◆京都新聞

民主主義科学者協会京都支部「特別会員」46年6月作製【神戸女子薬科大学人文研究 (6)】1978-12

【神戸女子薬科大学人文研究 (6)】1978-12
出版者   神戸女子薬科大学教養課程共同研究室
出版年月日 1978-12
  戦後京都における科学者運動の展開
――民主主義科学者協会京都支部の生誕――
  上野輝将
https://dl.ndl.go.jp/pid/1797643/1/31
 Ⅱ 初期京都民科とその活動
 1 民科京都支部の創立
(1) 支部創立の事情
民主主義科学者協会は、
1946年(昭和21年)1月12日に、
東京芝の日本赤十字社講堂で創立総会を開き発足した。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1797643/1/37
次に、会員構成からみた京都民科の特徴をみておこう。
分析材料として、民科京都支部名簿が、
46年6月20日作製、46年11月22日作製、
49年作製の3冊があり、
会員構成の変化もみることができる。

まず、会員数は、46年6月名簿では143名であり、
内訳は自然科学系71名、人文・社会系66名、
不明6名となっている。
このうち、「特別会員」として、
福永義弥(東洋重工業専務)、
磯和楠吉(養殖)、
高山義三、
末川博、
河上秀(河上肇の妻)、
森田公平(開業医)、
太田典礼(開業医)、
大岩誠(大雅堂東京支店)、
太田源一(桂帝国化成専務)、
後川晴之助(京都新聞社長)
田村敬男(日本科学社)、
渡辺俊雄(会社経営)、
山本英治(山本宣治の息子)、
安井信雄(開業医)
矢尾喜三郎(社会党滋賀連合)
など15人の氏名があがっているが、
支部の創立基金のカンパに協力した人々である。

この他、民科大阪支部連絡会員として
原光雄、井本稔、久野収、加藤正、
辻部政太郎、山口省太郎など10名、
名古屋支部連絡会員として
栗木勤、菅原仰、坂田昌一ら3名の名前ものっている。
p39【神戸女子薬科大学人文研究 (6)】1978-12
〔画像〕p39【神戸女子薬科大学人文研究 (6)】1978-12
https://dl.ndl.go.jp/pid/1797643/1/39
1978年12月1日 発行
神戸女子薬科大学 人文研究 第6号
発行人 神戸市東灘区本山北町4丁目19-1
    神戸女子薬科大学
    教養課程研究室
印刷所 京都市南区吉祥院池ノ内町10
    明文舎印刷株式会社
    電話(075)681-2741
https://dl.ndl.go.jp/pid/1797643/1/54
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年08月03日07:49
[京都新聞:終戦後逸早く戰争責任の明朗化]
【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】1946年
 一 社 名    京都新聞社
 二 所在地    京都市中京區烏丸通夷川北入少將井町二三九番地
 三 經營組織   株式會社
 四 資本金    五〇〇、〇〇〇圓
 五 出資者數及
   主ナル株主  四名
          京都新聞厚生會(三、〇四〇株)
          後川晴之助  (一、八一〇株)
          青島秀德   (  一〇〇株)
          小林俊二   (   五〇株)
 六 代表者及重役 代表取締役 後川晴之助(最高委員會臨時主席)
          取締役   白石古京 (主幹)
          監査役   杉山 末 (編輯課長)
          監査役   井上忠夫 (經營課長)
 七 編輯局幹部  主幹    白石古京
 八 社説記者   住谷悦二  白井龍城  角野達堂
          後藤 明  杉山 末  矢野彌三郎

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年08月04日08:08
[京都新聞:取締役・最高委員會委員:略歴]
【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】1946年
  三十二 京都新聞     p130-131/169
代表取締役 後川晴之助    明治三十三年生
               原籍 京都市
      大正十四年 三月 京都帝國大學 政治學科卒
      大正十五年 三月 歐米視察
      昭和 二年十一月 日出新聞社 取締役
      昭和 七年 一月 京華社   社長
      昭和 七年 三月 日出新聞社 社長
      昭和十七年 四月 京都新聞社 取締役 會長
      昭和二十年十一月 京都新聞社 代表取締役
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【皇陵に祈る】《著作者 高谷貞次郎:京都新聞 編輯局長》昭和18年

【皇陵に祈る】昭和18年12月
《著作者 高谷貞次郎:京都新聞 編輯局長》

【皇陵に祈る】京都新聞社編輯局編著
 晴南社刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043194/2
  序     p3-4/197
 昭和十七年十二月十二日
畏くも 天皇陛下には、
大東亞戰爭下、
軍政の萬機を御親裁あらせ給ふ中に、
聖駕を神都伊勢路に進め給ひ
皇祖天照大神の大御前に、
開戰以來の赫々たる戰果を御奉告、
併せて時局克服を御祈念あらせられた。

