◆朝日新聞社

藝妓、酌婦、遊廓地方別:生活刷新運動(料理屋、カフエー、花柳街など自肅休業)【朝日年鑑. 昭和15年】

藝妓、酌婦、遊廓地方別:
生活刷新運動(料理屋、カフエー、花柳街など自肅休業)
【朝日年鑑. 昭和15年】昭和14年10月発行

【朝日年鑑. 昭和15年】
 料理屋、藝妓、女給等累年比較(各年末現在内務省調)p284/536
 ※昭和8年~12年

 遊廓累年比較(昭和十二年末現在)
 ※昭和8年~12年
娼   妓
昭和 八年 四九、三〇二
昭和 九年 四五、七〇五
昭和 十年 四五、八三七
昭和十一年 四七、〇七八
昭和十二年 四七、二一七

 藝妓、酌婦、遊廓地方別(昭和十二年末現在)
p284【朝日年鑑. 昭和15年】
p284【朝日年鑑. 昭和15年】

    社 會  p285/536
   生活刷新運動
 聖戰貫徹に邁進する一億國民の固き決意は
事變の長期戰に伴ひますます強固になり、
「禁酒禁煙、一汁一菜、享樂廢止」は事變二周年記念日の
十四年七月七日全國一齊に自發的に嚴守され、
料理屋、カフエー、花柳街など
すべて自肅休業を斷行して
心からなる銃後の緊張振りを示したが
同月十四日開かれた閣議において
荒木文相は國民精神總動員委員會で決定した
生活刷新新運動の實行項目を報告、
各閣僚の賛成を求め、
今後關係各方面で實行し得るものから順次これが實行に努め、
一層公私生活を刷新し戰時態勢の強化を計るやう申合せたが、
文相の報告内容および要綱は次の通りである。
 ―略―
三、第一期刷新項目
 差當り刷新項目として左の事項を探り上げ
強力に實踐に力むることとし、
政府はそれそれその所管事項に付
適切なる措置を講ずると共に、
國民精神總動員中央聯盟は
之が普及徹底に努力すること、
なほ第二期には前記の成績を檢討した上
更に刷新項目を追加すること
(一)料理店、飲食店、カフエー、待合、遊戯場等の
   營業時間短縮
(二)ネオンサインの抑制
(三)一定の階層の禁酒、一定の場所の禁酒
(四)冠婚葬祭に伴ふ弊風打破
   就中奢侈なる結婚披露宴等の廢止
(五)中元、歳暮の贈答廢止
(六)服装の簡易化
   フロツクコート、モーニングコートの着用は
   公式の儀禮に限り
   その他は平常服を以て之に代へること、
   男子學生生徒の長髪禁止、
   婦女子のパーマネントウエーブ
   その他浮華なる化粧服装の廢止
 ―略―
 また事變下インフレ的景氣の煽りをうけて
不思議な繁昌を來し、
一部の反感を買つてゐた花柳界に對して
警視廳では銃後生活振肅のため
※振肅:緩んだ気風などをふるい起こし、引き締めること。
十四年六月十日を期して
管下の花街六十九ケ所二千六百軒の待合、
九ケ所八百軒の貸座敷、
二ケ所九百十軒の銘酒屋に對して
一齊に時間制限を行はしめた。
卽ち待合は午前零時を期し、
その他は午前一時を以てそれそれ箱止め、客止めを勵行し、
萬一違反の場合は嚴罰主義で臨むこととなつた。
かくて全國各地でも帝都の方針にならつて
各々自粛的に同様時間制限を守ることになつた。
p285【朝日年鑑. 昭和15年】
p285【朝日年鑑. 昭和15年】

昭和十四年十月 十日印刷
昭和十四年十月二十日發行 附錄「歐洲大動亂地圖」とも
「昭和十五年朝日年鑑」    定價 壹圓貮拾錢
大阪市北區中之島三丁目三番地
株式會社 朝日新聞社
編輯兼發行兼印刷者 樋口正德
大阪市北區中之島三丁目三番地
株式會社 朝日新聞社
印刷所 大阪朝日新聞發行所
發行所 大阪市北區中之島三丁目三番地
    株式會社 朝日新聞社
〔印〕法律資料第一課 27.6.16 調査立法考査局

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昭和十五年朝日日記  カバー裝幀・安井曾太郎筆
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この新鮮な日記によつて、
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朝日新聞社發行
p533【朝日年鑑. 昭和15年】
p533【朝日年鑑. 昭和15年】

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協賛 朝日新聞社
橿原神宮駅   大軌・参急・関急電鐵
p534【朝日年鑑. 昭和15年】
p534【朝日年鑑. 昭和15年】

