[陸軍愛国号献納機]

《愛国第1号》《愛国第2号》陸軍に献納:昭和7年1月【写真日本航空50年史】1960

【写真日本航空50年史】1960
著者    野沢正 編著
出版者   出版協同社
出版年月日 1960
右頁
205. 昭和7年1月、
《愛国第1号》として陸軍に献納された
ユンカース K-37 多用途機。
乗 員  3名,
発動機  ”ジユピター“
     空冷星型9気筒450㏋×2,
全 幅  20.16m,
全 長  12.40m
主翼面積 50.58㎡,
全備重量 4400kg,
最大速度 230km/h,
航続距離 900km,
機関銃×3,
爆 弾  500kg。

206.
同じく
《愛国第2号》として陸軍に献納された
ドルニエー”メルクール“ 病院機。
乗 員  2名, 軍医1名, 看護員1名,
     患者4名(寝台2名, 座席2名),
発動機  BMW-6 水冷V型12気筒500㏋,
全 幅  19.60m,
全 長  12.10m,
主翼面積 62.00㎡,
全備重量 3800kg,
最大速度 190km/h,
航続距離 640km,

以上の2機は、昭和7年1月、
代々木練兵場で献納式が行われ、
以降陸軍へ愛国号、
海軍へ報国号の献納が続いた。
p40【写真日本航空50年史】1960
p40【写真日本航空50年史】1960
https://dl.ndl.go.jp/pid/2491553/1/40
写真  日本航空50年史
初 版 1960年7月15日発行
編著者 野沢 正
発行所 株式会社 出版協同社
    代表者  福林 正之
    東京都文京区小石川1の1
    振替(東京)26555
    電話(921)3318・2807
定 価 580円 (送料30円)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2491553/1/80
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年12月28日 05:48 
[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年
第一號機(ユンカー輕爆撃機)
 一月十日東京で命名式をして、
 滿洲で活躍しました。
第二號機(ドルニヱ病院機)
 一月十日東京で命名式を擧げ
 滿洲で活躍しました。
 右二機は國民の赤誠によるものです。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年02月17日 05:50 
[愛国第一・第二号機命名式:昭和7年1月10日]
【我らの空軍】昭和7年
第一號機(ユンカー輕爆撃機)。
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
第二號機(ドルニヱ病院機)
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
二機は國民の赤誠によるものです。
※献納式場所 東京 代々木練兵場

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年02月18日 06:27 
[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]
【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年
愛国1号機の正操縦に
航空本部の加藤俊雄大尉、※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
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愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔3/3〕所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔3/3〕
所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

 自三月九日 至三月十五日 愛國第四第五號行動報告
       昭和七年三月二十六日
       所澤陸軍飛行學校
C04011238200-13
〔画像〕C04011238200-13

 自三月九日 至三月十五日 愛國第四第五號行動報告
一、奉天市街附近上空威赫飛行
  奉天省政府ハ三月十日ヲ期シ
  新國家建設祝賀會開催ニ決スルヤ
  張學良系匪賊ハ同日ヲ期シ
  奉天市街燒打ノ陰謀アリトノ風聞傳ハリ 人心恟々タリ
  茲ニ於テ關東軍飛行隊長ハ
  此日午前 在奉天飛行機全機出動 左記隊形ヲ以テ
  奉天市街附近上空ニ於テ分列ヲ兼ネ威赫飛行ヲ行フニ決シ
  愛國第四號ハ横山中尉操縦 岩下中佐同乘 編隊群長トナリ又
  第五號ハ若林特務曹長操縦 渡邊少佐同乘 偵察中隊編隊ニ加ハリ
  克ク其任務ヲ完フセリ
  是 愛國第四第五號ノ滿洲ノ野ニ活動セル第一歩ナリトス
C04011238200-14
〔画像〕C04011238200-14

※図あり
   八八式 愛國第四號 愛國第五號
   混 成 甲式四型  ポテー型  鹵獲戰闘機

二、奉天―ハルピン間空中輸送
 1 空中輸送命令 別紙ノ如シ
 2 天氣概況
   一般ニ曇リ小雪模様、視度不良、ハルピン附近時々吹雪
 3 航程 約五六〇粁
 4 月日 三月十四日
 5 時間 奉 天 發 午前九時十五分
      ハルピン著 午後一時三十五分
      所要時間  三時二十分 ※4時間20分?
C04011238200-15
〔画像〕C04011238200-15

