◆【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】

[自轉車輸入商]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[自轉車輸入商]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
〔広告〕    p8/94
自轉車輸入商 境野商店  自轉車部 中仙道本庄町
前橋支店   境野商店  自轉車部 前橋市紺屋町
高崎支店   松山德太郎      高崎市田町一丁目
相生代理店  須東辨次郎      相生町新宿
足利代理店  小泉衡三       足利町停車場前
宇都宮代理店 久米川宇平      宇都宮市傳馬町
熊谷代理店  大谷源造       熊谷町石原
○自轉車確實廉價販賣
○迅速入念修繕
○貸自轉車
○乘方安全速成敎授
○價格新規五十五圓以上二百圓迄
○中古德用品二十五圓以上品々
 クリーブラド    各種
 イークル      各種
 ウエストフィルド   各種
 ランブラー      各種
 ホワイトフライヤー 各種
 其他 數十種類
 附屬品 數百種類
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/8
明治三十四年四月三十日印刷
明治三十四年五月 七日發行
定價 金 六拾錢
編輯兼發行人 吉村吉太郎
       茨城県水戸市上市馬口勞町百六拾四番地
印刷人    木村文藏
       本所區相生町三丁目六番地
印刷所    江東印刷株式會社
       本所區相生町三丁目六番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/89

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[接骨治療:井上敬太郎]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[接骨治療:井上敬太郎]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎接骨治療:井上敬太郎君  p38/94
 舊幕臣天神眞揚流祖
 磯又右衛門の門下に遊ぶこと多年
 其蘊奥を極め
 明治維新後と雖も嘗て一日も之を廢したる事なく

 同十五年   ※明治15年(1882)
 學習院敎授に

 同廿四年   ※明治24年(1891)
 東京美術學校敎授に招聘せられ又
 帝國大學の學生をも敎聘し

 山岡・本庄兩氏が
 「大和會」を設立の時
 同會に聘せられて
 多くの子弟を敎育せられたれば
 斯道に於ては其名四方に高く

 今尚
 東京本鄕湯島天神下同朋町に住宅あり
 盛に接骨をなす

 君三十一年中 ※明治31年(1898)
 轉地療養として大宮に來りし時
 知己の紹介にて三四の患者を治療したるが
 孰も其技術に驚き強て請ふて巳まざれば
 足を駐めて斯く治療を爲し居れるとぞ
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/38
明治三十四年四月三十日印刷
明治三十四年五月 七日發行
定價 金 六拾錢
編輯兼發行人 吉村吉太郎
       茨城県水戸市上市馬口勞町百六拾四番地
印刷人    木村文藏
       本所區相生町三丁目六番地
印刷所    江東印刷株式會社
       本所區相生町三丁目六番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/89

《嘱託教員 體操   井上敬太郎》

【東京美術学校一覧. 明治23-27年】
[東京美術學校一覧 從 明治廿六年 至 明治廿七年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813190/92
學校長       岡倉覺三  東京 p111/131
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813190/111
嘱託教員 美術解剖 森 林太郎 東京 p112/131
          陸軍二等軍醫正
          從六位 醫學博士
嘱託教員 體操   井上敬太郎 東京 p112/131
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813190/112
明治二十六年十一月十九日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813190/126

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[学習院柔道部]
【学習院柔道 歴代の先生方】
《明治》
嘉納治五郎 先生 明治15年1月~明治24年4月
井上敬太郎 先生 明治16年4月~明治19年3月
岩波静彌  先生 明治19年6月~明治24年2月
 ―略―
http://www.gakushuin-judo.jp/modules/pico2/index.php?content_id=6

[大東流合気武術]
 西郷派大東流~現代に生きる武士道集団~
■ 西郷頼母と西郷四郎■
●西郷四郎
 ―略―
竹村はこんな四郎を見るに見かね、
自身も慶応義塾の拳法道場で武術を修行している立場から、
四郎の天成の資質を見抜き、
拳法道場の師範の伝(つて)を頼りに、
四郎を井上敬太郎(いのうえけいたろう)の
柔術道場に内弟子として入門させる。
 ―略―
http://www.daitouryu.com/japanese/column/top/tanomotoshirou/col_tanomotoshirou15.html

