上野與吉

《上野與吉》「下京區元第二十二組」淸水五丁目【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

《上野與吉》「下京區元第二十二組」淸水五丁目
【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】
目 次 p3/252
元組名 元廿一組 ※廿二組 p11/252
所 在 淸水寺門前廣道行當リ
町 名 淸水五丁目
地圖頁  八六
附錄頁 二九五
「下京區元第二十二組」
 淸水寺門前廣道行當リ p161-162/252
淸水五丁目
一一六   宅地 二〇一・九六 上野與吉(興善町)
一一七   宅地  四七・七四 岩崎菊之助?
一一八   宅地  九六・四六 岩島菊之助?
一一九   宅地 一一三・三〇 木戸宗助
一二〇   宅地  四六・九一 政ヌイ 外一名
一二一   宅地  四六・六四 松井キミ
一二二   宅地  四六・五四 西村爲吉(常盤町)
一二三   宅地  三九・九七 片山政次郎
一二四   宅地  三九・九六 片山政次郎
一二五   宅地  八〇・七三 山本傳吉
一二六   宅地  八四・五三 山本傳吉
一二七   宅地  二〇・七三 河内兵吉
一二七ノ一 道         京都府
一二七ノ二 道         京都市
一二八   道         京都市
一二九   道         京都市
一三〇   畑  〇・〇二九  上野與吉(興善町)
一三一   道         京都市
一三二   畑  〇・三一七  上野與吉(興善町)
一三二ノ一 道         京都府
一三三   宅地  六九・八七 山本傳吉
一三三ノ二 道         京都市
一三三ノ三 道         京都市
一三三ノ四 道         京都市
一三四   畑  〇・四〇九  松井キミ
一三四ノ一 畑  〇・〇一九  政ヌイ 外一名
一三四ノ二 畑  〇・〇一八  片山政二郎
一三四ノ三 畑  〇・〇一六  山本傳吉
一三五   畑  〇・四〇六  上野與吉(興善町)
一三六   畑  〇・二〇九  上野與吉(興善町)
一三七   畑  一・五二九  上野與吉(興善町)
五二六   道         京都市
五二六ノ一 道         京都市
五二七   道         京都市
五二八   道         京都市
五二八ノ一 道         京都市
五二八ノ二 道         京都市
五二九   宅地  一六・二四 山本傳吉
五三〇   畑  〇・〇〇八  京都市
五三一   畑  〇・〇一四  京都市
五三二   畑  〇・〇二三  京都市
五三三   畑  〇・〇二〇  京都市
五三四   畑  〇・二一〇  京都市
  京都地籍圖第二編
大正元年八月二十八日印刷
大正元年八月三十一日發行
編纂者 稻津近太郎
發行者 能勢健治
    大阪市南區大寶寺町中ノ町四十番地
發行者 川村秀三郎
    京都市下京區河原町通大黑町四十番地一
印刷者 中西勝太郎
    京都市上京區下立賣通小川東入
    西大路町百四十六番地
印刷所 中西印刷合名會社
    右同所
發行所 京都地籍圖編纂所
    京都市下京區河原町通大黑町
    電話 中四一三〇番
【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
(元二十二組ノ内) p88/155
淸水四丁目(南部)
淸水五丁目
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[思い出の写真帖]038〔ホテル東園:坂本恭啓社長〕
ホテル東園の前が、坂本電器(株)
坂本電器:京都市東山区清水5丁目
   北隣は税務署・京都清水郵便局
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[思い出の写真帖]028〔坂本電器:林譲治・小野又一〕
坂本電器株式会社:事務棟玄関
小野一雄(昭和22年生)小野雄二(昭和24年生)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[思い出の写真帖]027〔坂本電器:社宅〕
坂本電器:京都市東山区清水5丁目
社宅:東大路通を隔てて《三木屋》
   北隣は税務署・京都清水郵便局
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
東山区役所
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