三、操縦及取扱法敎育
 1 敎官及專修員
   監 督 渡邊少佐
   敎 官 横山中尉
   助 敎 若林特務曹長
   助 手 秋田職工
   專修員 飯田大尉、鈴木軍曹、他若干名
 2 操縦敎育
   三月十五日 午前 自十時 至十一時三十分
   飯田大尉ニ横山中尉、鈴木軍曹ニ若林特務軍曹同乘シ
   主トシテ離著陸ヲ敎育ス
 3 取扱法敎育
   三月十四日 午後 自二時 至四時
C04011238200-16
〔画像〕C04011238200-16

   横山中尉 一般的説明ヲナス
   三月十五日 午前 自八時 至十時
   秋田職工 細部ニ関シ説明ス
 4 敎育成果ノ概要
   時日短小ナリシ爲 操縦敎育ハ概ネ離著陸ヲ主トシ
   空中操作(旋回ヲ除ク)ハ口述ニ止メタルモ
   專修員ノ伎倆優良ナリシヲ以テ
   概シテ敎育ノ目的ヲ達スルヲ得タリ
   爾後研究練磨セハ 短時日ニシテ
   戰闘任務達成上 何等支障ナキニ至ルモノト認ム
   取扱法ハ飛行前後ノ點檢手入試運轉ヲ主トシ
   分解組立等ハ口述ニ止メタルモ概シテ理解良好ニシテ
   概ネ日常ノ飛行ニ支障ナキモノト認ム
C04011238200-17
〔画像〕C04011238200-17

別紙
 關飛作命乙第一三號
    關東軍飛行隊命令 三月十日午後四時
             於 奉天飛行隊本部
一、材料廠ハ愛國第四、第五號ヲ空中輸送ニ依リ
  在哈爾賓飛行第七大隊第三中隊、獨立飛行第九中隊ニ補給スヘシ
  但 空中輸送ニ關シテハ別命ス
      關東軍飛行隊長  長嶺大佐
  下達法
   印刷配布ス
C04011238200-18
〔画像〕C04011238200-18

 關飛作命乙號外
    關東軍飛行隊命令 三月十日午後四時
             於 奉天飛行隊本部
一、渡邊少佐ハ愛國第四、第五號ヲ宰領シ
  明十一日 哈爾賓ニ空中輸送シ
  第四號ヲ飛行第七大隊第三中隊ニ
  第五號ヲ獨立飛行第九中隊ニ交付スヘシ
  搭乘者左ノ如シ
   第四號 横山中尉、秋田職工
   第五號 渡邊少佐、若林特務曹長
二、渡邊少佐ハ在哈爾賓飛行第七大隊第三中隊ニ對シ
  八八式二型ノ操縦傳習敎育ヲ指導スヘシ
  敎育機関專習員等ハ直接中隊長ト協定スヘシ
      關東軍飛行隊長  長嶺大佐
  下達法
   口達後印刷配布ス
C04011238200-19
〔画像〕C04011238200-19
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レファレンスコード C04011238200
件名 愛国第4、第5号機空中輸送実施の件報告
   防衛省防衛研究所 陸軍省大日記
   陸満機密・密・普大日記 陸満普大日記
   陸満普大日記 昭和7年
   昭和7.4.15~7.4.18 「満受大日記(普) 其9」
【 画像数 】19
作成年月日 昭和7年4月1日
作成者   陸軍省//陸軍航空本...
組織歴   陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年12月28日 05:48 
◆『国会図書館デジタルコレクション』その他 [陸軍愛国号献納機]
[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年
第一號機(ユンカー輕爆撃機)  p65/77
 一月十日東京で命名式をして、滿洲で活躍しました。
第二號機(ドルニヱ病院機)   p66/77
 一月十日東京で命名式を擧げ滿洲で活躍しました。
 右二機は國民の赤誠によるものです。
第三號機(九一式戰闘機)
第四號機(八八式輕爆撃機)
第五號機(八八一型輕偵察機)
 右の三機は東京日本橋の小布施新三郎氏寄贈のもので、
 三月六日命名式をなし、
 二機は滿洲に、一機は所澤飛行學校にあります。
 尚そのうち五號機は三月三十日、
 關東軍の國谷中尉操縦、清田中尉が同乗して
 ハルピンから依蘭方面に偵察に向つたまま行方不明となりましたが、
 四月八日朝になつて、方正の北方松花江の沿岸に不時着
 焼捨てられてあるのを發見されました。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年02月17日 05:50 
◆『国会図書館デジタルコレクション』その他 [陸軍愛国号献納機]
[愛国第一・第二号機命名式:昭和7年1月10日]【我らの空軍】昭和7年

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2017年02月18日 06:27 
◆『国会図書館デジタルコレクション』その他 [陸軍愛国号献納機]
[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]
【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年
愛国1号機の正操縦に航空本部の加藤俊雄大尉、 ※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
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愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔2/3〕所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔2/3〕
所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

