伊藤次郎左衛門

《伊藤次郎左衞門〔守松〕:父 治助》【大衆人事録. 第3版】昭和5年

《伊藤次郎左衞門〔守松〕:父 治助》【大衆人事録. 第3版】昭和5年

【大衆人事録. 第3版】昭和5年
《伊藤次郎左衞門》 p153-154/1380
 名古屋商工會議所 會頭
 伊藤銀行(株)  社長
 松坂屋(株)   社長
 名古屋製陶所(株)社長
 千年殖産(株)  社長
 日本貯蓄銀行(株)取締役
 福壽火災保險(株)取締役
 愛知物産(株)  取締役
 愛知電氣時計(株)取締役
 福壽生命保險(株)取締役
 伊藤産業(名)  代表社員
 愛知銀行(株)  監査役
 中央信託(株)  監査役
 昭和毛糸紡績(株)監査役
 名古屋市西區茶屋町三八
 電話 本局 九二
君は愛知縣人 先代 次郎左衞門の四男
明治十一年(1878)五月廿六日を以て生れ
大正十三年(1924) 家督を相續し
前名〔守松〕を改む
同市實業界の重鎭にして
曩に名古屋商業會議所 副會頭に推され
現時 同會頭にして
前記 銀行會社の重役たり
曩に米國實業界を視察す
【家庭】
父  治助  嘉永 元年(1848)
       從五位勳五等
母  みつ  安政 三年(1856)
男  松之助 明治三五年(1902)
       伊藤銀行(株)取締役
       松坂屋(株) 取締役
       伊藤産業(名)代表社員
男  銃次郎 明治三七年(1904)
男  鈴三郎 明治三八年(1905)
       榮殖産(株)社長
       榮屋(株) 取締役
女  銈   明治四一年(1908)
三女 鎰   大正 二年(1913)
四女 好   大正 七年(1918)
男  輝彦  大正一三年(1924)
女  百合子 大正一五年(1926)
長女 錥   明治三六年(1903)
       子爵 交野政邁に嫁す
大正十四年十二月 五日第一版發行
(當時之を現代人事調査錄ト題セリ)
昭和 二年 十月 廿日第二版發行
昭和 五年 七月十八日第三版印刷
昭和 五年 七月廿二日第三版發行
正價 金 五拾圓
編輯兼發行人 猪野三郎
       東京府豐多摩軍千駄ヶ谷町原宿
       百七十番地六號
       電話 靑山(36)三四八一
印刷人    君島 潔
       東京市小石川區久堅町一〇八
印刷所    共同印刷株式會社
       東京市小石川區久堅町一〇八
發行所    帝國秘密探偵社
       帝國人事通信社
       東京市日本橋區小網町三丁目
       鎧河岸三十號地
       電話 茅場町(66)〇九三五 一〇五八
          茅場町(66)一六一三 一七八七 三五六三
       振替貯金口座 東京 八五九三
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤守松》【現代人事調査録】大正14年

