◆林武一

出雲丸船長吉村と云ふ人に身受けをされ:山田おたい(三好)【名妓今紫物語】大正3年

出雲丸船長吉村と云ふ人に身受けをされ:
山田おたい(三好)【名妓今紫物語】大正3年
※[出雲丸 一等機関手 吉村愛之助]下記に記載

【名妓今紫物語】大正3年
その當時三州屋に同居してゐる p40/70
山田おたいと云ふのが、
雪の越路生れの美人で、
凾館蓬萊町の武藏野樓と云ふ大店で、 ※下記
三好と呼んで大分全盛を極め、
お職女郎を凌いでゐた位であった所から、
郵船會社の出雲丸船長吉村と云ふ人に身受けをされ、
同地曙町に圍(かこ)はれてゐたが、
其の後吉村は出雲丸と一しょに沈没したので
おたいは函館を片付けて東京に出で、
ふとした緣から今紫と知り合いになって、
義姉妹になりました。
大正三年三月二十九日印刷
大正三年三月三十一日發行 (實價金參拾錢)
著作者 春の浦人
發行兼 東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
印刷者 前川 龜吉
印刷所 東京市日本橋區龜島町一丁目卅九番地
    秀 文 社
發行所 東京市日本橋區濱町二丁目十二番地
    日新書房

【北海道及花街】大正14年
 各地の花街(上)  p76/195
  函 館 市
   沿 革
    花街發達史  p77/195
 明治四年、山の上町の遊廓の切店(大店の事)から出火して、
全廓烏有に歸した。
同八年には臺町も遊廓地に指定された。
そして山の上町の貸座敷の大半は蓬萊街に移轉し、
豐川町の大部分も此處に引き移つたが、
其の他は臺町に越し、
又臺町に新規營業者も出來て、
兩廓相對峙するに至つたが、
臺町は蓬萊の敵ではなかつた。
當時蓬萊街で名高つた妓樓は、
星山十、武藏野、梅川、萬〆、曲子屋等である。
 明治二十四、五年頃の函館の花柳界は、
總ての點に於いて發達の域に達した。
當時蓬萊街には見番一(蓬萊見番と俗稱されてゐた)
驅黴院一、檢黴所一、貸座敷營業者七十四軒有り、
娼妓五百八十名、藝妓九十六名居つた。
又臺町方面には驅黴院と檢黴所一、
貸座敷營業者七十四軒有り、
娼妓百六名、藝妓五十五名を數へられた。
大正十四年七月卅一日印刷 定價 並製金貳圓參拾錢
同    八月 一日發行 定價 特製金貳圓七拾錢
著者兼 渡部 一英
發行者 小樽市稻穗町西四丁目十三番地
印刷者 一 噌 連
    東京市芝區兼房町十五番地
印刷所 一噌印刷所
    東京市芝區兼房町十五番地
發行所 北海之花街發行所
    小樽市稻穗町西四丁目十三番地
    振替貯金口座 小樽二二五一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2021年04月20日
出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件②2/2:
明治二十五年四月/分割2
日本郵船會社滊船出雲丸義捐金報告
救恤金及義捐金分配表
   救恤金及義捐金分配  p7/55
 合   計   乘組員職名  姓 名
 九〇圓九五五  一等運轉手 今村 長貞
 九〇圓九五五  二等運轉手 菅井源一郎
 九二圓一一〇  三等運轉手 宮川松三郎
 九二圓一一〇  一等機關手 吉村愛之助
 九〇圓九五五  二等機關手 阿部德三郎
 九四圓六〇五  事務員   片山源三郎
 九〇圓九五五  事務員心得 木下政太郎
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明治25年4月25日 海軍少軍医三宅宅三 死亡届:弟 三宅豹三