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
※一部追記:2020年6月11日 6時00分
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遊廓・娼妓・芸妓【朝日年鑑. 昭和3年】昭和2年10月発行

遊廓・娼妓・芸妓【朝日年鑑. 昭和3年】昭和2年10月発行

【朝日年鑑. 昭和3年】
 遊 廓(『第四十四回國勢一班』に據る) p121/416
 種  別    大正十三年   大正十二年
貸座敷免許地     五三三     五四四
貸座敷營業者  一一、六九〇  一一、二五一
引手茶屋       一一四      四一
娼  妓    五二、三二五  五〇、二八四
貸座敷傭人 男  七、一一一   五、四八五
      女 二二、〇四二  二〇、五六九
遊  客    22,376,643.       ―

 料理屋その他(同上、大正十三年現在) p121/416
料理屋     五〇、六〇六
待合茶屋     三、三〇九
藝妓置屋    一八、九九六
藝  妓    七七、一〇一
飲食店    一三三、六四五
p121【朝日年鑑. 昭和3年】
p121【朝日年鑑. 昭和3年】

 ◎雜種税細別表  p193/416
遊 興
藝妓及幇間  花代  百分ノ七
       雇料  百分ノ七
送込娼妓   同   百分ノ五
居稼娼妓   同   百分ノ三
p193【朝日年鑑. 昭和3年】
p193【朝日年鑑. 昭和3年】

 娼妓と其の健康診斷(『衛生局年報』に據る)p223/416
  大正十四年實數
 ※病名・実数・割合等略
(備考)大正十四年末現在の遊廓は五三九箇所にして
この遊廓における娼妓一日平均數は五萬一千四百二十三人なり。
健康診斷所は四百九十箇所、
この診斷所において診斷を受けたる者の
延人員は三百十七萬四千九百九十四人、
しかしてこの受診人員中有病と認めたる者
七萬二千六百六十五人ありたり。

なお本表は全國娼妓の罹病者を病症別に檢出したので
同時に二以上の疾病を併發したる者は
列記したる前位の疾病を本病と看做して算した、
故に黴毒と淋病とを併發したものは黴毒として算し
淋病の項の括弧内に一を加へた、以下類推すべし、
因に比例數は各項併發數を合して
總有病數に割合を求めたものなるが故に其合計は百を超過す。
p223【朝日年鑑. 昭和3年】
p223【朝日年鑑. 昭和3年】

 貸座敷、藝娼妓、遊客及料理屋其他(大正十四年中)p356/416
道府縣    娼妓       藝妓
北海道  二、〇五五    三、六三九
東 京  五、一五八   一〇、七五四
神奈川  一、五一〇    二、三三五
新 潟  一、四七八    三、一五三
愛 知  二、三七一    六、〇四三
三 重  一、四七五    一、三三七
京 都  四、三五二    二、五七一
大 阪  八、五五九    五、五八四
兵 庫  二、四九五    四、二八五
廣 島  二、五六四    一、九六四
山 口  一、二二二    一、五七一
福 岡  二、四二二    二、九八八
長 崎  一、六六六    一、一一五
合 計 五二、八八六   七九、三四八
※娼妓が千人を超える道府県のみ転載。
p356【朝日年鑑. 昭和3年】
p356【朝日年鑑. 昭和3年】

昭和二年九月二十五日印刷  定價金八十錢
同  年十月 一 日發行 (郵税金十二錢)
著作、發行 大阪市北區中之島三丁目三番地
兼 印刷者 一花健藏
印刷所   大阪市北區中之島三丁目三番地
      大阪朝日新聞發行所
發行所   大阪市北區中之島三丁目三番地
      株式會社朝日新聞社
發賣所   大阪朝日新聞社
同     東京朝日新聞社
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件・内閣總理大臣 濱口雄幸:昭和5年4月22日

故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件・
内閣總理大臣 濱口雄幸:昭和5年4月22日

立案 昭和五年四月廿三日  p1/6
 宗秩寮 仙石  宮内事務官 松平
 故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件
              辞令四月廿三日
  昭和五年四月廿二日裁可 四月十八日達
  臺帳記入 四月廿四日  官報報告濟
              宮内省
A11114002300-1
〔画像〕A11114002300-1

 故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件 p2/6
右謹テ裁可ヲ仰ク
 昭和五年四月二十二日
    内閣總理大臣 濱口雄幸
A11114002300-2
〔画像〕A11114002300-2

海位第六二號 p3/6
       起案 昭和五年四月二十二日 裁可 五年四月二十日
       内閣書記官
 内閣總理大臣   内閣書記官長
故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件
   辭令案
 例文
     四月十八日付
         内閣
A11114002300-3
〔画像〕A11114002300-3