《伊藤守松》【現代人事調査録】大正14年

【現代人事調査録】大正14年
《伊藤守松》 p66/1083
 名古屋商業會議所    會頭
 いとう松坂屋呉服店(株)社長
 伊藤銀行(株)     社長
 名古屋製陶所(株)   社長
 山東窯業(株)     取締役
 山東葉煙草(株)    取締役
 福壽生命保險(株)   取締役
 千年殖産(株)     取締役
 伊藤産業(名)     代表社員
 愛知銀行(株)     監査役
 名古屋住宅(株)    監査役
 千歳興業(株)     監査役
 愛知時計電機(株)   監査役
 愛知縣平民
 名古屋、西、茶屋、三八
 電話 本、七二五
君は愛知縣 伊藤治郎左衞門の四男にして
明治十一年十一月を以て生る
呉服太物商を營み
いとう呉服店と稱す
同市實業界の重鎭にして
名古屋商業會議所 會頭に推され
其の他 前掲諸銀行會社の重役たり
家庭
父  治郎左衞門 嘉永元年 六月生
         現戸主
男  松之助   明治三五年 七月生
男  銃次郎   明治三七年一〇月生
男  鈴三郎   明治三八年一一月生
女  銈     明治四一年 七月生
女  鎰     大正 二年一〇月生
四女 好     大正 七年一〇月生
長女 錥     明治三六年一〇月生
         子爵 交野政邁に嫁せり
養妹 キヌ    明治一三年 三月生
         大澤又左衞門 二女
         京都府人 西村善兵衞に嫁せり
大正十四年十二月 一日印刷
大正十四年十二月 五日發行
正價 金 五十圓
發行兼編輯人 猪野三郎
       東京府豐多摩軍千駄ヶ谷町字隱田一〇一
印刷人    上村新輔
       東京市小石川區久堅町百〇八番地
印刷所    株式會社 博文館印刷所
       東京市小石川區久堅町百〇八番地
發行所    帝國秘密探偵社
       帝國人事通信社
       東京市日本橋區小網町三丁目
       電話 浪花 二〇六七 五一九七 六七一七
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤守松⇒伊藤次郎左衞門》【人事興信録・3版(明44年)】~【人事興信録.第8版(昭和3年)】

《伊藤守松⇒伊藤次郎左衞門》
【人事興信録. 3版(明44.4刊)】~【人事興信録. 第8版(昭和3年)】

【人事興信録. 3版(明44.4刊)
 皇室之部、皇族之部、い(ゐ)之部―の之部】
《伊藤守松》 p102/1002
 伊藤銀行   取締役
 伊藤貯蓄銀行 取締役
 愛知縣平民
 父 次郎左衞門 嘉永 元年六月生 ※1848年7月
         現 戸主
 妻 てい    明治一八年九月生 ※1885年
         愛知平民 岡谷惣助 七女
 男 松之助   明治三五年七月生 ※1902年
君は名古屋の豪商 伊藤次郎左衞門の四男にして
明治十一年五月二十六日を以て生れ ※1878年
其の繼嗣たり
夙に株式會社伊藤銀行・伊藤貯蓄銀行の各取締役たり
家族は前掲の外
長女 錥   明治三六年一〇月生 ※1903年
次男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
三男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
名古屋、西、茶屋町三八
電話 三三六
參照=伊藤次郎左衞門、岡谷惣助の項
《岡谷惣助》 p486/1002

【人事興信録. 4版】大正4年
《伊藤守松》 p60/1041
 株式會社いとう呉服店 社長
 伊藤産業合資會社   代表社員
 千年殖産會社     代表社員
 伊藤銀行       取締役
 伊藤貯蓄銀行     取締役
 大正土地株式會社   相談役
 名古屋商業會議所   議員
 愛知縣平民
 父 次郎左衞門 嘉永 元年六月生 ※1848年7月
         現 戸主
 妻 てい    明治一八年九月生 ※1885年
         愛知平民 岡谷惣助 七女
 男 松之助   明治三五年七月生 ※1902年
君は愛知縣平民 伊藤次郎左衞門の四男にして
明治十一年十一月二十六日を以て生る ※1878年
呉服太物商を營み いとう呉服店と稱し
株式會社の組織にして其社長となれり
尚如上諸會社に重役となり又
名古屋商業會議所議員に推され
市内の名望家たり
家族は前記の外
長女 錥   明治三六年一〇月生 ※1903年
二男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
三男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
二女 銈   明治四一年 七月生 ※1908年
三女 鎰   大正 二年一〇年生 ※1913年
名古屋、西、茶屋町三八
電話 三三六
參照=伊藤次郎左衞門、岡谷惣助の項

