小川清秀:履歴書

《小川清秀》上海税關(江海關)勤務【支那在留邦人人名録 11版】大正9年

【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
著者    島津長次郎 編
出版者   金風社
出版年月日 大正9
上海 海關帮辦
金子 四郎(東京府)東和洋行内   電話北 七六三番
猪熊 隆三(神奈川)赫司克路三七號
紅松 雄二(千葉縣)豐陽館内    電話北二三二〇番
赤谷 由助(千葉縣)赫德路二四號  電話西一五二三番
由布鎌太郎(福岡縣)卡德路四〇號  電話西一四九七番
西郡宗三郎(東京府)赫德路二三號
森本 實樹(岐阜縣)豐陽館内    電話北二三二〇番
山口  昇(千葉縣)新閘路三七號
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/291
  黄浦灘路
税關(江海關)勤務
外班
上村 重傳(高知縣)東有恒路三六號
和田忠二郎(兵庫縣)楊樹浦路一二號
白井 柳次(廣島縣)文路二九號   電話北 七六二番
印藤 義一(京都市)文路二九號
荒木宇三郎(長崎縣)文路二九號
西田 茂雄(長崎縣)崑山路二八號
小川 準太(長崎縣)文路二九號
小川 清秀(長崎縣)文路二九號
唐私 新吾(山口縣)文路二九號
p293-1【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-1【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-2【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
p293-2【支那在留邦人人名録 11版】大正9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/293
初  版 大正二年一月 十日印刷發行
 ~
第十一版 大正九年六月廿六日印刷發行
第十一版 定價 銀三弗 日本金 四圓二十錢
郵税 日本  五十五錢
   朝鮮   四十錢
   支那内地 三十錢
   香港   五十錢
發行兼 島津長次郎
編輯人 上海北四川路長安里二號
印刷所 蘆澤印刷所
    上海崑山路OA一號
發行所 金風社
    上海北四川路長安里二號
    振替口座 大阪四四六六五番
賣捌所 上海 靑島 各書店
賣捌所 香港 吉岡旅館
賣捌所 柳屋書店
    大阪市東區平野町三丁目
https://dl.ndl.go.jp/pid/1704081/1/401
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年06月20日04:11
[支那傭聘本邦人名表]大正1年(1912)~大正8年(1919)
[外報(7)]支那傭聘本邦人名表 大正7年12月末日現在
レファレンスコード C08021491500
【 画像数 】64
上海 小川常是夫 ※小川清秀 海關兩九十兩 p23/64

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2013年08月30日07:52
《小川清秀》[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:
佐世保重砲隊:中國海関…]
    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
[職 業]
明治四十四年(1911)三月 英米煙草會社ニ入社
大正元年(1912)十二月  佐世保重砲隊ニ入營
同 四年(1915)十二月  上海 中國海関ニ採用サレ
昭和七年(1932)八月迄  上海・營口・青島・海南島・
            大連・各税関ニ勤務ス
昭和七年(1932)八月   一等副監察長ニ任命
同   (1932)八月   大連税関接収後 残留
同 十二年(1937)七月  薦任官三等事務官 退職
同 十三年(1938)十月  於 大連 貸家業ヲ營ム
同二十二年(1947)二月  終戰ニヨリ大連ヨリ引揚
同二十二年(1947)四月  九州地區 軍政本部 管理人トシテ勤務
            現在ニ至ル
右之通相違無之候也
昭和二十二年(1947)十一月
            小川清秀
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《小川清秀》税關監視官、大連税關勤務【満洲紳士録 第1版】昭和12年(1937)

《小川清秀》税關監視官、大連税關勤務
【満洲紳士録 第1版】昭和12年(1937)

