◆鹿毛信盛

《鹿毛屋藏》[西洋画科:明治42年卒業]【東京美術学校一覧】

《鹿毛屋藏》[西洋画科:明治42年卒業]【東京美術学校一覧】

東京美術學校 西洋画科       明治42年(1909)3月卒業
東京美術學校 雇(助手) 工芸化学 明治42年(1909)~大正1年(1912)

【東京美術学校一覧. 明治41-43年】
 西洋畫科      p165/202
明治四十二年三月卒業 p167/202
東京美術學校 《鹿毛屋藏》 福岡士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813196/167

【東京美術学校一覧. 明治43-45年】
 職員     p52/236
 雇(助手)  p54/236
工藝化學   《鹿毛屋藏》 福岡士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813197/54

【東京美術学校一覧. 従大正元年至2年】
 職員     p48/112
 雇(助手)  p51/112
工藝化學   《鹿毛屋藏》 福岡士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940882/51

【東京美術学校一覧. 従大正2年至3年】
 西洋畫科      p72/117
明治四十二年三月卒業 p74/117
自營  《鹿毛屋藏》 福岡士
明治四十三年三月卒業 p74/117
在朝鮮 《藤田嗣治》 千葉士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940883/74

【東京美術学校一覧. 従大正4年至5年】
 西洋畫科      p83/154
明治四十二年三月卒業 p85/154
山口縣長府町金屋町 《鹿毛屋藏》 福岡士
明治四十三年三月卒業 p85/154
在佛國 《藤田嗣治》 千葉士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940885/85

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《鹿毛屋藏》【三井郡人名辞書】大正2年

《鹿毛屋藏》【三井郡人名辞書】大正2年

【三井郡人名辞書】大正2年
《鹿毛屋藏》  p42/148
 郡外居住 金島村
 靑年畫家也。
鹿毛信盛氏の三男、
明治十五年(1882)生る。
天性丹靑の技に長ぜしが
中學を卒ゆるや
(明善校半途退學、鹿兒島中學卒業)
進んで文部省直轄東京美術學校に入り、
洋畫科を出づ。

爾來母校に奉職すること若干年、
現今
田端東臺通四二四の自宅に僑居して
專ら揮毫に親しむ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/42

大正二年四月二十日印刷
大正二年四月廿三日發行
編輯兼發行者 小俣 愨
       原籍 大分縣杵築町三百五十五番地
       寄留 豐前國中津町二百七十五番地
印刷者    見常喜一
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
印刷所    東洋印刷株式會社
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/146

【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

《鹿毛屋藏》【三井郡人名辞書】大正2年

《鹿毛屋藏》【三井郡人名辞書】大正2年

【三井郡人名辞書】大正2年
《鹿毛屋藏》  p42/148
 郡外居住 金島村
 靑年畫家也。
鹿毛信盛氏の三男、
明治十五年(1882)生る。
天性丹靑の技に長ぜしが
中學を卒ゆるや
(明善校半途退學、鹿兒島中學卒業)
進んで文部省直轄東京美術學校に入り、
洋畫科を出づ。

爾來母校に奉職すること若干年、
現今
田端東臺通四二四の自宅に僑居して
專ら揮毫に親しむ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/42

大正二年四月二十日印刷
大正二年四月廿三日發行
編輯兼發行者 小俣 愨
       原籍 大分縣杵築町三百五十五番地
       寄留 豐前國中津町二百七十五番地
印刷者    見常喜一
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
印刷所    東洋印刷株式會社
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/146

【 】『国立国会図書館・近代デジタルライブラリー』より

《鹿毛 甲》【三井郡人名辞書】大正2年

《鹿毛 甲》【三井郡人名辞書】大正2年

【三井郡人名辞書】大正2年
《鹿毛 甲》  p40/148
 郡外居住 金島村
 門司市會議長也。

鹿毛信盛氏の次男、
明治七年(1874)三月十八日生る。
久留米明善校、東京共立學校、
農林學校豫備校、長州德山中學を經て、
山口高等中學校に入り、

慶應義塾に學ぶ。

歸縣後
福岡に於て
或は敎鞭を執るの人となり
(淨土宗鎭西支學校講師)
或は算盤を執るの人となること數年
(有名なる質商釜六の營業一切を引受く)

門司市に出でて奮闘場裡に身を投じ、
汽船數隻を購入し、
關門航海に從事す。

既にして
門司瓦斯株式會社、
門司船渠會社(現時の門司興業會社)の
發起人及び創立委員に擧げられ、
傍ら門司朝報を發行し、
西海新報を後援し、
事業界言論界に重きを爲し居たるが、
先年來市民に推され、
市長の椅子に倚る。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/40

大正二年四月二十日印刷
大正二年四月廿三日發行
編輯兼發行者 小俣 愨
       原籍 大分縣杵築町三百五十五番地
       寄留 豐前國中津町二百七十五番地
印刷者    見常喜一
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
印刷所    東洋印刷株式會社
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/146