【人事興信録. 5版】大正7年
《伊藤守松》 p99/1374
 名古屋商業會議所   副會頭
 株式會社いとう呉服店 社長
 株式會社伊藤銀行   社長
 株式會社伊藤貯蓄銀行 社長
 株式會社愛知物産組  取締役
 株式會社名古屋製陶所 取締役
 伊藤産業合名會社   代表社員
 千年殖産會社     代表社員
 愛知縣平民
 妻 てい    明治一八年九月生 ※1885年
         愛知平民 岡谷惣助 七女
 男 松之助   明治三五年七月生 ※1902年
 女 錥   明治三六年一〇月生  ※1903年
君は愛知縣平民 伊藤次郎左衞門の四男にして
明治十一年十一月二十六日を以て生る ※1878年
呉服太物商を營み いとう呉服店と稱す
明治四十三年三月 ※1910年
店舗を株式會社の組織に改め
自ら社長となり
鋭意其發展に努め
尚 前記銀行會社の重役として
中京實業界に雄飛す
曩に名古屋商業會議所議員に擧げられ
方今 副會頭の任に在り
家族は前記の外
二男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
三男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
二女 銈   明治四一年 七月生 ※1908年
三女 鎰   大正 二年一〇年生 ※1913年
名古屋、西、茶屋町三八
電話 長七二五
參照=伊藤次郎左衞門、岡谷惣助の項

【人事興信録. 6版】大正10年
《伊藤守松》 p80/1245
 伊藤銀行(株)   取締役
 伊藤貯蓄銀行株)  取締役
 いとう呉服店(株) 社長
 山東窯業(株)   取締役
 名古屋製陶所(株) 取締役
 愛知物産(株)   取締役
 愛知縣平民
 男 松之助 明治三五年 七月生 ※1902年
 女 錥   明治三六年一〇月生 ※1903年
君は愛知縣平民 伊藤次郎左衞門の四男
明治十一年十一月生 ※1878年
呉服太物商を營み
いとう呉服店と稱す
曩に名古屋商業會議所會頭たり
家族は尚
二男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
三男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
二女 銈   明治四一年 七月生 ※1908年
三女 鎰   大正 二年一〇年生 ※1913年
四女 好   大正 七年一〇月生 ※1918年
名古屋、西、茶屋町三八
電話 長 本局七二五
參照=伊藤次郎左衞門の項

【人事興信録. 7版】大正14年
《伊藤守松》 p92/1469
 名古屋商業會議所 會頭
 いとう呉服店(株)社長
 伊藤銀行(株)  社長
 名古屋製陶所(株)社長
 山東窯業(株)  取締役
 山東葉煙草(株) 取締役
 福壽生命保險(株)取締役
 千年殖産(株)  取締役
 伊藤産業(名)  代表社員
 愛知銀行(株)  監査役
 名古屋住宅(株) 監査役
 千歳興業(株)  監査役
 愛知時計電機(株)監査役
 愛知縣平民
 父 治郎左衞門 嘉永元年六月生、現戸主 ※1848年7月
 男 松之助 明治三五年 七月生 ※1902年
 男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
 男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
 女 銈   明治四一年 七月生 ※1908年
君は愛知縣 伊藤治郎左衞門の四男にして
明治十一年五月を以て生る ※1878年
呉服太物商を營み
いとう呉服店と稱す
同市實業界の重鎭にして
名古屋商業會議所會頭に推され
其他前掲諸銀行會社の重役たり
家族は尚
三女 鎰  大正 二年一〇年生 ※1913年
四女 好  大正 七年一〇月生 ※1918年
長女 錥  明治三六年一〇月生 ※1903年
      子爵 交野政邁に嫁せり
養妹 キヌ 明治一三年 三月生 ※1880年
      大澤又左衞門 二女
      京都府人 西村喜兵衞に嫁せり
名古屋、西、茶屋町三八
電話 本局七二五
參照=子爵 交野政邁、伊藤治郎左衞門、
   伊藤銃次郎、伊藤鈴三郎、
  ※西村吉右衞門の項