【満洲紳士録 第1版】昭和12年
著者    満蒙資料協会 編
出版者   満蒙資料協会
出版年月日 昭和12
《小川淸秀》 p439/816
税關監視官、大連税關勤務
【本籍】
長崎市酒屋町三〇
【生年月日】
明治 廿五年(1892)十一月十六日
【學歷】
明治四十三年(1910)長崎海星學校三年修學
【經歷】
明治四十三年(1910)五月
英米煙草會社元山出張所に就職
次で
佐世保重砲兵大隊 入隊
除隊後
上海・營口・靑島・瓊州(海南島)・大連
各海關巡役に歷任
累進 二等副監察長となる
昭和七年(1932)六月
滿洲國税關官吏拜命
康德元年三月 ※昭和9年(1934)
現官職に就く
薦任三等たり
【家族】
妻  梅子
長女 文子
長男 淸久
二男 淸澄
【住所】
大連市光風臺五三
p439【満洲紳士録 第1版】昭和12年
〔画像〕p439【満洲紳士録 第1版】昭和12年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687711/1/439
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【小川清秀】[推薦状]KYOTO CIVIL AFFAIRS TEAM宛:昭和24年(1949)9月10日

【小川清秀】[推薦状]KYOTO CIVIL AFFAIRS TEAM宛
:昭和24年(1949)9月10日

     KYOTO CIVIL AFFAIRS TEAM
     ※《Civil Affairs》〔米軍の〕民事部、民生部
     APO  301 (Kyoto, Honshu)
                   10 September, 1949  [S24]
          ※昭和24年9月10日
TO WHOM IT MAY CONCERN:
※相手の名前が不明な時や不特定の相手にメール・手紙を送る時の表現

     Mr. Kiyohede Ogawa was employed by the Labor
Relations Section, Kyoto Civil Affairs Team as an
Advisor from 7 January 1948 until 27 February 1949, when
it was necessary to release him due to ill health

     During his employment with the Team he worked
long hours and never took any holidays.  The physical
and mental strain associated with his work was possibly
a contributing factor to his illness.

     His devotion to the duties assigned him has been
superior. He is intelligent, conscientious, and a credit
to his nation.

     I would be very happy to employ him again, but
due to the deactivation of all civil Affairs Teams it
is quite impossible.

          Signed: 
                  EDWIN VICKERMAN
                  Captain,        AGD ※高級副官部
                  Labor         Officer

  [COPY]

【小川清秀】[英文・推薦状]
〔画像〕【小川清秀】[英文・推薦状]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[地理局測候所:長崎県下肥前国彼杵郡長崎村十善寺郷字中ノ平]明治15年

[地理局測候所:長崎県下肥前国彼杵郡長崎村十善寺郷字中ノ平]明治15

十善寺郷字中ノ平-1
p1/3
十五年三月三日
長嵜縣下肥前國彼杵郡長嵜村ニ在ル
地理局測候所ノ敷地ヲ増ス
  内務省伺 十五年二月七日
 長嵜縣下肥前國彼杵郡長嵜村
 十善寺郷字中ノ平
 一 畑反別壱畝九歩 持主 森伊三次
   此買上代金 三拾九円 但し 壱歩ニ付 壱円
―略―

十善寺郷字中ノ平-2
p2/3
肥前國彼杵郡長崎村十善寺郷
 測候所増地買上地圖
  比例尺五百分ノ一
〔地図〕

十善寺郷字中ノ平-3
p3/3
 第二局議按 十五年二月二十三日
別紙 内務省伺 地所買上ノ件ハ
御聽許相成可然第一局合議仰髙栽候也
 十五年二月二十三日
◎長嵜測候所創設 十一年六月
 公文録内務省ノ部ニアリ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
件名 長崎県下肥前国彼杵郡長崎村ニ在ル地理局測候所ノ敷地ヲ増ス
国立公文書館 内閣公文類聚明治第6編・
明治15年公文類聚・第六編・
明治十五年・第五十七巻・土地二・邸第屋舎・勝地遊園・測量
【画像数】3【種別】図
作成年月日 明治15年3月3日
レファレンスコード A15110271600
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 

《小川清秀》[私立海星商業學校]【中等教育諸学校職員録】明治37・39・41年

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【中等教育諸学校職員録. 明治37年版】
【中等教育諸学校職員録. 明治39年10月現在】
【中等教育諸学校職員録. 明治41年10月現】

