妹尾勇吉

《妹尾勇吉》本郷會館(株)代表取締役【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】

《妹尾勇吉》本郷會館(株)代表取締役
【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】

【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】
《妹尾勇吉》 p1239/1271
 本郷會館(株)代表取締役
 島根縣在籍
 妻 明  明治 三年二月生
      山口、推木與一 姉
 男 堅吉 明治三七年一月生
島根縣人 妹尾嘉右衛門の二男にして
明治三年正月出生
明治四十二年 家督を相續す
現時
本郷會館の代表取締役にして
曩に燕樂軒 代表取締役たり
家族
長女 菊子 (明治四〇年一一月生)は
東京府人 堀川利平に嫁し
弟  柳太郎(明治八年九月生)は
其妻 ユウ (明治一三年一一月生、島根、龜井新太郎 長女)
及 其一女を伴ひ分家す
(東京市本郷區本郷四ノ二二)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

妹尾勇吉【人材・島根:県人名鑑】昭和13年

妹尾勇吉【人材・島根:県人名鑑】昭和13年

【人材・島根:県人名鑑】昭和13年
妹尾勇吉 仁多 横田 p148/263
 燕樂軒 代表取締役
 千葉縣安房郡館山町
明治三年一月七日、
横田の舊家たる妹尾嘉右衞門の二男に生れ、
明治四十四年家督を嗣ぐ。
夙に立敎大學に學び、
明治三十一年英文科を卒業、
更に明治大學に入り、
翌年法科を卒業して、 ※下記
精養軒に勤め、
歐米に渡航して、
四ケ年具さに彼地の業界を見學視察し、
歸朝後支配人となり、
大正六年獨立して現地に燕樂軒を開業、
其代表取締役として令名を謳はる。
又 海岸ホテル及び
京王閣美術館寶生會等を經營す。
けだし縣出身にして、
斯業界の元老とも稱すべき人材たり。
趣味の美術にも鑑識深きものあり。
又 旅行を樂しむ。
宗敎は眞言宗なり。
(家庭)
妻  明子 明治 三年生 山口縣 椎木與一 姉
      大阪市梅花高女卒
長男 堅吉 明治三七年生 明治大學 法科卒 ※下記
長女 菊子 明治四〇年生 女子聖學院卒
昭和十三年四月 五日印刷
昭和十三年四月十五日發行
人材・島根 定價 金 五圓也
編 者 島洋之助
發行者 永富彪夫
    東京市豐島區西巣鴨四ノ二九八
印刷者 山縣精一
    東京市神田區神保町三ノ二九
印刷所 山縣製本印刷株式會社
    東京市神田區神保町三ノ二九
發行所 島根文化社
    東京市神田區淡路町二ノ七
    電話 神田(25)二〇一〇 二〇一一番
    振替 東京七七二三〇番

【明治大学一覧. 昭和10年】
明治三十二年卒業   p173/278
妹尾勇吉
昭和二年卒業 法學部 p224/278
妹尾堅吉       p225/278
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

《妹尾勇吉:三葉自動車 取締役》【日本全国諸会社役員録】大正9年・大正13年

《妹尾勇吉:三葉自動車 取締役》
【日本全国諸会社役員録】大正9年・大正13年

【日本全国諸会社役員録. 第28回】大正9年9月20日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936472/1150
<三葉自動車株式會社>  p844/1153
 島根縣 大原郡木次町  電話 一〇
設 立   大正八年二月
資本金   貳拾五萬圓
一 株   五拾圓
拂込高   拾貳萬五千圓
諸積立金  壹千八百圓
社 長   木村小左衞門 大原郡大東町
取締役   織原万次郎  松江、末次本
同     遠藤嘉右衞門 簸川郡今市町
同     中村峯夫   廣島、上流川
同     妹尾勇吉   東京府北豊島郡巣鴨町
監査役   藤井朝一郎  大原郡日登村
同     武田友治   大原郡幡屋村
同     山本權七   松江、末次
相談役   高橋隆一   簸川郡稗原村
同     玉井幸雄   廣島、鐵砲
支配人   高橋末右衞門 大原郡大東町
三次出張所 廣島縣双三郡三次町 電話  一六
庄原出張所 廣島縣比婆郡庄原町 電話   八
松江出張所 松江市殿町     電話 六七五
廣瀬出張所 能義郡廣瀬町    電話  二八
安來出張所 能義郡安來町    電話  七〇
大東出張所 大原郡大東町    電話  一〇
東京出張所 本郷區本郷四丁目  電話 小石川 自 二七八四
                       至 二七八六
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936472/844
<関西電気化学株式会社> p843/1153
簸川郡知井宮村
設立 大正6年8月
資本金500,000 一株50円 払込高250,000
取締役 高橋隆一   簸川郡稗原村
取締役 遠藤嘉右衛門 簸川郡今市町
取締役 江角常太郎  簸川郡出東村
取締役 松村仙造   兵庫県武庫郡御影町 ※松村仙造:小野一雄の祖父
取締役 山本乙五郎  神戸、山本4
取締役 乾 新三   神戸、港町1
監査役 山本藤助   大阪、南、安堂寺橋1
監査役 山田美治   簸川郡大津村
監査役 木村小左衛門 大原郡大東町
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936472/843