以降《伊藤守松⇒伊藤次郎左衞門》

【人事興信録. 第8版(昭和3年)】
《伊藤次郎左衞門》 p166/1788
 名古屋商工會議所 副會頭
 伊藤銀行(株)  頭取
 松坂屋(株)   社長
 名古屋製陶所(株)社長
 山東葉煙草(株) 社長
 山東窯業(株)  社長
 日本貯蓄銀行(株)取締役
 福壽生命保險(株)取締役
 愛知物産組(株) 取締役
 名古屋住宅(株) 取締役
 千年殖産(株)  取締役
 愛知時計電機(株)取締役
 愛知銀行(株)  監査役
 愛知時計(株)  監査役
 千歳興業(株)  監査役
 伊藤産業(名)  代表社員
 愛知縣在籍
 父 治助  嘉永元年六月生 ※1848年7月
 母 みつ  安政三年一月生 ※1856年1月?
       愛知、岡谷惣助 叔母
 男 松之助 明治三五年 七月生 ※1902年
       伊藤銀行(株)取締役
       松坂屋(株) 取締役
       伊藤産業(名)代表社員
 男 銃次郎 明治三七年一〇月生 ※1904年
 男 鈴三郎 明治三八年一一月生 ※1905年
       榮殖産(株)社長
       榮屋(株) 取締役
 女 銈   明治四一年 七月生 ※1908年
 女 鎰   大正 二年一〇年生 ※1903年
君は愛知縣人 先代次郎左衞門の四男にして
明治十一年五月を以て生れ ※1878年
大正十三年家督を相續し  ※1924年
前名〔守松〕を改め襲名す
現時 伊藤銀行頭取たる外
前掲銀行會社の重役たり
同地實業界の重鎭にして
名古屋商工會議所副會頭に擧げられ
曩に同會頭に選ばる
家族は尚
四女 好   大正 七年一〇月生 ※1918年
庶子 輝彦  大正一二年一二月生 ※1923年
       生母 大阪 川橋千代子
庶子 百合子 大正一五年 七月生 ※1926年
       生母 大阪 川橋千代子
長女 錥   明治三六年一〇月生 ※1903年
       子爵 交野政邁に嫁せり
養妹 キヌ  明治一三年 三月生 ※1880年
       大澤又左衞門 二女
       京都府人 西村吉右衞門に嫁せり
名古屋、西、茶屋町三ノ三
電話 東 五〇〇七
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤次郎左衞門》【人事興信録.2版(明41)】~《伊藤治郎左衞門》【人事興信録.7版】大正14年

《伊藤次郎左衞門〔治助〕》【人事興信録. 2版(明41.6刊)】~
《伊藤治郎左衞門》【人事興信録. 7版】大正14年

【人事興信録. 初版(明36.4刊)】
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810/663
記載なし

【人事興信録. 2版(明41.6刊)】
《伊藤次郎左衞門》 p72/1027
 勳四等
 株式會社伊藤銀行   取締役
 株式會社伊藤貯蓄銀行 取締役
 株式會社愛知銀行   監査役
 呉服太物商
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生 ※1856年
      愛知縣平民 岡谷惣生 八女
 男 守松 明治十一年五月生 ※1878年
 婦 てい 明治十八年九月生 ※1885年
      男 守松 妻
      愛知縣平民 岡谷惣助 七女
君は愛知縣平民 亡 伊藤裕良の二男にして
嘉永元年六月二十四日を以て生る ※1848年7月24日
家世々富豪を以て聞こえ最も舊家と稱せらる
方今 愛知縣の大地主にして多額納税者なり
嘗て貴族院議員に推されしも固辭して就かず
夙に株式會社伊藤銀行・伊藤貯蓄銀行を設立して
自ら取締役となり 現時 猶 其任にあり
傍 株式會社愛知銀行の監査役を兼ね
家 呉服太物商を營み
屋號を松坂屋と稱し
支店を名古屋・京都・大阪の各地に設く
日露事件の功に依り
勳四等に叙せられ 瑞寶章を賜はれり
家族は前掲の外
孫 松之助 明治三十五年 七月生 ※1902年
孫 錥   明治三十六年 十月生 ※1903年
孫 銃次郎 明治三十七年 十月生 ※1904年
孫 鈴三郎 明治三十八年十一月生 ※1905年
孫 鍈四郎 明治三十九年十一月生 ※1906年
東京市下谷區上野廣小路町一    ※?
電話 下谷八・下谷九・下谷一〇  ※?