 附圖第一
     北西ノ向風強キ爲高度ヲ低下シテ飛行ス
代々木 小田原 箱根 浜松 亀山 大阪 尾ノ道 廣島
                  降雨ノ爲峡谷ニ添フテ飛行ス
C04011238200-09
〔画像〕C04011238200-09

 附圖第二
   降雨ノ爲海岸迂廻
廣島 津和野 角島 對島北端 釜山 大邱 京城
              宣傳飛行の爲釜山迂廻
C04011238200-10
〔画像〕C04011238200-10

 附圖第三
宣傳「ビラ」撒布ノ爲海洲、沙里院、平壤迂廻
京城 開城 海洲 沙里院 平壤 新義州 奉天
                向風強キ爲峡谷低空ヲ飛行ス
C04011238200-11
〔画像〕C04011238200-11

 附 表 愛國號飛行時間及航程
     第 四 號
 月 日  飛行地區    飛行時間   航 程㎞
3月6日 代々木―大阪  3時間10分  620㎞
3月6日 大阪 ―廣島  2時間09分  300㎞
3月7日 廣島 ―京城  4時間52分  680㎞
3月8日 京城 ―奉天  5時間30分  580㎞
  計         15時間41分  2,180㎞

     第 五 號
 月 日  飛行地區    飛行時間   航 程㎞
3月6日 代々木―大阪  3時間10分  620㎞
3月6日 大阪 ―廣島  2時間09分  300㎞
3月7日 廣島 ―京城  4時間52分  680㎞
3月8日 京城 ―奉天  5時間35分  580㎞
  計         15時間46分  2,180㎞

 備 考
一、京城―奉天間飛行ニ於テ平壤ニ著陸ノ爲要セシ時間ハ控除シアリ
二、同航程ニ於テ所要時間比較的多キハ向風ノ強カリシト
  朝鮮軍ヨリノ依頼ニヨル愛國宣傳「ビラ」ヲ
  京城、開城、海州、沙里院、平壤、新義州ニ投下セルニ據ル
C04011238200-12
〔画像〕C04011238200-12
《続く》愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔3/3〕
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レファレンスコード C04011238200
件名 愛国第4、第5号機空中輸送実施の件報告
   防衛省防衛研究所 陸軍省大日記
   陸満機密・密・普大日記 陸満普大日記
   陸満普大日記 昭和7年
   昭和7.4.15~7.4.18 「満受大日記(普) 其9」
【 画像数 】19
作成年月日 昭和7年4月1日
作成者   陸軍省//陸軍航空本...
組織歴   陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔1/3〕所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔1/3〕
所澤陸軍飛行學校・昭和7年3月26日

   愛國第四、第五號機空中輸送實施ノ件報告
  昭和七年四月一日 陸軍航空本部長 渡邉錠太郎
 陸軍大臣 荒木貞夫殿
首題ノ件別冊ノ通リ報告ス
   別 冊
 愛國第四、第五號機代々木―奉天間空中輸送實施報告
 自三月九日 至三月十五日
 愛國第四、第五號機行動報告
C04011238200-01
〔画像〕C04011238200-01

   愛國第四第五號代々木―奉天間空中輸送實施報告
       昭和七年三月二十六日
       所澤陸軍飛行學校
C04011238200-02
〔画像〕C04011238200-02

   愛國第四第五號代々木―奉天間空中輸送實施報告
搭乗者
   第四號 渡邊少佐   横山中尉
   第五號 若林特務曹長 秋田職工
第一日(三月六日)
 一、天氣概況
   関東平地ハ晴天ニシテ北西風約十米ナリシモ三島以西ハ
   一般ニ曇天ニシテ「ガス」多ク視度不良廣島附近雨
 二、代々木―大阪―廣島
   盛大ナル命名式ノ後 熱烈ナル歡迎裡ニ午前十一時十分
   代々木練兵場出發、東京市上空一周ノ後 大阪ニ向フ
   関東平地ハ北西風強ク對地速度約百四十粁ナリシヲ以テ
   高度ヲ低下シ一般ニ此高二、三百米ヲ以テ飛行シ
   午後二時二十分 大
C04011238200-03
〔画像〕C04011238200-03