明治25年4月25日 海軍少軍医三宅宅三 死亡届:弟 三宅豹三

    死去届
     海軍少軍医従七位 三宅宅三
右者 軍艦摩耶乗組中 去ル二月二十七日 英国留学ヒ仰付
本月三日 朝鮮国仁川発 汽船出雲丸ニテ帰朝之途中
同五日同国南岸 所安島近傍ニ於テ難船シ
其後 御省及日本郵船会社ニ於テ 百方探検相成候末
御省ヨリノ御通知ニ基キ
今二十五日ヲ以
弥 死亡セシコトト認定仕候ニ付
此段御届仕候也
  明治二十五年四月二十五日

〔画像〕C10125155300-1

    右弟 広島県平民
    東京市芝区愛宕町二丁目十四番地
          三宅豹三
海軍大臣子爵 樺山資紀殿

〔画像〕C10125155300-2
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レファレンスコード C10125155300
件名 25年4月27日 海軍少軍医三宅宅三死亡届
防衛省防衛研究所 海軍省公文備考 ⑩公文備考等 公文雑輯
明治25年 明治25年 公文雑輯 巻7 人事下
[規模]2
作成年月日 明治25年4月25日
作成者   三宅豹三
組織歴   海軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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明治25年4月25日 海軍大尉関文炳 死亡届:長男 関干城

明治25年4月25日 海軍大尉関文炳 死亡届:長男 関干城

    死亡御届
      海軍大尉従六位勲六等 関文炳
右者 明治二十三年七月一日 視察トシテ清国出張被仰付
本年三月十四日 帰朝被仰付候ニ付テハ該国ヲ発シ
本月三日 朝鮮国仁川出帆ノ汽船出雲丸ニテ帰朝ノ途中
同五日 同国南岸 所安島近傍ニ於テ沈没シ
其後 御省及日本郵船会社ニ於テ百方捜索相成候末
御省ヨリ御通知ニ基キ
今二十五日ヲ以テ
弥ニ死亡セシコトト認定仕候ニ付
此段御届仕候也

〔画像〕C10125155100-1

 明治二十五年四月二十五日
   右長男
   長野県諏訪郡上諏訪町七十八番地 士族
   東京府赤坂区台町拾一地寄留
            関 干城
 海軍大臣子爵 樺山資紀殿

〔画像〕C10125155100-2
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レファレンスコード C10125155100
件名 25年4月25日 海軍大尉関文炳死亡届
防衛省防衛研究所 海軍省公文備考 ⑩公文備考等 公文雑輯
明治25年 明治25年 公文雑輯 巻7 人事下
[規模]2
作成年月日 明治25年4月25日
作成者   関干城
組織歴   海軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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明治25年4月25日 予備海軍少主計 林武一 死亡届:妻 林 かめ

明治25年4月25日 予備海軍少主計 林武一 死亡届:妻 林 かめ

  死亡御届
   予備海軍少主計従七位 林武一
右者 朝鮮国江御用出張中之処
本月三日 同国仁川出帆ノ汽船出雲丸ニ使乗
帰朝之途次 同五日同国南岸 所安島近傍ニ於テ沈没
其後 日本郵船会社ニ於テ 百方捜索之末
今二十五日ヲ以テ死亡ト認定仕候ニ付
此段御届仕候也
  東京府南豊島郡渋谷村
  元下渋谷各四百七拾三番地
C10125155200-1
〔画像〕C10125155200-1

              右妻
  明治二十五年四月二十五日 林 加免
海軍大臣子爵 樺山資紀殿
C10125155200-2
〔画像〕C10125155200-2
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レファレンスコード C10125155200
件名 25年4月25日 予備海軍少主計林武一死亡届
防衛省防衛研究所 海軍省公文備考 ⑩公文備考等 公文雑輯
明治25年 明治25年 公文雑輯 巻7 人事下
[規模]2
作成年月日 明治25年4月25日
作成者   林かめ
組織歴   海軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件②2/2:明治二十五年四月/分割2

