◆【東奥義塾一覧】

《佐藤正行:蔀氏の父》【青森県人名録】昭和8年

《佐藤正行:蔀氏の父》
【青森県人名録】昭和8年

【青森県人名録】昭和8年6月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208329/198
《佐藤正行》 p138/202
弘前藩士、
蔀氏の父にして
稽古館數學士二敎たり
算法、曆法に達し

畫をよくす
その著書算法に於て百冊あり、
又『稽古館曆』を編する等
著書甚だ多し。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208329/138

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[陸奥新報]
北のミュージアム
日本画に多い植物画=26
2007/10/8 月曜日
 ―略―
 同じく魯仙門から輩出した
佐藤蔀(さとう しとみ、1852~1944)は
青森大林区署(現在の東北森林管理局青森事務所)に勤務した。
当時は青森県が青森・岩手・宮城の三県にまたがった地域を管轄しており、
蔀は署員として「山沢の図」などを作成した。
蔀はまた多くの植物画を描いたが、
その作品は日本画家ならではの美しい線と色彩によって描かれ、
絵画としての美しさもそなえたものである。
 ―略―
http://www.mutusinpou.co.jp/index.php?cat=7&paged=6

[陸奥新報]
その他2013/1/7 月曜日
佐藤蔀が残した遺物=105
 ―略―
http://www.mutusinpou.co.jp/%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%B4%A5%E8%BB%BD/2013/01/24513.html

[小木 喬:作家解説]
裁判所判事小木茂三郎の次男として、
明治39年、
天の橋立のある京都府与謝郡文珠村に生まれた。
父は金沢の出で、
五所川原在任中に
弘前藩士族
《佐藤蔀》の長女つやと結婚し、
2男4女をもうけた。
父が北海道に転任したので、
喬は後志支庁岩内町小学校に入学。
大正9年、旧制青森中学に首席で合格。
以後一高・東京帝国大学文学部国文科に進む。
 ―略―
http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/sakka/SAKKA50_KAI/%E5%B0%8F%E6%9C%A8%E5%96%ACKAI01.HTML

《佐藤正行》[教課書【洋算例題】]【東奥義塾再興十年史】昭和6年

《佐藤正行》
[教課書【洋算例題】]
【東奥義塾再興十年史】昭和6年

【東奥義塾再興十年史】昭和6年6月28日発行
東奥義塾創立と初期時代            p20/200
 明治五年より十年迄             p20/200
創立當時の職員の名を擧ぐれば左の如くである。 p20-22/200
 幹 事  兼松成言             p20/200
 副幹事  菊池九郎             p21/200
 副幹事  成田五十穗            p21/200
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/20
明治五年以來明治十年迄に親しく教育の任に當つた職員は p26/200
創立當時の職員(前出)の外に左の諸氏である。
《佐藤正行》 白戸光淸  佐藤如心
相馬保之進  毛内仙之助 長尾介一郎
本多庸一   兼松 艮  齋藤魯助
佐田吉之亟  本多武雄  佐藤愛麿
森 可次   小栗山福藏 川井元司
芹川得一   珍田正雄  武田邦雄
中田 仲   菊池きく  兼松しほ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/26
[回顧録]                  p168/200
<私が義塾の御世話になりしころ>       p168/200
 山鹿旗之進
私は東奥義塾が、まだ庭尉さまと大道寺の邸内に在て、
所謂るボイBoy局の頃より、
明治十二年の夏まで、御厄介になつた。

尤もその中途に退學して、
龜の甲、朝陽の兩校にも通學したから、
英學の外は、
傍嶋、黒瀧、淸水、白戸、平田(太郎作)の
諸先生から教を受けた。
そのうち經書は、
平田、淸水の兩先生の外には、
兼松老先生からであつた。
まことに濟まぬことだが、
其他の先生方は忘れて了つた。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/168
 ―略―
算術は、須鄕、佐藤の兩先生の外に、   p169/200
まだ二名ほどあつたやうだが
その御名を忘却した。

代數は暫らく芹川君から原書で習ふた。
そちらの著書は忘れたが、
アルスミチツクは、ロビンソンであつた。
それは本多先生が、その原書の表紙の包紙に
『魯憫孫』と記されていたのをみて、
これはウマイことをかくと感心したから記憶してる。

