◆《坪内みさを=雲井浪子》

《坪内みさを=雲井浪子》〔現代の代表的婦人〕【婦人宝鑑. 大正12年度】

《坪内みさを=雲井浪子》
〔現代の代表的婦人〕
【婦人宝鑑. 大正12年度】

【婦人宝鑑. 大正12年度】
 大正12年3月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/336
〔現代の代表的婦人〕 p313/340
《坪内みさを》    p325/340
坪内士行氏夫人。
明治三十四年 淡路國に生る。
雲井浪子と號し
寶塚少女歌劇研究生として名聲を博した。
現住所、大阪府下箕面村櫻井。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958772/325

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《坪内ミキ子》
[Wikipedia]
坪内ミキ子(つぼうち みきこ、1940年4月12日 - )は、
東京府(現:東京都)出身の女優・タレント。
人物・略歴[編集]
父親は演劇評論家・坪内士行
(宝塚歌劇団職員・宝塚音楽学校の顧問も歴任した)、
母親は宝塚歌劇団1期生の元トップ娘役で
宝塚歌劇団卒業生の雲井浪子(本名:坪内操、旧姓:高井)、
 ―略―
1963年に早稲田大学文学部英文科を卒業。
 ―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E5%86%85%E3%83%9F%E3%82%AD%E5%AD%90

[早稲田大学創立125周年記念式典]
1小野一雄 坪内ミキ子
小野一雄 坪内ミキ子
2小野一雄 坪内ミキ子
小野一雄 小野喜代子 坪内ミキ子
撮影場所:早稲田大学 戸山キャンパス「記念会堂」
撮影日 :平成19年(2007)10月21日

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
早稲田大学創立125周年記念式典
平成19年(2007)10月21日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2200284.html


blog
[小野一雄のルーツ]改訂版
新潟より<菊水酒造の銘酒が到来>
早稲田大学創立125周年記念の枡
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2350970.html


《雲井浪子》[寶塚少女歌劇團一行の入京]【歴史写真. 大正8年7月號】

《雲井浪子》
[寶塚少女歌劇團一行の入京]
【歴史写真. 大正8年7月號】

【歴史写真. 大正8年7月號】
 [歴史寫眞]
 大正八年七月號
 大正八年七月一日發行
 會長 秋好善太郎君
 天變人事理工化學
 後の今を見る 又猶 今の昔を見る如く
 現代を利し 後世を益する事 莫大なり
 株式會社 東光園
 歴史寫眞會發行
 東京淀橋 電話 番町 五八四・二七七四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966256/1
[寶塚少女歌劇團一行の入京]  p20/37
寶塚の少女歌劇團は
昨大正七年の夏上京して
帝國劇場に獨特の歌劇を上演し
都人士の喝采裡に退却京したが、
大正八年にも再び帝劇の招きに應じ、
五月二十四日午後八時半
一行二十八名
東京驛着列車にて入京した。
殊に今回は同團の監督にして
嘗て外國より伴ひ來れる
《ホームス》といふ婦人の爲に捨てられたる
文學博士《坪内逍遥》氏
嗣子《坪内士行》氏も一行に加はり居り、
更に同氏が新たに選んで結婚するといふ噂のある
一座のスター《雲井浪子》嬢も上京したることとて
一層の人気を喚び
帝劇に於ても連日の大入を占めた。
寫眞は同團入京當夜
東京驛前の撮影に係るもので
前列左より二人目
鞄を手にしたるは問題の《浪子》嬢である。
《雲井浪子》嬢

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《雲井浪子》
[Wikipedia]
雲井浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井[1])
(1901年(明治34年)7月23日[2] - 2003年(平成15年)8月20日)は
元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。
兵庫県洲本市出身。
夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。
娘は女優・坪内ミキ子[3]。
実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、
実妹は宝塚歌劇団15期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なお子。
義理叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。
 ―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BA%95%E6%B5%AA%E5%AD%90

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