◆[龍南會雜誌]第五高等学校

『如斯我觀:松村仙造君』第五高等学校[龍南會雜誌]83

『如斯我觀:松村仙造君』
第五高等学校[龍南會雜誌]83-71-90

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 83: 71-90
Issue date 1900-11-30
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5075
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5075/1/083-016.pdf

○演舌會         p6/21
天高うして澋氣滿つ、
原頭に武を學ぶも壯なるべく、
宏堂に辨を練るも快なり、
十一月廿一日     ※明治33年(1900)11月21日
例の如く瑞邦舘場裏、
吾士の抱懐を聞く、
概況左の如し、
 ―略―

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『如斯我觀』 松村仙造君 p7/21

如斯我觀とは何ぞや、
君の學生觀なり、

余は君の演舌中微睡に侵されて
華胥の夢に入らんとせし時、

俄然舘中の一角より聲あり、
曰く何ぞ坊主の説敎に似たると、

忽然頭を擧ぐれば
君將に壇を降らんとせり。

演舌に多少の滑稽は必要なり、
されど始終一貫
諧謔を弄するは
いかなるものなるや、

且君の言調圓滑なるも單調なり、

今少し活氣あるべし、
抑揚變化あるべし。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『熊本大学 五高記念館』

http://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

[You Tube]
熊本大学(旧第五高等学校) 寮歌「武夫原頭に」 .wmv 3:20
http://www.youtube.com/watch?v=QzESWC-gLJg

[You Tube]
五高寮歌「武夫原頭に草萌えて」 3:05
http://www.youtube.com/watch?v=o7O3LhcroDI

<索引>[龍南會雜誌]第五高等学校『松村仙造君』『別府賢吉』『別府祐六』

<索引>[龍南會雜誌]第五高等学校
『松村仙造』
『別府賢吉』
『別府祐六』

『如斯我觀:松村仙造君』
第五高等学校[龍南會雜誌]83-71-90
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659540.html

『在寮法科生懇話會:別府賢吉・松村仙造』
第五高等学校[龍南會雜誌]86-64-104
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1506/

『炊事委員長:松村仙造』
第五高等学校[龍南會雜誌]90-51-76
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1507/

『活動の時機:別府賢吉』
第五高等学校[龍南會雜誌]91-56-89
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1508/

『東京大學進入:松村仙藏』
第五高等学校[龍南會雜誌]94-66-96
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1509/

『別府賢吉:東西德敎の比較』
第五高等学校[龍南會雜誌]100-183-204
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1510/

『別府賢吉:大學豫科 第十二回卒業生』
第五高等学校[龍南會雜誌]101-64-126
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1511/

『別府祐六:大正7年度 卒業生』
第五高等学校[龍南會雜誌]168-145-147
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1512/

〔即ち〕を連發せし別府賢吉君:第五高等学校[龍南會雜誌]82-90-110

〔即ち〕を連發せし別府賢吉君:第五高等学校[龍南會雜誌]82-90-110

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 82: 90-110
Issue date 1900-10-30
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5045
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5045/1/082-014.pdf

在寮法科生懇話會   p8/22
(明治33年)十月十九日午後七時半より
例の如く瑞邦館にて開會す、
會するもの五十余人、
非常の盛會なりき。
此日の討論題次の如し
國民仝盟會外交政策の可否

片山委員の開會の辭、
發題者高橋君の説明を終りて討論に移りぬ、
此日抽籖により柴原君議長となる。

積極の側に立ち國民仝盟會を賛助したる論者は、
詭辯を以て名ある高橋君、
愛嬌ある野守君、
莊重なる杉生君、
眞面目なる白石君、
堅實なる花田君、
論理を以て「ゴマ」かさんとせし藤堂君、
〔即ち〕を連發せし別府君等にして、

消極論者として大に支那保全論を攻擊せしは、
多々辯して遂に本題に入らざりし佐藤君、
湯を飲むと三斗狼の如くうなる村上君、
手を振る野村君、
支那人的模糊を以て瞞着せんとし河野君、
アウストリヤとアウスタラリヤ?を間違へたる柳川君、
其聲朗かに其論矯なる谷口君、
穏當なる大場君等なりき
議論坌湧甲論乙駁、
時の移るを覺へざりき、
討論終りて茶話會に移り、
各々例の苛酷なる拳に練なれて午後十一時散會。

討論會        p8/22
昨年鉄道國有の可否に關し討論會を開き、
非常の盛況を極めた事は、
諸君の既に知らるゝ所であるが、
今回又、
「現時日本に於て死刑を廢する可否」
と云ふ題て討論會が開かれた。
今之の概況を評して見よう。
―略―
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《大學豫科第一部 一年 法科(乙組)》
《別府賢吉 福岡》

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
別府賢吉[大分県立中津中学校]【第五高等学校】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2257804.html

【第五高等学校一覧】明治32-33年
大學豫科第一部 一年 法科(乙組)p185/253
別府賢吉 福岡
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/185

【第五高等学校一覧】明治34-35年
大學豫科第一部 二年(丙組)   p54/303
別府賢吉 福岡平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812892/54

【第五高等学校一覧】明治34-35年
大學豫科第一部 三年(丙組)   p150/303
別府賢吉 福岡平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812892/150

【第五高等学校一覧】明治34-35年
大學豫科第拾貳回(明治三十六年七月)卒業
第一部(法科)          p284/303
別府賢吉 福岡平民 東京法科大學 在學
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812892/284

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《在寮法科生懇話會》1900年10月19日午後7時30分より
(明治33年)十月十九日午後七時半より
例の如く瑞邦館にて開會す、
會するもの五十余人、
非常の盛會なりき。
此日の討論題次の如し
國民仝盟會外交政策の可否