[礫川全次のコラムと名言]
柳田國男と天真神楊流柔術
(西郷四郎と柳田國男の意外な接点)
 ―略―
井上通泰および柳田國男がついた
「井上という名の先生」というのは、
天真神楊流の井上敬太郎を指す。
井上敬太郎は、磯正智の高弟で、
湯島天神下に井上道場と呼ばれる道場を持っていた。
柳田もここに通ったのである。
 ―略―
http://blog.goo.ne.jp/514303/e/688a49d446b65637ad83b349d594a9cc

[Wikipedia]
天神真楊流(てんじんしんようりゅう)とは、
磯又右衛門正足が開いた柔術の流派。
起倒流とともに講道館柔道の基盤となった流派として知られる。
―略―
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%9C%9F%E6%A5%8A%E6%B5%81

[名倉堂鍼灸術治療所]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[名倉堂鍼灸術治療所]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
〔広告〕    p38/94
名倉堂鍼灸術治療所
浦和町表門通
諸病灸点術 鍼治術治療 專門廣告
◎頭病、目病、かたはり、胃病、胃じゃく、
 疝氣、疝しやく、子宮、血の道、血しやく、
 産前産後、水氣、むくみ、せいきれ、
 動悸打、手足しびれ又はいたみ、
 中氣、中しやう、カツケ、リヨマチス
◎其外諸病治療に應ず
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/38
明治三十四年四月三十日印刷
明治三十四年五月 七日發行
定價 金 六拾錢
編輯兼發行人 吉村吉太郎
       茨城県水戸市上市馬口勞町百六拾四番地
印刷人    木村文藏
       本所區相生町三丁目六番地
印刷所    江東印刷株式會社
       本所區相生町三丁目六番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/89

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[鍼科醫:金子喜平]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[鍼科醫:金子喜平]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎愛生堂鍼療院    p40/94
 鍼科醫:金子喜平君は若きより醫學に志し篤く
 東京に出で久しく醫術を攻究中
 大に感ずる所あり
 颷然志を更めて鍼科醫となりしが
 其所思は今日鍼術の衰頽せしを慨し
 專ら斯道を研究し
 學理と實地とに就き
 徐々に之を挽回して
 現在未來に盛ならしめんことを
 期したるにに在れば
 廿三年中  ※明治23年(1890)
 君此業を開きし以降
 患者に接する
 幾百千人極めて精診善く病所を診して
 究理に勉めしにぞ
 令名四方に高し
 君資性太く文學を嗜み
 書を能くし又
 音樂、圍碁、盆栽に心を寄せ
 閑あれば則と之を樂む
 君も亦風流の士と謂ふべき也

◎産婆:金子きわ子  p40/94
 東京に於て久しく産婆學を專修
 上尾町に開業したるは
 一昨三十二年七月なるが ※明治32年(1899)7月
 長く實習の學科を應用して
 親切に診察するより
 姙婦の來徃常に多し
 きわ子は後記の鍼科醫:金子喜平君の妻女にして
 夙に令聞あり
 (三十二年十月廿五日 産婆名簿登録済)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/40
〔広告〕    p46/94
姙婦診察所
産婆:金子きわ
中仙道上尾町

愛生堂鍼療院
鍼科醫:金子喜平
中仙道上尾町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/46
明治三十四年四月三十日印刷
明治三十四年五月 七日發行
定價 金 六拾錢
編輯兼發行人 吉村吉太郎
       茨城県水戸市上市馬口勞町百六拾四番地
印刷人    木村文藏
       本所區相生町三丁目六番地
印刷所    江東印刷株式會社
       本所區相生町三丁目六番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/89

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[産婆:金子きわ]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659565.html

