四元嘉平次・四元義隆の父

《井坂仁次郎》宜蘭農林學校【中等教育諸学校職員録】昭和7~10年

《井坂仁次郎》宜蘭農林學校【中等教育諸学校職員録】昭和7~10年

【中等教育諸学校職員録. 昭和7年5月現在(第29版)】
四九 臺灣(工、農)
州立 宜蘭農林學校 p765/799
   臺北市宜蘭街
農具、肥、昆虫、病理、實習 《井坂仁次郎》

【中等教育諸学校職員録. 昭和9年5月現在(第31版)】
四九 臺灣(工、農)
州立 宜蘭農林學校 p653/684
   臺北州宜蘭街
農具、昆虫、作、實習 《井坂仁次郎》

【中等教育諸学校職員録. 昭和10年5月現在(第32版)】
四九 臺灣(工、農)
州立 宜蘭農林學校 p687-688/721
   臺北州宜蘭街
病理、生、耕、機、實 《井坂仁次郎》
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次・四元義隆の父》【人事興信録. 第13版 下】昭和16年
《四元嘉平次》
長女 元子 大正元年生
      羅南高女 出身
      東京家政女學校 出身
      井坂仁次郎に嫁す
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次》【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
長女 元子 大正元年生
      羅南高女 東京家政女學 各卒は
      宜蘭農林敎諭 井坂任次郎に嫁す
            ※井坂仁次郎
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《井坂仁次郎:四元嘉平次の長女 元子の夫》【鹿児島高等農林学校一覧】昭和2~17年度

《井坂仁次郎:四元嘉平次の長女 元子の夫》
【鹿児島高等農林学校一覧】昭和2~17年度

鹿児島高等農林学校
 入学 昭和2年4月
 卒業 昭和5年3月

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和2年至昭和3年】
農學科 第一學年 p64/124
《井坂仁次郎》 中、熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和3年至昭和4年】
農學科 第二學年 第一部 p67/131
《井坂仁次郎》 中、熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和4年至昭和5年】
農學科 第三學年 第一部 p64/128
《井坂仁次郎》 中、熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和5年至昭和6年】
△農學科 第十九回 p94/133
 昭和五年三月十四日卒業 四十一人
自營 《井坂仁次郎》 熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和6年至昭和7年】
△農學科 第十九回 p88/126
 昭和五年三月十四日卒業 四十一人
台北州立宜蘭農林學校 《井坂仁次郎》 熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和7年至昭和8年】
△農學科 第十九回 p92/130
 昭和五年三月十四日卒業 四十一人
台北州立宜蘭農林學校 《井坂仁次郎》 熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和9年至昭和10年】
△農學科 第十九回 p81/124
 昭和五年三月十四日卒業 四十一人
台北州立宜蘭農林學校 《井坂仁次郎》 熊本

【鹿児島高等農林学校一覧. 自昭和10年至昭和11年】
△農學科 第十九回 p77/115
 昭和五年三月十四日卒業 四十一人
台北州立宜蘭農林學校 《井坂仁次郎》 熊本
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275779/77

【鹿児島高等農林学校一覧】昭和11年~昭和16年

【鹿児島高等農林学校一覧. 昭和17年度】
△農學科 第十九回 四十一人 p69/106
 昭和五年三月十四日卒業
《井坂仁次郎》 熊本
昭和十七年十一月一日印刷
昭和十七年十一月十日發行
發行所 鹿兒島高等農林學校
印刷者 倉内榮造
    鹿兒島市西田町六六
印刷所 倉内印刷所
    鹿兒島市西田町六六
    電話二八八六番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鹿児島大学総合研究博物館文書資料目録1
鹿児島高等農林学校
 学生調査報告書等
  橋本達也・是枝智美 編
   鹿児島大学総合研究博物館
    二〇一三年三月
10 鹿児島高等農林学校学生調査報告書等文書資料一覧 p11/46
  農 村 調 査
番 号   616 p25/46
調査年月  不明
調査地   臺湾花蓮港廳花蓮支廳
      鳳林區海岸アミ蕃タパロン社調査
現市町村名
調査者   農科三年 井坂仁次郎
備考    調査年不明。気圧のページに
      昭和4年7月の気圧に関する記述あり。
      ポストカード7枚、写真5枚貼付
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次・四元義隆の父》【人事興信録. 第13版 下】昭和16年
《四元嘉平次》
長女 元子 大正元年生
      羅南高女 出身
      東京家政女學校 出身
      井坂仁次郎に嫁す
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次》【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年
長女 元子 大正元年生
      羅南高女 東京家政女學 各卒は
      宜蘭農林敎諭 井坂任次郎に嫁す
            ※井坂仁次郎
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

