中村正直

《高橋博親:高橋正修の父》《高橋金十郎》[神田鍛冶町十一番地]

《高橋博親:高橋正修の父》
《高橋金十郎》
[神田鍛冶町十一番地]

[国文学研究資料館]
書誌データ
認定書名  改正/西国立志編
認定著者名 中村正直 訳
所蔵者名  神戸大学附属図書館・住田文庫
出版年時  明治10年2月
発行人   七書屋蔵板
補記 内容
背革装。革は緑色。痛みあり。
以下、奥付
訳者  中村正直  第四大区三小区小石川江戸川町甲十七番地
出板人 木平愛二  第四大区三小区小石川江戸川町乙十七番地
同   高橋金十郎 第一大区十一小区神田鍛冶町十一番地
同   高橋博親  同所
同   青山清吉  第四大区三小区小石川大門町廿一番地
同   稲田佐兵衛 第一大区六小区日本橋通二丁目十九番地
同   福田仙蔵  第一大区十一小区通新石町二十番地
同   稲田源吉  第一大区六小区日本橋通二丁目十八番地

改正/西国立志編 原名 自助論 - 近代書誌・近代画像データベース
base1.nijl.ac.jp/.../KDSSearch.cgi?...
見返し右上部・裏見返し左上部に「名山」の朱方円印。
また巻末遊び紙裏右下部に判読できない朱方円印。
【本文関連】. 【奥付】. 出版免許年時, 明治9.10.24版権免許.
出版人, 木村愛二・高橋金十郎・高橋博親・
青山清吉・稲田佐兵衛・福田仙蔵・稲田源吉 ..
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【愛敬余唱】明治9年4月
著者  大槻磐渓 (清崇) 編
出版者 珊瑚閣
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/27
東京  大槻愛古 編次
    中邨敬宇 校刻
神田鍛冶町 珊瑚閣發兌
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/2
明治九年四月出板
編者  大槻磐翁
    東京本所相生町三丁目拾番地
出板人 高橋金十郎
    東京神田鍛冶町拾壹番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/892150/27

【敬宇文集. 上巻】明治13年1月
明治十三年一月
中村正直 撰
柳澤信太 編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893605/1
【敬宇文集. 下巻】明治13年1月
明治十三年一月九日板權免許
著述人 中村正直
    静岡縣士族
    東京 小石川 江戸川町十八番地
編次者 柳澤信太
    東京府平民
    東京 西江戸川町二十一番地
出板人 高橋金十郎
    静岡縣士族
    東京 神田鍛冶丁十一番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893606/63

【京浜実業家名鑑】明治40年12月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/429
高橋金十郎君  p185/434
小石川區江戸川町十八番地
君は慶應三年(1867)
江戸川の畔幽遼閑雅の地に呱々の聲を揚ぐ
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779587/185

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月23日(火)
《中村正修:養父 中村正直》
【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660421.html

《中村正修:養父 中村正直》【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

《中村正修:養父 中村正直
【人事興信録. 初版(明36.4刊)】

【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/663
《中村正修》 歯科醫 p353-354/670
 養母 てつ 天保八年一月生:1837年2月
       ※中村正直夫人
 妻  たか 安政五年九月生:1858年10月
       養父 中村正直 長女 ※原本:中村正道
 男  正一 明治二十七年(1894)四月生
君は安政二年九月十八日を以て生れ ※1855年10月28日
東京府士族 高橋博親の三男なり
故中村敬宇の婿養子となる
曾て米國に留學し
歯科醫術を研究し
「ドクトル」の稱號を受けて歸朝し
明治二十年(1887)四月
家督を相續す
市内有數の歯科醫なり
(東京市小石川區江戸町一八)
(電話 番町八八五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/354

[著者 故 中村敬宇:相續者 中村正修]

【敬宇文集. 巻6】明治36年4月
明治三十六年四月二十日印刷
明治三十六年四月三十日發行
著者    故 中村敬宇
相續者     中村正修
發行兼印刷者  吉川半七
        東京市京橋區南傳馬町一丁目十二番地
印刷所     吉川印刷工場
        東京市京橋區柳町五番地
發行所     吉川弘文館
        東京市京橋區南傳馬町一丁目十二番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893604/65

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


Philadelphia Dental College の卒業証書について
ci.nii.ac.jp/naid/110007158638
松本晉一 著 - 2007
中村正修(旧名一吉)の
Philadelphia Dental Collegeの卒業証書内容を確認した.
証書にはK, Nakamuraと記名があり,
旧名一吉(かずよし)のイニシャルである.
証書サイズは縦64.5cm,横54cmで,1891年1月26日付けで
ラテン語で書かれてある.証書中央には ...
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007158638

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月23日(火)
《高橋博親:高橋正修の父》
《高橋金十郎》
[神田鍛冶町十一番地]
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660422.html

《相馬りく:旧姓 佐久間》【東京女子高等師範学校一覧】明治25年~39年

《相馬りく:旧姓 佐久間》
【東京女子高等師範学校一覧】明治25年~39年

《相馬りく:相馬陸》歿年:明治38年(1905)~39年(1906)

【東京女子高等師範学校一覧. 明治25-28年】
明治25年~26年 p1/139
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p42/139
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/42
明治27年~28年 p57/139
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p120/139
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813119/120