[産婆:内田かね]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:内田かね]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎産婆:内田かね子  p53/94
 明治廿八年  ※明治28年(1895)
 醫科大學第一醫院を卒業
 東京に於て久しく産婆を營み居りしが
 三十年十二月 ※明治30年(1897)12月
 鄕里の深谷町に移轉開業し
 姙娠並に分娩は道の遠近に拘はらず
 診察取扱を迅速叮嚀に爲し居れり又
 同子は第一醫院に在りし時
 看護學をも修業したれは
 夏季傳染病
 流行の際には傍ら看護婦
 (東京に特約ありて許多の看護婦)
 派出の依頼に應じ廣く患者の看護をも爲して
 豫防撲滅に盡力せらる
 同子人となり貞烈
 嘗て人を凌ぐが如き事をせず
 貧困者には太く慈惠を加へ
 無報酬にて診察取扱を爲す故
 廣く良産婆と稱せらる
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/53
〔広告〕    p67/94
姙婦診察所 産婦取扱所
産婆:内田かね
醫科大學第一醫院卒業
中仙道深谷町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/67
明治三十四年四月三十日印刷
明治三十四年五月 七日發行
定價 金 六拾錢
編輯兼發行人 吉村吉太郎
       茨城県水戸市上市馬口勞町百六拾四番地
印刷人    木村文藏
       本所區相生町三丁目六番地
印刷所    江東印刷株式會社
       本所區相生町三丁目六番地
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/89

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[産婆:四戸いさ]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:四戸いさ]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎産婆:四戸いさ子  p42/94
 岩手縣盛岡市に生れ
 久しく東京に在りて
 産婆學及實地を研究し
 去る廿二年九月  ※明治22年(1889)9月
 内務省産婆開業試驗に及第し
 翌廿三年二月 ※明治23年(1890)2月
 北足立郡鴻巣町に開業
 事情ありて
 廿五年八月中 ※明治25年(1892)8月
 桶川町に移轉し
 現今盛に斯術を施し
 柔和なれば評判好く
 良人:林庄八郎君
 職員として同町小學校に在り
 兩々相双で好評也
 (三十三年三月中 醫籍登録済)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/42
〔広告〕    p50/94
姙婦診察所
産婆:四戸いさ
桶川町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/50

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[産婆:金子きわ]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:金子きわ]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎産婆:金子きわ子  p40/94
 東京に於て久しく産婆學を專修
 上尾町に開業したるは
 一昨三十二年七月なるが ※明治32年(1899)7月
 長く實習の學科を應用して
 親切に診察するより
 姙婦の來徃常に多し
 きわ子は後記の
 鍼科醫:金子喜平君の妻女にして
 夙に令聞あり
 (三十二年十月廿五日 産婆名簿登録済)

◎愛生堂鍼療院    p40/94
 鍼科醫:金子喜平君は若きより醫學に志し篤く
 東京に出で久しく醫術を攻究中
 大に感ずる所あり
 颷然志を更めて鍼科醫となりしが
 ―略―
 ※別稿に記載
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/40
〔広告〕    p46/94
姙婦診察所
産婆:金子きわ
中仙道上尾町

愛生堂鍼療院
鍼科醫:金子喜平
中仙道上尾町
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/46

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[鍼科醫:金子喜平]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659568.html

[産婆:中川きく]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:中川きく]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎姙婦診療所          p34/94
 産婆:中川きく子は久しき以前より世に知らる
 姙婦診断及び取揚げは道の遠近を問はず
 迅速に出張して善く之を取扱ひ居れば
 常に繁昌を極む

〔広告〕    p34/94
姙婦診療
産婦とりあげ
産婆:中川きく
浦和町玉藏院南角
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/34

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[産婆:小室滿子]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:小室滿子]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎産婆:小室滿子        p22/94
 小室家の令室なり
 東京に於て多年産婆學を攻究し
 内務省試驗に及第して
 産婆を開業したるものなるが
 姙婦の取扱ひ最も老練親切なれば
 診療を請婦人常に多し

◎私立本庄病院長:小室蔦之助君 p22/94
 醫科大學別科の全課を卒業し、
 醫家にして久しき以前
 本庄病院を創設し
 能く診察を爲し居れるが
 君の長技は産科・婦人科・花柳病・外科なれば
 本庄檢黴所長を現任して
 善く斯病を診察治療す
 病院は郡内無二の新式構造にして
 空氣の流通宜しきの上に
 病室亦淸潔且入院外來兩患者に接する
 極めて親切故
 治を請ふ者常に多く
 副院長・内外科:松本德二郎君を始め
 多數醫員も亦各自其長技に於て診察すれば
 日夜繁昌なり
 君稟性温順慈善心に富み
 常に善く恩惠を施すにぞ
 德望世に遍し
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/22