敍正六位 昭和五年四月十八日死亡   p4/6
       故海軍少佐從六位勲五等 嘉村嘉六
     大正六年十二月一日任 海軍少尉以来在職十年以上
右文武官敍位進階内則第四條ノ二ニ依リ
謹ミテ  奏ス
  昭和五年四月二十一日
   臨時海軍大臣事務管理
   内閣總理大臣 濱口雄幸
A11114002300-4
〔画像〕A11114002300-4

海秘人第一一二號  p5/6
  昭和五年四月二十一日
   臨時海軍大臣事務管理
   内閣總理大臣 濱口雄幸
 内閣總理大臣 濱口雄幸殿

故嘉村海軍少佐ハ多年軍職ニ在リテ
克ク其ノ任務ヲ盡シ功績顕著ノ者ニ候處
本月十八日夜間台灣海峡航行中
海中ニ墜落シ行方不明トナリ
極力捜索候ヘ共
四圍ノ状况ハ到底生存ノ見込ミ無之候ニ付
同日付死亡ト認定致候ニ付テハ
特ニ位一級被追陞度
別紙上奏書進達ス
A11114002300-5
〔画像〕A11114002300-5

一 故海軍少佐從六位勲五等 嘉村嘉六  p6/6
右特旨ヲ以テ敍位相成候ニ付位記竝辭令及回送候
條傳達方御取計有之度候也
 昭和五年四月廿三日
     宗秩寮 總裁 子爵 仙石政敬
  臨時海軍大臣事務管理
         宮内省
A11114002300-6
〔画像〕A11114002300-6
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レファレンスコード A11114002300
件名 故海軍少佐嘉村嘉六位階追陞ノ件
階層 国立公文書館 太政官・内閣関係 叙位裁可書 昭和
   昭和5年 叙位裁可書・昭和五年・叙位巻十四
【 画像数 】6
作成者名称(日本語) 内閣総理大臣 浜口雄幸/
           /宗秩寮総裁子爵 仙石政敬
記述単位の年代域   昭和5年(1930 - 1930)
資料作成年月日    昭和5年4月21日~昭和5年4月23日
           (1930/04/21 - 1930/04/23)
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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海軍兵学校卒業者一覧
海兵41期 大正2年12月19日卒業 118名
番     52
氏 名   嘉村 嘉六
最終階級  少佐
出身地   佐賀
現役最終囑 呂61号潜水艦乗組
備考    昭和5年4月18日に38歳で公務死(台湾海峡で事故)

海軍兵学校出身者
第41期T2.12.19卒(113名)
嘉村嘉六 少佐 佐賀(26潜隊伊61号艦長)
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航空母艦加賀の艦上機(勝畑大尉、淵田中尉、中尾兵曹)台灣海峡に漂流中を救はる:昭和5年4月21日

航空母艦加賀の艦上機(勝畑 清大尉、淵田美津雄中尉、中尾兵曹)
台灣海峡に漂流中を救はる:昭和5年(1930)4月21日

【朝日年鑑. 昭和6年】
 航空界      p172/416
 内外の空(自昭和四年八月 至昭和五年八月)
(昭和五年)一月  p174/416
 四月       p174/416
◇……海軍機台灣海峡に漂流中を救はる  p175/416
十八日台灣海峡で行方不明となつた
呂號六十一潜水艦長嘉村少佐捜査のため活動中であつた
航空母艦加賀の艦上機(勝畑大尉、淵田中尉、中尾兵曹)は
行方不明となり
十九日漂流中の機體を發見したが
乗組員の行方は依然判明せず
案じられてゐたが
二十一日台灣の陳某所有のジヤンクに救助されて汕頭に安着す
 p175【朝日年鑑. 昭和6年】
p175【朝日年鑑. 昭和6年】
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《嘉村 嘉六》 ※別稿に記載
《勝畑 淸》
《淵田 美津雄》
【官報. 1929年11月02日】昭和4年
呂號第三十潜水艦長海軍少佐 《嘉村 嘉六》 p5/17
補呂號第六十一潜水艦長兼呂號第六十二潜水艦長
 p5【官報. 1929年11月02日】昭和4年-20
〔画像〕p5【官報. 1929年11月02日】昭和4年
横須賀海軍航空隊附海軍中尉 《勝畑 淸》  p6/17
補加賀乘組
靑葉乘組海軍中尉      《淵田 美津雄》p6/17
大村海軍航空隊附海軍中尉  《井上 勤》
補加賀乘組
 p6【官報. 1929年11月02日】昭和4年-20
〔画像〕p6【官報. 1929年11月02日】昭和4年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦長
嘉村嘉六 少佐:1929年11月1日[9] –
奥島章三郎 少佐:1930年4月22日[10] - 1930年6月3日[11]
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海軍兵学校出身者
第50期T11.6.1卒(272名)
     階級 出身地・出身校 特殊肩書・戦没地
勝畑 清 大尉 埼玉      パラオ(南洋庁航空官)
【職員録. 昭和12年7月1日現在】
南洋廳  p466/774
〇交通課
事務官 航空官 《勝畑 淸》