洵にこのことは、
皇國三千年の歴史に未曾有の御事であり、
皇民一億、
ただただ感激に、
胸は顫へる。

いまや、
皇國は世界に富強を誇る米英を撃墜し、
大東亞維新を確立すべく
大旆を大陸に、
太平洋上に飜して
神兵は到る處に戰ひ續けてゐる。

その大戰果こそは戰史未曾有のものである。
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043194/3
各地の皇陵に額づかしめ、   p4/197
大東亞戰爭必勝の敬虔なる熱祷を捧げしめた、
その感激を京都新聞紙上に謹連載したものを、
この度び
江湖の要望に應へて
上梓することとなつたものである。

いはゆる既刊の案内書とは趣きを異にし、
新聞報國に微力を捧げる記者が、
曠古の戰時下、
各皇陵を巡拜して熱祷を捧げると同時に、
自らの日本精神を琢磨せんとした
眞劍なる記録である。

讀者はこの意味で味讀せられん事を切望する。

最後に本書の刊行に方り、
執筆の衝に當つた
本社編輯局社會部員、
論説委員各位に對して
謝意を表しておく。

 昭和十八年七月 ソロモン海域の凄壯なる
 戰況に、米英撃滅の決意を新にしつつ
     京都新聞社 編輯局長
          高谷貞次郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043194/4
〔編著者略歴〕   p194/197
大正四年 神戸商大卒、
京都日出新聞社を經て
京都日日新聞社 入社、
編輯局政經部長、外交部長を經て
營業局長となり、
昭和十六年 編輯局長、
昭和十七年 京都新聞 創刊とともに
編輯局長となり現在に至る。

昭和十八年十二月十五日 初版印刷
昭和十八年十二月二十日 初版發行 (三、〇〇〇)
皇陵に祈る
    定 價 停    三圓
    特別行爲税相當額   八錢   ※特別行爲税:別稿に記載
    合 計      三圓八錢
著作者 高谷貞次郎(タカヤ テイジラウ)
發行人 本間 晴
    東京都豊島區池袋二ノ九八三
印刷人 刈米 窪
    東京都小石川區柳町一九
印刷所 小石川印刷株式會社
    東京都小石川區柳町一九
    (東東一三二〇)
發行所 晴南社
    東京都豊島區池袋二ノ九八三
    振替 東京 八〇九一番
    電話 大塚(86)一四八六番
    出版會會員番號 一一四一二二號
配給元 日本出版配給株式會社
    東京都神田區淡路町二ノ九
    (出版會承認 い260386)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043194/194

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[京都新聞:取締役・最高委員會委員:略歴]【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】

[京都新聞:取締役・最高委員會委員:略歴]
【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】

【新聞要覧. 日本ノ部 昭和21年度版】
 外務省情報部編纂
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/1
      『略 歴』    p84/169
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/84
  三十二 京都新聞     p130-131/169
代表取締役   後川晴之助  明治三十三年生
               原籍 京都市
               大正十四年 三月 京都帝國大學 政治學科卒
               大正十五年 三月 歐米視察
               昭和 二年十一月 日出新聞社 取締役
               昭和 七年 一月 京華社   社長
               昭和 七年 三月 日出新聞社 社長
               昭和十七年 四月 京都新聞社 取締役 會長
               昭和二十年十一月 京都新聞社 代表取締役
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/130
取締役 主幹  白石古京   明治三十一年生  p131/169
               原籍 京都市
               大正十一年 三月 東京帝大 經濟學部卒
               大正十二年十二月 京都日日新聞社 入社
               昭和十七年 二月 日本絹人絹織物
                        配給統制會社 參事
               昭和二十年 四月 京都新聞社 取締役兼主幹
監査役 兼
 編輯課長   杉山 末   明治三十八年生
               原籍 岡山縣
               昭和 七年 三月 京都帝大 文學部卒
               昭和 七年 七月 日出新聞社 入社
               昭和十七年 四月 京都新聞 政治部長
                           兼 論説委員
                             編輯課長ヲ歴任
               昭和二十年十一月 監査役
監査役 兼
 經營課長   井上忠夫   明治三十二年生
               原籍 滋賀縣
               大正 四年 三月 大津商業學校卒
               大正 五年 一月 近江銀行 入社
               昭和 七年 十月 日出新聞社 入社
                        會計課長 經營課長ヲ經テ
               昭和二十年十一月 監査役 兼 經營課長
最高委員會委員
 報道課長   後藤 明   明治四十一年生
               原籍 兵庫縣
               昭和 六年 三月 京都帝大 法學部卒
               昭和 六年十二月 日出新聞社 入社
               昭和十七年 四月 京都新聞社 報道課長
                            兼 論説委員
最高委員會委員
 整理課長   矢野彌三郎  原籍 京都
               明治三十四年生
               大正 九年    大阪新報 入社
                        京都日日新聞 整理部長
                           編輯局次長ヲ經テ
               昭和十七年    京都新聞 整理課長
               昭和二十年    最高委員會委員
最高委員會委員
 活版科長   三崎九一郎
最高委員會委員
 普及班員   瀧 德一
最高委員會委員
 取材課長   金子初治郎
最高委員會委員
 印刷科長   柳原定次郎
最高委員會委員
 福知山支社長 大槻 久
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/131

