◆[早稻田大學新聞]

《陶晶孫:本名 陶 熾》【九州帝国大学一覧】【東北帝国大学一覧】

《陶晶孫:本名 陶 熾》
【九州帝国大学一覧】
【東北帝国大学一覧】

《陶晶孫:本名 陶 熾》

[九州帝国大学 醫學部]
[大正8年入学 大正12年卒業]

[東北帝国大学 理學部 物理學教室]
[大正12年入学 昭和3年迄 在学]

【九州帝国大学一覧 : 附・第八臨時教員養成所一覧. 従大正8至9年】
 大正9年3月30日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940197/218
第二 醫學部 學生  p178/220
  醫學科      p178/220
大正七年入學     p179/220
《楊 子驤》 支那
郭 開貞=郭沫若》 支那
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940197/179
大正八年入學  p180/220
《石 文煥》 臺灣
《楊 子韜》 支那
《龔 寶鍵》 支那
《周 文達》 支那
《何 愼》  支那
《陶 熾》  支那
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940197/180

【九州帝国大学一覧 : 附・第八臨時教員養成所一覧. 大正12年】
 大正12年9月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940200/234
○卒業生姓名        p139/235
 醫學士
  醫學科
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940200/139
大正十二年三月 試験合格 p148/235
《陶 熾》  支那     p148/235
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940200/148
《何 愼》  支那     p149/235
《郭 開貞》 支那     ※郭沫若
《楊 子韜》 支那
《楊 子驤》 支那
《龔 寶鍵》 支那
《周 文達》 支那
《石 文煥》 臺灣
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940200/149

[東北帝国大学 理學部 物理學教室]
[大正12年入学 昭和3年迄 在学]

【東北帝国大学一覧. 自大正12至13年】
 大正12年12月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940207/199
第二 理學部(氏名イロハ順)   p163/201
      (醫ハ醫學士)
 物理學教室         p164/201
 學生
大正十二年入學
醫 《陶 熾》  支那
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940207/164

【東北帝国大学一覧. 昭和3年4月至4年3月】
 昭和3年12月8日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/281
 物理學教室         p217/287
大正十二年入學
醫 《陶 熾》  支那
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/217

【東北帝国大学一覧. 昭和4年4月至5年3月】
 昭和4年11月25日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448287/291
 物理學教室         p221/297
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448287/221
昭和四年三月 學士試験合格  p250/297
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448287/250
※《陶 熾》:いずれも記載なし。

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『東北大学史料館 魯迅記念展示室』
[魯迅と東北大学 歴史のなかの留学生]
[学都仙台留学生小史]
 ―略―
陶晶孫(とうしょうそん/タオ ジンソン)
(1897-1952、留学期間:1923-1928)
本名陶熾(とうし)。文学者・医学者。
九州帝国大学医学部卒業後、東北帝国大学理学部に入学。
 ―略―
http://www2.archives.tohoku.ac.jp/luxun/2_1_foreign_student.html

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》
【東北帝国大学一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659680.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』※①~⑨[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日

『杜に咲いた 紅い花十輪』※①~⑨
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日

[早稻田大學新聞]昭和三年四月廿六日(木曜日)

「學園の春」
『杜に咲いた 紅い花十輪』
〔日だまりに物思ふ〕
《精進な女性達》
 ―略―
歸國後の抱負を卒直に語る
《洪蔚如》さんは
上海南方大學政治科の二年修了生だ、

同じ民國の
《陳素琴》さんは
これも上海法政大學經濟科を二年修了した人
背の君は東北帝大出の理學士だ、   ※背の君:夫:別稿に記載

この他に法科に
朝鮮の牧師さんの娘で
京都淑女を出て長崎で宣教師をしてた ※①京都淑女
《楊確實》さん、
辨護士志望も殊勝、

今一人の
《小手川リン》さんは
富士見高女の出、     ※②富士見高女
 ―略―
櫻井女塾にゐた      ※③櫻井女塾
英文科の
《大鹽マサ》さんだ、

女子英學塾選科出の    ※④女子英學塾
《關鏡子》さん、

帝國女子専門出の     ※⑤帝國女子専門
《金子常子》さん、

神奈川高女出の      ※⑥神奈川高女
《吉川コト》さんの
三人は皆
 ―略―
政經の
《三瓶コウ》さんは
今年東京女子大を終へた人 ※⑦東京女子大

同じ
《石原清子》さんは
神戸女子商業からそこの専修科高等部、 ※⑧神戸女子商業
次いで大阪古屋女子英學塾と       ※⑨大阪古屋女子英學塾
三階段の過程を經ただけ
廿二歳の若さにしては
偉らく秀才
  ×  ×