   阪城東練兵場ニ著陸ス
   官民ノ歡迎 盛ナリ
   大阪毎日新聞社ノ好意ニ依リ燃料補給ヲ行ヒ且
   搭乗者晝食ノ饗應ヲ受ク
   次テ午後三時十六分大阪出發
   大阪毎日新聞社機ノ歡送ヲ受ケツツ廣島ニ向フ
   瀨戸内海「ガス」多キモ風稍々少ナリ
   尾ノ道上空附近ヨリ小雨 雲低ク峡谷ヲ辿リテ飛行シ
   午後五時二十五分 廣島練兵場ニ到著ス
   時ニ暮色■然トシテ市内 已ニ點燈シアルモ ※■:氵+葛
   尚折柄ノ雨ニ拘ラス官民數萬 場ノ外周ヲ取リ巻キテ
   歡迎最モ盛ナリ
   愛國第四號ノ減圧槓桿機能不良トナリシ外
   機體發動機共ニ異狀ナシ
   地上勤務員ヲシテ場ノ一隅ニ野外繫留ヲ爲サシメ川崎造
C04011238200-04
〔画像〕C04011238200-04

   船所派遣ノ技術員ト協力シテ
   第四號機 減圧槓桿ノ修理ヲ行ヒ
   正子 之ヲ完了ス ※正子(しょうし):午前零時
   本日ノ飛行狀況 附圖第一ノ如シ
第二日(三月七日)
 一、天氣概況
   廣島附近晴天ナリシモ萩附近ヨリ對島間 所々降雨アリ
   朝鮮ハ一般ニ晴天北西風約五米
 二、廣島―京城
   官民多數ノ盛大ナル歡迎式及歡送宴ノ後
   午前十時五分 數萬觀衆ノ萬歳裡ニ離陸シタルモ
   場上空一周中 第四號機ノ爆音不調ナルヲ感シタルカ故ニ
   一旦著陸セリ 原因ハ揮發油内ニ水滴混入セルモノノ如ク
   直ニ恢復 再ヒ離陸ス
   爾後 好調ニシテ異狀ナシ
C04011238200-05
〔画像〕C04011238200-05

   是ヨリ先 釜山及大邱憲兵隊ヨリ夫々
   愛國號ノ上空飛來ノ要請アリシヲ以テ
   途中 該市上空ヲ訪問セルニ全市民及學校生徒
   戸外ニ於テ小國旗ヲ打チ振リ熱烈ナル歡迎ヲ示セリ
   依テ上空數周ノ飛行ヲ以テ之ニ應ヘ京城ニ向フ
   京城著陸 午後二時五十七分
   朝鮮軍司令部 京城府尹 其他 中小學生多數ノ歡迎アリ
   機體發動機 異狀ナシ
   本日ノ飛行狀況 附圖第二ノ如シ
第三日(三月八日)
 一、天氣概況
   朝鮮ハ一般ニ晴天ニシテ 北西風十一乃至十八米
   安東以北ハ曇天ニシテ 北西風約十三米 視度不良
 二、京城―奉天
C04011238200-06
〔画像〕C04011238200-06

   朝鮮軍司令部愛國部ヨリノ要請ニヨリ
   京城、海城、海州、沙里院、平壤、新義州ニ撒布スヘキ
   愛國宣傳用「ビラ」數萬枚ヲ搭載シ
   多數歡迎者ノ歡呼ニ送ラレ
   午前九時五十分 汝矣島飛行場離陸
   各都市ヲ訪問シツツ奉天ニ向フ
   然ルニ途中 向風強キ爲
   對地速度極メテ遅ク意外ノ時間ヲ消費シタルヲ以テ
   第四號機水「ポンプ」用「グリース」稍々不足ヲ感シ
   之カ補充ノ爲 飛行第六聯隊ニ著陸ス
   同隊ハ時ナラヌ愛國號ノ出現ニ驚キツツモ
   留守隊長ヲ始メ全員總出ノ上
   熱誠ナル援助ヲ與ヘ 約二十分ニシテ離陸スルヲ得タリ
   爾後 向風ヲ顧慮シツツ低空ヲ飛行シ
   午後三時五十分 奉天東飛行場ニ到著ス
   機體發動機異狀ナク搭乗者一同 元氣旺盛ナリ
   飛行場ニハ軍司令官、飛行隊長外 多數來場セラレ
   愛國號ノ授受式ヲ行
C04011238200-07
〔画像〕C04011238200-07