[國民仝盟會]
国民同盟会 発会式を挙ぐ
外交上に強硬なる主的方針を以て、対清問題を解決せんが為、
国民の一統を図らんが為発起せられたる国民同盟会は、
昨日(明治33年9月24日)午前十一時より、
上野公園精養軒に於て組織式を挙行せり。
当日の来会者は近衛公を始め
二条基弘、長岡護美、佐竹義理、馬屋原彰、
曽我祐準、島津忠亮、谷森真男、柴原和の九貴族院議員、
大石正巳、佐々友房、箕浦勝人、河野広中、加藤政之助、
野間五造、鈴木重遠、神鞭知常、深尾親兼、大村和吉郎、
柴四朗、佐治幸平、犬養毅、鈴木万次郎の十九衆議院議員、
其他
荒川邦蔵、守屋此助、天野確郎、三宅雄二郎、頭山満、
安東俊明、川村亨、恒屋盛服、国友重章、中井喜太郎、山田猪太郎
並に同盟新聞通信記者等総計九十三名なりしが、
近衛公は昨日恰も皇太子殿下の学習院行啓に接し
漸く午前十一時五十分会場に来着間もなく開会、
最初に発起準備委員より昨日迄の経過を報告し、
続いて近衛公爵の演説あり、
その趣旨は公が頃日新聞記者同盟会の席上に於てせられたる者と大差なく、
〔省略〕
〔『読売新聞』明治33年9月25日〕
国民同盟会 発会式を挙ぐ 今日の紙面 明治新聞雑誌記事紹介
過去の今日はどんな日だったのかを
明治時代の新聞紙面から検討するサイトです。
http://sinbunzassikiji.blog91.fc2.com/blog-category-222.html
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松村仙造の演説:第五高等学校[龍南會雜誌]81-86-110

松村仙造の演説:第五高等学校[龍南會雜誌]81-86-110

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 81: 86-110
Issue date 1900-09-30
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5023
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5023/1/081-015.pdf

懇話會報 p6/26
(明治33年)九月廿三日午後八時 p7/26
例によりて懇談會を開く
高橋幹事まづ起て、
新入生歡迎の辭を述べ、
會則を朗讀し、
且つ二三の注意をなして松村仙造氏の演説に移る。
氏は我校卒業生の評判宜しからざるを歎じ、
社會は非常に複雑なるものなるにより、
豫め道徳的修養を鞏固にせざれば、
忽ち堕落に陥るべしと戒めたるは善かりしも、
説き方余り單調にして、
少しも熱誠の見るべきなかりしは、
演壇をして寂寞たらしめしが如き感ありき。

辭任と辭令と p22/26
教授 夏目金之助
   英國留學中英語教授法ノ取調ヲ嘱托ス
大學豫科卒業生人名 p23-24/26
法科
政治 別府三穂三郎
―略―
『ベースボール』の復活 p25/26
『テニス』場相變らず賑ひて、
松林の間には弓はづの響いさましく、
夕暮頃には、
また西庭草靑きところ、
『フートボール』の空に躍るあり。
此際天高き運動場裡、
時に熱球の風を切って飛ぶは、
そも何の現象ぞ。
『バット』一打、戞として音あり、
鐵脚倏ち土を蹴り立つるはそも何者ぞ。
昔日、關西に覇を唱へたる我校の
『フートボール』は、
今や永き睡眠の冬籠を終りてこゝに、
捲土重來の活勢を顯はし來らむとす。
あはれ、馬肥ゆる此秋、
風淸き此秋、
男子の意氣は、
須く雄なるべし、
壯なるべし。

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《松村仙造:小野一雄の祖父》
松村仙造:【第五高等学校一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2162624.html
【第五高等学校一覧】自明治33年 至明治34年 p118/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/118
生徒(明治33年9月末日調)  p176/253
大学予科第一部二年(法科) p182/253
松村仙造 島根      p183/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/183

《教授 夏目金之助》
《英國留學中英語教授法ノ取調ヲ嘱托ス》

《大學豫科卒業生人名 法科》
《別府三穂三郎》
《―略―》

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
穂村(別府三穂三郎)[吉田呑宇を哭す]:第五高等学校[龍南會雜誌]77-59-64
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2260172.html
[第五高等學校一覧 自明治三十三年 至明治三十四年]p120/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/120
職員(明治三十三年十一月末日調)          p171/253
外國留學中 從六位 文學士 夏目金之助 北海道平民 p171/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/171
大學豫科第九回(明治三十三年七月)卒業       p216/253
別府三穂三郎 福岡平民 東京帝國大學進入      p216/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/216

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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別府三穂三郎「演題:新帝國」:第五高等学校[龍南會雜誌]80-97-126

別府三穂三郎「演題:新帝國」:第五高等学校[龍南會雜誌]80-97-126

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 80: 97-126
Issue date 1900-06-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5597
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5597/3/080-013.pdf

最終演説會記事 《委員投》       p12/31
(明治33年)五月廿九日、本學年最終の演説會を開く。
友田教授の講演あるが爲めか、
辯士の顔觸れ盛なりしが爲めか、
豫定時刻を過ぐること僅かに三十分にして聽衆既に數十、
委員即ち立ちて就任の辭
前回の続續きを述ぶること十五分、
曰く、
『吾輩が本部に對する方針は乞ふ之を次回に譲らん』、と。
既にして集まるもの益々多し、
辯士即ち壇に上る。
《1》 内藤善助君
―略―
《2》 三澤 紏君
―略―
《3》 大木俊九郎君
―略―
《4》 菊池剛太郎君
―略―
《5》 別府三穂三郎君         p15-16/31
菊池君と共に演説部員として、
赫々の功勳を龍南會に樹てられたる別府君は
吾輩の請囑により、
「新帝國」なる題を揚げて、
『静かに打掛れ』の號令を下せり。
曰く
『新帝國とは余が空想せる帝國なり。
 此帝國は誰が作るか、
 曰く余も其一人なり。
 何處に出來るか、
 曰く東洋に出來けん。
 何時成るか、
 曰く、
 近き未來に於て成らん。』とて
轉頭一番東洋の形勢を揣摩して曰く
『・・・・・・であるから・・・・・・である
 ・・・・・・馬鹿なことでないが、
 ・・・・・・であるから是非・・・・・・ねばならぬ』と
隨分要領を得ざることの多かりしは、
閣下ブランデーの過ぎしが爲めにあらざる乎。
兎角其帝國の首府は矢張り東京にして、
版圖は支那朝鮮比律賓を含み、
北京、漢口、マニラに総督を置き、
内閣は閣下自ら組織せらると言へば、
二三部の人々は又法科生の法螺として笑はんも、
此空想の現實するや否やは、
三十世紀の歷史家にあらずんば知らじかし、