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

【中等教育諸学校職員録. 明治37年版】
 明治37年1月24日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779896/534
[私立 海星商業學校]  p111/539
    長崎縣長崎市東山手
    現在 生徒 百五拾人
設立者 兼 校長          《エミリエン、ペーレン》
教師  簿、實習、法、商、地、歴、 《山中安躬》
教師  修、國、漢、習、      《大塚江七》
教師  修、國、漢、        《太田蟠龍》
教師  算、博、地、歴、      《小栗參造》
教師  體、            《竹下水造》
教師  數、理、化、        《シユエン、ダンマーン》
教師  數、商、地、歴、      《ガシ》
教師  數、商、實習、簿、     《ミスレール》
教師  英、            《ランパツク》
教師  英、            《ゼロム》
教師  英、            《レメデオス》
教師  畫             《ブレックサクル》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779896/111

【中等教育諸学校職員録. 明治39年10月現在】
 明治39年11月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779897/361
[私立 海星商業學校]  p345/366
    長崎縣長崎市東山手一
    創立 明治三十六年四月
    現在 生徒 三百十四人
校長 修、         《エミリエン、ペーレン》
教師 國、漢、       《泉川祐市》
教師 英、佛、       《ルツシユ》
教師 算、博、地、歴、   《小栗參造》
教師 體          《高橋 原》
教師 英、佛、商品、數、  《レジユク》
教師 英、         《レメデオス》
教師 毛畫、習、      《成瀬錦藏》
教師 英、         《エー、ランバック》
教師 簿、實踐法、     《浦上虎彦》
教師 英、佛、       《ヴヰグルス》
教師 修、國、漢、     《太田蟠龍》
教師 修、國、漢、     《大塚江七》
教師 地、歴、經、商品、
   要項、英、      《大野卯太郎》
教師 數、簿、要項、實踐、 《クトーレ》
教師 畫          《ブレッサクル》
教師 地、歴、佛、英、   《ゴーゼ》
教師 數、理、       《宮崎新一郎》
教師 數、理、化、     《シニエンダンマン》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779897/345

【中等教育諸学校職員録. 明治41年10月現】
 明治41年12月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779898/444
[私立 海星商業學校]  p179/451
    長崎市大浦東山手一番
    明治二十五年(1892)
    商業學校トナサセシハ
    明治三十六年(1903)四月
    現在 生徒 三百九十二名
校長 修、       《フランソア、ルシユ》
教員 物、化、     《レモン、シユエン、ダンマーン》
教員 英、       《カルロドス、レメデオス》
教員 畫、英      《アルベール、プレツサクル》
教員 幾、簿、要項、  《シーヤルクトレー》
教員 英、佛、     《セレスデン、ヴヰグルス》
教員 西史、外地、佛  《イポリト、ジョルジユブーゼ》
教員 英、佛、商品、  《ルヰ、シチユク》
教員 英、簿、     《フランシスヘルネル》
教員 英、佛、     《アントアン、ウホルマル》
教員 佛譯、      《坂本國五郎》
教員 要項、經、商品、
   商地、商史、   《小瀧新一郎》
教員 國、漢、作、   《中野佐柳》
教員 修、國、漢、作、 《大塚江七》
教員 簿、法、實踐、  《浦上虎彦》
教員 國、漢、作、   《柴山禮吾》
教員 算、       《山田五郎》
教員 修、國、漢、作、 《太田蟠龍》
教員 習、毛筆畫、   《成瀬錦藏》
教員 體、       《水谷範治》
教員 代、理、     《宮崎新一郎》
嘱託教員 柔、     《西郷四郎
嘱託教員 柔、     《野呂正義》
嘱託教員 劍      《樋口六三》   p180/451
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779898/179

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


《小川清秀》
[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630081.html

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630083.html

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【長崎県実業案内】明治42年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630085.html

《小川清秀》
[私立海星中學校]
【長崎案内】大正3年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630086.html

《小川清秀》[私立海星中學校]【長崎案内】大正3年

《小川清秀》
[私立海星中學校]
【長崎案内】大正3年

【長崎案内】大正3年4月1日発行
[私立海星中學校]  p75/134
大浦東山手の最も高燥なる地にあり
社團法人マリヤ會の管理に屬するも
宗教的儀式に何等關係なき
純然たる中學校にして