出雲丸 朝鮮 所安島近傍ニ於テ難破之件②2/2:
明治二十五年四月/分割2
日本郵船會社滊船出雲丸義捐金報告
救恤金及義捐金分配表

   救恤金及義捐金分配  p6/55
 合   計   船客等級   姓 名
一九六圓四三六  上等船客  關  文炳
一九六圓四三六  同     林  武一
一九六圓四三六  同     三宅 宅三
一二七圓七一六  下等船客  木村 タケ
一二七圓七一六  同     佐藤 平六
一二七圓七一六  同     辻 熊次郎
一二七圓七一六  同     村田 健三
一二七圓七一六  同     石川兵次郎
一二七圓七一六  同     大久保タケ
一二七圓七一六  同     堀  彌吉
一二七圓七一六  同     白井 サダ
一二七圓七一六  同     宮崎銀三郎
一二七圓七一六  同     別府倉之助
B12081691700-06
〔画像〕B12081691700-06

   救恤金及義捐金分配  p7/55
 合   計   船客等級   姓 名
一二七圓七一六  下等船客  金色 與市
一二七圓七一六  同     木崎 ツル
一二七圓七一六  同     木村 佐吉
一二七圓七一六  同     市丸貞次郎
一一五圓一三〇  同 朝鮮人 鄭 南 玉
一一五圓一三〇  同 同   邊 錫 然
一一五圓一三〇  同 同   朴 喜 辰
一一五圓一三〇  同 同   金 喜 元
一一五圓一三〇  同 同   金 德 瑞
一一五圓一三〇  同 同   李 明 依
一一五圓一三〇  同 同   朴 應 尚
一一五圓一三〇  同 同   許 周 珍
一一五圓一三〇  同 同   金 景 昌
一一五圓一三〇  同 同   徐 基 都
一一二圓六三〇  同 淸國人 牟   津
一一二圓六三〇  同 同   蘇 家 益
一一二圓六三〇  同 同   干   鴻

 合   計   乘組員職名  姓 名
 九〇圓九五五  一等運轉手 今村 長貞
 九〇圓九五五  二等運轉手 菅井源一郎
 九二圓一一〇  三等運轉手 宮川松三郎
 九二圓一一〇  一等機關手 吉村愛之助
 九〇圓九五五  二等機關手 阿部德三郎
 九四圓六〇五  事務員   片山源三郎
 九〇圓九五五  事務員心得 木下政太郎
 四六圓九七二  大 工   串畑梅太郎
 四六圓九七二  水 夫   籾山 五助
 四六圓九七二  同     中田 道松
 四六圓九七二  同     久米藤次郎
 四六圓九七二  同     氏家彦太郎
 四六圓九七二  同     河裾 新吉
B12081691700-07
〔画像〕B12081691700-07

 合   計   乘組員職名  姓 名
 四六圓九七二  油 差   宮崎 重俊
 四六圓九七二  火 夫   村上 富助
 四六圓九七二  同     藤田 友藏
 四六圓九七二  同     人見次郎吉
 四六圓九七二  同     五十嵐廣吉
 四六圓九七二  一等料理人 植村 藤高
 四六圓九七二  二等料理人 加登 關松
 四六圓九七二  上等小使  三好末次郎
 四六圓九七二  同     美濃部 萌
 四七圓七二二  下等小使  安田常十郎
 四六圓九七二  同     三谷直太郎
 四六圓九七二  火夫見習  森田 千吉
 四六圓九七二  小使見習  冨澤 善吉
         人員 五拾六人

    義捐者御姓名
     -略-
B12081691700-08
〔画像〕B12081691700-08
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レファレンスコード B12081691700
件名 18.出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件
      明治二十五年四月/分割2
   外務省外交史料館 戦前期外務省記録 3門 通商6類
   交通及通信 7項 水難
   困難船及漂民救助雑件/帝国之部 第十六巻
[規模]55
作成年月日 明治26年2月6日~明治26年8月19日
作成者   弁理公使大石正己//領事杉村濬//
      日本郵船会社長森岡昌純
組織歴   外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件②1/2:明治二十五年四月/分割2