嗚呼先きには菊池君の殖民論、
遠き未來に於て世界統一を企つるあり。

今又別府君の新帝國
近き眼前に巍然として聳ゆるあらんとす。
法科生の心事快哉と叫ぶの外なし焉矣

《6》 三原新太郎君
―略―

擊劍紅白勝負             p17/31
―略―
柔道紅白勝負(部員報)        p23/31
―略―
寄贈雑誌(自三月 至五月)     p29-30/31
校友雑誌       一 豐津中學校友會
榮城         九 佐賀一中榮城會
學友會雑誌      六 宮城中學學友會
京華校友會雑誌    五 京華中學校友会
同窓會報告書    二三 福嶋一中同窓會
商友會報告書    一六 長崎商業學校商友會
華陽        二〇 岐阜中學華陽會
六稜        一六 大坂府一中校友會
校友雑誌       六 宇和嶋中學校友會
學友會雑誌      二 札幌中學學友會
共成會々誌     七七 岡山師範共成會
校友會雑誌     二九 城北中學校友會
校友會雑誌     二〇 開成中學校友會
桃陰        一〇 大坂府五中校友會
矯々會雑誌     六六 久留米中學矯々會
無盡燈       毎號 無盡燈社
帝國靑年         帝國靑年會
學友會雑誌      七 山口高學友會
北辰會雑誌     二六 第四高校友會
校友會雑誌  九三~九六 第一高校友會
國士     十八、十九 造士會
帝國文學     三~五 帝國文學會
敎育公報 二三四~二三五 帝國敎育會
教育時論 五四〇~五四四 開發社
兒童研究     七~九 敎育研究所
研瑤會雑誌     三五 長崎醫學部研瑤會
學友會雑誌        第二高學友會
ちょくごとくほん     湯本武比古氏
丁酋倫理會講演      丁酋倫理會
九州敎育雑誌    毎號 九州敎育雑誌社
六合難誌 二三一、二三二 ゆにてりあん弘道會
貧兒寮月報     毎號 熊本貧兒寮
同窓會雑誌      四 東山學院同窓會
独逸語學雑誌    毎號 独逸語學雑誌社
明治三十三年四月中 生徒圖書閲覧表(日數十八日間)p31/31
―略―
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

別府三穂三郎委員・新年の處感:第五高等学校[龍南會雜誌]78-120-133

別府三穂三郎委員・新年の處感:第五高等学校[龍南會雜誌]78-120-133

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 78: 120-133
Issue date 1900-05-05
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5557
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5557/1/078-021.pdf

[雑報]              p2/15
謹祝紀元節
謹んで惟るに、
神武の帝の大和の國橿原の宮にて、
我が日の本の國のもとゐをたてたまひしより、
皇統連綿、國威赫々として今日に至り、
今年は實に紀元二千五百六十年(1900)に當れり。
―略―
委員改選              p3/15
(明治33年)三月十五日、午後一時より、
本會委員改選を數學敎室に於て行ひぬ。
各級選出の選擧委員四十二名、
中川會長、櫻井副會長、篠本端艇部長、神谷運動部長の臨席あり。
午後三時半終る。
其結果左の如し。
總務委員  鷲尾健治     諸冨 馨
演説部委員 高橋久太郎    勝 正憲
運動部委員 戸澤民十郎(再) 貝原良介
擊劍部委員 杉町賰一 (再) 行徳俊則
柔道部委員 副嶋豫四郎(再) 阿部直太郎
端艇部委員 中尾一良     澤村榮美
      上田 徹     杉村徳次郎(再)
弓術部委員 柴山槐郎     稻川牛五郎
雑誌部委員 岡嶋 誘     石川重治
      丸山 篤     田嶋勝太郎
演説會概況             p3/15
(明治33年)二月一日午後六時より例の如く
演説會を瑞邦館に開く
然るに定刻の少しく早きに過ぎたるが爲めにや
六時三十分に至るも未だ一人の會するものなし
少時而して會員尚至らず即ち已むを得ず
菊池委員は僅かに四名の聽衆に向て開會を告げ

別府(三穂三郎)委員壇に上り
新年の處感とて支那の開拓を説き
十四五分にして降壇せり

此に於て聽衆稍々増す
即ち當日最初の辯士たる平山廣君は登壇せり
―略―
木村教授の演説終りて茲に會を閉ち     p6/15
例の如く茶菓の饗ありて
會衆の盡く散し盡せし時は正さに午後十二時なりき。
辞任の辞                 p13/15
     生 等
魯鈍の身を以て、
誤って雑誌編輯の任にあたり粗笨の筆、
蕪雑の尊嚴を汚し、
龍南會の体面を傷くること茲に一年、
今にして既往を追懐すれば、
流汗脊を沽ほすものあり。
―略―
明治三十三年三月             p15/15
嶋田敏三
柳井幸弘
成田忠良
常吉徳壽
大木俊九郎
會員諸君に告く              p15/15
本號は前學期中に發行すべかりしかども、
巻首の英文獨文二篇の植字職工の未熟の爲め、
意外に時日を費し、
爲に荏苒今日に至り、
獨文の植字は猶未た終らずと雖、
之が完結を待たば、
益々發行の期日に遲るゝのみなるを以て、
同篇十七頁以下は、
次號に譲るゝことゝせり。
且つ之が爲め頁數に於ても、
八頁の誤錯を惹き起すの不躰裁を來せるは、
編輯員の叩首諸君に謝する處なり。
又本號風雲錄は、經費不足の爲め止むを得ず之を省けり。
《編輯員》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

