◆《大瀧新之助:古海忠之の実父》

《大瀧新之助氏》【日本全国諸会社役員録. 第26回】大正7年

《大瀧新之助氏》
【日本全国諸会社役員録. 第26回】大正7年

[松風工業株式會社  :常務取締役]
[發明品製造株式會社 :取締役]
[大阪電機製造株式會社:取締役]

【日本全国諸会社役員録. 第26回】
 大正7年8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/1023
[松風工業株式會社]  p236/1029
京都市   下京區本町二之橋西入
電 話   下 長 二三四・三〇七
設 立   大正六年十二月
營業ノ目的  陶磁器 製造 販賣
資本金   貳百萬圓
一 株   五拾圓
払込高   壹百萬圓
社 長   松風嘉定  下京、清水二
常務取締役 大瀧新之助 上京、河原町二條上ル
取締役   林 武八  名古屋、東、白壁一
取締役   北村彌一郎 東京、麹町、富士見五
取締役   黒田 豊  上京、粟田口
監査役   鶴谷忠五郎 神戸、山本四
監査役   松風嘉響  下京、清水二 二代目松風嘉定(嘉響)p2/12

大阪支店  東區今橋二丁目
      支店長   平田重兵衛
名古屋支店 東區白壁町一丁目
      支店長兼務 林 武八
東京出張所 主任    高橋孝作
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/236

[發明品製造株式會社] p222/1029
京都市 上京區岡崎町
設立 大正六年六月
資本金 五萬圓
一株 五拾圓
払込高 壹萬貳千五百圓
取締役 大瀧新之助 上京、河原町通二條上ル
取締役 藤山常一  東京、赤阪、青山南六
取締役 武居綾藏  兵庫縣武庫郡西宮町
監査役 三村谷吉  東京府荏原郡目黒村
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/222

[大阪電機製造株式會社] p271-272/1029
大阪市 西成郡神津村
電話 東 長七六六 二四三九
設立 明治四十四年十二月
資本金 五拾萬圓
―略―
社 長   松風嘉定  下京、清水二
専務取締役 井上亀之助 京都、下京、西九條
取締役   小木乕次郎 京都、上京、塔之段藪之下
取締役   大瀧新之助 京都、上京、河原町通二條上ル
取締役   黒田 豊  京都、上京、粟田口
監査役   石野半七  兵庫縣明石郡明石町
監査役   鶴谷忠五郎 神戸、山本四
監査役   林 武八  名古屋、東、白壁一
技 師   亀田 薫
技 師   花田猶興
技 師   不破一気
技 師   小林愛三
技 師   太田垣幹男
技 師   飯塚常雄
會計係長  林 恒吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936468/272

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》  p26/247
松風工業株式會社  専務取締役
内外電球株式會社  専務取締役
發明品製造株式會社 社長
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/27
猶ほ
《大瀧》氏は
内外電球株式會社
(資金五十萬圓四分ノ一払込)の社長として、
大阪電機株式會社
(資金二百五十萬圓四分ノ一払込)の取締役として、
株式會社鶴谷商會
(輸出貿易、資金壹百萬圓半額払込)の監査役として
更に
朝鮮硬質陶器株式會社
(釜山在、資金壹百萬圓四分ノ一払込)の監査役として
 奮闘し今日あるに至つたのである。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/28

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助氏》【改正日本弁護士名簿】明治42年

《大瀧新之助氏》
【改正日本弁護士名簿】明治42年

【改正日本弁護士名簿】明治42年8月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780132/114
○京都地方裁判所々屬 六十四人 p45/119
《大瀧新之助》 山形         p45/119
 上京區河原町通二條上ル
    清水町拾番戸ノ内一號
    電話 一〇五九
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780132/45

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》  p26-27/247
明治三十五年に至り
官界を辭して野に下り
辨護士事務所を京都市に開き   ※上記
爾來大正六年に至る殆んど
十五年間幾多重大事件の辨護に當り、
其の名聲甚だ擧がり、
京都市民は勿論
京都市を中心として
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/26

