◆【婦人宝鑑】

《草光まつの》「辯護士草光久太郎氏と結婚」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《草光まつの》「辯護士草光久太郎氏と結婚」【婦人宝鑑. 大正12年度】
 

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《草光まつの》 p319/340
明治十八年(1885) 島根縣出生、
東京女子高等師範學校を卒業、
明治四十一年(1908)
辯護士草光久太郎氏と結婚、
愛媛縣立師範學校、
島根縣立高等女學校に敎鞭を執り、
現に松江市女子技藝學校に奉職。
現住所、松江市母衣町一四六番地。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/319
大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【東京女子高等師範学校一覧. 明治39,40年】
高等師範學科卒業生
明治三十九年三月卒業 p182/217
 技藝科(二十四人)
草光まつの 島根 平
愛媛縣師範學校敎諭  p184/217
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813125/184

東京女子高等師範学校一覧. 明治42-44年】
高等師範學科卒業生
明治三十九年三月卒業
 技藝科(二十四人)
草光まつの 島根 平
島根縣立濱田高等女學校敎諭 p197/377
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813128/197

東京女子高等師範学校一覧. 明治45,46年】
高等師範學科卒業生
明治三十九年三月卒業
 技藝科(二十四人)
草光まつの 島根
私立帝國女子専門學校敎員 p109/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813130/109

中等教育諸学校職員録. 大正10年(5月現在)】
松江市女子技藝學校 p259-260/371
 明治四四年四月
校長、修、國、算  山田仲吉
修、裁、國、手、  草光まつの
―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937374/260

【改正日本弁護士名簿】明治41年8月
松江地方裁判所々屬 十八人 p103/119
草光萬平  島根 電話一二三 松江市母衣町百四十六番屋敷
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780132/103

鳥取島根両県官民肖像録】明治45年6月
辯護士 縣會議員
松江市母衣町
草光萬平君
〔肖像写真〕 p64/218
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780005/64

【日本辯護士名簿. 大正157月現在】
松江地方裁判所所屬 p195/263
松江辯護士會(二五名)
草光久三郎 島根 松江九〇五 松江市母衣町
草光義質  島根 松江一二三 松江市母衣町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1902910/195

【日本全国弁護士名簿. 昭和271日現在】
松江地方裁判所所屬(二八名) p214-215/274
草光久三郎 島根 松江九〇五 松江市母衣町一四六
草光義質  島根 松江一二三 松江市母衣町一四六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269292/214

【大衆人事録. 12 近畿・中国・四国・九州篇】昭和13年
草光義質 p716/883
松江商工學校主事
松江中學講師
松江辯護士會長
辯護士
松江市母衣町一四六
電話 一二三
〔閲歷〕本縣 万平 長男
    明治廿一年(1888)三月廿日
    本縣飯石郡に生る
    大正四年(1915)
    東大英法科卒業
    大阪廣島 各地方檢事局歷勤
    大正十年(1921)開業
    宗敎 曹洞宗
    趣味 弓
〔家庭〕妻  利子 明治三一年(1898)
          本縣 中西慶太郎 長女
    長女 靖子 大正一〇年(1921)
          松江高女在
    二女 治ヱ 昭和 五年(1930)
    三女 昌子 昭和 九年(1934)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207487/716

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 

《川勝歌蝶》「憲政藝者として侠名あり」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《川勝歌蝶》
「憲政藝者として侠名あり」
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《川勝歌蝶》 p319/340
戸籍名うた。
明治十三年(1880)七月、
京都に生れ、
小學校に學ぶ。
憲政藝者として侠名あり。
京都市祇園花見小路。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/319

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【漂泊の男流転の女】大正5年4月
 松崎天民 著
[川勝歌蝶拜見記] p179-180/213
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/908948/179