《後川晴之助》
【京都帝国大学一覧. 自大正14年 至大正15年】
 法學士 政治學科
大正十四年七月學士試験合格 p257/388
《後川晴之助》  京都
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940189/257

《白石古京》
【東京帝国大学一覧. 從大正9年 至大正10年】
 第八 經濟學部
    經濟學科 p369/463
大正八年入學   p370/463
《白石古京》   東京士
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940171/370

【東京帝国大学一覧. 從大正11年 至大正12年】
※記録なし

《杉山 末》
【京都帝国大学一覧. 昭和7年】
 文學士
 哲學科
昭和七年三月卒業  p231/380
 美學美術史専攻
《杉山 末》   岡山
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447058/231

《後藤 明》
【京都帝国大学一覧. 昭和6年】
 法學士
昭和六年三月學士試験合格 p230/337
《後藤 明》   兵庫  p232/337
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447145/232

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[京都新聞:終戦後逸早く戰争責任の明朗化]【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】

[京都新聞:終戦後逸早く戰争責任の明朗化]
【新聞要覧.日本ノ部 昭和21年度版】

【新聞要覧. 日本ノ部 昭和21年度版】
 外務省情報部編纂
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/1
  三十二 京都新聞  p61/169
京都府は大阪新聞の領域だが、
京都市を地盤として
京都日日新聞(明治四十五年創刊、株式會社、十八萬圓)と
京都日出新聞(明治 十二年創刊、株式會社、五十萬圓)の
兩者が夫々特色を發揮して相拮抗してゐたが
當時の國策に即應し、
府下の各紙は廢刊或は合併し、
兩紙も昭和十七年四月一日合併、
京都新聞を創刊して京都府の代表紙となつた。

終戦後逸早く戰争責任の明朗化及
社内の民主主義化を企圖し、
社長以下全重役の自發的總退陣を決行し、
その後従業員代表より成る
建設委員會によつて、
對策研究中だつたが、
一般選擧により後記の如く
取締役監査役を決定、
十一月末の株主總會に附議正式に決定した。

尚同時に社長制を廢止し、
法律上の代表者として代表取締役を決定したが
新たに全取締役、従業員より選出の七名の委員をもつて
組織する最高委員會を設け、
全従業員の總意を反映した
社内機構改革竝に
民主的經營に責任を以て當ることになつた。
 一 社 名    京都新聞社
 二 所在地    京都市中京區烏丸通夷川北入少將井町二三九番地
 三 經營組織   株式會社
 四 資本金    五〇〇、〇〇〇圓
 五 出資者數及
   主ナル株主  四名
          京都新聞厚生會(三、〇四〇株)
          後川晴之助  (一、八一〇株)
          青島秀德   (  一〇〇株)
          小林俊二   (   五〇株)
 六 代表者及重役 代表取締役 後川晴之助(最高委員會臨時主席)
          取締役   白石古京 (主幹)
          監査役   杉山 末 (編輯課長)
          監査役   井上忠夫 (經營課長)
 七 編輯局幹部  主幹    白石古京
 八 社説記者   住谷悦二  白井龍城  角野達堂
          後藤 明  杉山 末  矢野彌三郎
 九 社員數    編輯部  九一名  業務部 九二名  工務部 五三名
          支社支局 二一名  計  二五七名
一〇 主要印刷
   發行設備   輪轉機 二臺  活字鑄造機 一〇臺
一一 發行部數   一一三、七一四部
一二 版數及版名  四版 兩丹版 山城版 滋賀版 市内版
一三 使用通信   共同通信
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1140582/61

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


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