營口小學校 尋五ノ女子 兩角美子【現地で見た日支事変】昭和7年
【現地で見た日支事変 : 在満支那人児童の感想文
(国際聯盟協会叢書 ; 第118輯)】昭和7年
著者 国際聯盟協会児童部 編
出版者 国際聯盟協会
出版年月日 昭和7
營口小學校 尋五ノ女子 兩角美子 p59-60/67
伯父樣長らく滿洲事件について
ご心配をかけました。
私が安東から營口にきました時は、
五六年前の事ですが
その時分は營口もずいぶん
にぎやかで有りましたが
近頃はさほど
にぎやかでは有りません。
今日はちよつと滿洲の事件について
お知らせいたしませう。
―略―
伯父様 滿洲國營口舊市街 美子より
昭和七年十二月二十六日印刷
昭和七年十二月二十九日發行 定價貳拾錢(送料四錢)
編輯 國際聯盟協會兒童部
發行人 赤松 祐之
東京市麴町區丸の内二の十二
印刷人 中川 二郎
印刷所 研文社印刷所
東京市芝區佐久間町一の七
發行所 社團法人 國際聯盟協會
東京市麴町區丸の内二の十二
振替東京五五一八三番
電話丸の内四六六四番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年02月15日 05:22
両角美子 小川(小野)文子
昭和13年卒業 大連弥生高等女学校
昭和13年 松組
両角美子
体調を崩し長い間入院生活を送って居りましたが、
昨年四月すっかり元通り健康になり、
家に戻って参りました。
前のように妹と二人暮しで、家事一切を引受け、
手芸をしたり、音楽を聴きに行ったり、
絵を見に行ったり、旅行をしたり、
楽しく感謝の日々を過ごしております。
※ 官舎も初めは二階建、
二軒続きの洋館であまり大きくなく、
庭も三十坪ぐらいで
赤いレンガ塀に囲まれた瀟洒な家だったが、
『支那奉天省営口綏定門第15号海関官舎』
※ 最初の家の隣家には三姉と同級の文子さんと、
『小川(小野)文子』小野一雄・雄二の母
※ 下に男の子が二人いて
『小川清久・小川清澄』小野一雄・雄二の叔父
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