◆日本陸軍士官學校卒業

《朱 熙》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《朱 熙》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《朱 熙》(シユ キ)
[Chu His] p563/593
字 琛甫(漢人)
年齢 三十七
湖南省人(現 蘇州)

陸軍敎育ヲ日本ニ受ケ
日本語ニ通ス

歸國後
前四十五標敎練官トナリ、
轉シテ四十五標營管トナリ
蘇州獨立ヲ宣布スルヤ、
四十五標々統
「劉之潔」ノ後任トシテ標統トナリ、
「程」前都督ニ從ヒ南京攻撃ノ任ニ當リ、
頗ル勳功ヲ顯ハシタリ、

其後協統トナリ
壽州ニ駐屯セシカ
歸蘇
第三師師長ニ昇進シ陸軍中將トナリ、
帝制發生ノ際ハ男爵ヲ授ケラレ、
大正五年(1916)四月
江蔭呉江
相繼テ獨立シ
蘇州モ亦不穏ノ狀ヲ呈シ、
先ノ「段」道尹兼鎭守使
當地ヲ去リタルハ
蘇常鎭守使ヲ兼任スルニ至レリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/563
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月18日(日)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第七期:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第七期 五十五名           p702-703/740
 (明治四十一年十二月 光緒三十四年
 ※明治41年=光緒34年(1908)
歩兵科
命令退學 湖南常德府  《朱  凞》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524014.html

《黄 毓成》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《黄 毓成》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《黄 毓成》(クウ リウセイ)
[Hung Yu-cheng] p556/593
字 斐章
年齢 三十三
雲南省 鎭沅縣人

日本陸軍士官學校
第六期騎兵科卒業
日本語ニ通ス、

四川兵備處提調
雲南敎練官
貴州下游總司令、
貴州參謀廳長
貴州第一混成旅長、
四川重慶鎭守使等ニ歴任セシカ
鎭守使ヲ辭シテ雲南ニ歸來
雲南將軍行署顧問官ノ閑職ニ在リタルカ

民國四年(大正四年:1915)
帝政問題起ルト共ニ
竊ニ「蔡鍔」ト相通シ密信シ居タリ
護國軍ノ編成ニ際シ、
第一軍タル「蔡鍔」軍ニ從フ筈ナリシモ
唐繼堯」ノ希望ニ依リ
第三軍ニ屬スルコトトナリ、

第三梯團挺進軍司令官トシテ
省城ヨリ貴州ニ迂回シ
廣西省百色方面ニ出テ、
蒙自ヨリ廣南方面ニ向ヒタル
第二軍「李烈鈞」軍ト共ニ
「龍觀光」ノ投降
廣東ノ獨立ニ由リ
同方面一段落ヲ告ケタルヲ以テ
雲南省城ニ凱旋シ、

大正五年(1916)六月
護國軍第四軍總司令官ニ陞任シ、
同軍ヲ編成シテ雅州ニ進發セリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/556
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第六期=2/2:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第六期 百八十七名          p700-702/740
 (明治四十一年十一月 光緒三十四年十月
 ※明治41年=光緒34年(1908)
騎兵科
 一九 雲南  《黄 毓成》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524013.html

《羅 佩金》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《羅 佩金》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《羅 佩金》(ラ ハイキン)
[Lo P’ei-chin] p555/593
字 鎔軒
年齢 三十六
雲南省 澂江縣人

日本陸軍士官學校
第五期歩兵科卒業
日本語ニ通ス、

雲南陸軍小學校總辦、
雲南督鍊處副參謀
雲南第四標々統等ニ歴任シ
第一革命ニ
李烈鈞
唐繼堯」等ト共ニ當時
雲南第十九鎭三十七協統タリシ
蔡鍔」ノ下ニ雲南ノ獨立ニ參劃シ、
旋テ都督府軍政部長
雲南衛戍司令官等ニ任セラレ、
其後北京總督府ニ入リテ
軍事顧問タリシカ