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助氏》[京都帝國大學:大學院生]明治33年~38年

《大瀧新之助氏》
[京都帝國大學:大學院生]明治33年~38年

【京都帝国大学一覧. 従明治33年至明治34年】
○第十九章 學生及生徒姓名(イロハ順) p81/104
 第一 大學院學生
 法科
商法原理 法學士 《大瀧新之助》 山形
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087031/81

【京都帝国大学一覧. 従明治34年至明治35年】
○第二十章 學生及生徒姓名(イロハ順) p89/116
 第一 大學院學生
 法科
商法原理 法學士 《大瀧新之助》 山形
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087029/89

【京都帝国大学一覧. 明治35-36年】
○第二十章 學生及生徒姓名(イロハ順) p98/128
 第一 大學院學生
 法科
商法原理 法學士 《大瀧新之助》 山形
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812691/98

【京都帝国大学一覧. 明治37-38年】
○第三章 學生(三十七年十二月末日現在イロハ順) p17/163
 第一 大學院學生
 法科ニ屬スル學科ヲ修ムル者
商法原理 法學士 《大瀧新之助》 山形
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812692/17

【京都帝国大学一覧. 明治38-39年】
○第三章 學生(三十八年十二月末日現在イロハ順) p17/175
 第一 大學院學生
 法科ニ屬スル學科ヲ修ムル者
商法原理 法學士 《大瀧新之助》 山形
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812693/17

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》  p26/247
斯くて明治二十九年
第二高等學校を出でゝ
笈を東都に負ひ
帝國大學法科大學に入り
仔々螢雪の苦を積む事三年、
明治三十二年之を卒はり
法學士の學位を綬けられたのであつた、
此時に當り、京都に大學新設の気運熟し
是が實施開校を見るに至つたので
氏は京都に轉じ、
京都地方裁判所に司法官として奉職しつゝ
京都大學大學院に入りて商法の蘊奥を叩き、  ※上記
爾來同院に學ぶこと五年の久しきに亘つた、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/27

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助氏》[京都區裁判所:検事代理・判事]【職員録】明治33年~35年

《大瀧新之助氏》
[京都區裁判所:検事代理・判事]
【職員録】明治33年~35年

【職員録. 明治33年(甲)】
○京都區裁判所 山城國京都市上京區菊屋町 p243/444
 ○検事局
検事代理 (年四二〇) 《大瀧新之助》     p244/444
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779778/244

【職員録. 明治34年(甲)】
○京都區裁判所 山城國京都市上京區菊屋町 p258/444
 判事
七等 十一級  《大瀧新之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779780/258

【職員録. 明治35年(甲)】
○京都區裁判所 山城國京都市上京區菊屋町 p266/486
 判事
監督 四等六級 《大瀧新之助》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/266

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》  p26/247
明治三十二年之を卒はり
法學士の學位を綬けられたのであつた、
此時に當り、京都に大學新設の気運熟し
是が實施開校を見るに至つたので
氏は京都に轉じ、
京都地方裁判所に司法官として奉職しつゝ  ※上記
京都大學大學院に入りて商法の蘊奥を叩き、
爾來同院に學ぶこと五年の久しきに亘つた、
之より先き、
明治三十五年に至り
官界を辭して野に下り
辨護士事務所を京都市に開き
爾來大正六年に至る殆んど
十五年間幾多重大事件の辨護に當り、
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/27

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助》【東京帝国大学一覧】明治29年・32年

《大瀧新之助》
【東京帝国大学一覧】明治29年・32年

[東京帝国大学 法律学科 イギリス法 明治29年9月入学]

【東京帝国大学一覧. 明治29-30年】
第二 法科大學學生及生徒  p168/334
法律學科          p168/334
第一回受験生(姓名イロハ順)  p172/334
 英吉利法ヲ兼修スルモノ
《大瀧新之助》 山形
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813173/172

