◆阿片

[大日本製藥合資會社]【日本全国諸会社役員録】明治28年~明治31年

[大日本製藥合資會社]
【日本全国諸会社役員録】明治28年~明治31年

【日本全国諸会社役員録. 明治28年】
 明治28年9月30日再版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780110/338
[大日本製藥合資會社] p59/343
東京市 京橋區木挽町八丁目
電 話 六二五
設 立 明治廿八年一月
資本金 六萬圓
社 長 土田政次郎 京橋、木挽、八
支配人 堀井勘兵衞
大阪出張所 東區伏見町三丁目
      電話 二五九
  支配人 小磯吉人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780110/59

【日本全国諸会社役員録. 明治29年】
 明治29年6月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780111/391
[大日本製藥合資會社] p70/398
東京市 京橋區木挽町八丁目
電 話 六二五
設 立 明治二十八年一月
資本金 六萬圓
社 長 土田政次郎 京橋、木挽、八
支配人 堀井勘兵衞
大阪出張所 東區伏見町三丁目
      電話 二五九
  支配人 小磯吉人
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780111/70

【日本全国諸会社役員録. 明治30年】
 明治30年6月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/13
[大日本製藥合資會社] p98/520
東京市 京橋區木挽町八丁目
電 話 六二五
設 立 明治二十八年一月
資本金 六萬圓
社 長 土田政次郎 京橋、木挽、八
支配人 堀井勘兵衞
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/98

【日本全国諸会社役員録. 明治31年】
 明治31年7月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780113/566
[大日本製藥合資會社] p98-99/578
東京市 京橋區木挽町八丁目
電 話 六二五
設 立 明治二十八年一月
資本金 六萬圓
社 長 土田政次郎 京橋、木挽、八
支配人 堀井勘兵衞
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780113/98

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[大阪藥品試驗株式會社]【日本全国諸会社役員録. 明治27年】

[大阪藥品試驗株式會社]
【日本全国諸会社役員録. 明治27年】

【日本全国諸会社役員録. 明治27年】
 明治27年9月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780109/268
[大阪藥品試驗株式會社] p109/274
大阪市 東區北濱三丁目
設 立 明治廿一年四月
目 的 藥品試驗業
資本金 一万圓
株 數 五百株
壹 株 二十圓
社 長     小寺幸次郎
取締役     田邊五兵衞
仝       武田長兵衞
仝       田畑利兵衞
常務取締役   石津作次郎
技師長 藥學士 齊藤寛猛
技手      鵜浦有意
仝       木下寛英
技手      鈴木益定
仝       岸本巖治
事務長     薩埵眞道
書記      來島大亮
仝       徳永迂藏
仝       門野久太郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780109/109

【日本全国諸会社役員録. 明治29年】
[大阪藥品試驗株式會社] p118/398
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780111/118

《製藥士 齊藤寛猛 明治14年卒業》
【東京帝国大学一覧. 明治20-21年】
 明治20年10月出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813164/156
製藥士     p128/161
明治十四年卒業 p129/161
日野政太 山口
田原良純 長崎
曲淵景章 東京
町田 訷 埼玉
藤川次郎 東京
齋藤寛猛 岩手
松尾周藏 兵庫
大前寛忠 東京
片山吉則 島根
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813164/129

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《技師長 藥學士 齊藤寛猛》
《製藥士 齊藤寛猛 明治14年卒業》
[故前横濱衛生試驗所長正五位勳六等製藥士齋藤寛猛君略歴]
 田原 良純
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003664615

[有限責任 大阪藥品試驗會社 設立願]【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

[有限責任 大阪藥品試驗會社 設立願]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601
[大阪藥品試驗會社 設立]       p175/603
 藥種卸仲買商 有志の蹶起
   ―略―
▽藥品試驗會社設立ノ件
   ―略―
▽藥品試驗會社設立ノ件 趣意書 緒言
   ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/175