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《鹿毛信盛》【人事興信録. 3版(明44.4刊)】

《鹿毛信盛》【人事興信録. 3版(明44.4刊)】

【人事興信録. 3版(明44.4刊)
 皇室之部、皇族之部、い(ゐ)之部―の之部】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779812/3

《鹿毛信盛》  p579/1002
株式會社金島銀行 取締役 頭取
久留米絣株式會社 取締役
福岡縣 士族
 妻 シカ  安政 元年九月生  ※1854年10月
       福岡 士族 中村永剛  長女
 男 一磨  明治 二年一二月生 ※1870年1月
 婦 マサヱ 明治一一年 六月生 ※1878年6月
       長男 一磨 妻
       福岡 士族 宮崎傳   二女
 男 甲   明治 七年 三月生 ※1874年3月
 婦 イサヲ 明治一三年一二月生 ※1880年12月
       二男 甲  妻
       福岡 平民 井上藤太  長女
 男 屋藏  明治一四年 四月生 ※1881年4月
 婦 トク  明治二〇年 五月生 ※1887年5月
       三男 屋藏 妻
       埼玉縣人 山田平左衞門 長女
 姉 タメ  天保一三年 三月生 ※1842年4月
君は福岡縣士族 鹿毛佐金次の長男にして
嘉永三年正月十五日を以て生れ   ※1850年2月26日
嘉永六年             ※1853年
家督を相續す
現時前掲會社の重役たり
家族は尚
孫 光信  明治三一年 七月生  ※1898年7月
      長男 一磨 長男
孫 善光  明治三八年 五月生  ※1905年5月
      長男 一磨 二男
孫 富美  明治三一年一〇年生  ※1898年10月
      二男 甲  長女
孫 花子  明治三八年 三月生  ※1905年3月
      二男 甲  二女
孫 貴美子 明治四〇年 三月生  ※1907年3月
      二男 甲  三女
孫 鈴子  明治四二年一〇月生  ※1909年10月
      二男 甲  四女
あり
長女 勝雄 明治四年一二月生は  ※1872年1月
福岡縣士族 野中鴻に
三女 イマタ 明治一一年二月生は ※1878年2月
山口縣人 渡邊萬龜に嫁せり
福岡、三井、金島村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779812/579

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《鹿毛信盛》【三井郡人名辞書】大正2年

《鹿毛信盛》【三井郡人名辞書】大正2年

【三井郡人名辞書】大正2年
《鹿毛信盛》  p35/148
 金島村
 前の貴族院議員にして
 南筑知名の富豪也
嘉永三年(1850)を以て生る。
夙に聲望を負ひ、
縣會設立の始め選ばれて其議員となり、
次で第十七國立銀行頭取に就任。

明治二十三年(1890)
國會開設の當初、
本縣多額納税者の互選を以て、
上院議員に選出せらる。
爾來
久留米絣同業組合長、
赤松社社長、
金島銀行頭取
其他重要の職に歷任し、
南筑の重鎭を以て居ること久しかりしが、
近時頽齢に達して超然高擧、
閑雲野鶴を侶とし、
靜かに老を養ふ。

殖産興業の志厚く、
先年來巨費を投じて
宮崎縣兒湯郡川南村に
百四十町歩の開墾を企て、
内八十町歩を既墾し、
甘蔗、野稻、櫨を栽培す。

郡内の農民にして
移住耕作に從事するもの十數戸、
整然として一大農場を形成せり。

明治の初年
地方地主相諮り
舊藩當時の竿入標準
六尺五寸なりしを
六尺に改定せしが、
氏之に加はらず
小作人を愛護して
減削するところなく、
依然今日に及ぶ。
茲に於て乎
小作者一同恩義に感じ、
明治三十八年(1905)中
一大碑を建て、
氏が積年の德に酬へり。
(濟生會寄附千五百圓、
 赤十字社特別社員)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/35

大正二年四月二十日印刷
大正二年四月廿三日發行
編輯兼發行者 小俣 愨
       原籍 大分縣杵築町三百五十五番地
       寄留 豐前國中津町二百七十五番地
印刷者    見常喜一
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
印刷所    東洋印刷株式會社
       東京市芝區愛宕町三丁目二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/919765/146

【日本全国諸会社役員録. 明治30年】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/13
[株式會社 金島銀行] p466/520
 福岡縣 三井郡金嶋村
設立  明治十五年(1882)九月
資本金 參萬五千圓(拂込濟)
一株  貮拾圓
積立金 七百圓
頭取  鹿毛信盛  三井郡金嶋村
取締役 山口伊平  三井郡大城村
取締役兼
支配人 鹿毛種藏  三井郡金嶋村
取締役 鐘江良吾  三井郡金嶋村
取締役 三原義信  三井郡金嶋村
監査役 橋本幾太郎 浮羽郡田主丸町
監査役 平野宗山  三井郡大城村
監査役 福田芳太郎 三井郡大城村
監査役 伊藤勇三郎 三井郡金嶋村
監査役 大久保禎藏 三井郡金嶋村
◎北野出張所    三井郡北野村
擔當者 楓 貞吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/466

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

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