[東京帝国大学 法律学科 イギリス法 明治32年7月卒業]

【東京帝国大学一覧. 明治32-33年】
○第十九章 學士及卒業生姓名 p238/347
法律學科(英吉利法兼修)     p241/347
明治三十二年七月卒業      p244/347
《大瀧新之助》 山形
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813176/244

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助》【第二高等学校一覧】明治23年~29年

《大瀧新之助》
【第二高等学校一覧】
明治23年~29年

『第二高等中学校 豫科 第二年 明治24年 入学(編入)』
『第二高等学校  大學豫科   明治29年 卒業』

[第二高等中學校一覧 自明治二十三年 至明治二十四年]
《大瀧新之助》 記載なし

[第二高等中學校一覧 自明治二十四年 至明治二十五年]
○第六章 生徒姓名
豫科 第二年級 (乙組)
《大瀧新之助》

[第二高等中學校一覧 自明治二十五年 至明治二十六年]
○第六章 生徒姓名
豫科 第二年級 (甲組)
《大瀧新之助》 山形

[第二高等中學校一覧 自明治二十六年 至明治二十七年]
○第六章 生徒姓名
豫科 第三年級 (甲組)
《大瀧新之助》 山形

[第二高等校一覧 自明治二十七年 至明治二十八年]
○第七  生徒姓名
大學豫科 第一部 第二年 (法科)
《大瀧新之助》 山形

[第二高等校一覧 自明治二十八年 至明治二十九年]
第五 生徒姓名(廿八年十月調)
大學豫科 第一部 第三年(法科)

[第二高等校一覧 自明治二十九年 至明治三十年]
第二高等學校 大學豫科 卒業生
明治二十九年 八十五人
法科大學 在學 《大瀧新之助》 山形

【第二高等学校一覧. 明治21-24年】
[第二高等中學校一覧 自明治二十三年 至明治二十四年]
 ※表紙は無し。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812940/90
第七章 生徒姓名   p124/145
豫科 第三年級    p124/145
《畔柳郁太郎》 山形  p125/145
 ―略―
豫科 第二年級    p125/145
 ―略―
豫科 第一年級(甲組) p126/145
《若宮貞夫》  兵庫
 ―略―
豫科 第一年級(乙組) p126-127/145
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812940/127
明治23年12月20日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812940/141

【第二高等学校一覧. 明治24-28年】
[第二高等中學校一覧 自明治二十四年 至明治二十五年] p1/296
○第六章 生徒姓名    p37/296
豫科 第二年級 (乙組) p39/296
《大瀧新之助》 山形   p40/296
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/40
明治25年1月8日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/61

[第二高等中學校一覧 自明治二十五年 至明治二十六年] p62/296
○第六章 生徒姓名    p101/296
豫科 第二年級 (甲組) p102/296
《大瀧新之助》 山形   p103/296
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/103
明治26年3月2日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/121

[第二高等中學校一覧 自明治二十六年 至明治二十七年] p127/296
○第六章 生徒姓名    p167/296
豫科 第三年級 (甲組) p168/296
《大瀧新之助》 山形   p169/296
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/169

[第二高等校一覧 自明治二十七年 至明治二十八年] p205/296
○第七  生徒姓名         p263/296
大學豫科 第一部 第二年 (法科) p264/296
《大瀧新之助》 山形        p264/296
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/264
明治28年1月26日出版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812941/292

【第二高等学校一覧. 明治28-31年】
[第二高等校一覧 自明治二十八年 至明治二十九年] p1/251
第五 生徒姓名(廿八年十月調)  p62/251
大學豫科 第一部 第三年(法科) p62/251
《大瀧新之助》 山形       p62/251
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812942/62
明治28年12月28日発行