【東京女子高等師範学校一覧. 明治31-33年】
明治31年~32年
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p77/190
相馬りく 静岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813120/77
明治32年~33年
明治十二年二月卒業(小學師範學科)(十五人) p167/190
相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813120/167

【東京女子高等師範学校一覧. 明治33-35年】
明治33年~34年
 五 小學師範學科卒業 p87/202
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813121/87
明治34年~35年
 五 小學師範學科卒業 p189/202
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813121/189

【東京女子高等師範学校一覧. 明治35-37年】
明治35年~36年
 五 小學師範學科卒業 p121/292
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813122/121
明治36年~37年
 五 小學師範學科卒業 p277/292
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813122/277

【東京女子高等師範学校一覧. 明治37,38年】
明治37年~38年
 五 小學師範學科卒業 p188/205
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813123/188

【東京女子高等師範学校一覧. 明治38,39年】
 明治38年4月~明治39年3月
 六 小學師範學科卒業 p184/196
明治十二年二月卒業(十五人)
佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813124/184
明治38年9月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813124/192

【東京女子高等師範学校一覧. 明治39,40年】
 明治39年4月~明治40年3月
 第九章 卒業生 p163/217
 (明治39年6月末調 9月始訂正)
 五 小學師範學科卒業 p196/217
明治十二年二月卒業(十五人)
死亡 佐久間 相馬りく 滋賀 士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813125/196
明治39年10月1日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813125/214

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html

blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》
[相馬永胤 妻]
『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660419.html

《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》[相馬永胤 妻]『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著

《相馬 陸:佐久間利三郎 長女》
相馬永胤 妻]
『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著

『蒼翼の獅子たち』志茂田景樹著
このころの相馬で言えば、 ※相馬永胤 p417-418
伊豆仁科の佐久間利三郎の長女
陸と見合をしている。
陸は十六歳前後のころ
上京して同人社を主宰する
中村正直宅に住みこみ、
やがて、その養女になった。

同人社はそのころ東京では
慶應義塾とならび称されるほど、
塾生の多い私塾だった。
中村はイギリス留学中に読んで感銘を受けた
スマイルズ著「セルフ・ヘルプ」を、
帰国後、翻訳し、
「西国立志編」と題して刊行したことでも知られる。
「西国立志編」は多くの青少年の心をとらえ、
その影響力は福沢諭吉
「学問のすゝめ」に匹敵すると言われた。

陸は東京女子師範学校に進み、
前年明治十二年(1879)に優等で卒業している。
才媛と周囲が認める存在だった。

相馬はすすめる人があって、
〔明治13年(1880)〕
五月三十日に陸と見合している。

じつは目賀田、田尻らの同志は知っていたが、
  ※目賀田種太郎田尻稲次郎
相馬はいったん帰国した明治七年(1874)に見合して
結婚を約した許婚者がいた。
アメリカにもどってからも文通は続いていたが、
帰国してから両家の事情もあって婚約を解消している。

そのこともあって、
相馬は見合するまではあまり乗気ではなかったが、
陸とあってみてひと目で気に入っている。

陸のほうにも異存はなく、
話はトントン拍子に進み、
六月に入ってほどなく婚約指輪が交わされ、
結納がとり行われた。
挙式は七月吉日になる。

著者   志茂田景樹
初版印刷 2008年10月20日
初版発行 2008年10月30日
編集協力 専修大学 専修大学育友会
発行所  河出書房新社
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[専修大学]
創立130周年記念映画
「学校をつくろう」-そのとき、若者たちは未来を見た-
2010年9月16日に創立130周年を迎える専修大学
※創立:明治13年(1880)9月16日
http://www.senshu-u.ac.jp/univguide/publicity/130movie
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改定版
2015年06月22日(月)
《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660418.html


《中村正直:長女 たか子・養女 りく子》【中村正直伝:自助的人物典型】

中村正直:長女 たか子・養女 りく子》
【中村正直伝:自助的人物典型】

【中村正直伝:自助的人物典型】石井研堂 著 明治40年2月
先生、一女子あり、たか子といふ。
夫人の甥を養ひて之れに娶す
嗣子正修氏(幼名一吉)これなり。 ※高橋正修:別稿に記載
一養女あり、りく子といひ、    ※相馬りく相馬陸):別稿に記載
相馬永胤氏に嫁す。
正修氏、
曾て米國に遊びて歯科を學び、
ドクトル號を得て歸朝す。
今醫名都下に鳴り、
齲者齵者義齒者、 ※齲(むしば)
常に堂に滿ち、
其の治を得るを榮とせり。
眞に積善の家に餘慶あるものか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/62
 第三十九章 先生の令夫人 p90-91/104
先生の夫人
高橋鐡子(法律上、故ありて金子姓を稱せしとあり)は、
貞淑の婦德を備へられたる一佳人なりし。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/90
明治三十九年六月九日
享年七十一にて没せられ、…。
三十九年(1906) 午 六月九日 夫人テツ子 卒
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/95
明治四十年二月十二日印刷
明治四十年二月十五日發行
定價  金 四拾錢
著者  石井民司
發行者 村上俊藏
    東京市本郷區弓町壹丁目八番地
印刷者 飯村辰之助
    東京市麹町區飯田町六丁目十七番地
印刷所 株式會社 秀英舎 第一工場
    東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
發行所 成功雜誌社
    東京市本郷區弓町一丁目八番地
    本社 振替貯金 二二〇九番
       電話 下谷二三七一番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781829/98

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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