《四元嘉平次》【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】昭和18年

【大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇】
《四元嘉平次》 p356/950
 勳七 道會副議長
 國民總力朝鮮聯盟 理事
 咸北自動車(株) 取締役
 淸津府朝日町二
 電話 二一四八
〔閲歷〕
鹿兒島縣 幸介 長男
明治八年七月廿五日 鹿兒島市に生る
明治三十二年 神戸・大阪各税關勤務
武豐税關支署長 群山海關長等歷職
明治四十五年 退官
北鮮運輸を創立す
日露役に出征
曩に商工會議所會頭たり
宗敎 神道
趣味 書畫・園藝
〔家庭〕
妻  民子 明治二八年生
      岡山縣 堀川貫一 長女
      山陽高女卒
長男 義正 明治三八年生
      美校卒
      日大附屬中 敎諭
二男 義隆 明治四二年生
      東大 政治科卒
長女 元子 大正元年生
      羅南高女 東京家政女學 各卒は
      宜蘭農林敎諭 井坂任次郎に嫁す
            ※井坂仁次郎 ※下記参照
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230025/356
昭和十八年十一月十八日 第十四版印刷〔四・五〇〇部〕
昭和十八年十一月廿二日 第十四版發行
(出文協承認 ア90112號)
外地・滿・支・海外 篇
定價 停 金貮拾五圓
特別行爲
税相當額 金九拾參錢
合 計  金貮拾五圓九拾參錢
著作兼
發行人 谷 サカヨ
印刷人 大橋芳雄
    東京都小石川區久堅町一〇八
印刷所 共同印刷株式會社(東京二〇四)
    東京都小石川區久堅町一〇八
發行所 帝國秘密探偵社
    東京都日本橋區兩國五十番地
    電話 浪花(67)0973 4873 5275
            5287 5288 5289
    振替口座 東京八五九三番
    會員番號 一一九〇〇三番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《井坂仁次郎:四元嘉平次の長女 元子の夫》
【鹿児島高等農林学校一覧】昭和2~17年度
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《井坂仁次郎》宜蘭農林學校【中等教育諸学校職員録】昭和7~10年
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元義隆》【第七高等学校造士館一覧】大正14年度~昭和3年度

《四元義隆》【第七高等学校造士館一覧】大正14年度~昭和3年度

第七高等学校造士館
大正14年4月入学
昭和 3年3月卒業

【第七高等学校造士館一覧. 大正14年度】
 第七章 生徒 高等科 p79/156
 文科一年甲(英語ヲ第一外國語トスルモノ)p88/156
   二ノ組(四十一名)
第二鹿兒島 四元義隆 鹿兒島
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940374/88

【第七高等学校造士館一覧. 大正15年度】
 第七章 生徒 高等科 p79/153
 文科二年甲(英語ヲ第一外國語トスルモノ)p84/153
   二ノ組(三十八名)
第二鹿兒島 四元義隆 鹿兒島

【第七高等学校造士館一覧. 昭和2年4月至3年3月】
 第七章 生徒 高等科 p76/162
 文科三年甲(英語ヲ第一外國語トスルモノ)p77/162
   二ノ組(三十三名)
第二鹿兒島 四元義隆 鹿兒島

【第七高等学校造士館一覧. 昭和3年4月至4年3月】
 第二十五回 貮百五名(昭和三年三月卒業) p146/161
 文科甲類(六十八名) p147/161
東法 四元義隆 鹿兒島