出雲丸 朝鮮 所安島近傍ニ於テ難破之件②1/2:
明治二十五年四月/分割2
日本郵船會社滊船出雲丸義捐金報告

明治二十五年十二月二十七日附受第三九八号 p1/55
日本郵舩會社来翰之附屬
 日本郵船會社滊船出雲丸義捐金報告
B12081691700-01
〔画像〕B12081691700-01

明治廿五年四月五日  p2/55
朝鮮國南岸所安島近海ニ於テ沈没ノ不幸ニ罹リタル
本社滊船出雲丸ノ乘船者ニシテ生死不明ノ船客諸氏
本邦人十七名
朝鮮人十名
淸國人三名及
乘組船員二十六名ノ爲メ
同感ノ社員ト謀リ各自應分ノ醵金ヲ爲シ之ヲ以テ
其遺族ニ寄贈シ聊カ其不幸ヲ吊慰センヿヲ欲シ
過般來義捐金募集中ノ處
今般結了ノ上該金員ヲ遭難者諸氏遺族ヘ夫々寄贈セリ
因テ左ニ其顛末ノ概要ヲ記載シ義捐者各位ニ報告仕候
一余輩發起人ガ恭テ特ニ報告スルヲ榮トスルモノハ
 帝室ノ御救恤金是レナリ
 曩ニ事ノ宮闕ニ達スルヤ
 天皇陛下
 皇后陛下ノ至德至仁之ヲ憫然ニ被 思召宮内大臣ヨリ
 東京府知事ヲ經テ左之通達セラル
         日本郵船會社
  其社滊船出雲丸本月五日朝鮮近海ニ於テ難破シ
  乘員五拾餘名生死不明ノ趣憫然ニ被
  思召
  聖上
  皇后兩陛下ヨリ御救恤トシテ金300圓下賜候條
  即今其社ニ於テ遭難者遺族ヘ義捐金醵集
B12081691700-02
〔画像〕B12081691700-02

  ノ趣ニ付右金額中ヘ差加ヘ配當方可所計旨
  宮内大臣ヨリ達セラル
   明治廿五年四月廿五日  東京府知事 富田鐵之助
 事寔ニ例外ニ出ツ遭難者諸氏ノ不幸
 素ヨリ悲悼ニ禁ヘザル所ナリト雖モ畏クモ一視同仁ノ
 大御心ヲ以テ内外臣民均シク此異數ノ聖恩ヲ拜戴スルヿヲ得タルハ
 遭難者死後ノ餘榮又其遺族タル者ノ面目之ニ過クルモノナカラン
 今更申モ畏シト雖モ斯ル難有
 思召ヲ拜スルハ吾人臣民ノ共ニ感泣スル所ナリ
一前記御救恤金300圓ノ外ニ
 社中陸海員有志ノ向ヨリ醵出ノ金員ハ
 金3578圓22錢ニ達セリ
 且又社外慈善ノ諸君ニシテ特ニ此擧ヲ賛助シ
 金1704圓24錢8厘ヲ義捐セラレ
 都合金5582圓46錢8厘ノ巨額ヲ得
 吾々ノ微衷ヲ達スルヲ得タルハ望外ノ仕合ナリ
 是レ余輩發起人ガ義捐者各位
 殊ニ社外慈善ノ諸君ニ向テ深ク感謝スル所ナリ
一御救恤金及義捐金分配ハ左ノ方法ニ由ル
 第一 御救恤金300圓ハ遭難者五十六名ヘ平等ニ分配セリ
 第二 社員醵出金3507圓82錢ト
    社外諸君ヨリ本社ヘ向ケ直接ニ寄贈セラレタル
    金1043圓30錢
    合計4551圓12錢ノ内
    金180圓ヲ印刷費郵税爲替料等ノ爲メニ扣除シ
    殘額金4371圓12錢ヲ假リニ248ト二分一ニ分割シ
    其十ヲ各上等船客ニ
    其六ヲ下等船客ニ
    其四ヲ各運轉手、機關手、事務員ニ
    其一ト二分ノ一ヲ各楫所、大工、水夫、火夫、
    油差、ランプ方、料理人、小使ニ分配セリ
 第三 金731圓34錢8厘ハ義捐者ヨリ
    特ニ遭難者ノ一部分ヘ分配方指定アル金員ニシテ
    其内譯左ノ如シ
  一 金452圓86錢
    是ハ仁川釜山兩領事舘取纏寄贈金ニシテ
    本邦人遭難者ヘ平等ニ分配方指定アル分
  二 金104圓8錢8厘
    是ハ日本海員掖濟會寄贈金ニシテ
    船客ヲ除キ乘組員ヘ平等ニ分配方指定アル分
  三 金66圓
    是ハ社員楡井次郎氏外廿二名醵出金ニシテ
    海員親睦義會員一等運轉手今村長貞氏外四名ヲ除キ外
    遭難者ヘ分配方指定ノ分
    但シ此分配方ハ第二分配金ノ割合ニ由ル
  四 金30圓
B12081691700-03
〔画像〕B12081691700-03