創立日淺く
現在三學年まであるのみなるも
其前身に遡れば古き歷史を有す

卽ち
明治二十五年一月
佛國人ジ、バルツ氏
浪ノ平に英佛獨語を敎授せしが


外浦町に移轉し

仝二十八年
現在の所に移り
組織を變更して
海星學校及仝小學部と稱し
小、中學の敎科を設けしが

仝三十六年四月に
甲種商業學校と改め
亞いで小學部を廢止せり

仝四十四年四月
中學校令に據り
中學校を併置し

仝四十五年八月
徴兵令に依る特典を得たり
生徒定員四百名とす

茲に該校の内容の一斑を紹介せん

敎師  本邦人 十二名  外國人 七名

學科  前述の通り
    純然たる中學校なれば
    授業學科時間等
    公立中學等と一の異ることなきも
    二學年以上は毎週三時間宛
    佛語を増加するのみにして
    宗敎事項を課す等の事は少しもなし

寄宿舎 校内に寄宿舎あり
    舎監は外國人にして且
    外國敎師は皆校内に起居する故
    常に相接する故
    會話の熟達に便なるのみならず
    諸作法を知るを得

試驗  平常点に重きを置き
    各科共一週毎に採点し
    各自に注意を加ふることゝせり

入學  他と別に異りたる点なく
    尋常小學校卒業せしものにて
    可なるも
    年齢十五歳以上のものは
    許可せざることあるべし。
         (堀川氏寄稿)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/75
〔写真〕  p122/134
[永田洋服店]
Y.NAGATA,&.CO.
HIGH TAILOR
Sakayamachi. Nagasaki.
TELE No,1183.
長崎市酒屋町
電話 一一八三番
振替 福岡 四二一四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/122
大正三年三月十五日印刷
大正三年四月一日發行
編纂者 中村三郎
    長崎市出來大工町十一番地
發行者 宮本茂三郎
    長崎市本石灰町四十七番地
印刷者 松添政治
    長崎市堀町二十番地
印刷所 長崎帳簿製造所
    長崎市堀町二十番地
發行所 宮本書店
    長崎市本石灰町四十七番地
    電話 一〇八七番
    振替 福岡 三七四八
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951929/132

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 
《小川清秀》

[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630083.html

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【長崎県実業案内】明治42年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630085.html

《小川清秀》[私立海星商業學校]【長崎県実業案内】明治42年

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【長崎県実業案内】明治42年

【長崎県実業案内】明治42年9月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801554/87
[私立 海星商業學校]  p64/92
長崎市東山手に在り
甲種程度の實業學校にして
明治三十六年(1903)の創立に係り
獨逸人「フランソア、ルシユ」の設立する所にして
明治四十二年度(1909)
經費壹萬四百餘圓なり
修業年限 四箇年豫科 二箇年本科
卒業者を出すこと
五十八名
現在 職員校長以下二十名
此の内 外國人 九名
生徒 本科 豫科を通じて三百四十名あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801554/64

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630083.html

《小川清秀》[私立海星商業學校]【九州視察報告】明治43年

《小川清秀》
[私立海星商業學校]
【九州視察報告】明治43年

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

【九州視察報告】明治43年12月13日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/192
◎私立海星商業學校  p107/197
 ◎學則 及 現況一班