《四元義隆》
昭和3年(1928)4月に東京帝国大学法科(現、東京大学法学部)入学。
在学中に上杉慎吉主宰の帝大七生社の同人となる。大学中退後、…。

東京帝国大学
昭和4年(1924) 大学中退。

【東京帝国大学一覧. 昭和5年度】
◎學生生徒姓名(昭和五年四月末日現在)p235/422
 政治學科  p250/422
昭和三年入學 p250-251/422
記載なし
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》咸鏡北道・道會議員[職員錄]昭和12・13年

《四元嘉平次》咸鏡北道・道會議員[職員錄]昭和12・13年

【職員録. 昭和12年7月1日現在~昭和13年9月1日現在】
昭和十二年七月一日現在
[職員錄]咸鏡北道
◎道會議員 p150/364
淸津府 四元嘉平次
同   黄 鐘國
同   大見悦之助
羅津府 河野九郎
同   柳瀬 馨
鏡城郡 三上 新
同   金 定錫
同   洪 鐘壹
同   金 炳?
明川郡 金  益
吉州郡 李 鐘?
城津郡 夏目十郎兵衛
同   柳 鐘夏
富寧郡 張 德相
茂山郡 尹 錫弼
會寧郡 尾崎逸平
同   尹 承鉉
鐘城郡 呉 琦龍
穏城郡 全 治鎬
慶源郡 河 潤一
慶興郡 金 琪宅
昭和十二年九月十日印刷
昭和十二年九月十五日發行
發行者 咸鏡北道
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地
印刷者 姜 鶴秉
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地
印刷所 北極商會印刷部
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昭和十三年九月一日現在
[職員錄]咸鏡北道
◎道會議員 p331-332/364
淸津府 四元嘉平次
同   黄 鐘國
同   大見悦之助
羅津府 河野九郎
同   柳瀬 馨
鏡城郡 三上 新
同   金 定錫
同   洪 鐘壹
同   金 炳?
明川郡 金  益
吉州郡 李 鐘?
城津郡 夏目十郎兵衛
同   柳 鐘夏
富寧郡 張 德相
茂山郡 尹 錫弼
會寧郡 尾崎逸平
同   尹 承鉉
鐘城郡 呉 琦龍
穏城郡 全 治鎬
慶源郡 洪 奎彬
慶興郡 金 琪宅
昭和十三年九月二十日印刷
昭和十三年九月二十五日發行
發行者 咸鏡北道
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地
印刷者 姜 鶴秉
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地
印刷所 北極商會印刷部
    咸鏡北道鏡城郡羅南邑本町八四番地

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》大阪税関【職員録】明治34年~39年

《四元嘉平次》大阪税関【職員録】明治34年~39年

【職員録. 明治34年(甲)】
 凡例 p1/475
一 本編ハ明治三十四年四月一日現在調査ニ係ル
  各官廳(北海道廳府縣ヲ除ク)
  高等官、判任官及各其待遇者其他
  主要ナル職員ヲ纂錄シタルモノナリ
◎大阪税關 p82-83/475
 攝津國大阪市北區富島町
長   佐脇安文
    洋行中
事務官 鈴木 穆
    監査課長
    大阪市北區富島町税關官舎
鑑定官 田島熊太郎
    鑑定課長兼檢査課長
    大阪市北區玉江町二町目税關官舎
監吏 p83/475
四元嘉平次
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779780/83

【職員録. 明治35年(甲)】
◎大阪税關 p87/486
 攝津國大阪市北區富島町
長   永濱盛三
    洋行中
事務官 鈴木 穆
    監査課長兼貨物課長
    大阪市北區富島町税關官舎
監視官 鈴木 穆
    監視部長 事務官
鑑定官 田島熊太郎
    鑑定課長兼檢査課長
事務官補
    田舎方幸三郎
    武豐税關支署長
監視  田舎方幸三郎
    事務官補
    四元嘉平次
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779782/87

【職員録. 明治36年(甲)】
◎大阪税關 p74/459
 大阪市北區富島町四番地
事務官補
    田舎方幸三郎
    監視
    四元嘉平次
    武豐税關支署長
監視  田舎方幸三郎
    四元嘉平次
    事務官補