    是ハ大池忠助氏外一名寄贈金ニシテ
    本邦人遭難者ヘ分配方指定アル分
    但シ此分配方ハ此金額ヲ假ニ百七十ト二分ノ一ニ分割シ
    第二分配金ノ割合ニ由テ分配セリ
  五 金74圓
    此内金49圓ハ京城領事舘取纏寄贈金ニシテ
    下等船客木村タケ外十三名ヘ、
    金25圓ハ大池忠助氏ヨリ
    朝鮮人遭難者ヘ夫々分配方指定ノ分
    即チ各平等ニ分配セリ
  六 金4圓40錢
    是ハ義捐者ヨリ特ニ指名アルニヨリ其指名者ヘ分配セリ
一右方法ニ據テ分配シ端金8錢3厘ノ餘剰ヲ生セリ又
 前記印刷費、郵税、爲替料トシテ扣除シタル
 金180圓中實際幾分ノ餘剰ヲ生スルヿアラバ
 右餘剰金ト共ニ相當ノ方法ヲ以テ海員救恤ノ資ニ供スベシ
一義捐者御姓名、義捐金勘定、遭難者分配金及姓名別記ノ如シ
一義捐者ノ御姓名等ハ夫々遭難者諸氏遺族ヘ報告シタリ
右出雲丸遭難義捐金募集ノ擧ヲ御賛助被成下候各位ニ對シ
茲ニ其顛末ヲ報告シ謹テ御挨拶申上候 頓首
 明治廿五年九月
  日本郵船會社滊船出雲丸遭難義捐金募集發起人
        トーマス、ヘンリー、ゼームス
        アレキサンダー、マクミラン
        加藤 正義
        近藤 廉平
        淺田 正文
        内田 耕作
        吉川泰二郎
B12081691700-04
〔画像〕B12081691700-04

  出雲丸遭難御救恤金及義捐金受拂勘定  p5/55
     受 方
御救恤金
一 金參百圓
  -略-
     拂 方
  -略-
B12081691700-05
〔画像〕B12081691700-05

一 金百八拾圓  印刷費、郵税、爲替料等
一 金八錢三厘  分配端金
合計 金五千五百八拾貳圓四拾六錢八厘

   救恤金及義捐金分配表
B12081691700-06
〔画像〕B12081691700-06
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レファレンスコード B12081691700
件名 18.出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件
      明治二十五年四月/分割2
   外務省外交史料館 戦前期外務省記録 3門 通商6類
   交通及通信 7項 水難
   困難船及漂民救助雑件/帝国之部 第十六巻
[規模]55
作成年月日 明治26年2月6日~明治26年8月19日
作成者   弁理公使大石正己//領事杉村濬//
      日本郵船会社長森岡昌純
組織歴   外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件①:明治二十五年四月/分割1