【病家之心得】明治廿三年八月十五日出版
 埼玉縣兒玉郡本庄町 小室醫院
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849413/1
明治廿三年八月十四日印刷
仝   年仝月十五日出版
非賣品
著作者兼發行人 小室蔦之助
        埼玉縣兒玉郡本庄町
        第百六拾二番地寄留
印刷者     辻 守之助
        埼玉縣北足立郡鴻巣町
        第百拾四番地寄留
印行所     長島活版部
         仝 所
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849413/6

【帝国医籍宝鑑】明治31年8月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/409
開業醫
小室蔦之助 埼玉縣 北埼玉郡不動岡村 p102/427
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900127/102

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


[埼玉県行政文書から見る県立医学校]
 開校から廃校まで
 久保田友子
 〔東京大学医学部への公費による入学願者〕 p56 三三
②小室蔦之助 明治十二年三月~県立医学校在籍
       明治十四年三月 東大医学部入学照会
       明治十四年五月 入学願 学資支給
http://www.monjo.spec.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=595

[産婆:池田まさの]【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

[産婆:池田まさの]
【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】明治34年

【中仙道繁昌記:一名・各種営業家評判記】
 吉村夢宅編述  水陽 江湖堂藏版
 明治34年5月7日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/1
◎産婆:池田まさの子    p26/94
 池田醫士の令室なり
 久しく醫科大學第一醫院に於て
 産婆學を學び卒業の後
 東京麹町區飯田町六丁目
 産婆:西尾鏡子に隨ひ一年餘實ちを研究
 群馬縣山田郡大間々町に開業して
 姙婦診察の好成績を遺せしが
 一昨年十一月中 ※明治32年(1899)11月
 更に本庄町に開業し
 道の遠近を問はず迅速に出張して
 懇切に姙婦を取扱ふのみならず
 常に「姙婦分娩及び小兒扱ひ心得書」
 一といへるを須與して
 廣く其道を知らしめんとする
 篤志の産婆なり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/26
◎内科婦人科:池田義之助君 p25-26/94
 東京の士
 鄕里に於て幼より醫術を學び
 業成りし後
 各地に開業し所
 學を施し
 一昨年十一月 ※明治32年(1899)11月
 本庄町安養院大門前に開業し
 懇切施術に奔走せらるゝが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/25
 其長技は内科婦人科なり
 君尚患者の利便を計り
 開業と共に
 神保原驛前に分診所を設け
 隔日出診治療するより
 患者は孰も其懇切に感じ居れり
 君性質温順なれば
 良醫の名を博すると共に
 交際家として德望あり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/26
〔広告〕          p13/94
内外婦人科
醫士:池田義之助
中仙道本庄町安養院大門
仙鼎堂醫院分診所 神保原停車場前

産婆:池田まさの
醫科大學第一醫院 卒業
中仙道本庄町安養院大門
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778472/13

[池田義之助 明治元年8月4日生]

【日本杏林要覧】明治42年12月28日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/965
埼玉縣 兒玉郡 p287/976
池田義之助 試験 廿八年五月 埼玉 平民
      明治元年生
      本庄町四一八二
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/900147/287

【日本医籍録】大正14年8月10日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/1330
埼玉縣 兒玉郡 p566/1332
池田義之助 本庄町
内兒産科 池田醫院
明治元年八月四日生
明治廿八年 試験及第
登録 八二四四號
後 茨城縣 共同病院ニ奉職
三十年 同縣 検疫醫 拜命
三十一年 群馬縣ニ開業
三十二年 現住地 開業
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935301/566

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

[泰成堂書店]
会報第4号
著者名:埼玉県産婆会
冊 数:1冊
刊行年:昭6
会 長:池田まさの
No.25969
価格:2,100円
http://taiseido.koshoten.net/catalog/product_info.php?products_id=25969
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