   フ
   茲ニ於テ我等ノ任務ハ完了セリ
   本日ノ飛行狀況 附圖第三ノ如シ
附 記
 一、愛國號ノ豫定ノ如ク空輸シ得タルハ器材ノ優良ト共ニ
   全航程概シテ天候ニ惠マレタルカ爲ナリト雖
   各地官民ノ多大ナル援助ニ俟ツコト又
   甚大ナルモノアリシニ依ル
 二、各著陸地及途中ニ於テ本飛行機カ官民ヨリ受ケタル熱誠
   盛大ナル歡送迎ハ誠ニ感激ニ堪エサルモノ アリタリ
 三、愛國號ノ飛行時間及航程 附表ノ如シ
C04011238200-08
〔画像〕C04011238200-08
《続く》愛國第四、第五號空中輸送實施ノ件報告〔2/3〕
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レファレンスコード C04011238200
件名 愛国第4、第5号機空中輸送実施の件報告
   防衛省防衛研究所 陸軍省大日記
   陸満機密・密・普大日記 陸満普大日記
   陸満普大日記 昭和7年
   昭和7.4.15~7.4.18 「満受大日記(普) 其9」
【 画像数 】19
作成年月日 昭和7年4月1日
作成者   陸軍省//陸軍航空本...
組織歴   陸軍省
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《愛國第一號機:昭和7年1月24日》【爆弾三勇士】昭和7年

《愛國第一號機:昭和7年1月24日》
【爆弾三勇士】昭和7年

【爆弾三勇士】昭和7年
[爆撃の一刹那] p107-114/121
(血湧き肉躍る愛國號の奮戦)

 一、晴れゆく霧 p107/121
『加藤大尉殿。霧が晴れましたぞ!』
格納庫の外で、八木中尉の若々しい聲が聞こえました。
愛國第一號の機體を綿密に檢査してゐた加藤大尉は、
油に汚れた手を拭き拭き外へ出て見ますと、
なるほど朝から深く垂れこめてゐた霧が次第に晴れわたり、
太陽のありかさへぼんやりと見えて來ました。
『よし、うまいぞ!』
物に動ぜぬ加藤大尉の顔にも、 p108/121
アリアリと嬉しさうな色が浮かびました。

時は昭和七年一月二十四日…。
この日わが愛國第一號機は、
打虎山西北方に於て
兵賊討伐中の室師團を援助せんがために、
羽がひの下に爆彈を抱いて、
今正に奉天の飛行場を出發しようとしてゐるのでした。

諸君は既に『愛國第一號機』のことに就いて
お聞きになつたことがありませう。
これこそ國民の愛國的熱情が
凝り固まつて出來上つたものです。

去る大正七年から昭和六年の末までに、
陸軍學藝技術奨勵費として
國民から陸軍へ寄附された金が、
積もりに積もつて約十七萬圓に達しました。
その金も單に金持ち連が出したのではありません。
その日の暮しにも追はれてゐるやうな人々が、
眞に國を思ふの赤心を以て、
苦しい中から寄附したものです。

從つて軍部に於ても、
なんとかしてこの金を生かして
使ひたいものと考へてゐる最中、
恰も滿洲事變が突發しましたので、
直ちにこの金をもつて優秀な爆撃機を作り、
これの『愛國第一號機』の名稱を與へたのでした。
從つて愛國號の機體の中には、
國民の熱い血潮がそのまゝ脈を打つて流れてゐる
と云つてもいゝでせう。

愛國第一號機は、全部金屬製で、
全體に草色のカムフラージが施されてゐます。
(カムフラージといふのは、迷彩を譯され、
 敵の目をごまかすために塗られた不規則な色どりです)

發動機は四百五十馬力のもが二基備へつけられ、
どちらか一基が故障を起こしても、
尚他の一基だけで飛行を續けることが出來ます。

愛國號の主なる役目は、
敵の陣地や軍隊に爆彈を投下するのですから、
左右の翼の下、及び胴體の下部に、
合計十六箇(四五〇キログラム)の爆彈を
抱いてゐます。 p109/121
この爆彈は操縦席にあるスヰツチ一つで、
左右いづれのものでも、
自由自在に落とせるやうになつてゐます。

又、愛國號は、前、後、下の三箇所に
機關銃を備へつけてゐますから、
たとひ敵の戰闘機に襲撃された場合でも、
十分に應戰することが出來るのでした。

空中戰を行ふについて最も必要なことは、
速度が早いといふことゝ、
上昇力(僅かな時間で高い所まで昇る力)が
強いといふことですが、
愛國號はこの點についても
申分のない優秀な飛行機なのでした。

愛國號は昭和七年の一月十二日に立川を出發し、
同十五日のお昼頃に奉天の飛行場に到着しましたが、
その翌々日の十七日には、
早くも彰武附近に於て
兵賊團に最初の爆撃を行ひ、
すばらしい初陣の手柄を立てたのでした。

そして、今日こそ
その第二回目の出陣の日なのでした。

 二、爆彈を積んで……
日は次第に高く上つて來ました。
飛行場の片隅に張られたテントの中から、
飛行服に身を固めた岩下中佐の姿があらはれました。
濃い眉の下には、いかにも軍人らしい鋭い眼が光つてゐます。

