【哈爾浜案内. 昭和6年版】

[露西亞料理・時差・赤帽料金・視察上の便宜]【哈爾浜案内・昭和6年版】

[露西亞料理・時差・赤帽料金・視察上の便宜]
【哈爾浜案内・昭和6年版】

【哈爾浜案内. 昭和6年版】
著 者 南満洲鉄道株式会社 [編]
出版者 南満洲鉄道旅客課

〔表紙・市内地図〕哈爾濱案内 p1/7
馬家溝・日露協會學校・競馬場
露西亞料理 p5/7
左記は大體に於て代表的のものである。
ザクースカ
  本食事前に火酒(ウオートカ)と共に食する露西亞獨特の料理
  カビア・チエリヤーチン・リヤブチツク・パラシヨーク・
  アグレツ(胡瓜)等最も賞美せらる
ボールシチー
  肉野菜入スープ
ガンブルグスキー
  ビフシテクス(ビーフステーキ)
ツウエートナヤ
  カブースタ(白菜花)
コンポート(果物の煮詰めた者)
時差
哈爾濱の時刻は、南滿洲時刻よりも二十六分早い。
尚 東支鐡道も哈爾濱時刻によつてゐるから、
滿鐡線から東支線へ乘換の旅客は、
長春驛で二十六分時計を進ませる必要がある。
 哈爾濱標準時 正午十二時
 南滿洲標準時 午前十一時三十四分
 日本標準時  午後十二時三十四分
赤帽料金
東支鐡道の規定料金は、
手荷物は馬車より客車内まで
(或はこの反對)
一箇  哈大洋二十五錢、
三箇迄    三十五錢
四箇以上一箇に付 十錢
視察上の便宜 を得るには
滿鐡事務所運輸課が驛前大通にあり、
「ジヤパン・ツーリスト・ビユーロー哈爾濱案内所」
(電話 四七八八番)が、
埠頭區キタイスカヤ街(モストワヤ街の突當り)に在る。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[料亭・カバレー・劇場・映畫館・番人チツプ]【哈爾浜案内・昭和6年版】

[料亭・カバレー・劇場・映畫館・番人チツプ]
【哈爾浜案内・昭和6年版】

【哈爾浜案内. 昭和6年版】
著 者 南満洲鉄道株式会社 [編]
出版者 南満洲鉄道旅客課

〔表紙・市内地図〕哈爾濱案内 p1/7
馬家溝・日露協會學校・競馬場
料亭 p5/7
日本料理  武藏野・矢倉・名古屋館食堂等
中國料理  新世界・松北飯店等
露西亞料理 東支倶樂部・グランドホテル食堂・
      モデルン食堂・北滿ホテル食堂・
      ギドリヤン・トータス(純コーカサス料理)
      ヨツト倶樂部等
カバレー
ソーツエ・フアンタジア・ムウランルージユ・アンビール等
劇場
東支倶樂部・新舞寮・哈爾濱座(日本)等
映畫館
モデルン、ギガント、パラス、オリアント、
ウエシミール、アトランチツク、アルス・カピトール等
番人チツプ
各劇場、レストラン其他何處にても
外套番人には一人 哈大洋十錢見當
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[馬家溝:新市街の南][埠頭區=道裡][傅家甸=道外]【哈爾浜案内・昭和6年版】

[馬家溝:新市街の南][埠頭區=道裡][傅家甸=道外]
【哈爾浜案内・昭和6年版】

【哈爾浜案内. 昭和6年版】
著 者 南満洲鉄道株式会社 [編]
出版者 南満洲鉄道旅客課

〔表紙・市内地図〕哈爾濱案内 p1/7
馬家溝・日露協會學校・競馬場
[馬家溝] p2-3/7
「馬家溝」は新市街の南にあたり、
馬家溝河を距てて展らけ、
露西亞革命以來白系露人によつて形成された街で、
現在は露・中人雜居の郊外住宅地となつてゐる。
日露協會學校や競馬場はここにある。

[埠頭區] p3/7
露名「埠頭區」。
中國人間には「道裡」と稱ばれ、
隣接 支那街・傅家甸の「道外」と相對してゐる。

[傅家甸] p3/7
「傅家甸」は
舊東支附屬地外に隣接する濱江縣廳の所在地で、
哈爾濱の發達に隨伴して僅々過去三十年間に、
今日の隆盛を致した中國街で、
往年附屬地内居住を許されなかつた
中國人が悉くここに居住したので、
純然たる中國街として發達を遂げたのである。

もともとこの地は
初め傅(フー)なる者の一旅舎が
附近漁戸の聚樂場となりしに端を發し、
茲に地名の濫觴をなしたと傅へられてゐる。

頭道街から二十道街まで伸びた實に大きな街で、
足一歩此處に至れば乾坤一變、
殊に縦の主道正陽街を中心とした
車馬の輻輳には何人も喫驚する處、
中央停車場からの電車も通じ、
中國民自ら建設した代表的歐風市街として
上海に亞ぐの都市として、
又將來北滿豐庫の集散を支配する中心地として
一顧に値する處である。

因に江岸は松花江通ひの汽船の埠頭となり、
將來 濱黑鐡道となるべき
呼海鐡道の始發驛のある
對岸馬船口と汽船の連絡がある。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[ハルピンにおける邦人遭難事件概況]
一 昭和20年8月15日~二六 昭和21年4月26日
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[哈爾濱の人口・昭和5年12月末現在]【哈爾浜案内・昭和6年版】

[哈爾濱の人口・昭和5年12月末現在]
【哈爾浜案内・昭和6年版】

【哈爾浜案内. 昭和6年版】
著 者 南満洲鉄道株式会社 [編]
出版者 南満洲鉄道旅客課
 
〔表紙・市内地図〕哈爾濱案内 p1/7
馬家溝・日露協會學校・競馬場

哈爾濱【昭和六年版】 p2/7
哈爾濱の有する人口は、市及附近を集めて、
昭和五年十二月末現在、
中國警察署の調査に依れば
概數左の通りになる。
日本人 内地人 三千九百
    朝鮮人 四千五百
露西亞人      九萬
中國人     二十三萬
其の他       四千
上記三國人の他にこれを人種別にすれば、
英・米・獨・佛・伊・波蘭等、
その數實に三十餘種族に及び
頗る多岐に亙つてゐるが、
之等を合して總數三十三萬三千人餘、
大正五年 八萬九千であつたことから考へても、
如何に市勢が活發であるかが判るであらう。
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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