佐藤先生の教課書は、
【洋算例題】と稱する官本であつたと記憶する。
それに屬する解(キイ)は、
先生自身に作られたのを、教場へ持參されてた。

それは先生の筆寫だけれども、
字畫が正確にして且つ鮮明なので、
宛も活字版のやうに見えた。

鶴髪童顔といひたいが、
禿頭赦顔の先生は、
極度の近眼であつたから、
黒板へ顔をすれすれにして、
數字をかゝれた。

そして折ふし、
私共學生の退屈せぬやう、
輕い上品な冗談をいふては、
布袋然たる大きな體躯をゆすりながら、
高笑ひさるゝ樣子が今尚ほ見ゆるやうである。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/169
<五十年前の回顧> p184/200
 高橋邦太郎
 ―略―
英語は珍田捨己、芹川得一、小栗山福藏、武田邦雄、田中五郎、
數學は《中舘廣之助》の諸先生。
此内今尚健在の方は何人あるであらうか。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/184
昭和六年六月二十日印刷
昭和六年六月廿八日發行
編輯人 笹森順造
    弘前市下白銀町二番地
發行人 淸藤一郎
    弘前市下白銀町二番地
印刷人 柿崎千代吉
    青森市長島町三番ノ二號
印刷所 東奥日報社印刷部
    青森市長島町三番ノ二號
發行所 東奥義塾學友會
    弘前市下白銀町二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077072/198

【洋算例題答射】明治7年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/827908/35

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[佐藤正行](さとう-せいこう)
1817-1883 江戸後期-明治時代の和算家。
文化14年8月生まれ。
陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士。
藩校で漢学,和算,天文などをおさめ,勘定方,のち切米方。
江戸の軍艦操練所で測量や洋算をまなび,
帰郷して家塾六合館をひらく。
弘前藩校数学教授となり,
維新後,
弘前東奥義塾の数学教授頭,
青森師範教員をつとめた。
明治16年7月死去。67歳。
通称は常蔵。号は子竜。
出典:講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2009.
http://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%AD%A3%E8%A1%8C

[中學生 姓名:附 豫備課 及 小學生 人員]【東奥義塾一覧】明治11年

[中學生 姓名:附 豫備課 及 小學生 人員]
東奥義塾一覧】明治11年

【東奥義塾一覧】明治11年9月出版
第十三章 中學生 姓名 p29/33
         附 豫備課 及 小學生 人員
    上等中學 第一級   ※9名
《伴野雄七郎》 青森 弘前
《木村勇次郎》開拓使 函館
《工藤儀助》  青森 弘前
《小栗山福藏》 青森 弘前
《芹川得一》  青森 弘前
《淸野太一》  青森 弘前
《藤林良司》  青森 弘前
《珍田正雄》  青森 淺瀬石
《佐藤淸明》  青森 弘前
    下等中學 第一級   ※9名
《山本勝郎》  青森 弘前
《村田信降》  福島 中村
《沖津 泰》  福島 若松
《山鹿旗之進》 青森 弘前
《中舘廣之助》 青森 弘前
《關口吉五郎》 青森 弘前
《山鹿元次郎》 青森 弘前
《伊藤 基》  青森 弘前
《矢川蕃徳》  青森 弘前 p29/33
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/29
   下等中學 第三級   p29/33 ※12名
《木村繁四郎》 青森 弘前 p30/33
《出町良藏》  青森 弘前
《小山内孝九郎》青森 弘前
《工藤造酒之丞》青森 弘前
《山田寅之助》 青森 弘前
《山田虎一郎》 青森 弘前
《平田平三》  青森 弘前
《大石良之》  青森 弘前
《木村庄助》  青森 弘前
《志賀雄淸》  福島 中村
《山中三津雄》 青森 木造
《長尾孫吉》  青森 弘前
    中學豫備課 第一級 男  十六人 ※16人
    同     第二級 男 三十一人 ※31人
   小學生 人員
    下等 第一級    男 二十一人 ※21人
              女   八人 ※ 8人
    下等 第二級    男 二十三人 ※23人
              女   九人 ※ 9人
    下等 第三級    男 四十三人 ※43人
              女  十四人 ※14人
    下等 第四級    男 三十八人 ※38人
              女  十八人 ※18人
    下等 第五級    男
              女 四十三人 ※43人
 中學科 中學豫備科 及 小學科 共
   總計 貳百九拾六人         ※296人
   明治十一年七月 定期試験 現員
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/30
明治十一年八月御届
明治十一年九月出版
編輯 兼 出版人 本田庸一
         青森縣士族
         第三大區二小區
         弘前元寺町三十四番地寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/31