《上野與吉》「下京區元第二十一組」興善町【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

《上野與吉》「下京區元第二十一組」興善町
【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】大正1年

【京都市及接続町村地籍図. 第2 附録】
目 次 p3/252
元組名 元廿一組  p10/252
所 在 松原大和大路東入三町目南入
町 名 興善町
地圖頁 七九
附錄頁 二八三
「下京區元第二十一組」
 松原大和大路東入三丁目   p155/252
新シ町 一三八   宅地 一六五・二二 上野與吉
 六波羅裏門通リ東入三丁目  p155/252
興善町 一三九   宅地 五七六・六一 上野與吉
同   一四〇   宅地 八九四・九六 上野與吉
同   一四〇ノ一 宅地 二一六・三六 上野與吉
同   一四一   宅地 一四三・五〇 佐橋豐三郎
同   一四二   宅地  七六・一六 研 楢吉(三盛町)
  京都地籍圖第二編
大正元年八月二十八日印刷
大正元年八月三十一日發行
編纂者 稻津近太郎
發行者 能勢健治
    大阪市南區大寶寺町中ノ町四十番地
發行者 川村秀三郎
    京都市下京區河原町通大黑町四十番地一
印刷者 中西勝太郎
    京都市上京區下立賣通小川東入
    西大路町百四十六番地
印刷所 中西印刷合名會社
    右同所
發行所 京都地籍圖編纂所
    京都市下京區河原町通大黑町
    電話 中四一三〇番
【京都市及接続町村地籍図. 第2】大正1年
(元二十一組ノ内) p81/155
三ツ盛町   小島町
多門町    興善町
竹村町(北部)
轆轤町    新シ町
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
京都府京都市東山区興善町140
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[大正期京都歴史災害データベース]pdf
年 号   西 暦   月 日  分類  見出し
大正2年 1913年 3月10日 a  火事二ヶ所 p4/222
記事(要旨)
▲8日午後6時半、松原六道前の上野與吉別荘
大工手伝い休憩部屋から出火し、
同所は目下家屋建築中で鉋屑など多くあったので、
これに火が移り、天に沖するより危険も多く、
松原署警官消防夫と駆けつけ、
休憩所6坪を焼いて7時過ぎに鎮火した。
原因はタバコの吸殻。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《上野貴德:貫三郎の長男:與吉の孫》【人事興信録】12版(昭和14年)~13版(昭和16年)

《上野貴德:貫三郎の長男:與吉の孫》
【人事興信録】12版(昭和14年)~13版(昭和16年)

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《上野貴德》 p336/1079
 資産家
 京都府在籍
 祖母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎友七 長女
 母  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
京都府 上野貫三郎の長男にして
昭和 七年(1932)六月出生
昭和十三年(1938)七月 家督を相續す
父 貫三郎は理化學器械標本製作業を營み
上野製作所を經營し
三重縣に上野臨界研究所を設立し又
京都府多額納税者に列す
現時 資産家たり
宗敎 佛敎
家族 尚ほ
姉  和子 大正 五年(1916) 一月生
姉  博子 昭和 四年(1929) 一月生あり
叔父 與一 明治三八年(1905) 一月生は分家す
所得税 五五三七
京都市東山區松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 祇園三二五
吉川虎吉の項

【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】
《上野貴德》 p282/976
 資産家
 京都府在籍
 祖母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎友七 長女
 母  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
京都府 上野貫三郎の長男にして
昭和 七年(1932)六月出生
昭和十三年(1938)七月 家督を相續す
父 貫三郎は理化學器械標本製作業を營み
上野製作所を經營し
三重縣に上野臨界研究所を設立し又
京都府多額納税者に列す
宗敎 佛敎
家族 尚ほ
姉  和子 大正 五年(1916) 一月生
姉  博子 昭和 四年(1929) 一月生あり
京都市東山區松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 祇園三二五
參照 吉川虎吉

【人事興信録. 第14版 上】昭和18年
記載なし

【人事興信録. 第15版 上】昭和23年
記載なし

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



《上野貫三郎:與吉の養子》【人事興信録】7版(大正14年)~11版(昭和12年)

《上野貫三郎:與吉の養子》【人事興信録】7版(大正14年)~11版(昭和12年)

【人事興信録. 7版】大正14年
《上野貫三郎》 p806/1469
 ミカド商會(株) 監査役
 物理化學器械生理學 模型標本製造販賣業
 京都府 平民
 養母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎カネ 長女
 妻  たづ 明治二五年(1892) 四月生
       滋賀、石居四郎平 妹
君は大阪府 朝越富藏の長男にして
明治二十二年(1889)十一月を以て生れ後ち
先代與吉の養子となり
大正十二年(1923) 家督を相續す
現時 理化學器械商を營み傍ら
前記會社の重役たり
家族は尚
長女 和子 大正 五年(1916) 一月生
弟  與一 明治三八年(1905) 一月生
京都、下京、松原大和大路東入
電話 下一八九