出雲丸 朝鮮 所安島近傍ニ於テ難破之件①:明治二十五年四月/分割1
明治25年4月5日遭難沈没
交際官試補 林武一  ※詳細は下記ブログ
海軍大尉  関文炳  ※別稿に記載
軍少軍医  三宅宅三 ※別稿に記載
朝鮮人十名ヘ一名ニ付 金百拾五円拾三銭宛
清國人三名ヘ一名ニ付 金百拾貳円六拾三銭宛ノ割ヲ以
別紙本人遺族宛書面之通義捐金贈與致度候

明治廿五年四月  p1/67
出雲丸所安嶋近傍ニ於テ難破之件
B12081691600-01
〔画像〕B12081691600-01

愛宕第八六號ノ參  p2/67
交際官試補林武一
本月三日仁川發ノ郵船出雲丸ニ乗組相成候処
右出雲丸ハ仝五日午前零時三十分
所安島近傍ニ於テ遭難沈没致候趣
本船仝六日該島近海航行ノ際
該遭難シ生存シタル出雲丸乗組員ニ@@シ
初メテ其始末相判リ候次第ニ有之将タ又タ
船長外乗組員合テ十二名
下等船客一人ハ所安島ニ漂着
現在相認メ候得共
其他ハ勿論
林交際官試補ノ生死不明ニ有之候@
段不所敢御報申進候也
   明治二十五年四月八日
     長崎港
     愛宕船長 海軍少佐 島崎好忠
 外務大臣 子爵 榎本武揚殿
廿五年四月廿八日@@@接受

追テ去ル六日獨逸汽船インゴー号ニ依託シ
林仁川領事ヘ該遭難事件電知ス
此段爲念申添候也
B12081691600-02
〔画像〕B12081691600-02

第三八號  p5-6/67
  郵船會社汽船出雲丸沈没之件
日本郵船會社汽船出雲丸(噸数四百四十六噸)ハ
仁川港ニ於テ米穀其他ノ貨物ヲ積込ミ
本月三日午后二時同港出帆
当港ヘ向ケ航行中
風波之激動ニ遭ヒ
五日午前零時三十分頃
全羅道所安島ヨリ西南ニ当ル暗礁ニ觸レ
僅ニ十二三分ノ後船体左舷前部ヨリ傾キ
直ニ沈没致候
同船ノ乗客ハ上等客
交際官試補 林武一
海軍大尉  関文炳
海軍少軍医 三宅宅三 ノ三名
其外下等客
本邦人凡ソ十二名
韓人九名 支那人一名ニシテ
乗込員ハ船長以下三十七名ニ有之候処
此際助カリ候者ハ
下等客 山口縣民 石崎岩三ナル者一名ト
船長 三等機関師水夫六名 火夫三名ニ有之候
 -略-
B12081691600-05
〔画像〕B12081691600-05

 -略-
右ノ次第ニテ林交際官試補ノ行衛
遂ニ相知ル不申候@モ
不日着港ノ敦賀丸ヲ更ニ船難所ニ捜索ノ爲メ
派出セシムル筈ニ付猶ホ報道可致次第モ可有之候ヘ共
林氏ノ事ハ断念スルノ外無之様相見エ申候
右報道申進候也
明治廿五年四月十日 在釜山總領事代理
          副領事 中川恒次郎
  外務次官 林 董殿
B12081691600-06
〔画像〕B12081691600-06

  汽舩出雲丸舩客姓名  p26/67
行先 舩室等級 國籍   姓名   年齢
釜山 下等   朝鮮   鄭南玉  三九
〃  〃    〃    邊錫然  三七
〃  〃    〃    朴喜辰  三〇
〃  〃    〃    金喜元  二七
〃  〃    〃    金徳瑞  三二
〃  〃    〃    李明依  四二
〃  〃    〃    朴應尚  五〇
〃  〃    〃    金景昌  三二
浦潮 〃    〃    徐基都
斯德
釜山 〃    〃 晋浦 許周珍  三七
釜山 〃    淸國   毛 某
  以上 十一名
B12081691600-26
〔画像〕B12081691600-26