※①京都淑女
【中等教育諸学校職員録. 昭和2年5月現在(第24版)】
[京都淑女高等女學校] p166/621
京都市上京區大宮頭町
明治三十四年二月
校長 田島教恵
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/166

※②富士見高女
【中等教育諸学校職員録. 昭和2年5月現在(第24版)】
[私立 富士見高等女學校] p133/621
東京府 北豊島郡中新井村富士見の里
大正十三年三月
校長 本間則忠
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/133

※③櫻井女塾
[櫻井ちか小伝 : 櫻井女塾の歴史]
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN06010501
[私立 英語専門 櫻井女塾規則 大正七年七月改正]
http://erikawa.s27.xrea.com/database3/detail_info.php?id=1082

※④女子英學塾
【全国大学高等学校専門学校入学案内】大正14年
[女子英學塾](私立)  p100-101/111
所在地     東京市麹町區五番町
修業年限及科目 英文學 三箇年
塾 長     津田梅子
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913353/100

※⑤帝國女子専門
【中等教育諸学校職員録. 昭和2年5月現在(第24版)】
[帝國女子専門學校 附屬 私立 日本高等女學校] p122/621
東京府 小石川區大塚町
明治三三年一〇月
校長 平山成信
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/122
[私立 帝國女學校] p123/621
東京府 小石川區大塚町
大正十三年四月
校長 野口保興
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/123
[相模女子大学の歴史]
1909(明治42年)
東京市小石川区大塚町に
帝国女子専門学校を開設
日本高等女学校(日本女学校を改組)附設
http://www.sagami-wu.ac.jp/guideline/outline/history.html

※⑥神奈川高女
【中等教育諸学校職員録. 昭和2年5月現在(第24版)】
[縣立 高等女學校] p200/621
神奈川縣 横濱市岡野町
明治三三年一〇月
校長 河邊良平
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/200

※⑦東京女子大
【全国大学高等学校専門学校入学案内】大正14年
[東京女子大學](私立)  p100/111
所在地     東京市外 淀橋
修業年限及科目 文學科、社會學科 各五箇年
校 長     新渡戸稻造
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913353/100
[東京女子大学]
歴史(年表)
1918年(大正7 )  東京府豊多摩郡淀橋町字角筈(現在の新宿)で開学
        学長・新渡戸稲造、学監・安井てつ、
1923年(大正12) 安井てつ 学長に就任
1924年(大正13) 豊多摩郡井荻村(現在の杉並区善福寺)に移転
http://office.twcu.ac.jp/aboutus/history.html

※⑧神戸女子商業
【中等教育諸学校職員録. 昭和2年5月現在(第24版)】
[私立 女子商業學校] p216/621
兵庫縣 神戸市楠町
大正六年四月
校長 江渡哲太郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448034/216

※⑨大阪古屋女子英學塾
【大阪便覧. 大正16年】大正15年
(る)其他の私立學校(私塾)の部 p143/233
◇英語學校
古屋女子英學塾
英語、女學部(専門學校)
住吉區天王寺町二一七八
古屋登代子
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020544/143
[闘病三十年間の私の事業と信仰と療病法]
古屋登代子 著
[目次]
標題
目次
第一章
古屋女子英學塾創業と經營苦
大正式寺子屋の誕生 / 1
結核性腎臟炎の擡頭 / 4
私塾らしい私塾時代 / 6
關西にも英語熱勃興 / 8
 ―略―
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/656236.html

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[早稻田大學新聞]
 昭和三年四月廿六日(木曜日)
 ◇週刊◇
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659678.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659679.html

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》
【東北帝国大学一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659680.html