【人事興信録. 3版(明44.4刊)
 皇室之部、皇族之部、い(ゐ)之部―の之部】
《伊藤次郎左衞門》 p100/1002
 株式會社伊藤銀行   取締役
 株式會社伊藤貯蓄銀行 取締役
 株式會社愛知銀行   監査役
 名古屋商業會議所   副會頭
 呉服太物商
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生 ※1856年
      愛知縣平民 岡谷惣助 妹
 男 守松 明治十一年五月生 ※1878年
君は愛知縣平民 亡 伊藤祐良の二男にして
嘉永元年六月二十七日を以て生れ ※1848年7月27日?
慶應二年十月 家督を相續す
呉服太物商を業とし富豪を以て聞ゆ
愛知縣下の大地主なり
夙に伊藤銀行・伊藤貯蓄銀行を設立して
各其取締役となり又選ばれて
名古屋商業會議所 副會頭たり
名古屋、西、茶屋町、三八
電話 三三六
參照=伊藤守松、岡谷惣助の項

【人事興信録. 4版】大正4年
《伊藤次郎左衞門》 p59/1041
 株式會社伊藤銀行   取締役
 株式會社伊藤貯蓄銀行 取締役
 株式會社愛知銀行   監査役
 呉服太物商
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生 ※※1856年
      愛知縣平民 岡谷惣助 妹
 男 守松 明治十一年五月生 ※1878年
君は愛知縣平民 亡 伊藤祐良の二男にして
嘉永元年六月二十四日を以て生れ ※1848年7月24日
慶應二年十月 家督を相續す   ※1866年11月
呉服太物商を業とし富豪を以て聞ゆ
愛知縣下の大地主たり
夙に伊藤銀行・伊藤貯蓄銀行を設立して
各其取締役となり又嘗て
貴族院議員に推されしも辭して就かず
尚 曩きに擧られて
名古屋商業會議所 副會頭たりき
養女 キヌ 明治一三年三月生 ※1880年
      京都平民、大澤又左衞門 二女は
      京都府平民 西村吉右衞門に嫁せり
名古屋、西、茶屋町、三八
電話 三三六
參照=伊藤守松、岡谷惣助、西村吉右衞門の項

【人事興信録. 5版】大正7年
《伊藤次郎左衞門》 p97/1374
 従五位勳四等
 株式會社伊藤銀行   取締役
 株式會社伊藤貯蓄銀行 取締役
 株式會社愛知銀行   監査役
 呉服太物商
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生 ※1856年11月
      愛知縣平民 岡谷惣助 妹
 男 守松 明治十一年五月生 ※1878年
君は愛知縣平民 亡 伊藤祐良の二男にして
嘉永元年六月二十四日を以て生れ ※1848年7月24日
慶應二年十月 家督を相續す   ※1866年11月
呉服太物商を業とし富豪を以て聞ゆ
愛知縣の大地主にして
嘗て貴族院議員たりしことあり
曩に伊藤銀行・伊藤貯蓄銀行を設立して
各其 取締役となり尚
名古屋商業會議所 副會頭に擧げらる
日露事件の功に依り
勳四等に叙し 旭日小綬章を授けらる
大正四年十一月 特旨を以て 従五位を賜ふ ※1915年
養女 キヌ 明治一三年三月生 ※1880年
      京都平民、大澤又左衞門 二女は
      京都府平民 西村吉右衞門に嫁せり
名古屋、西、茶屋町、三八
電話 三三六
參照=伊藤守松、岡谷惣助、西村吉右衞門の項