本年四月朝鮮國全羅道近海ニ於テ沈没致候  p54/67
當社汽舩出雲丸乗舩者ニシテ生死不明ノ舩客
本邦人十七名朝鮮人十名清國人三名及
乗組舩員二十六名ノ爲メ同感ノ社員ト謀リ
各自應分ノ醵金ヲ爲シ之ヲ以テ
其遺族ニ贈リ聊カ其不幸ヲ吊慰センヿヲ欲シ
過般来義捐金醵集中ノ處
今般結了ノ上
 -略-
朝鮮人十名ヘ一名ニ付 金百拾五円拾三銭宛
清國人三名ヘ一名ニ付 金百拾貳円六拾三銭宛ノ割ヲ以
別紙本人遺族宛書面之通義捐金贈與致度候
 -略-
 明治二十五年十二月廿七日 日本郵船會社社長
                森岡昌純
 外務大臣 陸奥宗光殿
B12081691600-54
〔画像〕B12081691600-54

     記 p56/67
一金 百拾五円拾三錢   朝鮮   鄭南玉
一金 百拾五円拾三錢   仝    邊錫然
一金 百拾五円拾三錢   仝    朴喜辰
一金 百拾五円拾三錢   仝    金喜元
一金 百拾五円拾三錢   仝    金徳瑞
一金 百拾五円拾三錢   仝    李明依
一金 百拾五円拾三錢   仝    朴應尚
一金 百拾五円拾三錢   仝    許周珍
一金 百拾五円拾三錢   仝    金景昌
一金 百拾五円拾三錢   仝    徐基都
   計金 千百五拾壹円三拾錢
一金 百拾貳円六拾三錢       牟 津
一金 百拾貳円六拾三錢       蘇家益
一金 百拾貳円六拾三錢       子 鴻
   計金 參百參拾七円八拾九錢
 總計 金 千四百八拾九円拾九錢也
B12081691600-56
〔画像〕B12081691600-56
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レファレンスコード B12081691600
件名 18.出雲丸朝鮮所安島近傍ニ於テ難破之件
      明治二十五年四月/分割1
   外務省外交史料館 戦前期外務省記録 3門 通商6類
   交通及通信 7項
   水難 困難船及漂民救助雑件/帝国之部 第十六巻
[規模]67
作成年月日 明治25年4月8日~明治26年2月27日
作成者   愛宕艦長海軍少佐島崎好忠//
      在釜山総領事代理副総領事中川恒次郎//
      在仁川領事林権助
組織歴   外務省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年05月02日
[故 從七位 林武一 略傳]
【朝鮮国真景】明治25年11月

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2016年06月07日
[出雲丸破船:明治25年4月4日]
【官報. 1892年04月11日】明治25年

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2016年06月08日
[出雲丸難船救助:愛宕艦長 島崎良忠]
【官報. 1892年04月14日】明治25年
  端舟ニテ漂著セシ者ノ姓名ハ左ノ如シ
  (◎印ハ本艦ニテ回送セシ者)
   船長     南出映之
  ◎三等機關手  正木貞次郎
   梶所     宮地作太郎
   同      中内初太郎
   同      市里庄次郎
   同      宮地伊勢吉
   油差     藤井通明
  ◎石炭夫    森岡茂之助
  ◎同      竹崎重之助
   水夫     宮本竹藏
   同      新見伊達三郎
  ◎船客 下等  石崎岩藏
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[出雲丸遭難場所視察:軍艦摩耶 艦長 海軍少佐 上村彦之介]【官報】明治25年