國學院大學研究開発推進機構 研究開発推進センター
研究資料
パラオ諸島慰霊碑データベース・アンガウル島
整理番号  12
名称    南洋庁飛行艇遭難慰霊碑
建立者   北島謙次郎
建立年月日 昭和15年8月
建立場所  海軍墓地
表<縦書き>
 昭和十三年八月十日父島南々東
 百二十浬海上ニ於テダグラス飛
行艇ト運命ヲ共ニシ南洋航空ノ
礎石トナレル
 南洋廳航空官従六位勲六等 勝畑  清
 南洋廳技手勲八等     押川  始
 南洋廳技手勲八等     北村 康房
 南洋廳技手勲八等     山崎米太郎
 南洋廳技手勲八等     藤田權之助
 南洋廳技手勲七等     山崎 春次
 南洋廳技手勲八等     日野 宗一
右七氏ノ殉職ヲ記念シ之ヲ建ツ
 昭和十五年八月
 南洋廳長官正四位勲三等北島謙次郎書
    碑の由来
この碑は戦前パラオ公園
に建立されていたが昭和十九
年に米軍に破壊されて所在
不明でしたその後昭和四十八年
にパラオミュージアムに放置され
ていた碑を発見し今回有志
が集い本来在るべき海軍
墓地に移設したものです
   平成二十年十二月吉日
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
淵田 美津雄(ふちだ みつお)
1902年(明治35年)12月3日 - 1976年(昭和51年)5月30日)は、
日本の海軍軍人、キリスト教伝道者。
海軍兵学校52期。最終階級は海軍大佐。
生涯
昭和2年:1927年12月、海軍中尉。
昭和3年:1928年1月、霞ヶ浦海軍航空隊偵察科学生。
昭和3年:1928年12月、霞ヶ浦練習航空隊偵察科卒業。
     重巡「青葉」乗組。
昭和4年:1929年11月、空母「加賀」乗組。
昭和5年:1930年11月、佐世保海軍航空隊付。
昭和5年:1930年12月、海軍大尉。
太平洋戦争
第一航空艦隊
昭和16年:1941年12月、ハワイ作戦に参加。
8日、真珠湾攻撃における空襲部隊の総指揮官で第1次攻撃隊を指揮し、
「ト・ト・ト」(全軍突撃せよ)及び「トラトラトラ」(奇襲ニ成功セリ)
が淵田中佐機から打電された。
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《淵田美津雄》
レファレンスコード C08051579600
件名 昭和16年12月~昭和17年6月
   赤城飛行機隊戦闘行動調書(1)
階層 防衛省防衛研究所 海軍一般史料 ⑤航空部隊 行動調書
   昭和16年12月~昭和17年6月 赤城飛行機隊戦闘行動調書
【 画像数 】39
作成者名称(日本語) 中佐 渕田美津雄/
           /大尉 千早猛広 大尉 進広三郎/
           /大尉 岩井健太郎
資料作成年月日    昭和16年12月8日~昭和17年3月1日
          (1941/12/08 - 1942/03/01)
組織歴        海軍省
 C08051579600-01
〔画像〕C08051579600-01

 C08051579600-02
〔画像〕C08051579600-02
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レファレンスコード C13021005800
件名 真珠湾作戦に関する計画、命令の要旨
階層 防衛省防衛研究所 陸軍一般史料 満洲 朝鮮
   鉄材関係書類綴 昭和13~昭和14年
【 画像数 】24
作成者名称(日本語) 軍令部総長永井修身/
           /聯合艦隊司令長官山本五十六/
           /機動部隊指揮官南雲忠一
内容 真珠湾作戦ニ関スル計画、命令ノ要旨
    (註)本記録ハ真珠湾作戦ニ関スル計画、命令等ノ写ガ全部
   終戦時焼卻セラレ利用スベキ公文書ガナイノデ
   左記関係者ノ記憶及調査ニ基キ其ノ要旨ヲ記述シタモノデアル
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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靖国神社の新祭神 誉れの一万二千七百九十九柱 きのう「合祀」発表さる:大阪朝日新聞 1940.3.26(昭和15)

新聞記事文庫 軍事(49-085)
大阪朝日新聞 1940.3.26(昭和15)
靖国神社の新祭神
誉れの一万二千七百九十九柱
きのう「合祀」発表さる
大阪朝日新聞 1940.3.26(昭和15)