【人事興信録. 第8版(昭和3年)】
《上野貫三郎》 p278/1788
 ミカド商會(株) 監査役
 敎育用器械標本製作業
 京都府在籍
 養母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎カネ 長女
 妻  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
君は大阪府人 朝越富藏の長男にして
明治二十二年(1889)十一月を以て生れ
先代與吉の養子となり
大正十二年(1923) 家督を相續す
敎育用器械標本製作業を營み傍ら
ミカド商會の重役たり
家族は尚
長女 和子 大正 五年(1916) 一月生あり
弟  與一 明治三八年(1905) 一月生は分家せり
京都、下京、松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 下 三二五

【人事興信録. 9版(昭和6年)】
《上野貫三郎》 p298/1760
 ミカド商會(株) 監査役
 上野製作所(資) 代表社員
 理化學器械 標本製作業
 京都府在籍
 養母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎友七 長女
 妻  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
 女  和子 大正 五年(1916) 一月生
君は大阪府人 朝越富藏の長男にして
明治二十二年(1889)十一月を以て生れ
先代與吉の養子となり
大正十二年(1923) 家督を相續す
大阪高等商業學校を卒業し
理化學器械標本製作業を營み傍ら
前記會社の重役にして
三重縣に上野臨界研究所を設立す
曩に京都帝大の囑託を受けて
フイリツピン群島に出張す
家族は尚
二女 博子 昭和 四年(1929) 一月生あり
義弟 與一 明治三八年(1905) 一月生は分家せり
A二〇三六 B二九四
京都、東山、松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 祇園一八八

【人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷】
《上野貫三郎》 p357/1037
 京都府多額納税者
 日昭ライト工業(株)取締役
 ミカド商會(株)取締役
 伏木製氷冷藏(株)監査役
 上野製作所
 理化學器械標本製作業
 京都府在籍
 養母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎友七 長女
 妻  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
 男  貴德 昭和 七年(1932) 六月生
 女  和子 大正 五年(1916) 一月生
君は大阪府人 朝越富藏の長男にして
明治二十二年(1889)十一月を以て生れ
先代與吉の養子となり
大正十二年(1923) 家督を相續す
夙に大阪高等商業學校を卒業し
合資會社上野製作所を主宰し
理化學器械標本製作業を營み傍ら
前記會社の重役にして
三重縣下に上野臨界研究所を設立す
京都府多額納税者に列し
直接國税二千五十七圓を納む
曩に京都帝國大學の囑託を受け
フイリツピン群島に出張す
家族は尚
二女 博子 昭和 四年(1929) 一月生あり
義弟 與一 明治三八年(1905) 一月生は分家せり
京都市東山區松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 祇園三二五

【人事興信録. 第11版(昭和12年) 上】
《上野貫三郎》 p365/1271
 京都府多額納税者
 ミカド商會(株)監査役
 上野製作所
 理化學器械標本製作業
 京都府在籍
 養母 ヨシ 明治 六年(1873) 九月生
       大阪、尾崎友七 長女
 妻  春子 明治三五年(1902) 一月生
       京都、吉川虎吉 長女
 男  貴德 昭和 七年(1932) 六月生
 女  和子 大正 五年(1916) 一月生
君は大阪府人 朝越富藏の長男にして
明治二十二年(1889)十一月出生
先代與吉の養子となり
大正十二年(1922) 家督を相續す
大阪高商を卒業し
合資會社上野製作所を主宰し
傍ら前記會社の重役にして
三重縣下に上野臨界研究所を設立す
京都府多額納税者たり
曩に京都帝大の依囑にて
比律賓群島に出張す
家族は尚
二女 博子 昭和 四年(1929) 一月生あり
義弟 與一 明治三八年(1905) 一月生は分家す
所得税 一〇〇二
京都市東山區松原大和大路東三丁目興善町一四〇
電話 祇園三二五
參照 吉川虎吉の項

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《上野與吉》【大正名器鑑. 第2編】【大正名器鑑. 第3編】

