◆[寫眞週報]

《叡山學寮・比叡山延暦寺》戰闘帽の山法師『寫眞週報』198号・昭和16年12月10日

『寫眞週報』情報局編輯
 昭和十六年十二月十日・第百九十八號

その昔法衣に鎧をつけ、
弓矢を執つた僧兵が法城を護つてゐたといふ
比叡山延暦寺にいま東亞を襲はんとする
惡鬼退散の任はわれらにありと、
勉學のかたはら銃後の兵としての訓練をつづける
僧形の若人がある。
海抜八百米老杉古松に蔽はれた比叡山延暦寺内の
叡山學寮に修養する人たちである
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〔画像〕3694291-10
昭和十六年十二月十日印刷發行
編輯者 情報局
    東京市麴町區丸ノ内三ノ一二
印刷者 内閣印刷局
發行者 東京市麹町區大手町
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レファレンスコード A06031079300
件名 写真週報 198号
国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
[規模]13
[種別]写真
作成年月日 昭和16年12月10日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《京都市西京極の高苑女學校》青春をペダルに踏んで『寫眞週報』198号・昭和16年12月10日

『寫眞週報』情報局編輯
 昭和十六年十二月十日・第百九十八號

國防の秋、
京都市西京極の高苑女學校に女學生の
銀輪部隊が誕生しました
輕快なこのスポーツによつて
軍國女性としての體位を練ると同時に、
いざ鎌倉の場合には輕機械化部隊として
立派なお役に立たうとするもので、
いま數百名の女學生たちは
組立、修繕等一通りの自轉車工學を實習する一方、
漲る靑春の力をペダルに踏んで
學園の廣場一杯に潑剌と輪乘訓練をかさねてゐます
 3694291-04
〔画像〕3694291-04
昭和十六年十二月十日印刷發行
編輯者 情報局
    東京市麴町區丸ノ内三ノ一二
印刷者 内閣印刷局
發行者 東京市麹町區大手町
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レファレンスコード A06031079300
件名 写真週報 198号
国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
[規模]13
[種別]写真
作成年月日 昭和16年12月10日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《東京帝國大學》逞しい軍敎の靴音:撮影 山端庸介『寫眞週報』198号・昭和16年12月10日

『寫眞週報』情報局編輯
 昭和十六年十二月十日・第百九十八號
 3694291-03
〔画像〕3694291-03
昭和十六年十二月十日印刷發行
編輯者 情報局
    東京市麴町區丸ノ内三ノ一二
印刷者 内閣印刷局
發行者 東京市麹町區大手町
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レファレンスコード A06031079300
件名 写真週報 198号
国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
[規模]13
[種別]写真
作成年月日 昭和16年12月10日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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三つのグライダー プライマリー・セコンダリー・ソアラー「写真週報186号」昭和16年9月

三つのグライダー プライマリー・セコンダリー・ソアラー
「写真週報186号」昭和16年9月

「寫眞週報」情報局編輯 九月十七日 第百八十六號
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※ソアラーの雄オリンピア・マイゼ號
〔画像〕M2006070420114257636_0253-01

航空断想
 はばたく學生航空陣
 泰國のグラーダー熱
 速度と朝食
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-09

合作 航空漫画
三つのグライダー
 プライマリー
 セコンダリー
 ソアラー 
  ソアラーの雄オリンピア・マイゼ號が出發點に運ばれる
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-10

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〔画像〕M2006070420114257636_0253-11

国民学校と航空機
 名古屋市 大曾根國民學校
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-12

”お母さん飛行機が好きになつて下さい“
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-13

★ 表 紙
 曳航索を離れたマイゼ號は夕陽に美しい機體を輝かせながら
大きく旋回すると長く尾を引く虹色の雲の上を滑り出した・・・
『僕もいつかあんなに上手くなつて・・・』
さう思ふともう胸がどきどきと希望に波打つて、
僕の網膜にはまるで僕がマイゼ號に乗つてゐるかのやうに
地上の萬象が美しい色彩で映り始めてゐた・・・
 石岡中央滑空機訓練所

寫眞週報(禁轉載)
昭和十六年九月十七日印刷發行
編輯者 情報局
    東京市麴町區丸ノ内三ノ一一
印刷者 内閣印刷局
發行者 東京市麴町區大手町
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-14

一人一人が 一枚でも 多く買ひませう
 賣出し九月十日⇒三十日
貯蓄債券 報國債券 一枚 五円・十円
大藏省・日本勸業銀行
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-15
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レファレンスコード A06031078100
件名 写真週報 186号
   国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
   【 画像数 】15【 種別 】写真
作成年月日 昭和16年9月17日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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東京日日新聞社航空部 淺海一男:ドイツの『少國民型』はナチス飛行團の標準機「写真週報186号」昭和16年9月

