《大久保麑山の二女 ナヲの夫 加来宇三郎》
《加来宇三郎の長男:加来佐太郎》

【大分県紳士録】明治37年5月
《加来佐太郎君》 p262/457
宇佐郡院内村住
明治六年(1873)四月生
一 君は加来宇三郎氏の長男なり
一 幼年の頃 中津町
  扇城學舎、堀川講習會等に於て
  普通學を修め後
  更に上京して
  東洋商業專門學校、
  商業素修學校、
  高等商業學校等に入りて
  數年間修業し
  明治二十六年(1893)
  歸郷す
一 君は歸郷以來
  父祖の業務を繼ぎて
  專ら淸酒醸造に從事し
  餘暇あれば則ち原野を驅馳して
  以て心膽を練り
  山林を逍遥して
  以て英氣を養ひ敢へて
  他意なきものゝ如し
  盖し仝地方他に
  語るべきの知己なく
  談ずべきの朋友なければなり
一 明治三十二年(1899)
  宇佐郡會議員に擧げらる
一 君は天資英邁にして義心に富み
  理想頗る高く
  抱負亦頗る大なるものあり
  郡中第一
  有望の一靑年を以て目せらる
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/262
明治三十七年五月二日印刷
明治三十七年五月五日發行
發行著作者 大悟法雄太郎
      大分縣下毛郡大幡村貮百參十九番地
印刷者   石川金太郎
      東京市京橋區西紺屋町廿六七番地
印刷所   株式會社 秀英舎
      東京市京橋區西紺屋町廿六七番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779093/446

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[Wikipedia]
[院内町 (大分県)]
歴史[編集]
明治22年(1889)4月1日 - 町村制施行に伴い、
景平村, 落ヶ倉村,
斎藤村, 宮原村,
大門村, 月俣村, 定別当村が合併して
宇佐郡院内村が発足。
同時に以下の4村が成立。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E5%86%85%E7%94%BA_%28%E5%A4%A7%E5%88%86%E7%9C%8C%29
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HP[小野一雄のルーツ]
<大久保系圖>67《長女 セツ》~73《二男 格》
http://www.ktb.zaq.ne.jp/gfajc605/b01-03-3.html
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