《上野與吉》【大正名器鑑. 第2編】【大正名器鑑. 第3編】

【大正名器鑑. 第2編】
〔写真〕 山櫻大海   p133/214
山櫻大海 漢作 大名物 p134/214
京都 上野與吉氏藏
〔名稱 寸法 附屬物〕
 ―略―
雜記 p135/214
 傳 來
 ―略―
實見記
大正九年五月十六日、
京都市下京區松原廣道
上野與吉氏邸に於て實見す。
 ―略―
大正十一年四月十五日印刷
大正十一年四月二十日發行
  大正名器鑑第二編奥附
編纂者 高橋義雄
    東京市赤坂區一ツ木町八十二番地
發行者 山口鐡市
    東京市赤坂區一ツ木町八十六番地
印刷所 株式會社 審美書院
    東京市京橋區新肴町十三番地
發行所 大正名器鑑編纂所
    東京市赤坂區一ツ木町八十六番地

【大正名器鑑. 第3編】大正10-15年
〔写真〕 春慶瓢簞 p208/233
 春慶瓢簞     p209/233
 京都 上野與吉氏藏
〔名稱 寸法 附屬物 雜記〕
 ―略―
 傳 來      p210/233
 ―略―
實見記
大正九年五月十六日、
京都市下京區松原廣道
上野與吉氏邸に於て實見す。
 ―略―
大正十一年七月廿五日印刷
大正十一年七月三十日發行
  大正名器鑑第三編奥附
編纂者 高橋義雄
    東京市赤坂區一ツ木町八十二番地
發行者 山口鐡市
    東京市赤坂區一ツ木町八十六番地
印刷所 株式會社 審美書院
    東京市京橋區新肴町十三番地
發行所 大正名器鑑編纂所
    東京市赤坂區一ツ木町八十六番地

【文麟翁三十三回忌記念遺墨展覧会画集】
八駿図(六曲銀屏風二双)京都 上野與吉君蔵(其一)p56/63
八駿図(六曲銀屏風二双)京都 上野與吉君蔵(其二)
八駿図(六曲銀屏風二双)京都 上野與吉君蔵(其三)p57/63
八駿図(六曲銀屏風二双)京都 上野與吉君蔵(其四)
明治四十三年一月廿二日印刷
明治四十三年二月 五日發行
編纂兼 野村文擧
發行者 東京市赤坂區檜町三番地
印刷者 古作勝之助
    東京市日本橋區兜町二番地
印刷所 東京印刷株式會社
    東京市日本橋區兜町二番地
發行所 畫報社
    東京市本郷區湯島切通坂町廿五番地
    振替口座 一八一〇五
    電話下谷  二四八三

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
上野与吉
京都上野旭松庵氏所蔵品入札 大正6年9月27日 大阪美術倶楽部
当市上野旭松庵所蔵品入札目録 大正14年11月16日 京都美術倶楽部
 上野与吉は、大阪北浜で活躍した相場師。
 上記2件のほか、大正3年には、「上野好撰氏所蔵品入札」を催している。
 その一方、入札会を通じて、多くの優れた美術作品の購入も行っており、
大売立時代に際会し、作品の売買を通じて、
コレクションの内容の向上を企図したと思われる。
 大正6年の売立は大売立時代到来を予見した購入資金確保が目的か。
この中に住吉如慶「源氏物語画帖」(現、石山寺)などが含まれる。
 その資金を元手に、佐竹侯爵家の入札では、
雪村「風濤図」(現、野村美術館)等を購入した。
しかし、昭和14年の売立の際、「風涛図」も売り立てられ、
同じく大阪北浜の大物相場師島徳蔵がこれを購入した。
京都上野旭松庵氏所蔵品入札
  荷主:上野与吉
当市上野旭松庵所蔵品入札目録
  荷主:上野与吉
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

《上野與吉》【人事興信録】3版(明治44年)~6版(大正10年)

《上野與吉》【人事興信録】3版(明治44年)~6版(大正10年)