穂村(別府三穂三郎)[吉田呑宇を哭す]:第五高等学校[龍南會雜誌]77-59-6

穂村(別府三穂三郎)[吉田呑宇を哭す]:第五高等学校[龍南會雜誌]77-59-64

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 吉田呑宇を哭す : 雜録
Author(s) 穗村
Citation 龍南會雜誌, 77: 59-64
Issue date 1900-02-28
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5490
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5490/1/077-011.pdf

《吉田呑宇を哭す》 穂村(別府三穂三郎)
畏友吉田宗治君逝けり、           p2/7
暮鴉は庭後の松に鳴き、
君は白玉樓中の人と爲りぬ、
悽惻何ぞ堪へん、
吾本校に入りて將に三歳、          p3/7
友を得たる少しとせず、
然れども君を措きて又眞の友なし、
君吾を思はずとも吾は君を慕ふを禁ずる能はざりき、

去歳九月再び君と相見るを樂み、
倉皇郷里を辭して校に登れば君未だ在らず、
友に就て問へば將に熊本に向はんとするに當りて宿痾未だ癒えず、
姫路病院に靜養すと云ふ、

失望措く能はず僅に書を以て慰む、
君亦健筆宜く吾が爲に答へ病の身にあるを知らざるが如し、
後歳且に暮れんとし人は新年を迎ふるに忙はしき時、
君に一封の賀状を認めて未だ發せず、
突如君の訃報に接す、
嗚呼君眞に逝きたるか、
君の萬福の祈りたる年賀状は墨痕鮮かに机上に在り、
君の超歳を祝したる筆は忽ちにして君を吊ふの筆となりぬ、
噫君は遂に三十三年を迎ふる能はざりし乎、
朔風獵々たる時君と共に紅葉山に登り、
遙に熊本城を望みて古英雄を吊ひたるは今尚昨日の如し、
而して君今はなく、
共に吊ひたる君も亦吾が吊ふ所となれり、
知らず、
余は亦誰に依りて吊はるべきか、 p2-3/7
君の時事を論ずるや引證頗る博く、
論理極めて明晰、
好んで古人の句を用ひ、
雄辯滔々人をして首肯せしめざれば止まざりき、

一夜寒月龍山に懸れる時君を室園村の僑居に訪ひ、
大に所謂九州男子を論じたるは今尚昨日の如し、
而して未だ九州男子と力を角するに及ばずして逝けり、
君の恨み果たして如何、

君一日余が寓を訪ふ、      p3/7
机上偶々伊藤侯爵の畫像あり、
君戯れて曰く、
君の抱負は此の如きに過ぎざる乎と、
余笑ふて答へす、

翌夜吾又君を訪ふ、
君『ビスマーク』の寫眞を机上に安置せり、
吾則ち殊更に眞面目を裝ふて曰く、
君の理想的人物は一『ビスマーク』か、
何ぞ抱負の小なると、
君百方其の然らざる所以を辯じ、
此公を論難すること頗る詳密、
吾の戯るゝを知りて則ち止む、
嗚呼鐵血宰相は一世の英傑なり、
十九世紀は實に彼が驚天動地の大舞臺なりき、 p4/7
而して二十世紀は將に君が活動の舞臺たるべかりしに、
悲哉此公に擬したる君は此公を追ふて共に前世紀の人として死しぬ、

去年の今日は余が斷腸の日なり、
新年の儀式形の如く終りて
父は廻禮に出で弟妹は校舎に登りぬ、
吾は獨り書齊に入りて賀状を認むること僅に數葉
突然下婢襖を開きて君の來訪を告ぐ、
君約を履みて豐後より耶馬溪に至るの途拙宅を訪はれたるなり、
圖らざき、
一月一日に於て旅程に在りし君と相見んとは、
更に圖らざりき、
今年一月一日君を悼むの文を草せんとは、
君が常携の棒を投げて、
草鞋を解き、
足を洗ひながら吾と相語りし時
吾が喜は如何許りなりしぞ、
友の遠方より來れる樂は吾君に依りて初めて解し得たり、
君が長途の旅行に益々壯んなりし相貌は
吾の忘れんと欲して忘るゝ能はざる所、
思ふに君が尤も健康の時なりしならむ、
朝より夜半に至る迄、鯨飲馬食、高談放論
家人の驚くを見て大笑したりし君も
一の病に勝つ能はざりしか、

闇無(くらなし)濱の松の根に腰を掛け
遙に中國を望みては君の郷里を談じ、
白波岸を打つを見ては洋行の時は如何など語り合ひし時は
君も吾も如何許り樂しかりしぞ、

君が耶馬溪に行くを送らんとて宮永村に至りし時、
君は之より歸れと云ひ、
吾は三口迄はと爭ひしも今はなかなか仇なれや、
『明年上京の時は必ず立寄られよ、共に明石の濱に遊ばん』
『必ず參るべし、馳走には何を爲し給ふや』
とは君も期し吾も待ちたる所なりしに、
明石に遊ばんとしたる吾は、
邱上草深き所君の墓を吊はざるを得ざるなりぬ、
人生は有爲轉變、生者は必ず滅し、
會ふ者は常に離るとは云へ、
豈に此の如く急に悲喜處を代へたるものあらんや、

顧へば既に一昨年の事なりしか、
君が同級生徒の疎遠なるを憂ひ、
同志を集めて法、二、甲の茶話會を開き、
共にクラス親睦を計りしが、
君の希望空しからず、
爾来各月之を催し成績大に擧りしも、
君の病を以て休學するや、           p5/7
此の會も立消えとなり了りぬ、
會の先立ちたるか、
君の從ひたるか、
今や君無く茶話會なし、
誰と共にか語り何に由りてか談ぜん、