『加藤君、どうぢやな。機關(エンジン)の工合は?』
『ハイ、申し分ありません。
 霧もこの分なら十時過ぎには
 すつかり晴れてしまふだらうと思ひます。』
『爆彈は?』
『二十五キロのを十四個だけ積みました。』
『よし、では出發しよう。』 p110/121

寒い朝でありました。
格納庫の外へ引き出された愛國號は、
朝の冷たい空氣の中に双翼を伸ばせるだけ伸ばして、
悠然と深呼吸をしてゐるやうでありました。

指揮官たる岩下中佐は、
一番うしろの機關銃手の席に就き、
その直ぐ前には内地からはるばると
愛國號を輸送して來た加藤敏雄大尉が、
副操縦者として乘り組んでゐます。

大尉は陸軍第一の名飛行士……。
ことに戰闘機の操縦にかけては、
殆ど神のやうな技倆を持つた方です。
今回愛國號が成るに及んで、
まづ第一にその榮ある操縦者に選ばれたのを見ても、
その腕前の程がうかがえるでせう。

加藤大尉の前には、
關東軍飛行隊の八木中尉……
數多き飛行隊の勇士の中から、
愛國號の正操縦者として選ばれた方です。

又、機首の偵察席には、
八木中尉と同じく英氣潑溂たる川守田中尉が、
この日は爆撃係りとして、
爆彈投下機のスヰツチを受け持つてゐます。
3-愛国第一号 p110
(1)川守田中尉 爆撃係
(2)八木中尉  正操縦者〔関東軍飛行隊〕
(3)加藤大尉  副操縦者〔110〕
(4)岩下中佐  指揮官 機關銃手の席
 ×印 敵彈ヲ受ケタ所

午前十時二十分。
八木中尉の合圖につれて、 p111/121
愛國號はスルスルと滑走をはじめ、
やがてふわりと舞ひ上つたと思ふと、
たちまち西北の方に機首を向けて、
ちぎれちぎれに飛ぶ雲の間に姿を消してしまひました。

 三、壯絶!爆撃の一刹那 p111/121
 ―略―
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720587/111

 四、危ないかな! p114/121
 ―略―
その後愛國第一號は、
滿洲の空を縦横に飛翔して、
到るところで殊勳をたてましたが、
今は事變の一段落するに及び、
○○の飛行場にその機翼を休めてをります。
昭和七年三月二十八日印刷
昭和七年四月  十日發行
愛國美談叢書(1)
《爆彈三勇士》
◇定價金五十錢◇
(送料十錢)
著 者 久米元一
發行者 齋藤 保
    東京府瀧野川町中里一二七番地
印刷者 巧藝印刷所
    東京市京橋區西八丁堀一ノ四ノ四
發行所 合資會社 金の星社
    東京市本郷區根津片町五
    電話 下谷 三八五二番
    振替 東京三二六九二番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年

[愛国第一・第二号機:大連飛行場着陸]
【満洲事変写真帖. 1932年版】昭和7年

【満洲事変写真帖. 1932年版】
『國民の赤誠』 p24/32
 愛國號
大連飛行場着陸=第一號機・花輪を贈る・
愛國號の性能を聽取する市民
1-愛國號 p24-32
〔写真〕左 第一號機 右 第二號機
〔写真〕中央 花束を贈られている人達
※①より
愛国1号機の正操縦に航空本部の加藤俊雄大尉、 ※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
非賣品
昭和七年五月一日印刷
昭和七年五月十日發行
編著者 南滿洲鐡道株式會社 總務部庶務課
發行者 南滿洲鐡道株式會社
印刷者 細谷龜太郎
   大阪市浪速區惠美須町二丁目
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[陸軍愛國號献納機調査報告]
航空ファン2011年10月号
 その1「愛国1号、2号」※①下記
※①
[陸軍愛国号献納機調査報告]
 その1【愛国1号、2号】 横川裕一
昭和7年1月10日 命名式当日の愛国1号(左)2号 p2/4
胴体に「あいこく.1」と書いた愛国1号(ユンカースK37)
胴体に「あいこく  2」と書いた愛国2号(ドルニエ・メールクール)
愛国1号機の正操縦に航空本部の加藤俊雄大尉、 ※加藤敏雄
恩田源蔵大尉が副操縦としてあたり、
愛国2号機には加藤尹義少佐、川原大尉(正操縦)、
松村曹長(副操縦)、関野雇員(後の航研機で有名)
などが搭乗していた。
1/15 京城~平壌~奉天 p3/4
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[愛国第一・第二号機命名式:昭和7年1月10日]【我らの空軍】昭和7年