東京日日新聞社航空部 淺海一男:
ドイツの『少國民型』はナチス飛行團の標準機
「写真週報186号」昭和16年9月

「寫眞週報」情報局編輯 九月十七日 第百八十六號
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※ソアラーの雄オリンピア・マイゼ號
〔画像〕M2006070420114257636_0253-01

 満洲事変十周年
 父祖濺血の聖地・滿洲へ

 9月20日 航空日
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-02

 重慶の空に贈物  撮影 中支艦隊報道部
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-03

[ドイツの模型グライダー]
  その作り方
  その飛ばせ方
 こゝに掲げられたのは、
盟邦ドイツの代表的な初歩の模型グライダーとその作り方です。
日本の靑少年が模型飛行機に親しみ初めるには、
最初にドイツの『少國民型』からはじめ、
次に日本のG-一型を手がけるのがよいと思はれます。
 ドイツの『少國民型』はナチス飛行團の標準機で、
全ドイツの國民學校とヒトラー・ユーゲント模型部の少年達が
本格的な模型訓練の第一歩に於いて課せられるものです。
また、G-一型は大日本飛行協會が全日本に展開してゐる
模型航空機普及の運動のために設計された
比較的初歩向きの模型グライダーですが、
『少國民型』よりは可成り進んだ構造と性能をもつものです。
 模型グライダーを作る時の心構へは、
先づ何をおいても『正確に作る!』といふことに
全力を集中することです。
正確につくるためには次のことを固く守らねばなりません。
卽ち—
一、あせらず、たつぷり時間をかけて作ること
二、設計圖を十分に理解した後に、はじめて工作に移ること
三、工具を十分に揃ヘ、これを活用すること
四、カンや、出鱈目な手加減によらず、
  物指し、定規秤などの計器を十分に活用し、
  むづかしいところでは易しく出來るやうな道具を工夫し、
  これを作つてから工作にかゝること
五、小さい失敗を誤魔化さず、何度もやり直して
  完全なものをつくり上げること
 このやうにして作つたものが飛ばないわけはない。
最初から不正確に出來上つたものは
たとへ外見はよくても遂に『飛ばない模型』となつてしまひます
 なほ、『少國民型』とG-一型の設計圖が十二、十三頁に
掲載されてゐますから、
設計圖と寫眞の指導によつて『少國民型』を卒業できたら、
こんどは設計圖とその作り方(十、十一頁)を見て、
自分でG-一型を製作してごらんなさい
 東京日日新聞社航空部 淺海一男

『少國民型』の工作指導をしてゐるのは
このほど來訪されたナチス飛行團の
ローテンベルク國立模型航空學校
主任敎官カール・ニート氏

グスタフ・ペンシュ氏はナチス飛行團の模型航空部長で、
ドイツ模型航空界の第一人者である。
ニート氏と同じく先般來訪、
現在大日本飛行協會の囑託として、
わが國模型航空界の發展に協力されてゐる。

強い空軍を育てあげた
 ドイツ模型航空機
   グスタフ・ペンシュ
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-04

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〔画像〕M2006070420114257636_0253-05

ドイツ模型グライダー その飛ばせ方
靑少年の手で 築け 航空日本
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-06

『G-1型』滑空機の作り方
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〔画像〕M2006070420114257636_0253-07

『G-1型』設計圖 東京日日新聞社提供
『少國民型』設計圖 東京日日新聞社提供
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レファレンスコード A06031078100
件名 写真週報 186号
   国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
   【 画像数 】15【 種別 】写真
作成年月日 昭和16年9月17日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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「もんぺ乙女の錬成」京都平安女學院の乙女たち『寫眞週報』177号・昭和16年7月16日

「もんぺ乙女の錬成」京都平安女學院の乙女たち
『寫眞週報』177号・昭和16年7月16日

『寫眞週報』情報局編輯
 昭和十六年七月十六日・第百七十七號
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「もんぺ乙女の錬成」 p14/15
   京都市 名種正明
 京都平安女學院の乙女たちは
嵐山に作つた同校の錬成道場で
土にまみれて農耕を行つた
深く耕せ! をモツトーに
乙女たちは繊手も折れよと鍬を深く打ち込んだ
※繊手:かぼそい、しなやかな手。