事変下五たび迎える靖国神社春の臨時大祭は
来る四月二十三日の招魂式に次いで
二十四日から五日間軍事参議官塩沢幸一海軍大将を
臨時大祭委員長として厳かにとり行われるが、
新合祀の英霊については所属部隊または関係官庁からの上申に本づき
陸、海軍両当局の手で手続中のところ御裁可あらせられ合祀仰出されたので
二十五日午後四時陸、海軍両省からその氏名が発表された、

新に祭神の列に加る護国の英霊は満洲事変および支那事変関係のうち
昭和十三年五月末日までに戦死、戦傷病死などを遂げた
陸、海軍軍人および軍属で
陸軍一万二千六百二十九柱、
海軍百七十柱
合計一万二千七百九十九柱に上っている

そのうち陸軍側は満洲事変関係の合祀者が
佐野竹男歩兵大尉以下五十一柱、
満洲事変関係特別合祀者が
小笠原保太郎砲兵大佐以下二百七十九柱、

支那事変関係の合祀者が井手竜男少将以下一万八百八十五柱、
同特別合祀者が儀我誠也少将以下千四百十四柱、

また海軍側は今事変関係が得猪治郎中佐以下百十二柱、
今事変関係特別合祀者が上原徳次郎中佐以下五十四柱、
満洲事変関係が四柱である 

昨秋までに靖国神社に合祀された祭神は十六万六千六百一柱で、
今回の第五十六回臨時大祭で祀られる新祭神を加えれば
祭神は総計実に十七万九千四百柱に達するわけである、

なお今回の合祀者中には軍神西住戦車長や
その機は天覧の光栄に輝いた大内稔砲兵少佐の燦たる名前も見え、
また軍属中には
通訳、傭人、工人、鉄道技手、野戦郵便局員、厨夫などもあるが
昭和十三年五月末日までの戦没者にして
いまだ合祀の運びにいたらないものも多少あり、
これについては軍当局では手続きを急ぐことになっている

合祀者(佐官以上)

陸軍の部
△少将    儀我誠也(東京)   井手竜男(福岡)
△歩兵大佐  成島栄寿(山梨)   厚地与一(金沢)
△砲兵大佐  小笠原保太郎(金沢)
△輜重兵大佐 梅住栄太郎(高田市)
△歩兵中佐  加村旭(松江)    益田兼英(東京)  細見三郎(茨城)
       青木国男(□城)   下川義一(福岡)  宇根本四六(呉)
       岡本岩男(鳥取)   浅井敏夫(岐阜)  児森高槌(小倉)
       河野通(大分)    荒井豊吉(長野)  武藤恒雄(岐阜)
       亀谷貞朝(奈良)
△騎兵中佐  森本浩(防府)
△砲兵中佐  筧●郎(岐阜)
△工兵中佐  栗本進(京都)
航空兵中佐 柴鉄熊(鹿児島) ※下記
△獣医中佐  日高万寿夫(宮崎)  鈴木冨治(宮城)
△歩兵少佐  金子鹿八(福島)   佐賀房吉(島根)  桑原忠治(防府)
       剱持精一(山口)   古沢喜兵衛(宮崎) 千場英喜(熊本)
       大園庄蔵(鹿児島)  青柳長六(山形)  土佐喜一郎(新潟)
       佐分利和雄(福山)  藤田弥五郎(兵庫) 岡本隼之助(兵庫)
       福井重幸(鳥取)   中川胤良(鳥取)  秋崎近蔵(鳥取)
       谷内利晴(高知)   小野村庄三(茨城) 小泉寅三(水戸)
       今井勘作(埼玉)   関愛人(長野)   恒吉幸雄(鹿児島)
       伊藤明衛(長野)   近藤亦男(千葉)  杉野勝一(門司)
       田中嘉衛(三重)   小柳音次郎(福岡) 高橋堅右衛門(宮城)
       西垣健治(兵庫)   片山佳美(鳥取)  明田重三(佐賀)
       木村幹夫(熊本)   藤林保之(津)   大宮錠太郎(名古屋)
       中島俊夫(高知)   指宿通春(鹿児島)
△騎兵少佐  武田正武(水戸)   牧野威(東京)
△砲兵少佐  三宅八百一(岡山)  三谷安(高知)   伊藤要平(福岡)
       秋山貞造(東京)   中村良夫(岡山)  吉元勝紀(佐賀)
△工兵少佐  松田喜久馬(千葉)  佐藤庄二郎(山形)
△航空兵少佐 河村清(岐阜)
△憲兵少佐  諸島米作(佐賀)
△軍医少佐  小野寺寅之進(宮城) 

海軍の部
△中佐 得猪治郎(富山)      上原徳次郎(福岡)
△少佐 瀬戸口源右衛門(鹿児島)  川久保尚忠(鹿児島) 