【人事興信録. 6版】大正10年
《伊藤次郎左衞門》 p79/1245
 従五位勳四等
 株式會社伊藤銀行   取締役
 株式會社伊藤貯蓄銀行 取締役
 株式會社愛知銀行   監査役
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生 ※1856年11月
      愛知縣平民 岡谷惣助 妹
 男 守松 明治十一年一一月生 ※1878年
君は愛知縣平民 亡 伊藤祐良の二男
嘉永元年六月生 ※1848年7月
嘗て貴族院議員、名古屋商業會議所會頭たり
養子 キヌ 明治一三年三月生 ※1880年
      京都平民、大澤又左衞門 二女は
      京都府平民 西村吉右衞門に嫁せり
名古屋、西、茶屋町、三八
參照=伊藤守松、西村吉右衞門、岡谷惣助、
   ※佐々木伊兵衞の項

【人事興信録. 7版】大正14年
《伊藤治郎左衞門》 p84-85/1469
 伊藤銀行(株)相談役
 愛知縣平民
 妻 みつ 安政三年十一月生  ※1856年11月
      愛知 岡谷惣助 八女?
 男 守松 明治十一年一一月生 ※1878年
君は愛知縣平民 亡 伊藤祐良の二男にして
同銃次郎、同鈴三郎の祖父なり
嘉永元年六月を以て生れ   ※1848年7月
慶應二年十月 家督を相續す ※1866年11月
曩に貴族院議員、名古屋商業會議所會頭たりしが
現時 伊藤銀行相談役たり
養子 キヌ 明治一三年三月生 ※1880年
      京都、大澤又左衞門 二女は
      京都府人 西村吉右衞門に嫁せり
名古屋、西、茶屋町、三〇一
電話 長 本局七
參照=伊藤銃次郎、伊藤鈴三郎、伊藤守松、
   西村吉右衞門、岡谷惣助、
  ※伊藤由太郎※西村治兵衞
  ※岡谷淸治郎※佐々木伊兵衞の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《佐竹義春》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《佐竹義春》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《佐竹義春》 p867/1079
 正三位 勳三等、侯爵、貴族院議員
 舊 秋田藩主
 妻 兼子  明治二七年一月生
       公爵 九條道秀 姉
 男 義榮  大正 三年九月生
       従五位、厚生省勤務
       東北帝大 出身
 婦 百合子 大正 六年八月生
       長男 義榮 妻
       侯爵 德川義親 三女
       女子學習院 出身
 女 照子  大正一〇年六月生
       女子學習院 出身
當家は源義光の孫 佐竹冠者昌義の後なり
昌義 常陸佐竹の郷に在し依りて氏とす
數世を經て常陸介義重に至り
武威關東に振ふ
其子 左京大夫義宜 豐臣氏に従ひ
三十三館の地を併せ八十萬石を領し
六大名の一なりしも
關ケ原の役 石田光成に黨し
羽州秋田二十萬石に貶せらる
夫より十一世を經て
従二位義堯に至り戊辰の役
獨り官軍に屬して偉功あり
明治十七年 侯爵を授けらる
君は義堯の孫 先代義生の長男にして
明治二十三年七月出生し
大正四年襲爵仰付らる
大正四年東京帝大文科國史科を卒業し
貴族院議員に列し火曜會に屬す
趣味 繪畫 盆栽
宗敎 禅宗
家族 尚ほ
三女 美子 昭和 三年 四月生
孫  義忠 昭和一四年 七月生
      長男 義榮 長男
弟  義行 明治二六年一一月生
同  義心 明治三七年 三月生
妹  涼子 明治三九年一〇月生あり
長女 則子 大正 五年一一月生
      女子學習院 出身は
      子爵 鍋島直紹に嫁し
弟  義勝 明治三六年 一月生は
      兄 子爵佐竹義通の死跡を相續し
同  義宏 明治四五年 四月生は
      子爵 松平忠正の養子となり
      忠宏と改め
妹  靜子 明治四二年 三月生
      女子學習院 出身は
      愛知縣 伊藤松之助に
従姉 英子 明治一三年 七月生は
      男爵 島津忠彦の先代壯之助に嫁す
所得税 五七一九
東京市麹町區九段二ノ一
電話 九段 四〇八
參照 公爵 九條道秀、侯爵 德川義親、子爵 佐竹義勝、
   子爵 鍋島直紹、子爵 松平忠正、男爵 島津忠彦、
   伊藤松之助の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《柏原孫左衞門》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《柏原孫左衞門》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《柏原孫左衞門》  p567/1079