[出雲丸遭難場所視察:軍艦摩耶 艦長 海軍少佐 上村彦之介]【官報】明治25年

 

【官報. 18920419日】明治25年

 官報 第二千六百三十九號

 明治二十五年四月十九日 火曜日 内閣官報局

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945904/1

 ◎通 運  p5/7

◎出雲丸遭難場所視察

 出雲丸遭難ニ附キ朝鮮仁川港ヘ碇泊ノ

 軍艦摩耶ハ直ニ遭難場所ノ視察ヲ了シ

 去ル十六日 同艦長 海軍少佐 上村彦之介ヨリ左ノ電報アリ

 本月十一、十四日 本?參看(海軍省)

 四月八日 仁川出港

 珍島、所安島、巨文島ヲ經テ釜山ヘ著

 各所探索スルモ死體、物件見當ラス

 沈没ノ場所ハ港門島ノ南西四哩ニ在ル暗礁ナラン

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945904/5

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 

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20160607 04:40 ◆林武一
[出雲丸破船:明治25年4月4日]
【官報. 18920411日】明治25年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/3748034.html

 

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
20160608 05:37 ◆林武一
[出雲丸難船救助:愛宕艦長 島崎良忠]
【官報. 18920414日】明治25年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/3770605.html

 

[出雲丸難船救助:愛宕艦長 島崎良忠]【官報. 1892年04月14日】明治25年

[出雲丸難船救助:愛宕艦長 島崎良忠]【官報. 18920414日】明治25年

 

【官報. 18920414日】明治25年

 官報 第二千六百三十五號

 明治二十五年四月十四日 木曜日 内閣官報局

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945900/1

 ◎通 運  p3/10

◎出雲丸難船救助

 出雲丸破船ニ附キ

 其漂流者救助ニ關シ

 愛宕艦長 島崎良忠ヨリ

 左ノ報告アリ(海軍省)

 ―略―

 八日午後二時三十分

 長崎港ニ著シ直ニ右四人ヲ

 郵船會社支店ヘ引渡セリ

  端舟ニテ漂著セシ者ノ姓名ハ左ノ如シ

  (◎印ハ本艦ニテ回送セシ者)

   船長     南出映之

  ◎三等機關手  正木貞次郎

   梶取     宮地作太郎

   同      中内初太郎

   同      市里庄次郎

   同      宮地伊勢吉

   油差     藤井通明

  ◎石炭夫    森岡茂之助

  ◎同      竹崎重之助

   水夫     宮本竹藏

   同      新見伊達三郎

  ◎船客 下等  石崎岩藏

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945900/3

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

 

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20160607 04:40 ◆林武一
[出雲丸破船:明治25年4月4日]
【官報
. 18920411日】明治25年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/3748034.html

 

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20160609 05:41 ◆林武一
[出雲丸遭難場所視察:軍艦摩耶 艦長 海軍少佐 上村彦之介]
【官報】明治25年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/3794174.html


[軍艦 愛宕:艦長 少佐 島崎好忠]【職員録. 明治25年(甲)】

[軍艦 愛宕:艦長 少佐 島崎好忠]【職員録. 明治25年(甲)】

 

愛宕(横須賀鎭守府所管警備艦) p118-119/238

艦長       少佐     島崎好忠

分隊長      大尉     中村貞邦

分隊長心得    少尉     正戸爲太郎

航海長心得    少尉     森 義臣

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779763/118

航海士兼分隊士  少尉     川浪安勝

機關長      大機關士   松見友吉

軍醫長      大軍醫    内田健藏

主計長心得    少主計    金子正次郎

         少尉候補生  下平英太郎

         少主計候補生 武井金次郎

         上等兵曹   高城安治郎

         機關師    梯 榮吉

         一等機關手  北川喜代藏

         一等機關手  鎌倉留喜

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779763/119

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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20160607 04:40 ◆林武一
[出雲丸破船:明治25年4月4日]
【官報. 18920411日】明治25年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/3748034.html

 

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