【職員録. 明治37年(甲)】
◎大阪税關 p76/365
 大阪市北區富島町四番地
事務官補
    四元嘉平次
    武豐税關支署長
    陸軍砲兵軍曹
監視  四元嘉平次
    事務官補

【職員録. 明治38年(甲)】
◎大阪税關 p83/376
 大阪市北區富島町四番地
事務官補
    四元嘉平次
    兼税關監視

【職員録. 明治39年(甲)】
◎大阪税關 p103/447
 大阪市北區富島町四番地
事務官補
    四元嘉平次
    兼税關監視

【職員録. 明治40年(甲)】
◎大阪税關 p86/470
 大阪市北區富島町四番地
記載なし
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次》
四元砲兵特務曹長外十九名召集免除の件:明治39年7月
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次》
今般俸給ヲ受ク韓國政府ノ聘用ニ應シ度ニ付:明治39年9月
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《四元嘉平次》
韓國政府應聘願進達ノ件:明治43年3月11日
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次・四元義隆の父》「北鮮總督」【清津商工会議所史】昭和19年

《四元嘉平次・四元義隆の父》「北鮮總督」【清津商工会議所史】昭和19年

【清津商工会議所史】昭和19年
〔写真〕 p21/262
元 會頭 四元嘉平次
元 會頭 小竹松太郎

 七 四元嘉平次氏感謝會 p120/262
大正元年十一月二十一日
衆望を負ひて淸津商工會議所會頭に就任以來
北鮮經濟界の發展に盡瘁し來つた四元嘉平次氏は、
第六期淸津商工會議所會頭を最終として
經濟界から隠退することを決意表明するに至つた。
 ―略―
感謝會委員長として p121/262
淸津商工會議所會頭 川本彰一が就任、
副會頭 水島計次郎、
同   武本盛達、
議員  根石儀一、
同   沓掛 孝、
同   植松 淸、
同   崔 雲鶴、
同   姜 台璜、
同   金原三郎を委員に囑し
以て四元氏に對する感謝の微意を表した。
  略 歷
 原籍 鹿兒島市松原町二十二番地、
    明治八年七月二十五日生
明治三十四年 八月 税關監視となり大阪税關在勤
同 三十五年 八月 武豐税關支署長
同 三十七年 五月 日露戰役に出征
同 三十九年 二月 歸還
同 三十九年 九月 元山税關港長
同 四十四年 五月 依願免官
大正  元年十一月 淸津商業會議所會頭
同   五年  月 淸津商業會を組織す
同   九年十二月 咸鏡北道評議會員(現在に及ぶ)
同  十二年  月 咸鏡北道商工聯合會長
同  十四年十二月 淸津商業會議所會頭
同  十五年十二月 淸津商業會議所會頭
昭和  三年 二月 吉會鐡道速進期成會長
同   三年十二月 淸津商業會議所會頭
同  十二年 三月 淸津商工會議所會頭
同  十五年 四月 淸津商工會議所會頭
 元會頭 四元嘉平次 p251-252/262
氏は明治八年 鹿兒島市松原町に生れ、
近親者には多くの勤王家あり
贈位せられたる人を有する名門の出なり、
明治四十年 神戸税關より韓國政府に招聘され
元山税關長として半島に渡る、
明治四十四年 官を辭し北鮮開發に志し淸津めざし?
先づ北鮮運輸株式會社を創立して
その社長となり傍ら鑛山及び植林事業を經營し
北鮮實業界の重鎮として聞ゆるに至つた。
大正十四年十一月 宿望の淸津商業會議所創立さるゝや
氏は初代會頭に推され爾後四期に亘りその椅子に就き
北鮮經濟界の進展に大なる貢獻をなした。
殊に淸津繁榮會長として殘したる功績及び
吉會線期成會長として
その開設の爲め寝食を忘れて盡瘁したる功績は
北鮮開發に於ける同路線の重要性に鑑みて
地方民の永く銘記する處である。
その間
鶏林炭鑛株式會社 副社長、
豆滿江林業株式會社 監査役、
淸津倉庫株式會社 社長、
淸津府會議員たり
又かねて氏の經營せる
明川黑鉛鑛山は大東亞戰爭下
全國優良鑛山の一として
表彰せらるゝ光榮を擔ふに至つた。

