《別府家関連》
[恒遠塾遊學者《恒遠醒窓》]
【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年

《上毛郡三毛門  別府吉之輔》
《上毛郡宇野嶋  別府七九郎》
《上毛郡三毛門  別府方作》
《上毛郡三毛門  別府忠之助》
《肥前嶋原領高田 別府市之助》
《上毛郡三毛門  善正寺 新發意 秀山:梅高秀山》
《上毛郡三毛門  別府信一郎》
《上毛郡大河内  大邊 晋》[大邊晋:大河内傳次郎の父]
《上毛郡三毛門  別府松三郎》
《上毛郡三毛門  善正寺 弟子 心鏡》
《黒土村儒者   鬼木柳綠》
《九州西本願寺派寺院幹事 梅高秀山》

【福岡県史資料. 第4輯】昭和10年3月31日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/431
一〇 恒遠塾遊學者 p327/434
築上郡横武村大字薬師寺には
恒遠和(醒窓、文久元年五月三日歿、年五十九)、
      ※文久1年5月3日(1861年6月10日)
同 仁(精齋、明治二十五年(1892)十一月六日歿、年五十一)
父子の塾ありき。
初塾名を自遠館といふ。
後新舎を増築し、
舊舎を梨花寮、
新舎を藤春園と稱す。
醒窓は日田廣瀬淡窓の門下にして、
こゝにも咸宜園風の門人帳を存す。
惜い哉散逸せるもの甚多し。
今残れるものをこゝに摘録す。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/327
 入門年月日     住 所     氏 名
弘化三年五月一日  上毛郡三毛門  別府吉之輔 p329/434
※弘化3年5月1日(1846年5月25日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/329
嘉永六年三月二一日 上毛郡宇野嶋  別府七九郎 p330/434
※嘉永6年3月21日(1853年4月28日)

嘉永六年四月一日  上毛郡三毛門  別府方作  p330/434
※嘉永6年4月1日(1853年5月8日)

嘉永六年九月三日  上毛郡三毛門  別府忠之助 p330/434
※嘉永6年9月3日(1853年10月5日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/330
萬延元年七月二一日 肥前嶋原領高田 別府市之助 p331/434
※萬延1年7月21日(1860年9月6日)

萬延二年一月二七日 上毛郡三毛門  善正寺 新發意 秀山 p331/434
※萬延2年1月27日(1861年3月8日)

萬延二年一月二七日 上毛郡三毛門  別府信一郎 p331/434
※萬延2年1月27日(1861年3月8日)

文久元年三月二日  上毛郡大河内  大邊 晋  p331/434
※文久1年3月2日(1861年4月11日)

文久元年五月三日  醒窓は五十九歳にて歿す。   p331/434
※文久1年5月3日(1861年6月10日)

文久四年二月一六日 上毛郡三毛門  別府信一郎  p331/434
※文久4年2月16日(1864年3月23日)

精齋は文久四年 卽 元治元年 箕裘を襲げり。   p331/434
  ※文久4年(1864) 元治1年(1864年3月27日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/331
慶應三年三月九日  上毛郡三毛門  別府松三郎  p332/434
※慶應3年3月9日(1867年4月13日)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/332
明治四年四月五日  上毛郡三毛門 善正寺 弟子 心鏡 p333/434
※明治4年4月5日(1871年5月23日)

左記は「精齋の門人」なり。             p333/434
前記 門人簿と重複するものあれど、原文のまゝに採録す。
 門 人 p333/434
元 黒土村儒者 鬼木柳綠  p333/434
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/333
元 九州西本願寺派寺院幹事 梅高秀山  p334/434
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213894/334

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』