君の性尤も旅行を好み、
暇あれば則ち旅程に上れり、
君の郷里に在るや、
遠く山陰の諸洲を踏み、
或は海を渡りて四國に行けり、
其の熊本に來るや、
未だ二年ならざるに既に薩隅の嶮を超え、
或は兩筑の野に遊び、
或は二豐の山水に放嘯し、
足跡殆んど九洲に普し、
嘗て吾に告げて曰く、
余の望は五大洲を跋渉し盡せば則ち足れりと、
君又詩歌を嗜み佳作從て少からず、
其の筆跡の美と相須ちて克く君を表はし得べかりしに、
惜哉未だ世に示すに及ばずして君先づ逝けり、

嗚呼君は寛にして而も嚴、
温厚なれども柔に至らず、
剛毅に、快活に、友愛に、
友として尤も賴母敷、
敵としても又尤も尊敬すべき人なりき、
君の周圍は囑望と尊敬とを以て滿されき、
而して君は之等の一切を棄てゝ忽焉として逝きぬ、
今や音容兩つながら杳然として求むべからず、
空しく朋友、
故舊の涙潜々たるのみ、
人生の恨?多しと雖も志を齎して逝きたるより大なるはなし、
悲しき事尠からずと雖も親しき友に死別れたるより、
悲しきはあらじ、
嗚呼君は眞に逝きたるか、
白河の水は盡きることあるも吾の恨は消ゆることあらざるなり、
バイロン云へり、
Heayen gives its favorites earlydeath.
と君も亦天の寵兒たらざるを得ざりしか、
何ぞ憎まれ兒となって其の命を全ふするに如かんや、
余は殆んど情に堪へざるなり、
明治三十三年一月一日

追記に曰く、
超へて十四日同郷の諸兄
君の為に追悼會を宗岳寺に開き、
懇に君の英靈を慰む、
余席末に列して老僧の讀經を聞き、          p6/7
誠に人生の味氣なきを感ぜり、
歸って静に瞑想すれば涕涙潜然として禁ずる能はざりき、

余も亦呑宇と交あり。
本校に入學して以来、
常に同一敎場に敎を受け、
名に於て既に相識りしかども眞の所謂知己の交を結びしは、
一昨年の秋、
寓を龍山の麓、山口に移せし以來にてありき。
當時氏も隣家に在り。
余一日秋雨に閉され、破窓の下、
懐郷の情、
轉た禁ずる能はず、
筆を走らせて
『故郷の懐』てふ一片の新體詩を作る。
夕刻漸く稿を脱せし頃窓下切に余を呼ぶものあり。
請じて是をみれば、乃ち吉田君なり。
煮茶一喫、氏默して言はず。
余も亦嚴然として氏か面を視る。
斯くの如くするもの暫時。
氏手を伸ばして余が机上に詩稿を取り、
懐手安坐して之を讀む事二三回、
初めて口を開いて曰く。
誰の作ぞや。
余笑って曰く。
今僅かに稿を脱するのみ。
と、此に於て大に詩を論し、歌を論し、文章を論じ、
口津々沫を吐き、滔々辯して止まず。
側ら余が詩文を難ず。
盖し、初見を憚らず、毅然として鯁言人を難ずるは、
氏が特性なりしなり、
余始め之れを知らず是故に意甚だ喜ばす。
惟諾々して一時を苟偸せんとす。
氏益論して止まず。
此に於てか論端衝突し、
辯難攻撃を始め、
更漏十を報するに至り夜の早からざると、
且つ門外の道に對し、
眞面目なる議論をなしつづけたるに氣づき、
唖然として哄笑して別る。
嗚呼是れ實に、余が君と交りたる最初の會話なりしなり。
爾後往來一日も絶ゆることなく、
朝は手を携へて相共に登校し、
夕は袂を列ねて共に龍山にのぼり、
或は墓間に徘徊して古詩人を想ひ、
或は巖角にのぼりて時勢を論じ、大いに政治家を氣どる。
登校、歸校、晝食の往來、湯入、油買迄も、
相供はざるはなく、
同窓机を幷ふるよりも親かりき。
秋既に去って冬來り、
考試既に終って我徒みな閑居す、
余遇ま九州北部旅行を企て、
八筈岳の余脈、
?屼として谷深かき處、
杖嶺の峻秀、雪皚々たる處を跋渉して、
隈町に出で、尚進んで耶馬渓に入り、
正月二日、靑を發して中津に下らんとす。
巖壁峭然削るが如し、
一面には滄々たる山國川の深淵に臨む處、
遙かに一幹の大『ステッキ』を提けたる洋服装の一士、
悠々として來るを見る。
漸く近づいて之を見れば、吉田君なり、
余其接近するを待つ能はず。
叫んで曰く
『呑宇か』、
君亦聲して曰く
『想峯か、君か異樣の『ステッキ』と草袋は、
 能く吾をして君なる事を知らしめたり』
余曰く
『余も亦之に由て君なることを知れりと』
盖し經二寸に近き異樣の『ステッキ』は、呑宇と余と、
常に手を離さざる寶物の一なればなり。
呑宇曰く、
君何處に行かんとするか。
曰く、中津に出でて九州の北部海岸を回轉せんとするなり。
單身山野を跋渉し、
或は道を迷ふて樵夫の半褥をかり、
或は木賃宿に寒夜をさめあかし、
我既に孤旅の、面白からさるを知れり。
願くば君余と行を同うせよと、
此に於て大に門司馬關の千帆飛入する處、
博多灣の白砂靑松。
渚に長へに波寄する處、
唐津灣頭、
小富士の蔚乎として峙ち、
松渚を繚る處を談ず。
呑宇曰く、
山水の景色、
佳は則と佳ならん。
然れども敵は本能寺にあり。
余が目的地は、耶馬渓を措いて外なきなりと。

