行機株式会社] p303/349
千葉縣 千葉郡津田沼町鷺沼
設 立 昭和十二年十二月
資本金 五拾萬圓(拂込済) 一株 五拾圓
社 長   舟橋由之   ※舟崎由之
常務取締役 伊藤音次郎
      森川三郎
取締役   今里廣記
      八塚秀二郎
      舟橋俤次郎  ※舟崎俤次郎
      赤坂卯之助
監査役   畑 威
      小寺半三郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082937/303

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《今里廣記》[日本特殊鋼材工業株式会社]【ポケツト会社職員録】昭和17-18年

《今里廣記》
[日本特殊鋼材工業株式会社]
【ポケツト会社職員録】昭和17-18年

《今里廣記:専務 企画部長》

【ポケツト会社職員録. 昭和17年版(第7回)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142458/624
[日本特殊鋼材工業株式会社] p295/625
東京市京橋区銀座一ノ13
電話 京橋4900
社長 《舟崎由之》
    明治27年 新潟
    早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    謡曲 書道
    東京市豊島区雑司ヶ谷町二ノ468
    電話 牛込665
専務  企画部長
   《今里廣記》
    明治40年 長崎
    早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    東京市目黒区上目黒五ノ2658
    電話 渋谷3080
常務  技術部長
   《遠藤隆太》
    明治6年  新潟
    昭和14年 入
    読書
    東京府北多摩郡三鷹村下連雀187
常務  総務部長
   《小寺半三郎》
    明治27年 東京
    昭和14年 入
    東京市王子区神谷町一ノ356
取締役 町田製作所長
   《舟崎俤次郎》
    大正2年  和歌山
    京大
    昭和14年 入
    囲碁 油絵
    東京市豊島区雑司ヶ谷一ノ302
    電話 牛込2806
取締役《根本冨士夫》
    明治25年 鹿児島
    慶大
    昭和14年 入
    東京市渋谷区南平台11
    電話 渋谷272
取締役《日野原節三》
    明治36年 山梨
    東大
    昭和14年 入
    東京市淀橋区柏木四ノ858
    電話 淀橋1459
取締役《上森子鐵》
    明治34年 石川
    昭和14年 入
    神奈川県鎌倉市雪之下442
    電話 鎌倉855
常任監査役《畑 威》
    明治30年 福岡
    東商大
    昭和14年 入
    東京市豊島区池袋二ノ1142
    電話 大塚7379
監査役《松榮俊三》
    明治23年 新潟
    早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    新潟県佐渡郡相川町字四丁目中濱
    電話 相川39
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142458/295

《今里廣記:専務 戸田工場 営業部長》
【ポケツト会社職員録. 昭和18年版(第8回)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142529/641
[日本特殊鋼材工業株式会社] p275/642
東京市京橋区銀座一ノ13
電話 京橋5450-3
社長 《舟崎由之》
    明治27年 新潟
    大正6年  早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    謡曲 書道
    東京市豊島区雑司ヶ谷町二ノ468
    電話 牛込665
専務  戸田工場 営業部長
   《今里廣記》
    明治40年 長崎
    昭和3年  早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    囲碁 観劇
    東京市麹町区平河町一ノ1
常務  王子工場長 技術部長
   《遠藤隆太》
    明治6年  新潟
    明治29年 東工大
    昭和14年 入
    読書
    東京府北多摩郡三鷹村下連雀187
    電話 吉祥寺1414
常務  経理部長
   《小寺半三郎》
    明治27年 東京
    昭和14年 入
    謡曲 観劇
    東京市王子区神谷町一ノ356
取締役 町田製作所長 総務部長
   《舟崎俤次郎》
    大正2年  和歌山
    昭和11年 京大
    昭和14年 入
    囲碁 油絵
    東京市豊島区雑司ヶ谷一ノ302
    電話 牛込2806
取締役《日野原節三》
    明治36年 山梨
    昭和2年  東大
    昭和14年 入
    旅行
    東京市淀橋区柏木四ノ858
    電話 淀橋1459
取締役《上森子鐵》
    明治34年 石川
    昭和14年 入
    読書 散歩
    鎌倉市雪之下422
    電話 鎌倉855
常任監査役《畑 威》
    明治30年 福岡
    大正8年  東商大
    昭和14年 入
    囲碁 読書
    東京市麹町区紀尾井町3
    電話 九段4986
監査役《松榮俊三》
    明治23年 新潟
    大正2年  早大   ※下記参照
    昭和14年 入
    新潟県佐渡郡相川町字四ノ中濱
    電話 相川39
総務課長《林 孝》
    明治41年 東京
    昭和6年  法大
    昭和14年 入
    釣 野球
    鎌倉市亂橋材木座1111
    電話 鎌倉138
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142529/275

※下記参照
【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454832/455
早稲田大學 卒業生 並 推薦校友 p42/462
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454832/42
《今里 章》 長崎 p84/462
《今里三平》 東京 p84/462
《今里準太郎》長崎 p84/462
《今里良幸》 宮崎 p84/462
《今里良平》 宮崎 p84/462
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454832/84
《舟崎由之》 p358/462
大正6年 機械 新潟
東京伸?所経営・松本茂八商店 取締役・三國鋼帯代表
《舟崎仁一》 p358/462
明治三九年 大學 法科 新潟
辯護士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454832/358
《松榮俊三》 p374/462
大正4年 大學 商学部 新潟
佐渡汽船・佐渡物産 各取締役
新潟県相川町濱町三ノ八
(電話 三九)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454832/374

【早稲田大学校友会会員名簿.  大正14年11月調】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910567/1
明治三十九年度得業 大学部 法学科 p150/517
《舟崎仁一》
幹事・辯護士
新潟市旭町通一番町七五四
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910567/150
大正六年度得業 大学部 理工科 機械工学科 p310/517
《舟崎由之》
東京鋼帯工業會社 取締役
千葉県市川町眞間
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910567/310
大正四年度 大学部 商科 p222/517
《松榮俊三》
佐渡物産會社 取締役・県会議員
新潟県相川町濱町三ノ八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910567/222

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

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