【人事興信録. 3版(明44.4刊)
 皇室之部、皇族之部、い(ゐ)之部―の之部】
《上野與吉》 p953/1002
 大阪興業株式會社 監査役
 大阪府 平民
 妻  よし  明治 六年(1873) 九月生
        大阪、平民、尾崎かね 長女
 養子 貫三郎 明治二二年(1889)一一月生
        大阪、平民、朝越もん  孫
君は大阪府平民 上野庄兵衛の長男にして
安政三年十一月廿三日を以て生れ ※1856年12月20日
明治十七年(1884)五月 家督を相續す
嘗て大阪に於て株式仲買業を營みしが方今之を罷め
大阪興業株式會社監査役たり
家族は前記の外
長男 與一 明治三八年(1905)一月生あり
京都、下京、松原大和大路東入三丁目南入興善町
電話 三〇二五
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779812/953

【人事興信録. 4版】大正4年
記載なし

【人事興信録. 5版】大正7年
《上野與吉》 p783/1374
 日本電線株式會社 取締役
 大阪晒粉株式會社 取締役
 大阪府 平民
 妻  ヨシ  明治 六年(1873) 九月生
        大阪、平民、尾崎カネ 長女
 男  與一  明治三八年(1905) 一月生
 養子 貫三郎 明治二二年(1889)一一月生
        大阪、平民、亡 朝越富藏 長男
 婦  たづ  明治二五年(1892) 四月生
        養子 貫三郎 妻
        滋賀縣人 石居四郎平 妹
君は京都府平民 亡 上野庄兵衛の長男にして
安政三年十一月二十三日を以て生れ ※1856年12月20日
明治十七年五月(1884) 家督を相續す
現時前記會社の重役として知らる
家族は前記の外
孫 和子 大正五年(1916)一月生あり
京都、下京、松原通廣道西入
電話 長 下三二五
參照=石居四郎平、※貝塚榮之助の項

【人事興信録. 6版】大正10年
《上野與吉》 p689/1245
 日本電線(株) 取締役
 京都府 平民
 妻  ヨシ  明治 六年(1873) 九月生
        大阪、平民、尾崎カネ 長女
 男  與一  明治三八年(1905) 一月生
 養子 貫三郎 明治二二年(1889)一一月生
        大阪、平民、亡 朝越富藏 長男
 婦  たづ  明治二五年(1892) 四月生
        養子 貫三郎 妻
        滋賀縣人 石居四郎平 三女
君は京都府平民 上野庄兵衛の長男
安政三年十一月生 ※1856年12月20日
現時 日本電線製造株式會社 取締役たり
家族は尚
孫 和子 大正五年(1916)一月生
     養子 貫三郎 長女
京都、下京、下鴨字河町

【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《上野與吉:義金拠出申込額 一万円》
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 米(12-069)
大阪朝日新聞 1918.8.15 (大正7)
[京都富豪の逃腰]
[折角の委員会も小田原評定]
馬渕京都府知事は京都市内に連夜勃発せる
米騒動事件に対する善後策を講ずべく
十三日市内の主なる富豪十数名を招き
協議の結果五十万円の救済義金を
富豪一般より募集することに決定、
十四日午前十時より富豪百余名を招き、
馬渕知事及び内貴甚三郎氏より
刻下の急務は窮民の救済を為すにあり、
而して其資金五十万円、少くとも三十万円を要するが故に
応分の義金を醵出ありたき旨懇談せるに救済団を組織し
適当なる方法を講ずることとなり委員に
辻忠郎兵衛、湯浅七左衛門、松風嘉定、
曾野作太郎、中井三郎兵衛、飯田新七、
島津源蔵、大村彦太郎、田中源太郎、
浜岡光哲、天野治郎吉、大沢徳太郎、
雨森菊太郎、奥繁三郎、内貴甚三郎
の十五氏を挙げ委員は別室にて
義金割当及び救済方法に就て協議中
委員以外の参会富豪は
委員の協議纏るを待たずして随意に退散せるより
折角の協議も小田原評定に終り
唯今迄の義金拠出申込額も
三万円 辻忠郎兵衛及同商店 
一万円宛 田中末雄、上野與吉、大沢商会、稲垣合名会社 
千円 新実八郎兵衛
の七氏にして其額七万千円に過ぎず
此外未だ金額確定せざる寄附者もあれど
五十万円は愚か最少限度の三十万円にも達する事
或は六ヶ敷からんと気遣われつつあり
データ作成:2005.5 神戸大学付属図書館
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



記事検索
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
アーカイブ
  • ライブドアブログ