本校は明治二十五年(1892)の創設に係り
三十六年(1903)學則を變更して
甲種程度となし

豫科二年本科四年たり

生徒定員は五百名にして
現在三百名を算し

教師は本邦十名

外國人十名
内 葡萄牙(ポルトガル)人 一名
  佛(フランス)人    一名
  獨(ドイツ)人     二名
  米(アメリカ)人    二名なり

校長フランサワルーシユー氏は
アルサスローレンスの人
年齢三十歳を出てず
三十四年(1901)本邦に航し
暫く東都に教鞭を執り

三十八年(1905)本校の副校長となり

四十一年(1908)四月
前校長エミリエンペーレン氏の後を禀けて
校長となり
本校の聲譽益々高し
盖し氏は清新快活にして
兼ねて學德あり
眞に好個の青年紳士たり

本校の經費は四十一年度(1908)に於て
一萬七百圓を算し
總て佛國私立マリヤ教育會の經營に係り

校舎は五層の煉瓦建より成り
設備完全なり

本校は英佛獨語を重んじ

卒業生は多く海外貿易に從事す

又 附屬小學校 及 幼稚園ありと
雖も四十二年度(1909)を以て
廢止せん事を期する者の如く

本校生徒中
英米獨佛と兒童を始め
清韓の兒童も亦少なからず

其他 混血兒も亦多し

尚ほ本年度入學生は
豫科百二十三名にして
此 應募者百四十五名

本科三十七名にして
此 應募者八十名を算せり

 ◎本校施設の一班
  ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/808312/107

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[海星学園]
学校法人 海星学園 海星中学校・海星高等學校
長崎県長崎市東山手町5番3号
沿 革
明治25年 長崎市南山手に海星学校創立
      初代校長はマリア会員のジャック・バルツ
明治28年 現在の東山手5番3号に移転
明治44年 海星中学校になる
 ―略―
http://www.kaisei-ngs.ed.jp/gakuen-shokai/kyokun-enkaku/

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]

[韓國元山港:元山公立小學校ノ略沿革:明治32年(1899)3月末調]

[備考:元山公立小學校ノ略沿革]  p11/38
明治十三年(1880)ノ開港ニ後ルルヿ五年
即 明治十八年(1885)ニ於テ
當本願寺説教所
主任僧《石川馨》ナル者
二三有志者ノ助力ニ頼リ
寺内ノ倉庫中ニ
数人ノ子弟ヲ集メテ
讀書習字ヲ教授ス

其状況宛然旧時ノ寺子屋ノ如シ
而シテ《石川》拮据?勉

翌年(1886)ニ至リ時ノ居留民総代等ト謀リ
寺内ノ一室ヲ教場ニ充ツルニ及ヒテ
其規模稍々見ルヘキニ至レリ
是當港ニ於ル
普通學教育所ノ権輿ナリトス

爾来年ト共ニ程度ヲ進メ

明治二十一年(1888)春三月
始メテ校舎ヲ新築シ   p12/38
公立小學校ノ名ヲ附スルニ至リタリ

當時ヲ回想スレバ
五六ノ志士が斯道ニ盡瘁シタルヿノ
大ニ称揚スヘキ者アルヲ覺フ

後又年ヲ経ルト共ニ學ビノ徒
大ニ増加シ校舎弥々狭隘ヲ告ケ
茲ニ更ニ地ヲ卜シ

現時ノ校舎
明治三十一年(1898)十一月
新築成ル
是レ沿革ノ概略ナリ

教則 并 規則
教則及規則 年ト共ニ陳腐ニ属ス
追テ訂正添削ノ見込ミナリ

就學児童
別項掲クル如ク
當港居留民子弟
別ニ督責スルニ非ラサレモ
一人トシテ不就學者ナシ

剰(あまつさ)ヘ
齢外サヘ五人アリ
是何地ニモ見サル所ナリ

教科
現時ニシテモ訓導モ不足ナリ
將来員ヲ増シテ
英語科ヲ加フルノ見込ミナリ

図書器械具
不完全ニモ目下
差支フル所ナシ
去リ乍ラ漸次訂正改良ノモノヲ備フル見込ナリ

韓語科
當港ニ在留セル子弟
十五六才以上ニ達スル者ハ
概ニ商賣上ノ問答及
日常ノ會話ヲ辨スルヲ得
是 征清ノ役ニ不完全ナガラモ
多数ノ通辨人ヲ出シ得タル所ナリトス

然シ凡 多クハ耳聞口?ノ速成ナルガ故ニ
其言語謬卑近
固ヨリ
格ニ合スル者ニ非ラズ
極メテ平易ナル事柄ト?
凡 彼ノ文法ニ依リテ書翰ヲ認メ得ル者   p13/38
寥々晨星ト一般ナリ