大正二年雲南ニ歸リ、
雲南民政長、
雲南都督府及將軍行署ノ顧問官
參謀長ノ職ニ任セラレ
雲南ニ第三革命ノ事起ルヤ
「蔡鍔」ノ參謀長トナリ、
四川濾州方面ニ出征ス

雲南獨立ノ事實上ノ主謀者ノ一人ニシテ、
第三旅長「劉雲峰」將軍行署
顧問官「黄毓成」
第一團長「何海淸」
第三團長「鄭太中」等
少壯急進派ノ連中ト密カニ獨立ノ議ヲ凝ラシ
「蔡鍔」ト密電ヲ往復シ居タルモノニシテ、
遂ニ將軍「唐繼堯」及
兵工廠長「劉祖武」ヲ説服シタリ、

又當初
「羅佩金」ハ
(一)當時財政困難ノ爲メ一時休校ノ議アリシ
   陸軍講武學堂ヲ存續シテ將校下士ノ養成ヲ成スコト、
(二)休職將校ヲ登用スルコト、
(三)土匪蜂起ノ名ニ籍リテ
   潜ニ雲南ノ大軍ヲ四川境ニ集中セシメ
   獨立ノ宣言ト同時ニ敍州濾州ヲ占領シ
   四川ノ「劉存厚」、「周駿」・「雷飇」ト連絡ヲ取リ ※雷飇?
   一擧ニシテ四川ヲ攻略スルノ案ヲ建テタリ、

時ニ第三案ハ第三革命ノ方略トシテ
極メテ重要ノモノニシテ
「蔡鍔」ハ同案ノ實行ニ由リ
雲南軍カ既ニ四川境ニ集中セルコトヲ期待シテ
雲南ニ入リシニ
事實ハ此豫想ニ反シ、
同案ハ武器缺乏其他ノ理由ニ依リ
實行サレ居ラレサリシト云フ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/555
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
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印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
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2015年01月18日(日)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第六期=1/2:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第六期 百八十七名(※197名)   p700-702/740
 (明治四十一年十一月 光緒三十四年十月
 ※明治41年=光緒34年(1908)
歩兵科
 四七 雲南  《羅 佩金》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524012.html

《張 孝準》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《張 孝準》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《張 孝準》(チヨウ コウジユン)
[Chang Hsing-chih] p544-545/593
字 潤農
湖南省 長沙縣人(現住 長沙)

日本士官學校第三期留學生ナリ、
士官學校卒業後
更ニ
陸軍經理學校ニ入學シ卒業、

更ニ三年間獨逸ニ留學ス、

日本語及獨逸語ニ通ス

宣統二年(明治四十三年)
歸國後
北京陸軍部ノ科長タリシカ
第一次革命事變後南下シ
南京臨時政府組織ニ際シ
陸軍軍務局長トナリ、
南京留守ノ時ニハ軍務處總長ノ任ニアリシカ
黄興」留守使解任ト共ニ上海ニ去レリ

第二革命ニ「黄興」ノ失敗スルヤ
其軍事幕僚タリシヲ以テ共ニ
日本ニ亡命セリ、

其後帝制問題ノ發生スルト共ニ奮起シ
東京及上海間ヲ往來シ
米國ニ在ル「黄興」トモ気脈ヲ通シ
民國五年五月 ※中華民国5年:大正5年(1916)
「黄興」ノ米國ヨリ日本ニ來ルヤ
之ヲ日本ニ迎ヘ
同七月
「黄興」ト共ニ上海ニ來リ
其下ニ在リテ熱心ニ奔走中ナリ

曾テ陸軍少將迄累進セシモ
袁世凱」政府ノ爲■奪セラレタリ ※■?
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/544
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
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印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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2015年01月16日(金)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第三期:明治37年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第三期 九十二名           p698/740
 (明治三十七年十月入學 光緒三十年九月)
 ※明治37年=光緒30年(1904)
工兵科
  一 湖南  《張 孝準》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524008.html

