《封永生:明治31年12月9日歿》
【日本メソヂスト横浜教会六十年史】
【日本メソヂスト横浜教会六十年史】昭和12年
〔写真〕 p6/73
日本美以敎會二十五周年記念寫眞
明治三十二年(1899) ※明治31年(1898)の誤記。
(場所 横濱市山手二百二十二番A角)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/6
一 日本メソヂスト横濱敎會六十年表 p11/73
明治三十一年(1898) p13/73
七月九日~十二日の四日間
新築中の我敎會に於て
日本美以敎會
第廿五年祝會あり、
十三日より十八日まで年會開かる。
福音會好況を呈す。
敎會等級表中自給一等は我敎會のみ、
會員ランプ修繕業
淸國人 封永生 永眠。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/13
五 昇天者 p49/73
《封永生》 p54/73
支那に生れ
明治三一年(1898)一二月九日
横濱に永眠
淸國江西省建昌府南城縣の紙商
封國光の長男、
慶應二年(1866)
横濱に來て茶商を營み
巨富を儲けたるも
同國人及妻妾に欺かれて零落し
西の橋より投身自殺を圖りしが
救はれてランプ修繕人となり
全國を遍歷し再び横濱に歸り
八幡谷戸(中村一二七三番地、今の平樂)の
九尺に三間の長屋に住むことゝなり
家賃七五錢を拂つて居た。
或時紙屑屋より買つた聖書を讀み居るを
聖經女學校生徒
松山せい子に發見せられ
其近所にバンペテン校長の開いて居た集會に誘はれ
又我敎會員小林文七氏に導かれて
明治二四年(1891)一月
我敎會に出席し
相原牧師、二宮氏などによりて入信し
献身献財立證の聖徒的生活をつづけた。
日々ランプ修繕のため手車をひいて
市中を巡りつゝ傳道した。
明治三〇年(1897)
我敎會堂新築工事開始と共に
一一月より翌年九月まで
同氏を工事監督に雇ふことにしたが
同氏は土方等に憎まれつゝも
忠實に其の責任を果し傍
傳道を怠らなかつた。
明治三一年(1898)秋頃より
病氣となつたが傳道を怠らず
敎會の信者達は強ひて
十全病院に入院させたが
病床でも傳道をやめず
明治三一年(1898)一二月八日
本人の希望をいれて
根岸の婦人慈善病院に移ることゝなり
途を枉げて我新築會堂の前に到り
擔架の覆布をかゝげて見せた。
翌日午後七時過 ※明治31年(1898)12月9日歿
「平安」といひて眠る
享年 五九歳
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/54
昭和十二年三月十八日印刷
昭和十二年三月廿八日發行
非賣品
編纂兼發行者 南種康博
横濱市中區三春臺一三〇
印刷者 齋藤赤次郎
横濱市中區宮元町一丁目一六
印刷所 サイトウ印刷所
横濱市中區宮元町一丁目一六
發行所 日本メソヂスト横濱敎會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/69
【日本メソヂスト横浜教会六十年史】
【日本メソヂスト横浜教会六十年史】昭和12年
〔写真〕 p6/73
日本美以敎會二十五周年記念寫眞
明治三十二年(1899) ※明治31年(1898)の誤記。
(場所 横濱市山手二百二十二番A角)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/6
一 日本メソヂスト横濱敎會六十年表 p11/73
明治三十一年(1898) p13/73
七月九日~十二日の四日間
新築中の我敎會に於て
日本美以敎會
第廿五年祝會あり、
十三日より十八日まで年會開かる。
福音會好況を呈す。
敎會等級表中自給一等は我敎會のみ、
會員ランプ修繕業
淸國人 封永生 永眠。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/13
五 昇天者 p49/73
《封永生》 p54/73
支那に生れ
明治三一年(1898)一二月九日
横濱に永眠
淸國江西省建昌府南城縣の紙商
封國光の長男、
慶應二年(1866)
横濱に來て茶商を營み
巨富を儲けたるも
同國人及妻妾に欺かれて零落し
西の橋より投身自殺を圖りしが
救はれてランプ修繕人となり
全國を遍歷し再び横濱に歸り
八幡谷戸(中村一二七三番地、今の平樂)の
九尺に三間の長屋に住むことゝなり
家賃七五錢を拂つて居た。
或時紙屑屋より買つた聖書を讀み居るを
聖經女學校生徒
松山せい子に發見せられ
其近所にバンペテン校長の開いて居た集會に誘はれ
又我敎會員小林文七氏に導かれて
明治二四年(1891)一月
我敎會に出席し
相原牧師、二宮氏などによりて入信し
献身献財立證の聖徒的生活をつづけた。
日々ランプ修繕のため手車をひいて
市中を巡りつゝ傳道した。
明治三〇年(1897)
我敎會堂新築工事開始と共に
一一月より翌年九月まで
同氏を工事監督に雇ふことにしたが
同氏は土方等に憎まれつゝも
忠實に其の責任を果し傍
傳道を怠らなかつた。
明治三一年(1898)秋頃より
病氣となつたが傳道を怠らず
敎會の信者達は強ひて
十全病院に入院させたが
病床でも傳道をやめず
明治三一年(1898)一二月八日
本人の希望をいれて
根岸の婦人慈善病院に移ることゝなり
途を枉げて我新築會堂の前に到り
擔架の覆布をかゝげて見せた。
翌日午後七時過 ※明治31年(1898)12月9日歿
「平安」といひて眠る
享年 五九歳
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/54
昭和十二年三月十八日印刷
昭和十二年三月廿八日發行
非賣品
編纂兼發行者 南種康博
横濱市中區三春臺一三〇
印刷者 齋藤赤次郎
横濱市中區宮元町一丁目一六
印刷所 サイトウ印刷所
横濱市中區宮元町一丁目一六
發行所 日本メソヂスト横濱敎會
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257022/69
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』