我 韓語夜學校ノ現況ハ
寂寥見ルニ?ルナント?モ
期スル所ハ真正?韓語韓學ヲ
練習セシムルニ在リ

唯 恨ムラクト父兄ノ徒
目前ノ小成ニ安ンシテ
子弟ノ教ユルノ志シ乏シク

且 費用ノ支ヘサル者アルガ為メニ
教科書ノ如キモ太甚シク
不完全ナルノ一事也
[尋常小學科 教科用 図書表]      p14/38
 ―略―
[高等小學科 教科用 図書表]      p14/38
 ―略―
[尋常小學科 教科 課程表]       p15/38
 ―略―
[高等小學科 教科 課程表]       p16/38
 ―略―
[元山公立小學校 教則]         p17/38
 (明治廿九年六月 訂正)
 ―略―
 第五章 學年 及 休業         p28/38
第廿八條 學年ハ毎年四月一日ニ始リ
     翌年三月三十一日ニ終ル
第廿九條 休業定日 左ノ如シ
     大祭祝日
     但 一月一日、紀元節、天長節ニハ
     之ニ相當スル儀式ヲ擧行スヘシ
     日曜日
     居留地紀念日(五月廿三日)
     夏季(七月廿五日ヨリ  八月十五日マテ)
     冬季(十二月廿六日ヨリ 翌年一月七日マテ)
     証書授與式前 三日以内
     學年試験後  五日間
第三十條 ―略―

 第六章 入退學             p29/38

第三十五條 外國人ニシテ入學ヲ望ムトキハ
      居留地 日本人一名ヲ保証人トシ
      當港 日本領事ノ認可状ヲ添ヘ願出ツベシ
〔写真:校舎〕              p30/38

[公立小學校 授業料 徴収規則]     p34/38
第一條   小學校授業料ハ
      高等尋常幼稚ノ三科ニ分チ
      各 左ノ額ヲ徴収ス
      一 高等科 毎月 金 参拾銭
      一 尋常科 毎月 金 貳拾銭
      一 幼稚科 毎月 金 拾五銭
第二條    ―略―
[小學校長 及 教員 職務 及 服務 規則] p35/38
第一條    ―略―
[學務委員 規則]              p37/38
       ―略―
10.元山港公立小学校ノ為メ
   教育ニ関スル勅語製本一部拝戴之義
   居留民総代ヨリ出願之件 附全学校形状
   同三十二年二月
階層
外務省外交史料館>外務省記録>3門 通商>
10類 宗教、教育及学芸>2項 教育>
在外国各日本居留地共立学校関係雑件 第一巻
【 レファレンスコード 】B12081904000
【 年代域 】明治32年【 画像数 】38
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630080.html

《小川清秀》
[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630081.html

《小川清秀》[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]

《小川清秀》
[韓國元山港:元山公立小學校:明治32年(1899)3月末調]

    <履歴書>
本 籍 長崎縣長崎市酒屋町三〇番地
現住所 福岡縣福岡市鳥飼町四丁目三〇一番地
戸主  小川清秀
    明治二十五年(1892)十一月十六日生
[學 業]
明治三十二年(1899)四月 朝鮮元山小學校 入學
明治三十四年(1901)四月 海星學校    轉校
明治四十四年(1911)三月 同校      卒業
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html
[明治三十二年二月 元山港公立小學校ノ為メ…] p1/38
[教育勅語御下付請求ノ件]           p2/38
當 元山港公立小學校ハ開港ノ當時
設立シタルモノニ有之候處
 ―略―
明治三十二年一月二十六日
  三十二年二月廿二日記録課受
    在韓國元山港 日本領事館