昭和十六年七月十六日印刷發行
編輯者 情報局
    東京市麴町區丸ノ内三ノ一二
印刷者 内閣印刷局
發行者 東京市麹町區大手町
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〔画像〕M2006070420085557627_0118-14
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レファレンスコード A06031077200
件名 写真週報 177号
   国立公文書館 内閣文庫 内閣情報局関係出版物 写真週報
【 画像数 】15【 種別 】写真
作成年月日 昭和16年7月16日
作成者   情報局
組織歴   内閣//情報局
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《菊地雙三郎》『白衣と桃のお節句』[寫眞週報]第54号・昭和14年3月1日

《菊地雙三郎》
『白衣と桃のお節句』
[寫眞週報]第54号・昭和14年3月1日

[寫眞週報]第五十四號 三月一日
 内閣情報部編輯
1《菊地雙三郎》『白衣と桃のお節句』
★表紙 p1/11
 奥付 p10/11
 白衣の彼女に今日は嬉しい桃の節句。
 胸につけたバッヂには外科とあるから、
 晝も夜もおしげなく
 消毒薬に浸して傷兵の手術に
 繃帯替へに忙しく働いてゐるのであらう、
 その?い腕に今日は可愛いゝ雛人形が抱かれる。
 傷兵をいたはるあのやさしさが
 いま雛飾りにほころびる。
―臨時東京第一陸軍病院にて―
 撮影 菊地雙三郎

満洲国建国七周年/p2/11
姑娘は風を切って/p3/11
春は太倉にも/p4/11
わが鉄腕鉄脚部隊/p5/11
わが鉄腕鉄脚部隊/p6/11
白衣と桃のお節句/p7/11
2《菊地雙三郎》『白衣と桃のお節句』
 撮影 菊地雙三郎

読者のカメラ/p8/11
海外通信/p9/11
 昭和十四年年三月一日 印刷發行
 編輯者 發行者 内閣情報部
         東京市麹町區永田町
         内閣總理大臣官舎内
 印刷所 印刷者 内閣印刷局
         東京市麹町區大手町
 定 價 一部  十錢
     半ケ年 (前金)二圓四十錢
     一ケ年 (前金)四圓八十錢 送料不要
         外國郵便に依る地域は、九圓九十二錢
[写真週報 54号]
【 階層 】国立公文書館>内閣文庫>内閣情報局関係出版物>写真週報
【 レファレンスコード 】A06031064900【 画像数 】11
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《古賀乾一》『義肢のジャムプは世界無比ぢやらう』[寫眞週報]第54号・昭和14年

《古賀乾一》
『義肢のジャムプは世界無比ぢやらう』
[寫眞週報]第54号・昭和14年3月1日

[寫眞週報]第五十四號 三月一日
 内閣情報部編輯
★表紙 p1/11
満洲国建国七周年/p2/11
姑娘は風を切って/p3/11
春は太倉にも/p4/11
わが鉄腕鉄脚部隊/p5/11
わが鉄腕鉄脚部隊/p6/11
 直滑降に、方向転換に、ジャムプに
 白銀上を縦横に疾駆した勇士は
 コタツを囲んでスキーの快味を語り合つてゐる。
 『オイ、義肢のジャムプは世界無比ぢやらう』
 『義肢の尻餅も類がないぞ』
『義肢のジャムプは世界無比ぢやらう』
 撮影 古賀乾一

白衣と桃のお節句/p7/11
読者のカメラ/p8/11
海外通信/p9/11
奥付 p10/11
 昭和十四年年三月一日 印刷發行
 編輯者 發行者 内閣情報部
         東京市麹町區永田町
         内閣總理大臣官舎内
 印刷所 印刷者 内閣印刷局
         東京市麹町區大手町
 定 價 一部  十錢
     半ケ年 (前金)二圓四十錢
     一ケ年 (前金)四圓八十錢 送料不要
         外國郵便に依る地域は、九圓九十二錢
[写真週報 54号]
【 階層 】国立公文書館>内閣文庫>内閣情報局関係出版物>写真週報
【 レファレンスコード 】A06031064900【 画像数 】11
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《土門 拳》『陸軍の新式訓練義肢』[寫眞週報]第54号・昭和14年3月1日