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》【東北帝国大学一覧】

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》
【東北帝国大学一覧】

『杜に咲いた 紅い花十輪』[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
[早稻田大學新聞]昭和三年四月廿六日(木曜日)
「學園の春」
『杜に咲いた 紅い花十輪』
〔日だまりに物思ふ〕
《精進な女性達》
 ―略―
同じ民國の
《陳素琴》さんは
《陳素琴》
これも上海法政大學經濟科を二年修了した人
背の君は東北帝大出の理學士だ、   ※背の君:夫
 ―略―
[理學士:大正7年~昭和3年卒業 支那]
【東北帝国大学一覧. 昭和3年4月至4年3月】
○卒業生氏名(五十音順)    p236/287
 第一 理學部       p236/287
   理學士        p236/287
 化學科          p237/287
大正七年七月卒業      p237-238/287
《何 良藻》 支那      p238/287
《鄭 貞文》 支那      p238/287
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/238
大正十二年三月 學士試験合格 p240/287
《陳 建功》 支那 (數)    p240/287
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/240
大正十四年三月 學士試験合格 p241/287
《䔥 緇》  支那 (數)    p241/287
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/241
昭和二年三月  學士試験合格 p243/287
《蘇 歩青》 支那 (數)    p243/287
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/243
昭和三年三月  學士試験合格 p244/287
《鄭 尭柈》 支那 (數)    p244/287
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448276/244

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

『東北大学史料館 魯迅記念展示室』
[魯迅と東北大学 歴史のなかの留学生]
[学都仙台留学生小史]
日本人同様の「門戸開放」方針を留学生にも適用した結果、
東北帝大には他の大学に比べ多様なキャリアを持つ留学生が入学し、
少数ながら女性の留学生もいた。
卒業生のなかには、
中国現代数学の開拓者として有名な
陳建功・蘇歩青など、優れた功績を残した人たちも多い。

蘇歩青(そ ほせい/ス ブチン)
(1902-2003、留学期間:1924-1931)
中国を代表する数学者。
 ―略―
陳建功(ちん けんこう/チェン ジャンゴ)
(1893-1971、留学期間:1920-1929)
蘇歩青とともに中国現代数学の開拓者として活躍した数学者。
 ―略―
陶晶孫(とうしょうそん/タオ ジンソン)  ※別稿に記載
(1897-1952、留学期間:1923-1928)
本名陶熾(とうし)。文学者・医学者。
九州帝国大学医学部卒業後、東北帝国大学理学部に入学。
 ―略―
http://www2.archives.tohoku.ac.jp/luxun/2_1_foreign_student.html

[早稻田大學新聞]
 昭和三年四月廿六日(木曜日)
 ◇週刊◇
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659678.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659679.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』※①~⑨
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659681.html

《陶晶孫:本名 陶 熾》
【九州帝国大学一覧】
【東北帝国大学一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659682.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日

『杜に咲いた 紅い花十輪』
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日

[早稻田大學新聞]昭和三年四月廿六日(木曜日)

「學園の春」
『杜に咲いた 紅い花十輪』
〔日だまりに物思ふ〕
《精進な女性達》

陰鬱な冬が去つてめぐり來た春の微風と共に
匂やかに咲き出でた紅い花十輪、
新緑の杜を華やかな息吹きに彩どる楚々の姿態、
春のひる下り、
柔かな吹くともなしの風に
ひるがへる裾も輕やかに
そぞろ歩く若き
女子聽講生の一群こそそれだ、
學園を慕つて集まつたこれらの女性達は
やはらかな文科志望のみでなく
政經に四人、
法科に二人とは
時節柄見逃せぬ現象ではある、
しかもうら
若い異國の花も交つて
  ×  ×
「政客の僞瞞に組せず
 學術研究を以て
 日支親善の根本的方策を立てたいと
 思ひます」

歸國後の抱負を卒直に語る
《洪蔚如》さんは
上海南方大學政治科の二年修了生だ、

同じ民國の
《陳素琴》さんは
これも上海法政大學經濟科を二年修了した人
背の君は東北帝大出の理學士だ、   ※背の君:夫:別稿に記載

この他に法科に
朝鮮の牧師さんの娘で
京都淑女を出て長崎で宣教師をしてた ※①京都淑女
《楊確實》さん、
辨護士志望も殊勝、

今一人の
《小手川リン》さんは
富士見高女の出、     ※②富士見高女

廿九歳を頭に廿歳まで
何れ劣らぬ向學心に燃ゆる女性達は
早稲田の學び舎を何と見てゐるか
「まだ授業に出ないんですもの
 私わかりませんは、
 でも學生が多くて何處へ行っても
 ゴチヤゴチヤゐるし
 ペタベタ貼出した掲示などを見ると
 停車場の様な感じが致しますわ」