業績斯の如くすべて?
在鮮四十年の氏は半島經濟界の長老たるのみならず
麑城名門の出たる
その風格自ら長者の品 備はるあり
巷間氏を呼ぶに「北鮮總督」の名を以てするに至る、
大正九年以來 咸鏡北道道會議員に官選せられ
副議長に推されて道勢の進展に努力しつゝありしが
更に氏は今度 淸津商工會議所特別議員に選任せられ、
再び商工經濟界の指導發展にその薀蓄を傾注してゐる。

總督施政三十有餘年
大東亞共榮圏指導の重要な地位にのぼれる
半島の經程に於て氏の進み來りし路は
その各時代に於ける第一人者の路であり
聖業翼賛の大きな歩みであつた。
昭和十年 朝鮮總督府施政二十五年
記念式擧行さるゝや
民間功勞者として氏の上に表彰の榮譽の輝けるも
宜なりといふべきである。

昭和十五年九月 淸津商工會議所は
「四元氏感謝會」を設立し
同氏の功勞を感謝し
その仁壽を祝福せんとするや
此の計畫を傳承し
全國二千數百名の士が賛同して
銅像建設を切望したるも、
時恰も大東亞戰爭勃發進展の爲め之を止め、
他日一大記念事業を起すことゝなつて居る。
昭和十九年八月二十八日印刷
昭和十九年九月  一日發行
淸津商工會議所史
發行部數四〇〇部
非賣品
著者兼發行人 勝村長平
       淸津府富貴町二番地
印刷者    阿部 薫
       京城府中區黄金町二丁目六十五番地
印刷所    大盛堂印刷株式會社
       京城府中區黄金町二丁目二百五十一番地
發行所    淸津商工會議所
       淸津府港町十六番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大宮 誠
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》韓國政府應聘願進達ノ件:明治43年3月11日

《四元嘉平次》韓國政府應聘願進達ノ件:明治43年3月11日

韓國政府應聘願進達ノ件 p37/76
明治四十三年三月十一日
  第六師團長 男爵 木越安綱
陸軍大臣 子爵 寺内正毅殿
左記ノ者 韓國政府ノ招聘ニ應シ度趣ヲ以テ
別紙之通リ願出候條及進達候也
 左 記
 後備陸軍砲兵特務曹長 四元嘉平次
p37-四元嘉平次-76
 

           嘉平次儀  p38/76
今般韓國政府ノ招聘ニ應シ度候間
御許可被成下度別紙應聘契約條件
書ヲ添ヘ此段奉願候也
 明治四十二年十月二十日
  本籍 鹿兒島市山下町四百七番戸
     戸主 児玉修義 同居
  後備役陸軍砲兵特務曹長 勳七等 四元嘉平次
陸軍大臣 子爵 寺内正毅殿
p38-四元嘉平次-76
 

  應聘契約條件 p39/76
一 韓國政府ノ待遇   判任官二等
一 應聘中ノ職務    税關主事
一 俸給其他給與ノ金額 四給俸
  (俸給ノ外 月手當金五拾五圓、宅料参拾圓)
一 應聘年限      不定
p39-四元嘉平次-76
 
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
件名標題(日本語)   橋本軍医外10名韓国応聘の件
階層 防衛省防衛研究所 陸軍省 大日記 朝鮮事件 朝
   自明治41年至明治43年 韓国政府応聘者綴 陸軍省
レファレンスコード   C06031063200
作成者名称(日本語)  後備陸軍輜重兵軍曹 山崎哲藏
            後備陸軍歩兵伍長 末山彌五七
記述単位の年代域    17年10月31日(0017/10/31)
資料作成年月日     自明治42年12月28日~至明治42年12月10日
画像数 76
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》今般俸給ヲ受ク韓國政府ノ聘用ニ應シ度ニ付:明治39年9月