【日本全国諸会社役員録. 第32回】大正13年7月30日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936463/914
<三葉自動車株式會社>  p689/918
 島根縣  大原郡木次町 電話 長二〇
設 立   大正八年二月
資本金   拾萬圓(拂込済)
一 株   五拾圓
諸積立金  貳千五百五拾圓
社 長   木村小左衞門 大原郡大東町
常務取締役 高橋米右衞門 大原郡大東町
取締役   織原萬次郎  松江、末次本
同     遠藤嘉右衞門 簸川郡今市町
同     中村峯夫   廣島、上幟
同     妹尾勇吉   東京府北豊島郡巣鴨町
同     秦 荘右衞門 能義郡廣瀬町
監査役   藤井朝一郎  大原郡日登村
同     武田友治   大原郡幡屋村
同     大森儀之助  飯石郡頓原村
支配人   藤原忠三郎  大原郡大東町
大東營業所 大原郡大東町 電話  一二
 主任   野々村治一
松江營業所 松江市片原町 電話 三八四
 主任   松崎定義
廣瀬營業所 能義郡廣瀬町 電話  二八
 主任   岩田傳之助
今市營業所 簸川郡今市町
 主任   飯塚秀三郎
大社營業所 簸川郡杵築町 電話  七四
 主任   野々村文次郎
平田營業所 簸川郡平田町 電話  三八
 主任   石橋憲一
三次營業所 廣島縣双三郡三次町 電話 長一六 二一六
 主任   積山 貢
庄原營業所 廣島縣比婆郡庄原町 電話 八
 主任   右近健一郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936463/689
<関西電気化学株式会社> p688/918
簸川郡知井宮村
設立 大正6年8月
資本金500,000 一株50円 払込高250,000
取締役 高橋隆一   簸川郡稗原村
取締役 遠藤嘉右衛門 簸川郡今市町
取締役 江角常太郎  簸川郡出東村
取締役 松村仙造   兵庫県武庫郡御影町 ※松村仙造:小野一雄の祖父
取締役 山本乙五郎  神戸、山本4
取締役 乾 新三   神戸、港町1
監査役 山田美治   簸川郡大津村
http://dl.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936463/688

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
 

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

《妹尾勇吉:島根縣・妹尾嘉右衞門の二男》
【人事興信録. 7版】大正14年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659917.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

《妹尾勇吉:上野精養軒 支配人》
【新聞集成明治編年史. 第十三卷】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659658.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

<関西電気化学株式会社>【日本全国諸会社役員録】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2160287.html

《妹尾勇吉:島根縣・妹尾嘉右衞門の二男》【人事興信録. 7版】大正14年

《妹尾勇吉:島根縣・妹尾嘉右衞門の二男》
【人事興信録. 7版】大正14年

【人事興信録. 7版】大正14年8月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704004/1467
妹尾勇吉   三葉自動車株式會社  取締役 ※別稿に記載
       海岸ホテル株式會社  取締役
       割烹業
       島根縣平民
 妻 明   明治三年二月生    ※明治3年2月:1870年3月
       山口、椎木與一 姉
 男 堅吉  明治三七年一月生   ※明治37年(1904)1月
 女 菊子  明治四〇年一一月生  ※明治40年(1907)11月
君は島根縣妹尾嘉右衞門の二男にして
明治三年正月を以て生れ       ※明治3年1月:1870年2月
明治四十二年八月家督を相續す    ※明治42年(1909)
明治三十二年明治大學を卒業し    ※明治32年(1899)
現に前記各會社取締役たり
割烹業を營み
弟  柳太郎(明治八年九月生)は  ※明治8年(1875)9月
其妻 ユウ (明治一三年一一月生、 ※明治13年(1880)11月
      島根、亀井新太郎 長女)
及び一女を伴ひ分家せり
(東京市巣鴨町上駒込九一)
(電話 小石川 二六七)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704004/1417