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[結社人 及 塾吏教員][外國教員][内國教員]【東奥義塾一覧】明治11年

[結社人 及 塾吏教員]
[外國教員]
[内國教員]
東奥義塾一覧】明治11年

【東奥義塾一覧】明治11年9月出版
第十二章 結社人 及 塾吏教員 姓名 p26/33
 第一條 結社人
   明治六年就職 主務《菊池九郎》  青森 弘前
   同        《榊 喜洋芽》 青森 黒石
   明治十一年    《須鄕元雄》  青森 弘前
   同        《本田庸一》  青森 藤崎
   同        《兼松 艮》  青森 弘前
 第二條 塾吏
   塾長       《本田庸一》
   塾監       《兼松 艮》
   同        《岡 文左衞門》青森 弘前 p26/33
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/26
   同        《今 宗藏》  青森 弘前 p27/33
   器械掛      《須鄕元雄》
   計算掛      《笹森淸淑》  青森 弘前
 第三條 外國教員
  英語學
   明治五年 冬 就職《シ、エチ、エチ、ウォルフ》
   同七年  春 解職 アメリカ、シフォムド教會派遣宣教師

   同上               《ウォルフ》
                     同人 妻

   明治七年 春 就職《アルサル、コリンス、マクレー》
   同年   冬 解職 アメリカ ウイスレヤン大學校
             第一級生

  英語、理、化、數、博物、史學
   明治七年 冬 十二月 就職《學士 ジョン、イング》
   同十一年   三月  解職 アメリカ、メソデスト監督教會
                 派遣宣教師

   同上              《ルーシ、イング》
                    同人 妻

   明治十一年  三月  就職《得業士 ダブリユ、シ、デビスン》

   同上              《マリー、シ、デビスン》p27/33
                    同人 妻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/27
 第四條 内國教員
  漢文 及  歴史科 《工藤主善》  青森 弘前 p28/33
  歴史科 兼 小學課 《兼松 艮》
  歴史科       《喜多村儀作》 青森 弘前
  脩身科       《本多庸一》
  算術        《須鄕元雄》
  算術        《工藤祐雄》  青森 弘前
  歴史        《藤林良司》  青森 弘前
  習字科       《齋藤魯助》  青森 弘前
  英語學       《伴野雄五郎》 青森 弘前
           ※《伴野雄七郎》 訂正あり。
  英語學       《木村勇次郎》開拓使 函館
  英語學       《工藤儀助》  青森 弘前
  英語學       《小栗山福藏》 青森 弘前
  英語學       《淸野太一》  青森 弘前
  英語學 兼 算術  《芹川得一》  青森 弘前
  地理 算術     《珍田正雄》  青森 淺瀬石
  英語學 兼 小學科 《乳井吉之丞》 青森 弘前
  英語學 兼 小學科 《田中五郎》  青森 小杉
  豫備科國書     《岡 文左衞門》青森 弘前
  豫備科國書     《今 宗藏》  青森 弘前
  小學課       《服部吉之丞》 青森 弘前
  小學課       《齋藤宇一》  青森 弘前 p28/33
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/28
  小學課       《進藤正臣》  青森 弘前 p29/33
  小學課       《木村市太郎》 青森 弘前
  小學課       《菊池きく》  青森 弘前
  小學課       《中田 仲》  青森 弘前
  小學課       《兼松しほ》  青森 弘前
  小學課       《脇山とや》  東京
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/29
明治十一年八月御届
明治十一年九月出版
編輯 兼 出版人 本田庸一
         青森縣士族
         第三大區二小區
         弘前元寺町三十四番地寄留
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813011/31

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

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