[有限責任 大阪藥品試驗會社 設立願] p176/603
今般 私共十三名發起シ
資本金壹萬圓ヲ以テ
有限責任 大阪藥品試驗會社ナル者ヲ設立仕度
其 趣旨 並ニ定款 別冊ノ通ニ有之即
資本金額ノ四分ノ一以上ハ發起人ニ於テ之ヲ負擔シ
其他 總テ御令達ニ違背ノ廉無之候ニ付
別紙 副申書 相添エ
此段奉願候也
發起人     田邊五兵衛  印
同       武田長兵衛  印
同       田畑利兵衛  印
同       小野市兵衛  印
同       乾 利兵衛
 右 後見人  乾 利右衛門 印
同       塩野宗三郎  印
同       日野九郎兵衛 印
同       福田淸右衛門 印
同       成尾安五郎  印
同       宗田友治郎  印
同       塩野義三郎  印
同       大井卜新   印
同       小寺幸治郎  印
藥種卸仲買取締 上村長兵衛  印
前書之通候也
 明治二十一年三月十七日
            大阪府東區長 宮崎鐵幹 印
 大阪府知事 建部郷三殿
   [創 立 趣 旨]
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/176
   [副 申 書]  p177/603
     ―略―
 明治二十一年三月十七日
   發起人總代  小寺幸治郎
   同      田邊五兵衛
   同      塩野宗三郎
 大阪府知事 建部郷三殿
     ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/177

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

5/5[大日本製藥會社]<大阪製藥株式會社><大日本製藥株式會社>

5/5[大日本製藥會社]
  <大阪製藥株式會社>
  <大日本製藥株式會社>
  【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601

※別稿
1/5[大日本製藥會社の創立]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572304.html
※別稿
2/5[大日本製藥會社の創立]《ドクトル長井長義》
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572305.html
※別稿
3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572306.html
※別稿
4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572307.html

以上の如く我國最初の製藥會社として
官民協力のもとに生れ出でた
<大日本製藥會社>は
創始以來日本藥局方所定の藥品を製造して
その品質の優良なると
其價格の輸入品に比し低廉なると、
司藥場の藥品檢査の勵行と相俟つて
粗製品輸入の弊を制し
品質不定區々なる外國藥局方藥品を漸次減ぜせしめたが、
時運未だ至らず
經營も亦宜しからず
幾多の變遷を經て、
一時合資會社として、
僅かに營業をつづくるの餘儀なきに至れり、

ついに明治三十一年十月二十七日、
商標權及器械什器一切を擧げて
<大阪製藥株式會社>に買収せらるゝに至つた、

これが今日の
<大日本製藥株式會社>となつたのである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/185

[衞生局、藥品出張試驗制實施] p185-186/603
 ―略―
▽大日本製藥會社の願書
 ―略―
 明治十七年十二月九日
     大日本製藥會社々長 《新田誠丸》
 内務省衞生局長 長與專齋殿

▽許可指令       p186/603
 ―略―
 別紙
 ―略―

(備考、新田社長は男爵を授けられた後
    忠純と改名したもので
    大日本製藥會社創立當時は
    未だ男爵でなく
    誠丸と稱してゐたことが、
    これにより明らかである)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/186

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」【大阪製薬業史】

4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
  【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601

※別稿
1/5[大日本製藥會社の創立]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572304.html
※別稿
2/5[大日本製藥會社の創立]《ドクトル長井長義》
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572305.html
※別稿
3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572306.html

而して明治十九年五月には   p183/603
外國産濕潤阿片の拂下げを受けたのみならず、
藥用阿片の需用
日に増加し之が調製には相當の設備無くしては
到底需用を充たし得ない状態となつたけれども、
當局には其の設備もないので止むを得ず、
同年十二月
衛生局は阿片の製粉調製方をも依託するに至り
爾来引續きこれに當つた、

