《施 述天》
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
昭和14年9月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/548
《施 述天》 p280/554
大東信託株式會社 社員
出身地 臺灣 臺中州
現住所 臺灣 臺北市下奎府町三ノ二〇
(電話 臺北 二九五六)
明治四十五年四月七日生
昭和十年 専門部 政治經濟科卒
臺灣臺中州《施 純厚(亡)》長男
州立 臺中第一中學校 出身
昭和十年 専門部 政治經濟科 卒業
昭和十一年一月 大東建託株式會社に入社し
同社社員として現在に至る
趣味 讀書 旅行
家庭 夫人 貞子(大正三年生)
(東京市豊島區西巣鴨町二ノ二四八七の人)
(福山高女 出)
長女 瑞蕙(昭和十一年生)
二女 婉容(昭和十二年生 栗原禎四郎 二女)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/280
《紀 旭峰》
一 台湾人の早稲田大学留学の歴史的展開 p2/37
(一) 早稲田大学の外国人・外地留学生受け入れ p2/37
[表④] 戦前期早稲田大学台湾人卒業生一覧 1/2 p12/37
《施述天》 1935年(昭和10年) 専門部 政治経済 p12/37
[表④] 戦前期早稲田大学台湾人卒業生一覧 2/2 p13/37
植民地青年のエリート・リクルートの影響もあって、 p11/37
専門部を卒業した台湾人はほとんどそのまま就職した。 p11/37
それでも一部の卒業生が引き続き学部に進学した。 p14/37
具体的には次のような人物をとりあげられる。
《施添福》(一九二九年専門部法科・一九三二年法学部)
―略―
二 台湾人留学生の「知の構築と実践」 p15/37
(一) 早稲田大学での学び
―略―
政治経済科は早稲田大学創設の当初から
《大隈重信》や《小野梓》など、
早稲田大学創立にかかわっていた人物が
重点をおいた学科であった。
―略―
おわりに p28/37
―略―
他方、留学生の社会的役割を検証すると、
光の側面だけでなく、
必ず対日協力者やブラックリストといった
影の側面に直面するのも事実である。
一例であるが、
政治経済学部出身の《施朝暉=史明》は、
イデオロギーの相違(思想の左傾化)によって
当時の国民党政権のブラックリストに載せられたため、
長期間帰国を禁じられていた。
《施朝暉=史明》は一九六二年(昭和37年)、
日本で『台湾人四百年史』と題する
台湾史研究の専門書(音羽書房)を出版した。
―略―
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/38846/1/WasedaDaigakushiKiyo_44_Chi.pdf
研究者氏名
《紀 旭峰》
(キ キョクホウ)
所属 早稲田大学
部署 アジア研究機構
職名 次席研究員(研究院講師)
学位 博士(学術)(早稲田大学), 修士(国際関係学)(早稲田大学)
その他の所属 聖心女子大学
http://researchmap.jp/rara8584/
《施 添福》
【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659683.html
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
【早稲田大学紳士録. 昭和15年版】
昭和14年9月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/548
《施 述天》 p280/554
大東信託株式會社 社員
出身地 臺灣 臺中州
現住所 臺灣 臺北市下奎府町三ノ二〇
(電話 臺北 二九五六)
明治四十五年四月七日生
昭和十年 専門部 政治經濟科卒
臺灣臺中州《施 純厚(亡)》長男
州立 臺中第一中學校 出身
昭和十年 専門部 政治經濟科 卒業
昭和十一年一月 大東建託株式會社に入社し
同社社員として現在に至る
趣味 讀書 旅行
家庭 夫人 貞子(大正三年生)
(東京市豊島區西巣鴨町二ノ二四八七の人)
(福山高女 出)
長女 瑞蕙(昭和十一年生)
二女 婉容(昭和十二年生 栗原禎四郎 二女)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461894/280
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
《紀 旭峰》
一 台湾人の早稲田大学留学の歴史的展開 p2/37
(一) 早稲田大学の外国人・外地留学生受け入れ p2/37
[表④] 戦前期早稲田大学台湾人卒業生一覧 1/2 p12/37
《施添福》 1929年(昭和4年) 専門部 法律 p12/37
1932年(昭和7年) 大学 法学 p12/37《施述天》 1935年(昭和10年) 専門部 政治経済 p12/37
[表④] 戦前期早稲田大学台湾人卒業生一覧 2/2 p13/37
《施朝暉=史明》
1942年(昭和17年) 大学 政治経済 p13/37植民地青年のエリート・リクルートの影響もあって、 p11/37
専門部を卒業した台湾人はほとんどそのまま就職した。 p11/37
それでも一部の卒業生が引き続き学部に進学した。 p14/37
具体的には次のような人物をとりあげられる。
《施添福》(一九二九年専門部法科・一九三二年法学部)
―略―
二 台湾人留学生の「知の構築と実践」 p15/37
(一) 早稲田大学での学び
―略―
政治経済科は早稲田大学創設の当初から
《大隈重信》や《小野梓》など、
早稲田大学創立にかかわっていた人物が
重点をおいた学科であった。
―略―
おわりに p28/37
―略―
他方、留学生の社会的役割を検証すると、
光の側面だけでなく、
必ず対日協力者やブラックリストといった
影の側面に直面するのも事実である。
一例であるが、
政治経済学部出身の《施朝暉=史明》は、
イデオロギーの相違(思想の左傾化)によって
当時の国民党政権のブラックリストに載せられたため、
長期間帰国を禁じられていた。
《施朝暉=史明》は一九六二年(昭和37年)、
日本で『台湾人四百年史』と題する
台湾史研究の専門書(音羽書房)を出版した。
―略―
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/38846/1/WasedaDaigakushiKiyo_44_Chi.pdf
研究者氏名
《紀 旭峰》
(キ キョクホウ)
所属 早稲田大学
部署 アジア研究機構
職名 次席研究員(研究院講師)
学位 博士(学術)(早稲田大学), 修士(国際関係学)(早稲田大学)
その他の所属 聖心女子大学
http://researchmap.jp/rara8584/
《施 添福》
【早稲田大学校友会会員名簿. [昭和10年用]】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659683.html