《趙 理泰》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《趙 理泰》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《趙 理泰》(チヨウ リタイ)
[Chao Li-t’ai] p543/593
字 康侯
安徽省人
日本士官學校出身、
前淸ノ末年ニ
在日本陸軍留學生監督トシテ
數年間東京ニ駐在シ、
民國元年十月 ※中華民国1年:大正1年(1912)
陸軍少將■ニ補セラレ ※■:?
陸軍速成學堂總辦軍官學校長ヲ經テ
陸軍部顧問官タリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/543
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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《唐 在禮》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《唐 在禮》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《唐 在禮》(トウ ザイレイ)
[T’ang Tsai-li] p541/593
字 執夫
年齢 三十七
江蘇省 上海縣人

日本士官學校卒業
陸軍中將ナリ、
曾テ陸軍參議廳長等ニ歴任ス

參謀次長ニ任シ
五年七月辭職ス ※中華民国5年:大正5年(1916)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/541
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第一期:明治34年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第一期 三十九名           p698/740
 (明治三十四年十月入學 光緒二十七年九月)
 ※明治34年=光緒27年(1901)
砲兵科
  二 南洋  《唐 在禮》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524006.html

《杜 准川》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《杜 准川》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《杜 准川》(ト ワイセン)
[Tu Huai-ch’uan] p541/593
年齢 四十餘
安徽省人

日本士官學校 第一期卒業生
日本語ニ熟達ス、

第一革命前
鎭江新軍團長ニシテ

革命後
江蘇陸軍第二十六師長トナル
民國元年九月 ※中華民国1年:大正1年(1912)
陸軍中將に補セラル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/541
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第一期:明治34年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第一期 三十九名           p698/740
 (明治三十四年十月入學 光緒二十七年九月)
 ※明治34年=光緒27年(1901)
歩兵科
  九 南洋  《杜 准川》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524006.html

《莫 擎宇》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《莫 擎宇》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《莫 擎宇》(バク ケイウ)
[Mo Ching-yu] p540/593
字 桂一
年齢 三十七
廣東省 東莞縣人(現住 汕頭)

最初 廣東省武備學生ヲ卒業シ
轉シテ日本ニ官費留學シ、
振武學校ニ學ヒ
次テ
士官學校ニ入
第六期卒業生タリ、

歸國後
廣東督練公所調査課長ニ任シ
湖油地方ノ水陸軍路ヲ調査シタルコトアル等、
主トシテ廣東省ニ於テ陸軍武官ニ歴任シ、

第一革命ノ際
廣東都督府經理局長ト爲リ、
次テ
廣東都督胡漢民ノ下ニ
北伐軍參謀長トナリ、
暫ク南京ニ駐在セルコトアリ、

其後
龍濟光」麾下ニ在リテ漸次昇進シ、
廣東陸軍第一師歩兵第一旅第一團々長
陸軍中將衡陸軍少將トナリ、
潮梅鎭守使「馬存發」ノ部下ニ加ヘラレ、
新軍三營ヲ統率シテ
潮州府下潮安ニ駐屯シ居タルカ、

偶々帝制問題發生シ
雲南獨立ヲ宣言スルヤ、
「馬」鎭守使部下ノ武官ニ
革命思想ヲ鼓吹シ、

第二團々長「陳春」ト共ニ
岺春煊」一派ノ革命派ト気脈ヲ通シ、
雲貴及廣西各省ノ獨立ニ呼應シテ、
民國五年三月二十七日 ※中華民国5年:大正5年(1916)
其弟「莫序雲(莫衡)」ト共ニ
潮州及潮陽ニ於テ獨立ノ旗ヲ揚ケ、
同月三十日ニハ汕頭ヲ占領シ、
潮梅一帶ノ地ヲ以テ
廣東省ニ於ケル第一ノ獨立地トシ、
「岺春煊」一派ノ兩廣ヲ定ムル上ニ
多大ノ助勢ヲ與ヘタリ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/540
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2015年01月18日(日)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第六期=1/2:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第六期 百八十七名(※197名)   p700-702/740
 (明治四十一年十一月 光緒三十四年十月
 ※明治41年=光緒34年(1908)
歩兵科
 七三 廣東  《莫 擎宇》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524012.html