この事業は
明治二十七年
東京衛生試驗所に蒸気機關
その他粉碎器等の設備完成したるを以て
同年十一月より
同所で製粉調製するに至るまでつづけられた、

斯くして阿片調製は
全く民間の手を煩はさざるに至つたのであるが
今當時の文書を記すと次のとほりである。

驗 第六五〇號  p183-185/603
 [阿片拂下之義ニ付伺]
一 獨逸國産濕潤阿片 拾貫目
  但 モルヒネ含量 一〇、三八分
右者<大日本製藥會社>ヨリ
別紙寫之通
拂下ノ義出願候ニ付…
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/185

※別稿
5/5[大日本製藥會社]
<大阪製藥株式會社>
<大日本製藥株式會社>
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572308.html

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]【大阪製薬業史. 第1巻】

3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]
  【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601

※別稿
1/5[大日本製藥會社の創立]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572304.html
※別稿
2/5[大日本製藥會社の創立]《ドクトル長井長義》
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572305.html
  ―略―
その開業當時の役員は
《社長新田忠純男爵》
《副社長久原庄三郎》
《取締役福原有信》、
《大井卜信》、
《島田久兵衛》
《岩本五兵衛》
製藥長は《ドクトル長井長義》、
技師は《村田春齢》で、

會社設立以來日本藥局方所定の
品質純良の藥品を從來の輸入品に比し
價格も低廉に供給し、
從つて販路も次第に擴張せられ、
司藥場藥品檢査の勵行と相俟つて
粗悪品輸入の弊を制し、
藥品取締に關するすべての規則も
稍々活發に適用せられ來つて
藥品市場の情勢も一變し、
藥品の商權もほぼ我に歸することゝなつたので、
品質不定の外國藥局方所定藥品は
その跡を絶つに至つた觀を呈したのである、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/183

※別稿
4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572307.html
※別稿
5/5[大日本製藥會社]
<大阪製藥株式會社>
<大日本製藥株式會社>
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572308.html

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

2/5[大日本製藥會社の創立]《ドクトル長井長義》【大阪製薬業史. 第1巻】

2/5[大日本製藥會社の創立]
  《ドクトル長井長義》
  【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601
※別稿
1/5[大日本製藥會社の創立]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572304.html

斯くて會社設立の基礎定まるや、   p182/603
その經營監督も一切外人の手を籍らずして
本邦人に一任せんとの議起り、
協議の結果
當時獨逸國に留學中であつた
《ドクトル長井長義》を最も適任なりと衆議一決したが、
到底書信等でその目的を達するは
困難なるべしといふので、
《新田男爵》と《柴田承桂》兩名を獨逸に派遣し
親しく《長井》に時の國情を述べて賛同を求め
同國において更に工場の設計諸機械の製作等を
《長井》に一任して歸朝したのである、


《長井ドクトル》は《新田男爵》に促され、
同社援助を決意して
同地に滞在しその製作を指揮監督しつゝ
大成を俟ちて歸朝、
明治十七年五月に至りて諸機械到着、
同十月にはこれが据附も了り
十一月には試運轉を行ふて爾後製造に着手し、
十八年五月五日
東京市京橋區木挽町八丁目一番地に
<大日本製藥會社>の商號の下に營業を開始した、
設立主意書は左の如くである。
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/182

※別稿
3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572306.html
※別稿
4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572307.html
※別稿
5/5[大日本製藥會社]
<大阪製藥株式會社>
<大日本製藥株式會社>
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572308.html

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』 


1/5[大日本製藥會社の創立]【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

1/5[大日本製藥會社の創立]
  【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年

【大阪製薬業史. 第1巻】
 発行所 大阪製薬同業組合事務所
     大阪市東区道修町二丁目三七
 昭和18年2月11日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/601
[大日本製藥會社の創立] p181/603
 官邊の擁護によつて生れ出づ

明治初年の我が藥品市場の情勢は
化學製劑と云はず、
藥局製劑と云はず、
悉く全國の需要を外國の供給に仰ぐの實情で、
その商權は全く外人の掌中にあつたから
假令日本藥局方發布の暁に及ぶといへども
藥品の制度を整理するの外はないと觀られた、