[愛国第一・第二号機 命名式:昭和7年1月10日]
【我らの空軍】昭和7年

【我らの空軍】
第八 愛國機の話 p65/77
(一)國民の赤誠遂に三十六機を獻納
(二)愛國號義勇飛行隊
2-愛国第一・第二号機命名式 p65
左 第一號機 右 第二號機
第一號機(ユンカー輕爆撃機)。
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
第二號機(ドルニヱ病院機)
昭和七年一月十日 東京で命名式をして、
滿洲で活躍しました。
二機は國民の赤誠によるものです。
※献納式場所 東京 代々木練兵場
我らの空軍 少年國防叢書Ⅲ
昭和七年七月 十日印刷
昭和七年七月十四日發行
我らの空軍
定價  金一圓
編著者 代表 木村諭吉
發行者    木村諭吉
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
印刷者    龜谷良一
       東京市本郷區眞砂町三六
印刷所    日東印刷株式會社
發行所    木村書房
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
       電話 京橋五九四一
       振替 東京二三九六〇
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年
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[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年

[愛國機:三十六機を獻納]【我らの空軍】昭和7年

【我らの空軍】少年國防叢書Ⅲ
 昭和7年7月14日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/1
第八 愛國機の話 p64-68/77
(一) 國民の赤誠遂に三十六機を獻納
    ―略―
(二) 愛國號義勇飛行隊
   何と勇ましい名  p65/77
    ―略―
   寄附者と機の名  65/77
 これから、飛行機をお國に獻納(寄附)した人々の名と
 その飛行機の種類等をお知らせします。

第一號機(ユンカー輕爆撃機)  p65/77
 一月十日東京で命名式をして、
 滿洲で活躍しました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/65
第二號機(ドルニヱ病院機)   p66/77
 一月十日東京で命名式を擧げ滿洲で活躍しました。
 右二機は國民の赤誠によるものです。
第三號機(九一式戰闘機)
第四號機(八八式輕爆撃機)
第五號機(八八一型輕偵察機)
 右の三機は東京日本橋の
 小布施新三郎氏寄贈のもので、
 三月六日命名式をなし、
 二機は滿洲に、
 一機は所澤飛行學校にあります。
 尚そのうち五號機は三月三十日、
 關東軍の國谷中尉操縦、清田中尉が同乗して
 ハルピンから依蘭方面に偵察に向つたまま
 行方不明となりましたが、
 四月八日朝になつて、
 方正の北方
 松花江の沿岸に不時着
 焼捨てられてあるのを發見されました。
第六號機(八八二型偵察機)
 日本毛織株式會社社員の獻納、
 三月十三日大阪にて命名式をあげました。
第七號機(九一式戰闘機)
 群馬縣民の獻納、三月八日高崎で命名。
第八號機(九一式戰闘機)
 川喜田久太夫氏の獻納、四月十一日津市に於て命名。
第九號機(九一式戰闘機)
 河野義(かうの ただし)氏の獻納、四月十日東京で命名。
第十號機(八八二型偵察機)
 朝鮮より獻納、四月十七日京城で命名。
第十一號機(八八二型偵察機)
 長岡市の獻納、四月十日東京で命名。
第十二號機(八八二型輕爆撃機)
 富山縣獻納、四月十日東京で命名。
第十三號機(九一式戰闘機)
 石川縣獻納、五月上旬完成の豫定。
第十四號機(九一式戰闘機)
 福井縣獻納、四月二十九日鯖江で命名。
第十五號機(八八二型輕爆撃機)
第十六號機(八八二型輕爆撃機)
 右の二機は、宮城縣獻納、四月二十四日仙臺にて命名。
第十七號機(九一式戰闘機)
 山陽道獻納、四月二十四日姫路にて命名。
第十八號機(九一式戰闘機)。
 山陰道獻納、四月二十四日姫路にて命名。
第十九號機(八八二型輕爆撃機)  ※
 兵庫縣より獻納、四月二十日姫路にて命名。
第二十號機(九二式戰闘機)
 朝鮮より獻納、五月上旬京城にて命名。
第二十一號機(八八二型輕爆撃機)
 朝鮮より獻納、五月十五日京城にて命名。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/66
第二十二號機(八八二型輕爆撃機)  p67/77
第二十三號機(八八二型輕爆撃機)
 右の二機は中學生の獻納、東京で命名。
第二十四號機(九一式戰闘機)
 東京で命名。
第二十五號機(八八二型輕爆撃機) ※
 臺灣より獻納、臺北にて命名。
第二十六號機(八八二型輕爆撃機) ※
 臺灣より獻納、臺北にて命名。
第二十七號機(九一式戰闘機)
 千葉縣より獻納、千葉市にて命名。
第二十八號機(八八二型爆撃機)
 徳島縣より獻納、徳島市にて命名。
第二十九號機(九一式戰闘機)
 北海道の獻納。
第三十號機(八八式偵察機)
 女學生の獻納、東京にて命名。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/67
第三十一號機(未詳)  p68/77
 小學生の獻納。
第三十二號機(八八式輕爆撃機)
 廣島縣獻納。
第三十三號機(八八式輕爆撃機)
 福山市獻納、廣島にて命名。
第三十四號機(八八式輕爆撃機)
 濱田氏の獻納。 ※濱田市?
第三十五號機(八八式輕爆撃機)
 周防長門の國の獻納。
第三十六號機(八八二型輕爆撃機)
 香川縣獻納。
以上が五月二十日までの調査による
わが愛國機(※愛國號)の數です。
命名日の書いてないのは、
まだ機體が完成してゐないから
未定であるためです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/68
昭和七年七月 十日印刷
昭和七年七月十四日發行
我らの空軍
定價  金一圓
編著者 代表 木村諭吉
發行者    木村諭吉
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
印刷者    龜谷良一
       東京市本郷區眞砂町三六
印刷所    日東印刷株式會社
發行所    木村書房
       東京市京橋區木挽町四ノ五ノ二
       電話 京橋五九四一
       振替 東京二三九六〇
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/74