[第二高等校一覧 自明治二十九年 至明治三十年] p76/251
  第六 卒業生姓名      p149/251
第二高等中學校 本科 卒業生  p149/251
 (自明治二十五年 至明治二十七年)三十三人
明治二十五年 十人
 ―略―
明治二十六年 十人
文科大學 在學 《畔柳郁太郎》 山形
 ―略―
明治二十七年 十三人
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812942/149

第二高等學校 大學豫科 卒業生 p150/251
明治二十八年 四十八人     p150/251
文科大學 在學 《藤井健治郎》  p150/251
 ―略―
明治二十九年 八十五人     p151/251
法科大學 在學 《中西清一》  東京
法科大學 在學 《大瀧新之助》 山形
法科大學 在學 《若宮貞夫》  東京
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812942/151
文科大學 在學 《福来友吉》  岐阜 p152/251
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812942/152
明治30年2月6日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812942/155

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助氏》[山形縣尋常中學校]【職員録】明治22年~25年

《大瀧新之助氏》
[山形縣尋常中學校]
【職員録】明治22年~25年

【職員録. 明治22年(乙)】
○山形縣 南村山郡山形旅籠町    p94/165
 ○尋常中學校 南村山郡山形旅籠町 p97/165
  校長(月 七〇) 兼 教諭 《大谷津直麿》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779758/97

【職員録. 明治23年(乙)】
○山形縣 南村山郡山形旅籠町      p99/172
 ○第二部
  五等 《關原彌里》            p99/172
 ○山形縣尋常中學校 山形市大字旅籠町 p102/172
  校長(月 六〇) 兼 教諭 《栂野四男吉》 ※
 ○山形市役所 山形市大字旅籠町    p102/172
  市長(年 四〇〇)     《濱村勘太郎》
 ○米澤市役所 米澤市大字屋代町    p102/172
  市長(年 六〇〇)     《大瀧龍藏》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779760/102

【職員録. 明治24年(乙)】
○山形縣   山形市大字旅籠町  p159/241
 ○尋常中學校 山形市大字旅籠町 p162/241
  當分 校長事務取扱 山形縣廰 《關原彌里》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779762/162

【職員録. 明治25年(乙)】
○山形縣   山形市大字旅籠町  p124/195
 ○尋常中學校 山形市大字旅籠町 p127/195
  校長(月 六〇) 《福原鐵之助》      ※
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779764/127

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》  p26/247
更らに山形市の縣立山形中學校に入りて學んだ、
當時同中學校校長は《栂野四男吉》氏、     ※上記
上級には帝國製麻株式會社重役《鈴木鈴馬》氏あり、
同窓には京都文科大學教授文學博士《藤井健次郎》氏があつた、
斯くて氏は在學中校長《栂野》氏を送り、
《福原鐵次郎》の校長時代に同校を出で、    ※上記
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/27

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助氏》【両羽之現代人】大正8年

《大瀧新之助氏》
【両羽之現代人】大正8年

【両羽之現代人】大正8年1月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/244
《大瀧新之助氏》   p26/247
松風工業株式會社  専務取締役
内外電球株式會社  専務取締役
發明品製造株式會社 社長
 ―略―
明治四十五年一月を以つて逝去し  p27/247
東京市芝區白銀三光町の一寺院に葬られたる
《大瀧忠徳》氏は實に氏の先考である。

氏は明治五年十月二十七日を以つて
前記《忠徳》氏の長男として
呱々の聲を米澤市の一隅
西土手の内町に擧げられた、

八歳、
巖君職に東置賜郡に就きたるに當りて
米澤を去りし時、
氏も亦た是れに隨ひ、

初等教育を東置賜郡高畑小學校に受け、
選秡試驗に屡々及第して
十二歳の少時是れを卒はり、

ついで同郡の教員養成所の在る事二年、


米澤市に出で興讓館に學ぶ事一年、

更らに山形市の縣立山形中學校に入りて學んだ、
當時同中學校校長は《栂野四男吉》氏、
上級には帝國製麻株式會社重役《鈴木鈴馬》氏あり、
同窓には京都文科大學教授文學博士《藤井健次郎》氏があつた、
斯くて氏は在學中校長《栂野》氏を送り、
《福原鐵次郎》の校長時代に同校を出で、