 その他の合祀者は関係地方版に掲載しました 
データ作成:2015.3 神戸大学附属図書館
データ作成2015.3 神戸大学附属図書館
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年08月30日 03:37 ◆『アジア歴史資料センター』
[航空兵團死歿者人名表]昭和12年7月15日~昭和13年2月28日
[戰時旬報 第二十三號]
自昭和十二年七月十五日 至昭和十三年二月二十八日  p32/39
[航空兵團死歿者人名表] 昭和十三年二月二十八日
             於北京航空兵團司令部
現所属  兵団司令部   階 級  航 少佐  特 業  
氏 名  柴 鉃熊    原所属  熊 校
死歿月日 昭和一三年一月二五日
死歿概要 德県ニ於テ戰斗行動中
     自動車事故ニ依リ重傷死亡ス
空 中     地 上  ○
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尹昌鉉 満洲新国家訪問飛行の件 東京朝日新聞社ノ後援 昭和7年5月13日

尹昌鉉 満洲新国家訪問飛行の件 東京朝日新聞社ノ後援 昭和7年5月13日

陸満普受第二五九一号 p1/6
尹昌鉉 満州新国家訪問飛行ノ件
防航二六号 昭和七年五月十三日
C04011339500-1
〔画像〕C04011339500-1

奉天トハ電話ニテ内協議済 p2/6
軍務局防備課
C04011339500-2
〔画像〕C04011339500-2

陸満普受第二五九一号 p3/6
尹昌鉉 
C04011339500-3
〔画像〕C04011339500-3

 副官ヨリ関東軍参謀長ヘ電報 p4/6
朝鮮人 尹昌鉉ナル者
東京朝日新聞社ノ後援ニ依リ
朝鮮及満州訪問飛行ノ為メ
五月十五日 東京発大阪、太刀洗、蔚山、京城ヲ経テ
奉天ニ飛行スルニ付便宜供与方取計ハレ度
   陸滿八六八 昭和七年五月拾參日
C04011339500-4
〔画像〕C04011339500-4

 陸満普受第二五九一号 p5/6
 昭和七年五月七日
  東京府北多摩郡立川町本町三、〇二三 山保館内
    尹昌鉉
  陸軍大臣 荒木貞夫殿
    満州新国家訪問飛行御願
               私儀
今般朝日新聞社後援ノ下ニ
民間航空思想並ビニ
日鮮融合ノ一端ニ資スルノ目的ヲ以テ
左記要領ニヨリ郷土訪問飛行ヲ行ヒ更ニ進ンデ
満州新国家建設祝賀飛行ヲ兼ネ
在満同胞慰問飛行ヲ決行致度候間
右実施ニ当リ特別ノ御詮議ヲ以テ
何分ノ御高配ヲ賜リ度
此段奉願候也
C04011339500-5
〔画像〕C04011339500-5

  記 p6/6
一、目 的 郷土訪問並ビニ満州新国家訪問
二、日 時 昭和七年五月十五日
三、使用機 サルムソン二A二型
四、経 路 東京―大阪―太刀洗―蔚山―京城―奉天
C04011339500-6
〔画像〕C04011339500-6
件名標題(日本語) 満洲新国家訪問飛行の件
レファレンスコード C04011339500
作成者名称(日本語)陸軍省||尹昌鉉
資料作成年月日   昭和7年5月13日(1932/05/13)
画像数 6
組織歴/履歴(日本語)陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より
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【法政大学校友名鑑】昭和16年
尹昌鉉 朝鮮    p270/427
昭和七年 経済 京城府青葉町一ノ八九
 経済学部     p157/427
⦿昭和七年三月卒業 p163/427
 経済学部経済学科
尹昌鑛(朝鮮) ※尹昌鉉の誤植か?

【写真通信. (3月號)(189)】
出版者   昭和画報社
出版年月日 1930-03
提供制限  国立国会図書館/図書館送信限定公開
公開範囲  国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
「若き學生靑空への雄飛」
法政大學航空硏究會生る / 尹昌鉉 / p12~13 (0019.jp2)
法政大學航空硏究會後援趣意書 / / p12~13 (0019.jp2)
二月十四日の法政機の母校訪問――眞紅の機體を灰色の空に。
カワセミ、ヒヨドリの二機 / / p13~13 (0019.jp2)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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知の木々舎 くらしの中へ句読点
『知の木々舎』 (立川市・代表 横幕玲子)が創る文化教養マガジン
2009年春創刊 月2回発行
立川陸軍飛行場と日本、アジア №149 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
「愛国児童号」献納される
       近現代史研究家  楢崎茂彌
 5.15事件の日、
立川が生んだ尹昌鉉(ユン・チャンヒョン)君が郷土飛行に飛び立つ
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[朝日新聞社][滿洲:支局長・通信局長]【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】