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《龜田米子》「東京數學院出身」「身章女學校長」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《龜田米子》
「東京數學院出身」
「身章女學校長」
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《龜田米子》 p319/340
明治五年(1872)、
陸前仙台臺に生る。
東京數學院出身。
上野淸に師事す。
仙臺に歸りて數學敎授所を設立して
子弟を敎授し、
傍ら宮城縣立高等女學校講師となり、
身章女學校長となり、
現に東北學校數學講師である。
家族は母一人。
仙臺市米ケ袋廣丁三。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/319

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【改正官立公立及ビ私立諸学校規則集】明治28年4月
[私立 東京數學院] p37-39/91
東京神田區猿樂町二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812660/37

【中等教育諸学校職員録. 明治37年版】
[縣立 高等女學校] p234/539
宮城縣 仙台市元寺小路
明治三十年創立
現在生徒 四百貮拾五人
學校長   和達孚嘉
―略―
囑託敎員 修・數 龜田よね
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779896/234

【仙台繁昌記】大正5年10月
(明治)二十年八月  身章私塾          p64/166
(明治)二十年十一月 柳絮學校の開設を見た。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906332/64
現在(大正五年)私立學校の主なるものを擧ぐれば、 p67/166
―略―
身章女學校(明治廿年)…。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906332/67

【中等教育諸学校職員録. 大正10年(5月現在)】
[財團法人 東北中學校] p219/371
宮城縣 仙臺市
明治三三年二月
校長 五十嵐豐吉
―略―
數  龜田 米
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937374/219

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《蟹江みさを》「蟹江義丸氏と結婚」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《蟹江みさを》
「蟹江義丸氏と結婚」
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《蟹江みさを》 p318/340
明治十四年(1881)
富山市に出生、
女子英學塾を卒業、
明治三十一年(1898)
故 蟹江義丸氏と結婚、
現に女子英學塾の幹事、
現住所、
東京市外千駄ヶ谷二七番地。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/318

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
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印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【最近学校評論】明治39年2月
[女子英學塾] p122-126/136
 ▲女子英學の權威
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808715/122

【孔子研究】明治37年7月
 蟹江義丸 著
[故文學博士 蟹江義丸君略傳] p3/280
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/753243/3

【梁川文集】明治38年8月
[蟹江義丸君を悼む] p474/494
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898758/474

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《門田つや子》「子供のお家」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《門田つや子》
「子供のお家」
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《門田つや子》 p318/340
靑山女學院、
日本女子大學校卒業。
大正五年(1916)より五ケ年間、
東京芝高輪の森村幼稚園に奉職し、
昨十一年(1922)十月、
東京府下目黒に
「子供のお家」を設立した。
現住所、
東京市外下目黒九六四
子供のお家。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/318

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[渋沢社史データベース]
婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)
大正10年(1921)8月
△森村幼稚園保姆
 門田つや子氏
 「小供のお家」を新設して職業婦人の幼児を預る
http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=15230&query=&class=&d=all&page=107

《加藤壽子》「小栗風葉氏と結婚」【婦人宝鑑. 大正12年度】

《加藤壽子》
「小栗風葉氏と結婚」
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《加藤壽子》 p318/340
明治十六年(1883)六月二十四日、
豐橋市松葉町一二八、一二九番地に生る。
文部省檢定試驗に合格、
中等敎員免許狀を受く。
明治三十三年(1900)十一月二十六日
小栗風葉氏と結婚。
自然主義流行當時
二三の短編小説を發表した。
家族は老母、夫、下婢、犬一頭。
豐橋市羽呉井西郷一二八。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/318

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[Wikipedia]
[小栗 風葉](おぐり ふうよう、本名磯夫)
1875年(明治8年)2月3日 –
1926年(大正15年)1月15日)は
日本の小説家。愛知県生まれ。
明治33年(1900)に豊橋市出身の
加藤籌子と結婚して婿養子となる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A0%97%E9%A2%A8%E8%91%89

