《看護婦長 玉利妙子:小倉勇の妻※小倉智昭の父》
【台北医院年報. 第40回(昭和11年)】
【台北医院年報. 第40回(昭和11年)】
第一節 職員擔任事務竝現在職員及看護婦傭員數
(昭和十一年末現在)p18/93
[看護婦長] p22/93
看護婦長 月俸 八十圓 栗田ハツ 北海道
看護婦長 月俸 六十圓 鏡山ミノエ 大分縣
看護婦長 月俸 六十圓 喜多居のゑ 福岡縣
看護婦長 月俸五十八圓 中村マサ 滋賀縣
看護婦長 月俸 五十圓 松崎於梅 山口縣
看護婦長 月俸 四十圓 佐藤カツエ 宮城縣
看護婦長 月俸三十四圓 玉利妙子 鹿兒島縣
昭和十二年九月五日印刷
昭和十二年九月八日發行
臺北醫院
印刷人 楊 成茂
臺北市新富町一丁目百九十四番地
印刷所 光明社印刷商會
臺北市新富町一丁目百九十四番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[小倉智昭〜故郷は台湾 父の生死を分けた選択〜]
―略―
明治41年、智昭さんの父である勇が台南で誕生した。
その後、小倉家は台南から桃園へと住まいを転々とする。
勇は桃園の小学校に入学し、
香川の親戚の家には台湾で撮られた写真が残されていた。
―略―
そして大正11年、
現在の台北科技大学である台北第一工業学校に入学した。
当時図書館だった建物は現在も残されている。
資料室では勇の書いた実習記録が見つかった。
特に鉱物の科目が得意で、
試験では全て満点を取り2年生2学期以降は
常に学年トップの成績だった。
卒業式では答辞を任されている。
―略―
卒業後、勇は台湾総督府専売局で働き始める。
―略―
昭和6年、勇はより高度な知識を身に付けるため、
23歳で仕事を辞め最新機器を取り揃えた高等工業学校へ進学した。
勇は専売局での仕事が評価され、無試験での入学を許された。
高等工業学校でも、勇は学年トップの成績だった。
勇は卒業後に再び台湾総督府の専売局で働き始める。
―略―
しばらくして勇は結核の疑いがあると診断され、
旧台北医院に入院した。この旧台北医院で、
後に妻となる玉利妙子に出会った。
―略―
妙子は暮らしを支えるため、旧台北医院で看護婦として働き始める。
妙子はこの旧台北医院で、後の夫となる小倉勇と出会った。
―略―
勇さんの母校である旧台南高等工業学校には、
勇さんが70歳の時に書いた文章が残されていた。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[第一回(昭和九年三月卒業):應用化學科]
【台湾総督府台南高等工業学校一覧】
專賣局臺北南門工場 小倉 勇 香川 ※小倉智昭の父
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