更らに進んで
仙臺に笈を負ひ
第二高等學校(當時第二高等中學校と稱す)に學び、
第一部の教育を受くる事五年、
ついで是れを卒はつた、
《中西清一》(南滿洲鐵道株式會社副總裁)
《若宮貞夫》(逓信省管船局長)
兩氏は當年の同窓で、
氏は當時《黒畔芥舟》氏(第一高等學校教授)と
寝食を伴にした。

斯くて明治二十九年
第二高等學校を出でゝ
笈を東都に負ひ
帝國大學法科大學に入り
仔々螢雪の苦を積む事三年、
明治三十二年之を卒はり
法學士の學位を綬けられたのであつた、

此時に當り、京都に大學新設の気運熟し
是が實施開校を見るに至つたので
氏は京都に轉じ、
京都地方裁判所に司法官として奉職しつゝ
京都大學大學院に入りて商法の蘊奥を叩き、
爾來同院に學ぶこと五年の久しきに亘つた、

之より先き、
明治三十五年に至り
官界を辭して野に下り
辨護士事務所を京都市に開き
爾來大正六年に至る殆んど
十五年間幾多重大事件の辨護に當り、
其の名聲甚だ擧がり、
京都市民は勿論
京都市を中心として
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/27
四方の地方人士間の其の信望を博するに至つた、

是れより、
陶工より起りて遂に
松風陶器合資會社を創設せる
《松風嘉定》氏の事業を輔け、
大正六年十二月
松風工業株式會社を組織し
その成立に及んで専務取締役に擧げられ
大正六年四月
辨護士の職を辭して實業界の人と爲られたのである、

而して松風工業株式會社は現在
資金二百萬圓(半額払込)を有する
電気絶縁碍子製造を目的とし
全國の電燈會社に供給する獨占事業
(其外本邦には名古屋に森村組の
 日本陶器會社ありて此の製造に當るのみ)
で前記《松風》氏社長、
《大瀧》氏専務取締役として
其の經營に從事せられて居る、

猶ほ《大瀧》氏は
内外電球株式會社
(資金五十萬圓四分ノ一払込)の社長として、
大阪電機株式會社
(資金二百五十萬圓四分ノ一払込)の取締役として、
株式會社鶴谷商會
(輸出貿易、資金壹百萬圓半額払込)の監査役として
更に
朝鮮硬質陶器株式會社
(釜山在、資金壹百萬圓四分ノ一払込)の監査役として
 奮闘し今日あるに至つたのである。

 米澤出身在京都の人々曰く。
  『大瀧氏、法學に精通し、民情に深く、
   殊に政黨、選擧の内情の如き
   實に知らざるものなし、
   温厚の裡落々の性を帯び、
   其人敬慕に堪えず、
   吾郷有爲會の京都幹事長たる好適仕なり)と。

著者も亦親しく氏の風貌に接する事を得た、
謹重なる米澤気質を有する一面、
磊落にして衒はざる大學気品を有し、
高くとまらんとする
郷土気質を罷脱して
其間温情流露し、
重役として貫目に缺くる所なき所に氏の面目がある。(了)
 現在 京都市河原町二條上ル
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962037/28

【米沢尋常中学興譲館年報. 明治26年5月-28年12月】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813422/1

【米沢藩学問所興譲館米沢中学校年志】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466495/3

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《大瀧新之助》[日本製布株式會社:取締役]【京都新人物百短評】大正1年