即ち内地に一の製藥所を起し、
日本藥局方に適合する藥品を製造して
商權を我に収むるに非ざれば
藥品取締の實を擧ぐること
能はざる混沌状態であつた、

しかし當時の我が藥業社會の状態は
如何に勸誘したからとて、
協同進取以て製藥所を創設するが如きは
到底望むべきでなかつたから

國庫の補助を仰ぎその勢を以て
東京、大阪の有力者を中心とし、
これに藥業者を糾合して會社組織とするの外なしとして、

時の内務省衛生局長
《長與專齋》は案を立てゝ
《品川子爵》、《山田伯爵》等々に事情を述べて諮り
その同意を得た上に、
政府補助の一條も調ふたから
東西の有志とも審議の必要を生じ、

東京では
《小室信夫》、《男爵 新田忠純》《大蔵喜八郎》
《福原有信》《島田久兵衛》

大阪では
《久原庄三郎》、《松本重太郎》、《大井卜信》、《浮田桂造》

中心となつてそれぞれ勸誘した結果、
東西藥業者一般の賛成を得るに及んで

明治十四年九月
《久原庄三郎》、《小室信夫》兩名の名義の下に
製藥會社創設並に國庫補助の件を上願し

同十六年五月に至り
製藥工場とこれに屬する土地、建物、器械を
向ふ二十年間會社へ貸與せられ、
藥品製造の業務を執行せしめらるることとなつたので、

爰に始めて設立の基礎確定し、
一面會社は資本金十萬圓を募集して
營業資本に充て工場の建築、器械の購入等に着手した。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045518/181

※別稿
2/5[大日本製藥會社の創立]《ドクトル長井長義》
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572305.html
※別稿
3/5[大日本製藥會社の創立:開業當時の役員]
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572306.html
※別稿
4/5[大日本製藥會社]「衛生局は阿片の製粉調製方をも依託」
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572307.html
※別稿
5/5[大日本製藥會社]
<大阪製藥株式會社>
<大日本製藥株式會社>
【大阪製薬業史. 第1巻】昭和18年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2572308.html

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[星 製藥に感謝す]《在 エジプト・アズハル大學:オマル・哲夫・小林君通信》

[星 製藥に感謝す]
《在エジプト・アズハル大學:オマル・哲夫・小林君通信》
【回教事情:イスラム研究部会報. 第3巻 第3号】昭和13年

【回教事情:イスラム研究部会報. 第3巻 第3号】昭和13年
 〔回教事情:第三巻 第三號〕 p2/10
 在 エジプト・アズハル大學
   オマル・哲夫・小林君通信
   大日本ツラン靑年聯盟
   イスラム研究部 會報
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/2
一 星 製藥に感謝す      p4/10
今月始めに星製藥から送つて下さつた藥が無事に受取れました。
藥は全部アズハル大學の寄宿舎に分配してやりました。
私の手元には殆んど殘つてゐません。