[明治大学:明治32年卒業]
【明治大学一覧. 昭和10年】昭和10年7月15日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452695/274
明治三十二年  九二名 p173/278
妹尾勇吉
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452695/173

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


blog[小野一雄のルーツ]改訂版

《妹尾勇吉:上野精養軒 支配人》
【新聞集成明治編年史. 第十三卷】
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659658.html

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《妹尾勇吉:三葉自動車 取締役》
【日本全国諸会社役員録】大正9年・大正13年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659918.html

《妹尾勇吉:上野精養軒 支配人》【新聞集成明治編年史. 第十三卷】

《妹尾勇吉:上野精養軒 支配人》
【新聞集成明治編年史. 第十三卷】

【新聞集成明治編年史. 第十三卷】
 昭和15年7月28日 第3版発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920436/292
 明治四十年十月(皇紀二五六七 西暦一九〇七)
▽上野精養軒〔一〇・二一、都〕 p187/295
 上野の精養軒
○今春支配人妹尾氏が
 歐米のホテル料理業を視察して
 歸朝せるより、萬事改良を施し、
 豫て工事中の大廣場も今回落成したるを以て、
 此後は一時に二百人の宴會を三組までは差支なく、
 立食ならば優に千人以上を引受けるの設備をなし、
 其他
 玉突、酒場、新聞縱覽所、喫煙室等をも改造したり。
 尚ほ引續きホテル部をも擴張し、
 來る大博覽會までには完成すべしと。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920436/187

【東京遊覧案内】大正3年4月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911783/27
京橋區の部  p21/29
◎精養軒 采女町にあり
     東京第一の西洋料理店
     晩餐三百人
     立食千人を容るに足るの大建築、
     又 出前多くして
     貴顕紳士の晩餐會には出張して
     調進すること多し
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911783/21

【東京電話番号簿. 昭和2年10月1日現在】
 昭和3年2月5日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024218/445
『精養軒』  p213/446
    本社       京橋區采女、三二
    西店       京橋區南金六、五
    上野       下谷區上野公園忍ケ岡
    カフエ-ライオン  京橋區尾張、一ノ一一
    丸ビル      麹町區永楽、一ノ一、丸ビル内
    歌舞伎座出張所  京橋區木挽、三ノ二〇
    鐵道協會出張所  麹町區有楽、一ノ一
    久原鑛業出張所  麹町區八重洲、一ノ一
    新宿驛食堂    豊多摩郡、新宿驛構内
    製パン部     芝區芝浦日ノ出、五、四號
    白木屋食堂    日本橋區通、一ノ八
    東京ステーションホテル
             麹町區永楽町、東京驛内
    ※電話番号は略。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024218/213
『燕楽軒』 本郷區本郷、四ノ二二   p88/446
      小石川85-2784
      小石川85-2785
      小石川85-2786
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024218/88

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』


yokoya2000
『安来節 流行の歴史』
 ―略―
大正4年。
 ―略―
そこで下谷の待合を経営していた
伯耆(鳥取県)出身の後藤儀太郎や、
上野静養軒の支配人だった妹尾勇吉とも相談して、
池の端芸者に稽古をつけたが、
彼女たちにも容易にのみ込めなかった。
 ―略―
https://sites.google.com/site/yokoya2000/to-dos

REAL PLAN NEWS
2008 autumn NO.92
三井不動産販売ネットワークの不動産情報誌
『馥郁たる艮の回廊 本郷』
[本郷銀座の賑い]  p7/28
 ―略―
それが本郷四丁目にあった
西洋料理店「燕楽軒」です。
大正4年
上野精養軒の支配人だった妹尾勇吉は、
320坪余、三階建の白亜館で開業します。
1階は150人収容の酒場、
2階と3階は食堂と待合室で
200名のパーティにも対応できました。
また、 当時では珍しく、
料金を抑えた廉価なランチサービスを供していたそうです。
 ―略―
http://www.rehouse.co.jp/realplan/news/dir_data/RN_Vol92.pdf

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

《妹尾勇吉:島根縣・妹尾嘉右衞門の二男》
【人事興信録. 7版】大正14年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659917.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版

《妹尾勇吉:三葉自動車 取締役》
【日本全国諸会社役員録】大正9年・大正13年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2659918.html

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