 柏原洋紙店(株) 社長
 西成製紙(株)  社長
 百五銀行(株)  取締役
 浪速製紙(株)  取締役
 伊藤銀行(株)  監査役
 黑江屋漆器店(株)相談役
 柏原(資)    代表社員
 京都府在籍
 妻 銈 明治四一年七月生
     愛知 伊藤次郎左衞門 二女
     愛知高女 出身
當家は德川初期より京都に定住し
子孫相傳へて今日に至る素封家なり
氏は先代孫左衞門の孫にして
明治三十年三月出生
大正五年 祖父の後を承け
十代目の家督を相續し
前名 彌一郎を改め襲名す
大正十年 慶大理財科を卒業し
昭和四年 歐米に遊び現時
柏原洋紙店・西成製紙各會社長たる外
前記 銀行會社の重役たり
趣味 ゴルフ
宗敎 眞宗
家族 尚ほ
長女 花子  昭和四年 四月生
二女 喜久子 昭和七年 九月生
三女 俊子  昭和八年一二月生あり
所得税 四三四六八
京都市東山區問屋町通五條下ル
電話 祇園 一〇四五
參照 伊藤次郎左衞門の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤松之助》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《伊藤松之助》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《伊藤松之助》 p192/1079
 名古屋商工會議所   常議員
 伊藤銀行(株)    頭取
 松坂屋(株)     社長
 千歳殖産(株)    取締役
 安田託(株)     取締役
 愛知縣物産組合(株) 取締役
 八勝倶樂部(株)   監査役
 中央信託(株)    監査役
 名古屋觀光ホテル(株)監査役
 伊藤産業(名)    代表社員
 愛知縣在籍
 父 次郎左衞門 明治一一年五月生
         現 戸主(別項登載)
 妻 靜子    明治四二年三月生
         侯爵 佐竹義春 妹
         女子學習院 出身
 男 洋太郎   昭和七年七月生
愛知縣 伊藤次郎左衞門の長男にして
同銃次郎 同鈴三郎の兄に當り
明治三十五年七月出生す
現時 松坂屋並に伊藤銀行頭取の外
前記各會社の重役にして
推されて
名古屋商工會議所 常議員たり
昭和十一年十月
紺綬褒章を下賜せらる
趣味 ゴルフ 謡曲
宗敎 浄土宗
家族 尚ほ
長女 多喜  昭和 五年 七月生
二男 千次郎 昭和 八年一〇月生
三男 武三郎 昭和一二年 二月生
あり
名古屋市西區茶屋町三ノ三
電話 本局 九三
參照 侯爵 佐竹義春、伊藤次郎左衞門、
   伊藤銃次郎、伊藤鈴三郎の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤次郎左衞門:〔守松〕明治11年生》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《伊藤次郎左衞門:〔守松〕明治11年生》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《伊藤次郎左衞門》 p183/1079
 名古屋商工會議所 顧問
 名古屋製陶所(株)社長
 千年殖産(株)  社長
 日本貯蓄銀行(株)取締役
 愛知時計電機(株)取締役
 福壽火災(株)  取締役
 福壽生命(株)  取締役
 昭和毛絲紡績(株)取締役
 伊藤産業(株)  取締役
 國際電氣通信(株)監査役
 名古屋住宅(株) 監査役
 東邦化學工業(株)監査役
 愛知銀行(株)  監査役
 日本工業倶樂部  顧問
 松坂屋(株)   相談役
 伊藤銀行(株)  相談役
 山東窯業(株)  相談役
 東邦瓦斯(株)  相談役
 國際觀光委員
 葡萄牙國 名譽副領事 ※葡萄牙:ポルトガル
 名古屋日暹協會 會長 ※暹:タイ
 財團法人衆善會 理事長
 愛知縣在籍
 男 松之助 明治三五年七月生(別項登載)
 女 好   大正七年一〇月生
       愛知縣立第一高女 出身
當家は元織田信長の家臣たりしも退身して
名古屋城下に定着し呉服渡世を創む
是れ當家伊藤松坂屋の濫觴なり
爾來數百年漸次家業の大を爲し
十二代を經て
先代次郎左衞門に到り
家業を繼承し
曩に貴族院議員
名古屋商業會所會頭に選ばれ後
退隱し〔治助〕と改名し餘生を
京都嵯峨仙翁に送れり