[朝日新聞社][滿洲:支局長・通信局長]
【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】昭和16年発行

【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】
[滿洲國會社] p220/791
[株式會社 朝日新聞社] p221/791
 滿洲支局   新京新發路明倫街角
 奉天通信局  協和街五段二號
 哈爾濱通信局 地段街弘報會館内
 大連通信局  播磨町六七
【滿洲支局長】 伊東盛一
生・明治二六年 福岡縣
學・大正 三年 豐津中卒
入・大正一二年
住・新京新發路明倫街角 其局(異) ※下記:異動追補表
【奉天通信局長】 平松億之助
生・明治三二年 大阪府
學・大正 六年 同文書院卒
  大正一三年 京大 經濟學部卒
入・大正一三年
住・奉天市大和區協和街五段二號 其局
【哈爾濱通信局長】 井上震治郎
生・明治三三年 山口縣
入・大正一四年
住・哈爾濱市 其局
【大連通信局長】 稻葉源一
生・明治三八年 奈良縣
學・昭和 四年 慶大 法學部卒
入・昭和 四年
住・大連市播磨町 其局
異動追補表 p766/791
伊東盛一 辭任
昭和十六年十二月 五日印刷
昭和十六年十二月十二日發行
定 價 九圓(B6版)
編纂兼
發行人 中西利八
    東京市麻布區市兵衞町一ノ六
印刷所 中外印刷株式會社
    東京市小石川區東古川町一〇
印刷者 渡邊一郎
    東京市小石川區東古川町一〇
發 兌 満蒙資料協會
    東京市麻布區市兵衞町一ノ六
    振替口座 東京七八八番
    電話 赤坂(48)一二一八番
    (會員登録番號一三一〇一五)
配給元 日本出版配給株式會社
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[東京朝日新聞社]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
 各地通信局長
滿洲  木下 猛  新京
奉天  坂本靜一  奉天
哈爾賓 磯部佐治  哈爾賓
大連  宮崎小市  大連
上海  白川威海  上海
北京  園田次郎  北京
南京 橋本登美三郎 南京
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伊東盛一
この菊竹の〝白蓮事件〟に対する態度をきかせてくれたのは、
西日本新聞文化部長であった江頭光氏である。 
伊東盛一記者は、白蓮事件直後に福岡日日をやめ、朝日新聞へ移っている。
この時期の退職、そして朝日への移籍が、何を意味するのか。
永畑道子『恋の華・白蓮事件』より引用
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[(株)朝日ビルデイング]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[(株)朝日ビルデイング]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[(株)朝日ビルデイング] p971/1079
 大阪市北區中之島町三ノ三
 電 話 北 四五〇一
 設 立 昭和四年八月
 資本金 一、〇〇〇、〇〇〇
 拂込濟   二五〇、〇〇〇
社 長 村山長擧  兵庫
取締役 上野精一  大阪
同   小西勝一  同
同   石井光次郎 東京
同   小早川彦一 兵庫
監査役 今村宗太郎 西宮
同   辰井梅吉  兵庫
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[(株)朝日新聞社]1/3:大阪朝日新聞總務局等
【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
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[(株)朝日新聞社]【日本全国銀行会社録. 第46回(昭和13年)】

[(株)朝日新聞社]【日本全国銀行会社録. 第46回(昭和13年)】

【日本全国銀行会社録. 第46回(昭和13年)】
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1074370/9
[(株)朝日新聞社] p260/1321
 大阪市北區中之島三丁目
 設 立 大正八年七月
 資本金 六百萬圓(拂込濟)
 一 株 壹百圓
 決 算 第三十七期 昭和十二年十月
  資産ノ部
  ―略―
  負債ノ部
  ―略―
  當期利益金處分
  ―略―
社 長   上野精一
會 長
專務取締役 村山長擧
專務取締役 緒方竹虎
常務取締役 石井光次郎
同     美土路昌一
同     原田譲二
同     原田棟一郎
取締役   辰井梅吉
同     高原 操
同     岡野養之助
同     和田信夫
監査役   今村宗太郎
同     忠田兵造
相談役   小西勝一
大株主氏名及持株數  株
村山長擧  二一、七七六
上野精一  一三、二四七
村山マス   三、〇二五
村山於藤   二、八〇〇
◆東京支店 麹町區有樂町二丁目
 (東京朝日新聞社)
◆九州支社 小倉市砂津
 支社長(兼) 原田棟一郎
◆名古屋支社 中區廣小路通二丁目
 支社長    木村豊二郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[東京朝日新聞社]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