《梅 馨》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

《梅 馨》【支那年鑑. 第2囘】大正6年

【支那年鑑. 第2囘】大正6年
《梅 馨》(バイ ケイ)
[Mei Hsing] p540/593
字 植根
年齢 三十七
湖南省 常德縣人(現住 長沙)
日本陸軍士官學校 第六期 歩兵科出身
日本砲工學校 卒業
歸國後
湖南五十標管帶官ニ任シ、
平素部下ノ信愛ヲ受クルコト深シ、
長沙占領ノ當日
彼レハ「王隆中」ノ部隊ト先驅城ニ入リ
最モ功績アリ、
民國元年九月 ※中華民国1年:大正1年(1912)
陸軍中將ニ補セラレ
湖南第五師々長ニ推サレ、

會辦湖南裁兵事宜ニ任セラル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/540
大正六年三月十八日印刷
大正六年三月廿一日發行
定價 金 五圓
著作兼發行者 東亞同文會調査編纂部
       右 代表者 山内 嵓
       東京市赤坂區溜池町二番地
印刷者    金澤求也
       東京市麹町區紀尾井町三番地
印刷所    元眞社
       東京市麹町區紀尾井町三番地
發行所    東亞同文會調査編纂部
       東京市赤坂區溜池町二番地
       電話 新橋二二一七・一二五五番
       振替口座 東京九七三〇番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/974417/590

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

2015年01月18日(日)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第六期=1/2:明治41年
【最新支那官紳録】大正7年8月20日発行
●第六期 百八十七名(※197名)   p700-702/740
 (明治四十一年十一月 光緒三十四年十月
 ※明治41年=光緒34年(1908)
歩兵科
一〇八 湖南  《梅  馨》
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524012.html

《張 厚琬》【満洲国名士録. 康徳元年版】昭和9年

《張 厚琬》【満洲国名士録. 康徳元年版】昭和9年

【満洲国名士録. 康徳元年版】昭和9年
《張 厚琬》 p71/123
元 東支鐡道路警處長
河北省人

君は又《忠蓀》と稱し
河北省南皮縣人にして
夙に
日本に留學し
千九百十一年(1911)(明治44年)
陸軍士官學校砲兵科を卒業す
歸國後
北京陸軍大學敎育長
東三省保安總司令部參謀長等に歴任し
千九百二十五年(1925)(大正14年)
北京政府陸軍次長に累進
翌年(昭和1年)
航空署督辨となり
千九百二十七年(1927)(昭和2年)
奉天講武堂敎育長に轉じ後
同學堂長に任じ
次で
東支鐡道路警處長となり
千九百三十一年(1931)(昭和6年)
滿洲事變勃發前に至れり

氏名と字の原音は
Chang Hou-wan 及 Chung-sun なり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1150070/71
昭和九年十月二十八日發行
第十版人事興信録別冊附録
編輯兼發行人 内尾直昌
       東京市麹町區丸ノ内二丁目十八番地
印刷者    外山勇太郎
       東京市京橋區木挽町二丁目十三番地
印刷所    山中商會印刷所
       東京市京橋區木挽町二丁目十三番地
發行所    株式會社 人事興信所
       東京市麹町區丸ノ内二丁目十八番地
       (東京驛前 昭和ビル内)
取扱所    丸善株式會社
       東京市日本橋區通二丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1150070/121

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2015年01月19日(月)
[日本陸軍士官學校卒業 支那留學生表]第八期:明治42年
【最新支那官紳録】
●第八期 六十四名(※54名)     p703/740
 (明治四十二年十二月 宣統元年)
 ※明治42年=宣統元年(1909)
砲兵科
  六 湖北武昌府  《張 厚畹》※③《張 厚琬》別稿に記載
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2524015.html

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