氏は其次男にして
明治十一年五月出生
大正十三年家督を相續し
前名〔守松〕を改め襲名す
夙に愛知商業學校を卒業し
松坂屋を主宰し傍ら
前記各銀行會社の重役を兼ね
推されて名古屋商工會議所 顧問たり
趣味 謡曲 園藝
家族 尚ほ
男  輝彦  大正一二年一二月生
女  百合子 大正一五年 七月生
同  鶴彦  昭和 三年 五月生
あり
二男 銃次郎 明治三七年一〇月生
三男 鈴三郎 明治三八年一〇月生は
   各其妻を伴ひ分家し
長女 錥 明治三六年一〇月生
     愛知縣立第一高女 出身は
     子爵  交野政邁に嫁す
二女 銈 明治四一年 七月生は
     出身校 同上
     京都府 柏原孫左衞門に嫁す
三女 鎰 大正 二年一〇月生
     出身校 同上
     東京  三木邦男に嫁す
所得税 一三六六八四
名古屋市西區茶屋町三ノ三
電話 本局 九二
參照 子爵 交野政邁、伊藤銃次郎、
      伊藤松之助、柏原孫左衞門の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《伊藤銃次郎》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《伊藤銃次郎》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《伊藤銃次郎》 p183-184/1079
 松坂屋(株) 社長
 山東煙草(株)社長
 三綿商店(株)取締役
 伊藤銀行(株)取締役
 朝日興業(株)監査役
 山東窯業(株)監査役
 伊藤産業(名)出資社員
 大阪府在籍
 妻 充子 明治四二年四月生
      子爵 相良賴綱 三女
      聖心女子學院 出身
愛知縣實業家 伊藤次郎左衞門の二男
同松之助の弟
同鈴三郎の兄にして
明治三十七年十月出生
昭和五年分家す
現時
松坂屋外前記會社の重役にして
伊藤産業合名會社の出資社員たり
趣 味 乘馬 ゴルフ
宗 敎 浄土宗
所得税 五〇八九三
大阪府豐能郡南豐島村原田二
電話 豐中二七〇五
參照 子爵 相良賴綱、伊藤次郎左衞門、
   伊藤鈴三郎、伊藤松之助の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[朝日興業(株)]【日本紳士録. 42版(昭和13年)】
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《交野政邁》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

《交野政邁》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《交野政邁》 p576/1079
 正四位、子爵
 朝日興業(株)取締役
 松坂屋(株) 取締役
 舊公卿家
 養父 時正 明治一一年 一月生
       従四位
 妻  錥  明治三六年一〇月生
       愛知 伊藤次郎左衞門 長女
 男  政博 大正一五年 二月生
       學習院中等科 在學
當家は西洞院時慶の末子
大善大夫時貞の後なり
時貞 別に一家をなし
交野と稱す
それより六世を經て
先々代 時萬に至り
明治四年以來
氷川神社・日吉神社各大宮司
宮中祇候御歌所參候等被仰付
明治十七年 子爵を授けらる
君は子爵 内藤政道の兄にして
明治二十六年七月出生
先代時正の養子となり
大正七年 襲爵す
大正十年 京都帝大經濟學部を卒業し
現時前記各會社の重役たり
家族 尚ほ
長女 民子 昭和二年三月生
二女 君子 昭和五年三月生あり
所得税 五三三一
東京市芝區白金三光町四五〇
電話 高輪 五九六七
參照 子爵 内藤政道、伊藤次郎左衞門の項
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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