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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年12月26日(金)
「台湾愛国号」
[愛國25(臺灣)]
[愛國26(臺灣)]
昭和7年:記念絵葉書
☆Chris*台湾人☆
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660077.html

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2014年12月27日(土)
[愛國第十九(兵庫)號]
【軍用飛行機献納記】昭和7年
http://blog.livedoor.jp/kazuo1947/archives/2660078.html

[愛國第十九(兵庫)號]【軍用飛行機献納記】昭和7年

[愛國第十九(兵庫)號]【軍用飛行機献納記】昭和7年

【軍用飛行機献納記】昭和7年8月30日発行
 発行 兵庫県教化団体聯合会
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1209855/141
愛國第十九(兵庫)號 命名式ノ實況寫眞 p11-17/145
〔写真〕
愛國第十九(兵庫)號(中央)命名式場全景(其ノ一) p12/145
〔写真〕
愛國第十九(兵庫)號(中央)命名式場全景(其ノ二) p13/145
〔写真〕
愛國第十九(兵庫)號ノ雄姿           p13/145
愛國第十九(兵庫)號ノ雄姿
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1209855/13

【我らの空軍】少年國防叢書Ⅲ
 昭和7年7月14日発行
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/1
第八 愛國機の話 p64-68/77
(一) 國民の赤誠遂に三十六機を獻納
(二) 愛國號義勇飛行隊
   寄附者と機の名
   ―略―
第十七號機(九一式戰闘機)。   p66/77
山陽道獻納、四月二十四日姫路にて命名。
第十八號機(九一式戰闘機)。   p66/77
山陰道獻納、四月二十四日姫路にて命名。
第十九號機(八八二型輕爆撃機)。 p66/77
兵庫縣より獻納、四月二十日姫路にて命名。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/66
第二十五號機(八八二型輕爆撃機)。 p67/77
臺灣より獻納、臺北にて命名。
第二十六號機(八八二型輕爆撃機)。 p67/77
臺灣より獻納、臺北にて命名。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/67

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』

[愛國25(臺灣)][愛國26(臺灣)]昭和7年:記念絵葉書☆Chris台湾人☆

「台湾愛国号」
[愛國25(臺灣)]
[愛國26(臺灣)]
昭和7年:記念絵葉書
☆Chris*台湾人☆

☆Chris*台湾人☆
お爺ちゃんの形見。
昭和7年に全台湾人は
日本母国にの義捐金22万4千円の献納で
「台湾愛国号」を命名された、
川崎飛行機株式會社が建造した八八偵2型。
同年6月12日大阪から運送し、
7月10日発表で同時に
記念絵葉書と記念スタンプを発行

[愛國25(臺灣)]記念絵葉書
愛國25(臺灣)]記念絵葉書
[愛國26(臺灣)]記念絵葉書
[愛國26(臺灣)]記念絵葉書
5:39 - 2014年12月24日
https://twitter.com/bluesayuri/status/547748505012301826

【我らの空軍】少年國防叢書Ⅲ
 昭和7年7月14日発行

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/1

第八 愛國機の話 p64-68/77
(一) 國民の赤誠遂に三十六機を獻納
(二) 愛國號義勇飛行隊
    寄附者と機の名
     ―略―

第二十五號機(八八二型輕爆撃機)。 p67/77
臺灣より獻納、臺北にて命名。


第二十六號機(八八二型輕爆撃機)。 p67/77
臺灣より獻納、臺北にて命名。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169438/67

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