     在元山
        二等領事 小川盛重
  外務次官 都筑馨六殿

[元山公立小學校]       p9-/38
一 創立 明治廿一年三月
一 教則 追テ訂正見込
一 校長及職員 職務及服務規則
一 學務委員規則
   前 三項 別冊ノ通リ
一 居留地内 戸数 三百五拾戸
       明治三十二年三月末調
一 人口 一千三百二拾七人
       明治三十二年三月末調
一 學齢児童数 九拾八人 内 男 五十六人 女 四十二人 現在
一 就學児童数 九拾八人 内 男 五十六人 女 四十二人 現在
    内譯
  尋常科   七拾二人 内 男  四十人 女 三十二人 現在
        一學年    男  十五人 女  十四人
        二學年    男   九人 女   七人
        三學年    男   五人 女  十四人
        四學年    男  十一人 女   四人
        二ヶ級ニ編制ス
  高等科   三拾一人 内 男 二十一人 内 學齢外  五人
               女   十人        現在
        一學年    男   四人 女   六人
        二學年    男   八人 女   一人
        三學年    男   五人 女   三人
        四學年    男   四人 女   〇人
        一ヶ級ニ編制ス
  幼稚科   三拾六人 内 男  十七人 女  十九人 現在
        一組ニ編制
一 明治三十二年三月 卒業生
  尋常科   拾一人    男   六人 女   五人
  高等科    六人    男   三人 内二人
                      長崎及山口縣商業學校ヘ入學
               女   三人 内一人
                      熊本縣女學校ヘ入學ノ目的
一 職員     五人  内 男   三人 女   二人
  學校長    一人  訓導ヨリ兼任
  訓導     三人  内 男   二人 女   一人   p10/38
    各小學校 本科正教員 地方免許状ヲ有ス
  教員     二人  内 男   一人 尋常科準教員免許状
               女   一人 裁縫専科教員免許状
  小使     一人    男
一 職員月俸
  三拾五圓 學校長
  二拾二圓 二人 内 男 訓導 一人
            女 訓導 一人
   二拾圓      男 教員 一人
   拾三圓    裁縫専科教員 一人
   九圓五拾銭      小使 一人
一 韓語科 夜間教授
  生徒 十五人(男子ノミ)
  學齢外ノ者ニシテ商家ノ雇人多数ヲ含ム
  授業料 一ヶ月 五拾銭
  教員  一人(男 雇 韓國人)
  月俸  拾圓
一 授業及保育料 収入豫算 上半期
  (三十二年四月一日ヨリ仝九月三十日マデ)
  百八拾三圓
一 常経費支出豫算 上半期
  (三十二年四月一日ヨリ仝九月三十日マデ)
   常経費支出豫算「九百貳拾六圓五拾五銭」脱漏
一 校舎 一棟 明治三十一年十二月落成(新築)
  ヿ形ニテ木造平屋建 総坪数  百三拾七坪
         敷地 総坪数 八百六拾二坪二合五勺
             内 運動場 六百坪
  教室   四ヶ室   内 裁縫室 一室
  幼稚保育室 一室
  事務室   一室
  應接所   一室     p11/38
  小使室   一室
  器械具室  一室
一 教科用圖書 別表記載セル教授ニ要スルモノ完備
一 教授参考用圖書 十二種類 三百十四冊
一 教授器械    十三種類 六百〇六点
一 教授器具   三十一種類 百四十八点
一 幼稚科恩物 別表記載セル保育ニ要スルモノ完備
一 校舎 新築費 総額 五千五百円
右 経費支出
  一千七百円 學校基本財産ヨリ
    三百円 居留民寄附金
  三千五百円 居留地債
    但 三十一年ヨリ十ヶ年間
10.元山港公立小学校ノ為メ
   教育ニ関スル勅語製本一部拝戴之義
   居留民総代ヨリ出願之件 附全学校形状
   同三十二年二月
階層
外務省外交史料館>外務省記録>3門 通商>
10類 宗教、教育及学芸>2項 教育>
在外国各日本居留地共立学校関係雑件 第一巻
【 レファレンスコード 】B12081904000
【 年代域 】明治32年【 画像数 】38
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より


《小川清秀:履歴書》
[朝鮮元山小學校:海星學校:英米煙草會社:佐世保重砲隊:中國海関…]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630079.html

[元山に於る日本少年敎育の景況]
【朝鮮児童画談】明治24年9月
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2630080.html

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