[東京朝日新聞社]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】

【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
[東京朝日新聞社] p970-971/1079
 麹町區有樂町
 電 話 丸 一三一
 以下課長
文書  豐原瑞穗  東京
計畫  庄崎俊夫  同
 映畫班製作係
主任  眞名子兵太 東京
 航空部
部長  河内一彦  東京
 記事審査部
次長待 稻庭謙治  東京
顧問  岩田宙造  同
 編輯局
次長  野村秀雄  東京
顧問  伊東圭一郎 同
次長待 羽田三吉  同
同   高宮太平  同
 整理部
部長  北野吉内  東京
次長  宮崎志朗  同
同   八木長人  同
同   安井俊雄  同
同待遇 栗原秀松  同
 聯絡部
部長  鳥越雅一  東京
次長  關戸半四郎 同
電話課 吉岡助次郎 同
 政治部
部長  細川隆元  東京
次長  長谷部 忠 同
同   壁谷祐之  同
同待遇 大塚喜平  同
同   上月 進  同
 經濟部
部長  丹羽秀伯  東京
次長  田中慎次郎 同
同   福井文雄  同
商況係 高木勝昶  同
 社會部
部長  尾坂與市  東京
次長  福馬謙造  東京 p971/1079
同   伊東盛一  同
同   木下宗一  同
同   荒垣秀雄  同
 歐米部
部長  古垣鉃郎  東京
次長  本多助太郎 同
 通信部
部長  木村 東  東京
次長  矢島矢洲夫 同
同   佐々木秀雄 同
地方版
主任  萩原庫吉  同
同   山崎晴吉  浦和
同   鰕原幸作  東京
 出版編輯部
部長  星野辰男  神奈川
次長  比佐友香  東京
同待遇 櫻木俊晃  同
 學藝部
部長  服部龜三郎 神奈川
次長待 丸田一郎  東京
 調査部
部長  坂崎 坦  東京
次長待 早川 勇  同
 運動部
部長  小高吉三郎 東京
次長  山田午郎  同
アサヒスポーツ東京主任
部長待 植村陸男  東京
 校閲部
部長  久保田榮吉 東京
次長  小杉 寛  同
同   中川陽太郎 市川
 寫眞部
部長  前田繁一  東京
次長  北川謙二  同
庶務
課長  伊集院兼雄 同

 各地通信局長
横濱支 矢野源太郎 東京
次長  石塚一雄  横濱
千葉  田尻淺之助 千葉
宇都宮 加藤安世  栃木
靜岡  加藤萬治  靜岡
長野  林 達磨  長野
新潟  小野昌次  新潟
福島  深澤明吉  福島
仙臺  毛利秋俊  仙臺
札幌  橋本虎之助 札幌
滿洲  木下 猛  新京
奉天  坂本靜一  奉天
哈爾賓 磯部佐治  哈爾賓
大連  宮崎小市  大連
上海  白川威海  上海
北京  園田次郎  北京
南京 橋本登美三郎 南京
莫斯科 丸山政男  莫斯科 ※モスクワ
倫敦  香月 保  倫敦  ※ロンドン
巴里  重德米助  巴里  ※パリ
伯林  濱田常二良 伯林  ※ベルリン
紐育  伊藤七司  紐育  ※ニューヨーク
 
 營業局
次長  杉江潤治  東京
勤務  小村順之助 神奈川
 販賣部各長
部長  田畑忠治  東京
次長  霜山經助  同
同   落合 實  同
同   田中一郎  同
發送課 堀川光彌  同
外交係 大角盛美  浦和
 廣告部各長
部長  新田宇一郎 東京
次長  杉井初太郎 同
同   平岡國雄  神奈川
計算係 木下淸文  東京
 庶務部
部長  谷口貞固  東京
次長  鳥羽重二  同
 印刷局
局長  久野八十吉 東京
部次長 拓 大雄  同
同   吉見幸雄  同
同   米村壯宏  同
 技術部
部長  江崎達夫  神奈川
次長  藤 三郎  東京
 凡 例 p957/1079
株式會社を(株)
相互會社を(互)
合資會社を(資)
合名會社を(名)
昭和十三年四月十日 第四十二版印刷發行
發行所 財團法人 交詢社
    東京市京橋區銀座六丁目四番地
    電話 銀座(57)自一九〇〇番 至一九〇四番
    日本紳士錄編纂部專用
    電話 銀座(57)四九五五番 五四〇三番 六二〇五番
    振替口座 東京二一〇二三番
著作兼 淺野松次良
發行者 東京市京橋區銀座六丁目四番地
印刷者 大谷仁兵衞
    東京市京橋區銀座西七丁目一番地
印刷所 行政學會印刷所
    東京府立川町三九五五番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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