《土門 拳》
『陸軍の新式訓練義肢』
[寫眞週報]第54号・昭和14年3月1日

[寫眞週報]第五十四號 三月一日
 内閣情報部編輯
★表紙 p1/11
満洲国建国七周年/p2/11
姑娘は風を切って/p3/11
春は太倉にも/p4/11
わが鉄腕鉄脚部隊/p5/11
 わが陸軍の新式訓練義肢は
 既に自転車競走(本誌第四十號所載)に、
 種々なスポーツに、
 撃劍に普通人にも劣らぬ機能を発揮し、
 今や世界に義肢製作技術の優秀さを誇るに至つた。
  ―略―
《土門 拳》『陸軍の新式訓練義肢』
 『よう、しっかり。』
 『ぐんと飛び上らなきゃ…』
 二階から送る同僚の聲援はきびしい。
 ゲームに打込む闘争心は戦場魂の甦つた
 烈々天を衝く概を示し、
 もはや義足は義手は彼等の脳中にない。
 撮影 土門 拳

わが鉄腕鉄脚部隊/p6/11
白衣と桃のお節句/p7/11
読者のカメラ/p8/11
海外通信/p9/11
奥付 p10/11
 昭和十四年年三月一日 印刷發行
 編輯者 發行者 内閣情報部
         東京市麹町區永田町
         内閣總理大臣官舎内
 印刷所 印刷者 内閣印刷局
         東京市麹町區大手町
 定 價 一部  十錢
     半ケ年 (前金)二圓四十錢
     一ケ年 (前金)四圓八十錢 送料不要
         外國郵便に依る地域は、九圓九十二錢
[写真週報 54号]
【 階層 】国立公文書館>内閣文庫>内閣情報局関係出版物>写真週報
【 レファレンスコード 】A06031064900【 画像数 】11
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

《土門 拳:表紙(仁と愛と)》[寫眞週報]第17号・昭和13年6月8日

《土門 拳:表紙(仁と愛と)》
[寫眞週報]第17号・昭和13年6月8日

[寫眞週報]第十七號 六月八日
 内閣情報部編輯
〔今週のキヤメラ〕        p12/13
 表紙(仁と愛と)        土門 拳
 赤十字のもと 輝く白衣   陸軍醫務局
              日本赤十字
              土門 拳
 徐州放送         日本放送協會
              同盟特派員
 大日本青少年 獨逸派遣團 特寫
              土門 拳
              丸茂愼一
 應募作品
1《土門 拳:表紙(仁と愛と)》
昭和十三年六月八日 印刷發行
  編輯者 發行者 内閣情報部
          東京市麹町區永田町
          内閣總理大臣官舎内
  印刷所 印刷者 大日本印刷株式會社
          東京市牛込區市谷加賀町一ノ一二番地
  定 價 一部  十錢
      一ケ年 (前金)四圓八十錢 送料不要
          外國郵便に依る地域は、八圓九十錢
2《土門 拳:表紙(仁と愛と)》
表紙(仁と愛と) 土門 拳 p1/13
赤十字のもと輝く白衣/p2/13
出征から帰還まで/p3/13
つひに召集令は下った。
屋上に祀る皇太神宮、明治神宮、
そして、護国の女神となった先輩英霊二十七柱も合祀される
靖国神社の社前に祈願をこめ、
神酒を戴けば、えらばれた大和撫子の感激が胸にたぎる。

海ゆかば綠一線描きたる病院船のいさを立てなむ
「同方」四月號 赤崎見幸さん作

味方の兵の上のみか
言も通はぬあだ迄も
いと懇ろに看護する
心の色は赤十字
―婦人從軍歌第五節―

あらゆる危険、困苦とたたかひ野戦病院、
病院船勤務に一身を捧げて幾月、
再び宮城を拝せることは
何人が予期していたらうか。
萬感交々、
帰還奉告を終へて、
硝煙に染まつた赤十字腕章もたふとく、
堂々宮城前を行進する救護看護婦班。

傷兵の母 陸軍病院勤務/p4/13
かく育つ 日本赤十字社病院薬製部/p5/13
大日本青少年独逸派遣団/p10/13
読者のカメラ p12/13
[写真週報 17号]
【 階層 】国立公文書館>内閣文庫>内閣情報局関係出版物>写真週報
【 レファレンスコード 】A06031061200【 画像数 】13
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』より

[土門拳記念館]
〒998-0055
山形県酒田市飯森山二丁目13番地
TEL/FAX. 0234-31-0028
年譜
昭和13年(1938)・・・・・・・・・・・29歳
赤十字病院の看護婦養成所を取材。
宇垣一成外相のルポ写真が
アメリカの「ライフ」9月5日号に署名入りで掲載される。
青年報道写真研究会を田村茂、藤本四八、加藤恭平らと結成。
このころより織物研究家田中俊雄と親交、
その影響により、職人の仕事・技を撮影する。
 ―略―
http://www.domonken-kinenkan.jp/show/nenpu/

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