《高田久兵衛》君:
 加佐郡中筋村字京田
【現代加佐郡人物史】大正6年

《高田治兵衛》 加佐郡吉田村
《高田新右衛門》本家
《由井新兵衛》 加佐郡中筋村
《高田久兵衛》 分家:加佐郡中筋村字京田
《高田六二郎》 高田久兵衛(九世)の末弟

【現代加佐郡人物史】大正6年9月18日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/923555/95
《高田久兵衛》君 p25-27/97
加佐郡會議員
加佐郡中筋村字京田

祖先は加佐郡吉田村高田治兵衛より出で
高田新右衛門を名乗り
中筋村由井新兵衛氏の女を娶りて一家を起せり、

延寶四丙辰年  ※1676年2月14日
此 高田新右衛門氏より分家して
高田久兵衛氏を名乗り
農を業とし代々久兵衛を襲名せり
連綿相繼ぎて六世庄屋役を勤め

七世久兵衛に至り十九ケ村大庄屋仰付けられ
木履帯刀を許されたり、

八世は即ち先代久兵衛氏にして
庄屋を勤めしも?々王政維新の爲廢藩置縣となりたれば
仝時に庄屋を戸長に改められ引き續き公務に盡力せり、
明治廿二年町村制實施に當りては、
村長に擧げられ仝時に村會議員となり、
自治政たる繁雑なる事務を?掌せり、
尚加佐郡徴兵参事員、
所得税調査委員、
郡農會議員、郡仝町村組合會議員等
兼務又は歴任して一世を公共事業の爲に奮闘し
赫々たる名聲を博し、
生神の如く村民に崇拜せられしも
今や逝きて唯事績の傳ふるあるのみ

氏は其長子にして     ※九世(写真の人)
安政四年十二月二十日生、 ※1858年2月3日生
資性温厚の君子にて、
人に接する篤實圓滿、
爭を好まず謙譲にして敵を作らず
八方美人的の才子たり、
然して気品高尚頗る常識に富み、
何事にも隔意なく親切を旨とす爲に
其名聲は先代に譲らず擧げられて
村會議員となり、
助役となり、
名誉職村長となり再三其職を踏襲して
村政の爲に貢献せらたる事績は頗る大なるものあり、
されど年歯既に還暦たるの故を以て
一切の名誉職を辭し閑地に風月花鳥を友とせんと
再三辭退せるも衆望は全く??を許さず
セメては比較的閑職たる郡會議員だけなりと
勤續の程望ましけれど
村民一致大多數を以て當選し
去らしめざれば
今は衆望悖し難く
現に其職にありて
郡政に参與せるが
郡會中の最古参にして郡の元老たるなり、

氏が村内に於ける徳望は實に斯の如くにして
高田家の系譜は氏に依りて亦一段の光彩を放つに至れり、
斯かる手腕家の氏にして
一子なきは憾みなれども

末弟六二郎氏の賢明怜悧なるあり
擧げて嗣子となし既に子女あり、

氏亦何をか憂ふるに足らん、
然り今は隠居所にありて
書畫骨董と親み析には俳句をものするもあり業成り、
名遂げて老を養ふ亦他の羨やむ處なり、
幸に鶴壽を祈る。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/923555/25

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』