《大瀧新之助》
[日本製布株式會社:取締役]
【京都新人物百短評】大正1年

【京都新人物百短評】大正1年9月15日発行
《大瀧新之助君》  p20/117
辨護士生活より蝉脱しようとして居る
大瀧君が製布會社に重役の一椅子を占めたのは
 ※製布會社:下記に記載
君には渡りに船であつたに違ひない、
是れ製布の大株主
辻家の顧問役が辻家を代表して
監査役と爲つたのである、
即ち大株主の顧問として重役となつた
新之助君に經營的手腕の
特に認むべきものがあるかどうかは
等しく人の疑ふ所だ。

夫れ監査役たる君の値打は頗る平凡であつたが
法律顧問の君は製布の過渡期に於て
多大の功績があつた、
今轉じて常務取締役となつたが
其の經營振りは未知數だとして
十八萬圓の缺損が既知の問題であるだけだ、
唯だ明年に迫つて居る
百五十萬圓の社債借換は
君が腕を試す試金石として
其の眼前に横はつて居る。

放膽豪快は唯に君が性格の半面を
語るに過ぎぬとしても、
而も溪舟先生として
君の畫材は既に一家の風をなすに足る、
辨護士より實業家、
軈て藝術家に轉化せむとする
君こそ世間比儔を見ること稀な所だ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907493/20
大正元年八月二十日印刷
大正元年九月十五日發行
著作者  京阪 萬朝社 編輯部
     京都市河原町夷川上ル
右代表者 武藤 欽
     京都市河原町夷川上ル
印刷社  竹本梅次郎
     京都市麩屋町二條上ル
印刷所  文字堂
     京都市麩屋町二條上ル
發行所  京阪 萬朝社 營業部
     京都市河原町夷川上ル
     電話 上 二三六四番
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907493/114

[日本製布株式會社:取締役]

【日本全国諸会社役員録. 第20回】
 明治45年7月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088134/1261
[日本製布株式會社]  p245/1268
京都府    葛野郡朱雀野村
電 話    上 三一五・六三五・三二〇五
設 立    明治二十九年二月
營業ノ目的   綿糸織布製造賣買及染色起毛
       其他之ニ類スル賃業
資本金    五百萬圓(払込済)
一 株    五拾圓
諸積立金   四拾九萬六千八百貳拾參圓
前期及前々期 無配當
社 長    辻 忠四郎  下京、諏訪町五條下ル
専務取締役  小林銀三   葛野郡衣笠村
取締役    大瀧新之助  上京、河原町二條上ル  ※
取締役    藤村岩次郎  下京、室町通松原下ル
取締役    貝塚卯平兵衛 三重縣桑名郡 桑名町
監査役    平井熊三郎  下京、室町新町ノ間松原下ル
監査役    塚口慶三郎  東京、麻布、北日ケ窪
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088134/245

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

《大瀧新之助:古海忠之の実父》
【人事興信録. 5版】大正7年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659710.html

《大瀧新之助:古海忠之の実父》【人事興信録. 5版】大正7年

《大瀧新之助:古海忠之の実父》
【人事興信録. 5版】大正7年

【人事興信録. 5版】大正7年9月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/1369
《大瀧新之助》  p364/1374
辨護士
松風工業株式會社 取締役
大阪電機製造株式會社 取締役
山形縣 士族
 妻  しん 明治六年一月生 山形 士族 庄田熊一 姉
 男  忠雄 明治三二年二月生
 女  歌子 明治三十六年四月生
君は山形縣 士族 大瀧忠徳の長男にして
明治四年十月二十七日を以て生れ
明治三十三年四月 家督を相續す
明治三十二年七月 東京帝國大學 法科大學を卒業し
後ち 辨護士となり
現に京都市に於て訴訟事務に從事し
尚ほ 大阪電機製造株式會社 取締役を兼ぬ
家族は前記の外
三男 新夫(明治三九年九月生)
四男 秀夫(明治四三年一一月生)あり
二男 忠之(明治三三年五月生)は
   山形縣 士族 古海清藏 養母はるの養子となれり
(京都、上京、河原町通二條上ル三五八)
(電話 上 一〇五九)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704046/364

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

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