余遂に其動かす能はざるを知り、
斷然袂を分ちて中津に向ふ。

嗚呼是呑宇か穂村を訪ひし後一日、
而かも彼と別れたる日の、
夕刻にてありしなり。
以來、余は故あって學寮に入り、
常に君と相見る能はず。
疎々として相識らさるか如くなりき。
今年正月其訃言を聞きて始めて愕然たり。
今更に此文を讀むに及び、
懐舊の情轉た禁ずる能はず。
乃ち書して以て附く

想峯

[夏目漱石先生:夏目金之助 北海道 平民]

【第五高等学校一覧】明治29-30年
[第五高等學校一覧 自明治廿九年 至明治三十年] p1/254
職員(明治廿九年九月末日調)           p35/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/35

『大學豫科第一部一年(法科)(甲組)』
 別府三穂三郎 福岡 平民
 吉田宗治   兵庫 平民

[第五高等學校一覧 自明治三十年 至明治三十一年]p79/254
職員(明治三十年十月末日現在)          p119/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民  p120/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/120
生徒(明治三十年九月末日調)           p123/254
大學豫科第一部一年(法科)(甲組)         p131/254
別府三穂三郎 福岡 平民             p131/254
吉田宗治   兵庫 平民             p131/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/131

『大學豫科第一部二年(法科)(甲組)』
 別府三穂三郎 福岡 平民
 吉田宗治   兵庫 平民

[第五高等學校一覧 自明治三十一年 至明治三十二年]p165/254
職員(明治三十一年九月末日現在)          p203/254
倫理、論理 從六位 理學士 文學士 狩野享吉  東京  士族
英語    正七位 文學士     夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/203
生徒(明治三十一年九月末日調)           p207/254
大學豫科第一部二年(法科)(甲組)          p212-3/254
別府三穂三郎 福岡                 p212/254
吉田宗治   兵庫                 p213/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/212

『大學豫科第一部三年(法科)(甲組)』
 別府三穂三郎 福岡 平民
 吉田宗治   兵庫 平民

【第五高等学校一覧】明治32-33年
[第五高等學校一覧 自明治三十二年 至明治三十三年]p1/253
職員(明治三十二年九月末日現在)          p51/253
英語 大學豫科英語科主任 評議員
   正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民   p51/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/51
嘱託                        p53/253
作文 落合爲誠 熊本 士族             p53/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/53
生徒(明治三十二年九月末日調)           p56/253
大學豫科第一部三年(法科)(甲組)          p59/253
別府三穂三郎 福岡                 p59/253
吉田宗治   兵庫                 p59/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/59

[第五高等學校一覧 自明治三十三年 至明治三十四年]p120/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/120
職員(明治三十三年十一月末日調)          p171/253
外國留學中 從六位 文學士 夏目金之助 北海道平民 p171/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/171
嘱託
國語漢文 落合爲誠 熊本 士族           p173/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/173
大學豫科第九回(明治三十三年七月)卒業       p216/253
別府三穂三郎 福岡平民 東京帝國大學進入      p216/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/216

[穂村(別府三穂三郎)]

【日英同盟】明治35年3月4日発行
森豊吉 (松州) , 別府三穂三郎 (穂村) 編

時事新報記者 森 松州 共編 p2/88
法科大學   別府穂村 共編 p2/88
東京     耕文社  発行 p2/88
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/785617/2
明治三十五年二月二十七日印刷
明治三十五年三月四日  発行
定 價 一冊 金 二十五銭
著作者 森 豊吉
著作者 別府三穂三郎
発行者 河井 愛
    東京市牛込区東五軒町三十五番地
印刷者 熊田宜遜
    東京市神田区錦町三丁目廿五番地
印刷所 熊田活版所
    東京市神田区錦町三丁目二十五番地
発行所 耕文社
    東京市牛込区東五軒町三十五番地
特約大賣捌店
    東京堂書店
    東京市神田区表神保町四番地
    盛文館書店
    大阪市東区備後町四丁目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/785617/84
タイトル  日英同盟
著 者   森豊吉 (松州) , 別府三穂三郎 (穂村) 編
出版者   耕文社
出版年月日 明35.3
公開範囲  インターネット公開(裁定)
      著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開
      裁定年月日: 2010/12/27
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/785617

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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別府三穂三郎君代て壇に登り:第五高等学校[龍南會雜誌]75-76-92

別府三穂三郎君代て壇に登り:第五高等学校[龍南會雜誌]75-76-92

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 75: 76-92
Issue date 1899-11-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5441
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5441/1/075-022.pdf

第九回開校紀念會 p3-4/18
(明治32年)十月十日、
紀念式は、例によりて雨天体操場に開かれたり。
午前九時、集合喇叭校内に響き渡るや先づ生徒一同着席、
次に職員及來賓一同着席せり。
―略―
中川學校長先づ立ちて、勅語を奉讀せられ、
次に校長の祝詞あり、
職員總代大平教授、
工學部総代 小簱善君、
大學豫科三年総代 山形元治君、
二年総代 中根貞彦君、
壹年総代 山邊武彦君は、
各祝詞を朗讀し、
次に東京大學學生総代の祝詞、京都大學生、東京工科大學生の祝電、
及京都大學生某氏の祝歌披露あり、
次に生徒一同、『阿蘇の峯より』云々の祝歌齊唱、ここに式終る、
時に午前十時。
來賓には、
一戸第六師團参謀長、
石黒海軍軍醫大監、
山本陸軍大佐、
大野陸軍少佐、
粟屋陸軍獣醫監、
錦織地方裁判所長、
六角警部長、
辛嶋市長、
及び各府縣中學校長、
兩新聞記者、
其他、
紳士紳商凡六十名なりき。
式終るや撃劍試合始まりぬ。
―略―
p12/18別府(三穂三郎)