《四元嘉平次》今般俸給ヲ受ク韓國政府ノ聘用ニ應シ度ニ付:明治39年9月

税関鑑定官補家守要外十五名 p1/25
韓国政府ノ聘用ニ応シ俸給ヲ受クルノ件
右謹テ奏ス
明治三十九年九月二十八日
内閣総理大臣侯爵 西園寺公望

内閣書記官室 大第一五三号農一九四号 九月八日裁可 p2/25
明治三十九年九月 日
税関鑑定官補 家守要外十五名
韓国政府ノ聘用ニ応シ俸給ヲ受クルノ件

指令案 p3/25
税関鑑定官補 家守要外十四名韓国政府ノ聘用ニ応シ
俸給ヲ受クルノ件 上奏ヲ経タリ
九月三十日
生糸検査所技手杉本憲作以下前同文
九月二十九日

税関鑑定官補 家守 要
税関事務官補兼税関監視 四元嘉平次
税関鑑定官補兼税関事務官補 藤枝権六
税関鑑定官補 草野嘉四郎
同      玉置悦蔵
税関監吏   米田賢吉
同      太田善之助
同      松田清
同      川上廣市

同      隆野時見 p4/25
同      長沼 誠
同      辻 純造
同      寺田雄資
同      市川健吉
同      吉武 彰
右今般韓國政府ノ聘用ニ應シ度㫖
願出候間 明治三十七年勅令第百九十五號ニ依リ
御許可相成度謹テ上奏ス
明治三十九年九月二十二日
 大藏大臣 法學博士 阪谷芳郎

今般俸給ヲ受ク韓國政府ノ聘用ニ應シ度ニ付 p6/25
御許可相成度奉願候也
明治三十九年九月十五日
  税關事務官補兼税關監視官
         四元嘉平次
 大藏大臣 法學博士 阪谷芳郎殿
p6-四元嘉平次-25
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
件名標題(日本語) 税関鑑定官補家守要外十四名
          ○生糸検査所技手杉本憲作
          韓国政府ノ聘用ニ応シ俸給ヲ受クルノ件
階層 国立公文書館 内閣公文雑纂 明治明治39年公文雑纂・
   明治三十九年・第十九巻・大蔵省・大蔵省
レファレンスコード A04010107100
資料作成年月日   明治39年9月28日(1906/09/28)
画像数 26
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《四元嘉平次》四元砲兵特務曹長外十九名召集免除の件:明治39年7月

《四元嘉平次》四元砲兵特務曹長外十九名召集免除の件:明治39年7月

陸軍省受領 第七六一号 内閣送第二〇二号 閣第七号 p1/5
後備陸軍砲兵特務曹長
    税関監視 四元嘉平次
同   憲兵曹長
    税関監視 安部薫松
同   憲兵軍曹
    税関監吏 竹森常藏
同   歩兵特務曹長
    税関監吏 奥村九橘
同   憲兵軍曹
    税関監吏 森原霜右エ門 p2/5
後備陸軍砲曹長
    税関監吏 吉村寅雄
同   一等計手
    税関監吏 池田信行
陸軍補充兵
    税関監吏 久木山四郎
    税関監吏 隆野時見
    税務監吏 江上理三 p3/5
後備陸軍歩兵中尉
    税関監吏 岩本十日生
陸軍補充兵
    税関監吏 横川宥範
    税関監吏 村尾 旭
    税関監吏 兒玉捨太郎
予備陸軍歩兵少尉
    税関監吏 吉武 彰 p4/5
陸軍補充兵
    税関監吏 大西英藏
予備陸軍歩兵少尉
    税関監吏 塚越鎮三
    税関監吏 松岡二郎
予備陸軍歩兵特務曹長
    税関鑑定官補 中野長三
予備陸軍歩兵軍曹
    税関鑑定官補 伊田豊久 p5/5
右召集免除ノ義当該官廳ノ具状ニ依り
本日認可…
明治三十九年七月十七日
 内閣書記官長 石渡敏一
陸軍次官 石本新六殿
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
件名標題(日本語) 四元砲兵特務曹長外十九名召集免除の件
階層 防衛省防衛研究所陸軍省大日記壱大日記明治39年「壹大日記」
レファレンスコード C04014143800
記述単位の年代域  明治39年7月(1906/07/01 - 1906/07/31)
画像数 5
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