《片山龜子》【婦人宝鑑. 大正12年度】

《片山龜子》
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《片山龜子》 p318/340
慶應元年六月生。 ※1865年7月
高知縣人 山川幸喜の二女。
醫學博士 片山國嘉氏に嫁し
二男二女を擧ぐ。
大日本婦人衛生會、
婦人修養倶樂部、
花の日會評議員。
愛國婦人會評議員兼本郷幹事、
精神病者慈善救治會、
婦人共立育兒會幹事。
本郷婦人會商議員。
本郷區西片町一〇。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/318

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[精神医学]
特集呉秀三先生の生誕100年を記念して
呉先生と救治会
 ―略―
片山国嘉夫人片山亀子氏などを説いて,
精神病者慈善救治会を組織されたわけであります。
この名称は後に精神病者救治会となり,
さらに救治会となりましたが,
その理由については,後で申しあげます
http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1405200864

blog[小野一雄のルーツ]
2013年09月08日(日)
《山川幸喜》
《大崎淳吉:履歴書》
【日本医籍】明治22年8月
《山川幸喜》 p9/246
東京府 京橋區元數寄屋町二丁目
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1294/

[山川幸喜(やまかわこうき)]
 天保3年~明治44年9月19日(1832-1911)
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/yamakawaKouki.htm

《恩田 和:恩田和子》[新聞記者]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《恩田 和:恩田和子》
[新聞記者]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《恩田 和》 p317-318/340
新聞記者
明治二十四年(1891)五月二十五日
茨城縣眞壁郡黒子村に生る。
日本女子大學文學科出身。
曾て讀賣新聞記者として敏腕を謳はれ、
現に大阪朝日新聞記者。
現住所、
大阪市 大阪朝日新聞社内
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/317

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[お嬢さん、空を飛ぶ: 草創期の飛行機を巡る物語]
著者: 松村由利子
飛行機に搭乗した
恩田和子が読売新聞記者だったのも、
偶然ではない。

《尾崎みどり》[小説家]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《尾崎みどり》
[小説家]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《尾崎みどり》 p317/340
小説家。
明治二十六年(1893)
島根縣に生る。
松江高等女學校を卒業。
曾て新聞記者たりしことがある。
島崎藤村氏に師事して、
『颱風』『松林』等の作あり。
現住所、
松江市寺町四丁目。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/317

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《小口みち子》[美容術師]【婦人宝鑑. 大正12年度】

《小口みち子》
[美容術師]
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
《小口みち子》 p316-317/340
美容術師。
明治十六年(1883)二月、
兵庫縣總社町に生る。
師範學校附屬敎員養成所出身。
和歌、俳句、活花に堪能。
女敎員、女店員等より
美術研究に轉じ、
現在美容術研究所を經營す。
化粧法に關する著書數種、
又婦人問題に關する論文がある。
小口忠氏夫人。
現住所、
東京芝公園十四號の十四。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/316

大正十二年三月 十日印刷
大正十二年三月十五日發行
大阪毎日新聞社編纂
定價 金壹圓
發行者兼印刷人 荒木利一郎
        大阪府豊能郡箕面村大字平尾七百三十七番地
印刷所     株式會社 大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     大阪毎日新聞社
        大阪市北區堂島裏町二丁目三十六番地
發賣所     東京日日新聞社
        東京市麹町區有樂町一丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336

【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
《小口 忠》 p413/1037
 小口美容研究所
 化粧品商
 東京府士族
 繼母 ゆき 慶應元年七月生 ※1865年8月
       兵庫、伊月豐次郎 妹
 妻  みち 明治三六年(1903)二月生、
       ※明治一六年(1883):誤植
       兵庫、寺本貫治 妹
 男  達也 大正六年(1917)五月生
 女  靜子 大正四年(1915)三月生
君は東京府士族 小口淸の長男にして
明治十一年(1878)十二月一日を以て生れ
大正六年(1917)家督を相續す
化粧品商を營み
小口美容研究所を經營す
家族は尚
 二男 正也 大正八年(1919)五月生あり
東京市澁谷區原宿三ノ二一四
電話 靑山 五九二九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078620/413

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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