演説會記事 p11-12/18
(明治32年)十月三十日、午後七時、
本學年第二回の演説會は例によりて、瑞邦館に開かれたり。
雑報子noteを携へてここに臨みしは、定刻を後るる十分、
聽衆は館内にあふれて、
演説は既に演ぜられつつあるならんと思ひしが、
來り會するもの部長羽生教授、菊池、別府(三穂三郎)の兩委員の外、
至れるもの二十にみたず。
時計の針は、容赦なく進みて、はや半時ばかりも過ぎたれど、
來會者猶五十にみたず。
部長開會の由を告げたれど岡嶋君は、沙漠の如き場の中央にたちて、
智情意の調和の必要てふ論題の下に、二十分余の演説をなせり。
其論旨の紹介は之を次號に譲らん。
次に南阿事件てふ論題のもとに、勝君の演説ある筈なりしが、
同君病氣の故を以て、出席せず。
別府(三穂三郎)君代て壇に登り、勝君の原稿により、
述べて曰く、今や英杜兩國は戰端を開けり。
―略―
と、別府(三穂三郎)君壇を下れば、
遠山講師は、大なる喝采の裡に、演壇にあらはれ、・・・。
―略―
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[紫溟吟社]夏目漱石先生・落合東郭先生:第五高等学校[龍南會雜誌]74-39-6

[紫溟吟社]夏目漱石先生・落合東郭先生:第五高等学校[龍南會雜誌]74-39-60

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 74: 39-60
Issue date 1899-10-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5384
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5384/1/074-010.pdf

明治32年10月25日発行
紫溟吟社 p19/23
數年前、二三の發句熱心家によりて
創設せられたる紫溟吟社は、
今に孜々として愈斯道の蘊奥を討究し、
本校の發句界に、一新面目を開きたるのみならず、
更に硯友會を凌駕せんとするの勢有り。
夫れ和歌は言を長うす、以て美言を習ふに足れり、
然れとも高尚幽遠なる新思想を練らんと欲せは、
先つ助を發句に借るを以て徑庭なりと信す。
請ふ諸子先つ一歩を枉けて本社の運座に臨め、
彼處に一團此處に一團、三三五五相團欒し、
口津々泡を吐きて相論駁するを見ん。
曰く奇想、曰く没趣味と、
若し夫れ始めて此道に入るの人に遭へは
丁寧反覆心を傾げて是を導く、
之が教鞭を執る人は夏目漱石先生なり。
今又更に落合東郭先生を得たり。
風雲際會此龍將に池中の者にあらざらんとす。
健在なれや、紫溟吟社。
本社に入社志望の諸君は、文科三年の厨川、白仁兩氏
何れかに申込む可しと云ふ。

[夏目漱石先生:夏目金之助 北海道 平民]

【第五高等学校一覧】明治29-30年
[第五高等學校一覧 自明治廿九年 至明治三十年] p1/254
職員(明治廿九年九月末日調)           p35/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/35

[第五高等學校一覧 自明治三十年 至明治三十一年]p79/254
職員(明治三十年十月末日現在)          p119/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民  p120/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/120
生徒(明治三十年九月末日調)           p123/254
大學豫科第一部一年(法科)(甲組)         p131/254
別府三穂三郎 福岡 平民             p131/254
吉田宗治   兵庫 平民             p131/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/131

[倫理、論理 從六位 理學士 文學士 狩野享吉 東京 士族]

[第五高等學校一覧 自明治三十一年 至明治三十二年]p165/254
職員(明治三十一年九月末日現在)          p203/254
倫理、論理 從六位 理學士 文學士 狩野享吉  東京  士族
英語    正七位 文學士     夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/203
生徒(明治三十一年九月末日調)           p207/254
大學豫科第一部二年(法科)(甲組)          p212-3/254
別府三穂三郎 福岡                 p212/254
吉田宗治   兵庫                 p213/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/212

[落合東郭先生:落合爲誠 熊本 士族]

【第五高等学校一覧】明治32-33年
[第五高等學校一覧 自明治三十二年 至明治三十三年]p1/253
職員(明治三十二年九月末日現在)          p51/253
英語 大學豫科英語科主任 評議員
   正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民   p51/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/51
嘱託                        p53/253
作文 落合爲誠 熊本 士族             p53/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/53
生徒(明治三十二年九月末日調)           p56/253
大學豫科第一部三年(法科)(甲組)          p59/253
別府三穂三郎 福岡                 p59/253
吉田宗治   兵庫                 p59/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/59

[第五高等學校一覧 自明治三十三年 至明治三十四年]p120/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/120
職員(明治三十三年十一月末日調)          p171/253
外國留學中 從六位 文學士 夏目金之助 北海道平民 p171/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/171
嘱託
國語漢文 落合爲誠 熊本 士族           p173/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/173
大學豫科第九回(明治三十三年七月)卒業       p216/253
別府三穂三郎 福岡平民 東京帝國大學進入      p216/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/216

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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九州地方 | 熊本大学附属図書館
[落合文庫(落合為誠)]
漢詩人で大正天皇の侍従を務めた
落合為誠(おちあい ためのぶ、号:東郭 とうかく、1866–1942)の
旧蔵書で、漢詩文を中心とした漢籍および和書3,501点からなる。
落合為誠は肥後国(現・熊本県)出身で、
はじめ宮内省に勤務していたが、
帰郷して第五高等学校(熊本大学の前身)教授、
第七高等学校(鹿児島大学の前身)教授を歴任。
のち大正天皇の侍従となった。
一方、東郭の号で日本有数の漢詩人としても知られた。
本文庫の目録として
『長崎大学附属図書館経済学部分館漢籍分類目録
 熊本大学附属図書館落合文庫漢籍分類目録』
(東京大学東洋文化研究所附属東洋学文献センター編、1980)が
刊行されている。
http://tksosa.dijtokyo.org/?page=collection_detail.php&p_id=199&lang=ja