恥づかしさうに身をひねりながら
語るひとは

櫻井女塾にゐた      ※③櫻井女塾
英文科の
《大鹽マサ》さんだ、

女子英學塾選科出の    ※④女子英學塾
《關鏡子》さん、

帝國女子専門出の     ※⑤帝國女子専門
《金子常子》さん、

神奈川高女出の      ※⑥神奈川高女
《吉川コト》さんの
三人は皆
國文科で
十七名の受驗者の中から
選抜されただけあつて
頭も気も當世には稀な程
しつかりしてゐるとは
事務所の保證だ

政經の
《三瓶コウ》さんは
今年東京女子大を終へた人 ※⑦東京女子大

同じ
《石原清子》さんは
神戸女子商業からそこの専修科高等部、   ※⑧神戸女子商業
次いで大阪古屋女子英學塾と      ※⑨大阪古屋女子英學塾
三階段の過程を經ただけ
廿二歳の若さにしては
偉らく秀才
  ×  ×
とまれ男世帯の學園に
おのがじゝの抱負を持つて
飛びこんだ女性十名、
自由の學園に何を學び得、
何を感得するか、
春のひだまりにさざめき
さへも洩らさず、
静かに物思ふてゐた二人の女性が
遽(にはか)に鳴りひびいた鐘の音に
慌しく立上つた

寫眞は右から、石原、洪、陳、三瓶、吉川、關、金子、大鹽の諸嬢
『杜に咲いた 紅い花十輪』
『杜に咲いた 紅い花十輪』[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日

①~⑨:別稿に記載

[戦前期早稲田大学の台湾人留学生]
 《紀 旭峰》
 一 台湾人の早稲田大学留学の歴史的展開 p2/37
(一) 早稲田大学の外国人・外地留学生受け入れ p2/37
さて、早稲田大学は各学部への女子学生の入学を許可したのは p4/37
一九三九年(昭和14年)一月であった。
その二年後、つまり一九四一年(昭和16年)四月に
最初の女子留学生《王汝蘭》、《黎青竹》、《戒清松》が入学する。
この三名はいずれも中国人で、文学部に進学した。
一方、朝鮮からは聴講生として二名入学したものの、
名前と入学・中退時期は明らかでない。註(10)
註(10) 早稲田大学校友会女子同好会編 p29/37
 『早稲田女子学生の記録 一九三九~一九四八』、八七頁
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/38846/1/WasedaDaigakushiKiyo_44_Chi.pdf

研究者氏名
《紀 旭峰》
(キ キョクホウ)
所属 早稲田大学
部署 アジア研究機構
職名 次席研究員(研究院講師)
学位 博士(学術)(早稲田大学), 修士(国際関係学)(早稲田大学)
その他の所属 聖心女子大学
http://researchmap.jp/rara8584/

[早稻田大學新聞]
 昭和三年四月廿六日(木曜日)
 ◇週刊◇
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659678.html

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》
【東北帝国大学一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659680.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』※①~⑨
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659681.html

[早稻田大學新聞]昭和三年四月廿六日(木曜日)◇週刊◇

[早稻田大學新聞]
 昭和三年四月廿六日(木曜日)
 ◇週刊◇

[早稻田大學新聞]昭和三年四月廿六日(木曜日)
 ◇週刊◇
 毎週木曜發行
 本紙 定價  一部 金  五錢
       半年分 一圓五十錢(税共)
       一年分 三圓   (税共)
 廣告料 普通 五號 十五字詰
        一行 金 六十錢
 發行兼編輯印刷人 喜多壯一郎
 發行所 早稻田大學新聞學會
     東京市牛込區早稻田
     早稻田大學構内
     電話 牛込   五一三番
     振替 東京 四九三九八番

〔廣告〕
大觀堂書店
 早稻田下戸塚
 早稻田大學裏通り(グランド上)
<新學期に御入用な教科書は >
<古本屋大觀堂をご利用下さい>
[早稻田大學新聞]
購入先:よか書房
    富山県高岡市伏木古国府1-20
購入日:平成26(2014)年2月13日
    ¥2,000.

『杜に咲いた 紅い花十輪』
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659679.html

《陳素琴:背の君は東北帝大出の理學士》
【東北帝国大学一覧】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659680.html

『杜に咲いた 紅い花十輪』※①~⑨
[早稻田大學新聞]昭和3年4月26日
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659681.html

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