星先生には報告を兼ねた禮狀を直ぐ出して置きました。

藥は埃及では絶對に外國人の輸入を許しません。

埃及人の藥品輸入商が
特別の手續を取つた場合のみ輸入を許可します。

藥を送つて頂いた爲め非常に色々な好都合を生じ
博士と云はれたり男をあげたり致しましたが、
今後は輸入を絶對に許しませんから
送らないで下さい。

輸入の方法が他に無いではありませんが
手數料が高くついてとても困難です。

今度は特別の方法で輸入出來ましたが
今後は其の方法も駄目です。

前にも一寸報告しました樣に
藥に關しては實に面白い話や
自慢話が山程ありますが
何れ暇を得て報告致します。

目下忙しくて書けません。
此手紙が奥樣の御手元に着く頃は
學年試驗の最中ですから。

次にアラビア語讀本の印刷は謄寫版があれば
私が暑中休暇中に完成しますが如何致しませうか。

内地で印刷可能なら八月頃に原稿を御送り致します。
御相談下さい。

尚聯盟で發行された
ツラン民族運動に關する書物を二三種是非送つて下さい。

アラビア語に釋して見ると面白いと思ひます。

宗教問題と民族問題とが八釜敷く成つた今日、
回教民族に最も關係深いツラン民族の事に關し
回教諸國に呼び掛けるのも有意義だと思ひます。

聯盟で新しい研究や印刷が出たら
其都度御送付下さる樣
是も鰺川樣に御相談下さい。
(一九三七・四・一一) ※昭和12年(1937)4月11日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/4
二 ○○と回教々儀式      p4/10
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/4
三 住めば都だカイロの夏    p5/10
    ―略―
四 賣買結婚式に立會ふ     p5/10
    ―略―
五 日本を書かない新聞は賣れぬ p5/10
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/5
六 埃及日本人の動き      p6/10
    ―略―
七 マウルド・ナビイ      p6/10
    ―略―
八 日埃文化親善に盡したい   p6/10
    ―略―
九 埃及の人口問題       p6/10
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/6
  一、埃及の人口       p7/10
    ―略―
  二、埃及の耕地       p7/10
    ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/7
  三、埃及人の生活程度    p8/10
    ―略―
  四、生活程度向上に伴ふ危險 p8/10
    ―略―
  五、右に對する處置     p8/10
    ―略―
  六、結 論         p8/10
    ―略―
(一九三七・五・五) ※昭和12年(1937)5月5日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/8
〔謹 告〕           p8/10
 本部ヲ左記ニ移轉シマシタ
 東京市芝區芝公園 第二十一號地八番 角岡邸
    大日本ツラン靑年聯盟本部
       電話 芝(43)一五五七番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/8
〔回教事情〕          p9/10
(非賣品)
會報 第三巻 第三號
昭和十三年四月二十五日 印刷 發行
大日本ツラン靑年聯盟 總務
編輯發行 兼 印刷人 鰺川正刀
發行所  大日本ツラン靑年聯盟本部
     東京市芝區芝公園 第二十一號地八番 角岡邸
     電話 芝(43)一五五七番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100957/9

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[イスラーム世界研究 第1巻 2 号(2007 年)165-209頁]
Kyoto Bulletin of Islamic Area Studies,
1-2 (2007), pp. 165-209
『イスラームにおけるサラー(礼拝)の総合的理解をめざして』
――中東と東南アジアの事例を中心に――
《小杉麻李亜*》
小林哲夫は日本イスラーム史上最初期の
マッカ巡礼者の一人で、
シーア派の聖地にも巡礼を遂げた
戦前唯一の人とされ、
「ハッジ」(巡礼者)と
「ケルベライ」(カルバラー巡礼者の意)の2つの称号を持つ。
日本大学在学中に二・二六事件に連坐し、
事件後トルコの日本大使館付陸軍武官府の
預かりの身となったのを契機に、
イスラームに改宗したとされる。
1936 年、イスラームの最高学府である
カイロのアズハル大学に留学し、
第二次世界大戦直前の帰国の後に、
今度はインドネシアに渡り
対現地民衆宣伝宣撫工作と
インドネシア独立運動に従事することになった
[小村1988: 253-268]。
 P174-175
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/1st_period/contents/pdf/kb1_2/13kosugi_m.pdf

[藥劑師 蟹江大次郎:藥種商 宇田調兵衞]【香川県現行令達類聚】明治26年

[藥劑師 蟹江大次郎:藥種商 宇田調兵衞]
【香川県現行令達類聚】明治26年

【香川県現行令達類聚. 明治26年 巻之3】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788356/20
○衞生 藥劑師 藥種商 製藥者 及 藥品   p125/308
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788356/125
(香)告示 第四十九號 明治廿五年六月十四日 p129/308
 今般 左記ノ者ヘ 阿片賣買ヲ特許ス
藥劑師 蟹江大次郎 高松市大字南鍛冶屋町
藥種商 宇田調兵衞 那珂郡丸龜町大字米屋町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788356/129

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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