[落合東郭]
(慶応3・11・19-昭和17・1・9)
名は為誠。字は士応。別号・可窓夢読騒人。肥後熊本の人。
堂号を燕帰草堂。元田永孚(東野)の外孫。
第五高等学校で教鞭を執った時、長尾雨山。夏目漱石と同僚であった。
詩は森槐南の指導を受けた。
人品・詩品とも高く 『王漁洋』を宗として神韻縹渺・餘情豊かな詩風。
当代屈指の名手と賞賛された。著書に「燕帰草堂詩鈔」五巻がある。
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sen27.htm

[夏目 漱石]
(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) -
1916年(大正5年)12月9日)は、
日本の小説家、評論家、英文学者。
本名、金之助(きんのすけ)。
江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。
俳号は愚陀仏。

1892年(明治25年)、兵役逃れのために分家し、
貸費生であったため、北海道に籍を移す。

1896年(明治29年)、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身)の
英語教師に赴任後、

1900年(明治33年)5月、文部省より英語研究のため
(英文学の研究ではない)英国留学を命ぜられる。

英国留学から帰国後、1903年(明治36年)3月3日に、
本郷区駒込千駄木町57番地(現在の文京区向丘2-20-7)に転入。

1903年(明治36年)4月、漱石は第一高等学校と東京帝国大学から講師として招かれる。
当時の第一高等学校長は、親友の狩野亨吉であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
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別府三穂三郎委員・新任の挨拶:第五高等学校[龍南會雜誌]74-39-60

別府三穂三郎委員・新任の挨拶:第五高等学校[龍南會雜誌]74-39-60

[熊本大学学術リポジトリ]
Title 雜報
Author(s)
Citation 龍南會雜誌, 74: 39-60
Issue date 1899-10-25
Type Departmental Bulletin Paper
URL http://hdl.handle.net/2298/5384
Right
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/5384/1/074-010.pdf

p8/23 p18/23別府(三穂三郎)

《演説会概況》 p8/23
(明治32年)九月廿九日午後七時より、
演説會を例の如く瑞邦館に開く、
當日は雨天なりしにも拘らず、學年最初の開會なりしを以て、
聽衆頗る多く、殊に其の来集速かにして、
定刻には、直ちに開會するを得たるか如きは、
實に、近來未曾有の事となす、
故に、吾人は、茲に之を特記して、
以後永く之を以て例となさんことを望む。

羽生部長、開會を告げらるるや、

別府(三穂三郎)委員は、登壇して新任の挨拶をなし、
且つ述べて曰く、
『従來、會員の演説部に對する考過れるが如し、
乃ち演説会を餘りに重大視し、一たび出でなば、
堂々たる大演説を爲して、衆を驚かさんことを期し、
敢て猥りに出でざること、殆んど風を成せり、
此の如きは、決して演説部の目的にあらず、
當さに屡々出でゝ、屡々練習を試むべきなり、
以後は、演説希望者ある時は、隨時開會すべし、
百の勧誘して、僅かに、一二の出演者をうるが如きは、
七百の會員を有する、龍南會にしては、
餘りに情無き次第ならずや、
以後諸君の奮て出演あらんことを望む、』
と別府(三穂三郎)君壇を降れば、
之に代りて、高橋久太郎君は、壇上に現はれぬ、
―略―

《補欠と改選》 p18/23
端艇部委員は從來三名なりしも
今回四名とし新に任せられしは
端艇部 阿部寶作

演説部委員 川本良樹
運動部委員 相良武雄二氏は
本校を退校し
端艇部委員 岸川太郎氏は
都合により辭任されたるより
委員會に於て其補欠撰擧を行ひしに左の諸氏當撰せり
演説部 別府三穂三郎
運動部 戸澤民十郎
端艇部 戸次 正

本學期間の學寮會長は左の如く當撰せり
會 長 吉國兼三
副會長 菊池剛太郎

【第五高等学校一覧】明治29-30年
[第五高等學校一覧 自明治廿九年 至明治三十年] p1/254
職員(明治廿九年九月末日調)           p35/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/35
[第五高等學校一覧 自明治三十年 至明治三十一年]p79/254
職員(明治三十年十月末日現在)          p119/254
英語 正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民  p120/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/120
生徒(明治三十年九月末日調)           p123/254
大學豫科第一部一年(法科)(甲組)           p131/254
別府三穂三郎 福岡 平民             p131/254
吉田宗治   兵庫 平民             p131/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/131
[第五高等學校一覧 自明治三十一年 至明治三十二年]p165/254
職員(明治三十一年九月末日現在)          p203/254
倫理、論理 從六位 理學士 文學士 狩野享吉  東京  士族
英語    正七位 文學士     夏目金之助 北海道 平民
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/203
生徒(明治三十一年九月末日調)          p207/254
大學豫科第一部二年(法科)(甲組)        p212-3/254
別府三穂三郎 福岡                p212/254
吉田宗治   兵庫                p213/254
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812890/212

【第五高等学校一覧】明治32-33年
[第五高等學校一覧 自明治三十二年 至明治三十三年]p1/253
職員(明治三十二年九月末日現在)          p51/253
英語 大學豫科英語科主任 評議員
   正七位 文學士 夏目金之助 北海道 平民  p51/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/51
嘱託                       p53/253
作文 落合爲誠 熊本 士族            p53/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/53
生徒(明治三十二年九月末日調)          p56/253
大學豫科第一部三年(法科)(甲組)        p59/253
別府三穂三郎 福岡                p59/253
吉田宗治   兵庫                p59/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/59
[第五高等學校一覧 自明治三十三年 至明治三十四年]p120/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/120
職員(明治三十三年十一月末日調)          p171/253
外國留學中 從六位 文學士 夏目金之助 北海道平民 p171/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/171
嘱託
國語漢文 落合爲誠 熊本 士族           p173/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/173
大學豫科第九回(明治三十三年七月)卒業       p216/253
別府三穂三郎 福岡平民 東京帝國大學進入      p216/253
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812891/216

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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