大連市内公共醫院

[財團法人 大連聖愛醫院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

[財團法人 大連聖愛醫院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
『大連市内公共醫院』 p61/73
[財團法人 大連聖愛醫院]
院 長     牛久昇治
事務長     星野順吾
外科醫長    牛久昇治
内科醫長    小野崎悌介
婦人科醫長   淸水義彰
小兒科醫長   新田司郎
耳鼻咽喉科醫長 早間雅博
眼科醫長    菅原龍德
歯科醫長    脇 恒彦
物療科醫長   小野崎悌介
藥局長     野口捨男
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[日本赤十字大連病院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

[日本赤十字大連病院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
『大連市内公共醫院』 p61/73
[日本赤十字大連病院]
院 長       西堀新次郎
副院長兼外科醫長  倉 尚良
養成部長兼内科醫長 金子 麟
小兒科醫長     牧 常彦
産婦人科醫長    松下恒親
耳鼻科醫長     谷村久雄
眼科醫長      山田 定
皮膚科醫長     石田亮三
内科醫長      深迫愛山
歯科醫長      堀田 一
外科第二醫長
(普蘭店分院長)  門倉昌治
産婦人科副醫長   塚田一雄
内科副醫長     田中博太郎
調劑主任      武田勝利
事務長       岸 喜三郎
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[大連婦人醫院][大連療病院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

[大連婦人醫院][大連療病院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
『大連市内公共醫院』 p61/73
[大連婦人醫院]
院 長 西川 㐮
事務長 山浦二郎
醫局長 肬岡愛之
藥局長 横山善七
婦 長 伏見ナヲ

[大連療病院]
院長關東醫院醫官 森脇㐮治
同        加藤 了
同        坂野信雄
關東醫院醫員   浦部 弘
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[財團法人 大連醫院]【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】昭和16年

[財團法人 大連醫院]【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】昭和16年

【満華職員録. 康徳9年・民国31年版】
[財團法人 大連醫院] p452/791
院 長      村上純一
 生・明治二〇年 兵庫縣
 學・大正 元年 京大醫科卒
 入・大正 八年
 住・大連市秀月台三七

事務局長     松浦開地良
 生・明治一五年 熊本縣
 學・明治四四年 早大法科卒
 入・
 住・大連市櫻花台四三

内科部醫長(兼) 村上純一

内科部醫長    西岸眞玄
 生・明治三〇年 滋賀縣
 學・大正一二年 京大醫學部卒
 入・昭和 四年
 住・大連市櫻町一七

外科部醫長    近藤正基
 生・明治一八年 高知縣
 學・明治四五年 京大醫學部卒
 入・大正一四年
 住・大連市三室町二ノ一三

外科部醫長    大澤 達
 生・明治二五年 松本市
 學・大正一〇年 京大醫學部卒
 入・昭和一五年
 住・大連市桃源台二五八

小兒科部長    小林盈藏
 生・
 學・
 入・
 住・大連市櫻町一一

産婦人科部醫長  原 正平
 生・明治一八年 德島縣
 學・大正 元年 京大醫科卒
 入・大正一〇年
 住・大連市榊町六九

眼科部醫長    船川尤三
 生・明治二〇年 兵庫縣
 學・明治四四年 京大醫學部卒
 入・昭和 六年
 住・大連市臥龍台五三

耳鼻科部醫長   塚本 寛
 生・明治三三年 岡山縣
 學・大正一四年 京大醫學部卒
 入・昭和 四年
 住・大連市兒玉町八ノ四

皮膚科部醫長   柳原 英 ※下記
 生・明治二〇年 呉市
 學・大正 元年 京大醫科卒
 入・大正 九年
 住・大連市月見ケ岡三一六ノ一〇

歯科部醫長    鈴木 喬
 生・明治三八年 千葉縣
 學・昭和 三年 日大歯科卒
 入・昭和一一年
 住・大連市高砂町八五

藥局長      中橋末吉
 生・明治一五年 石川縣
 學・明治三七年 金澤醫專藥學科卒
 入・
 住・大連市聖德街五ノ四八

工務係長     辻 馨
 生・明治二六年 和歌山縣
 學・大正 六年 南滿洲工業專門卒
 入・大正 六年
 住・大連市桃源台一二九

沙河口分院長   岡 信一
 生・明治二〇年 岡山縣
 學・大正 二年 京大醫學部卒
 入・大正 五年
 住・大連市聖德街五ノ一五

同壽醫院長    山口 嵂
 生・明治三一年 愛知縣
 學・大正 九年 南滿洲醫學堂卒
 入・大正 九年
 住・大連市聖德街二ノ四一一

同 醫長     町井秀成
 生・明治二九年 三重縣
 學・大正一二年 阪大醫學部卒
 入・大正一二年
 住・大連市桃源台二三
昭和十六年十二月 五日印刷
昭和十六年十二月十二日發行
定 價 九圓(B6版)
編纂兼
發行人 中西利八
    東京市麻布區市兵衞町一ノ六
印刷所 中外印刷株式會社
    東京市小石川區東古川町一〇
印刷者 渡邊一郎
    東京市小石川區東古川町一〇
發 兌 満蒙資料協會
    東京市麻布區市兵衞町一ノ六
    振替口座 東京七八八番
    電話 赤坂(48)一二一八番
    (會員登録番號一三一〇一五)
配給元 日本出版配給株式會社
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[(随想)大連医院泌尿器科の思い出]
元京都大学・広島大学教授 柳原 英
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〔写真〕大連醫院・中央試驗所【満洲写真帖. 昭和4年版】

〔写真〕大連醫院・中央試驗所【満洲写真帖. 昭和4年版】

【満洲写真帖. 昭和4年版】
p3-S4-満洲写真帖
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192581/3
〔写真〕上 大連醫院の景 p30/93
〔写真〕下 中央試驗所
城といふ感じがする。
飛棟天を摩し
齊雲落星厥の高を競ふに足らすと形容したい程である。
高燥なる地の利を占め巍然として大觀を成した
大連醫院は實に東洋一の病院の名を愧しめない。
大正十五年 今の新築醫院へ移轉したのであるが、
工費六百萬圓を費し病床を有すること五百八十一、
本館、隔離病床、動力室、
共に最新式の諸設備至らぬはなく
滿洲醫界の爲に大きな貢獻をなしつゝある。

中央試驗所は大連伏見臺にある。
諸般の分析、試驗、檢定及鑑定、
工業に關する理化學的研究及調査に從事してゐる。
滿鐡の經營にかゝり、
地質調査と共に滿蒙に於ける富源を開發し
事業計畫を學的に基礎づけることに
貢獻し來つた事蹟は大きい。
昭和四年三月十五日印刷
昭和四年三月二十日發行
昭和四年版
 =定價 金壹圓五拾錢=
編著者 南滿洲鐡道株式會社
    社長室情報課
發賣所 社團法人 中日文化協會
    大連市紀伊町九十一番地
印刷所 凸版印刷株式會社
    東京市下谷區二長町一番地
p92-S4-満洲写真帖
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192581/92
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[(随想)大連医院泌尿器科の思い出]元京都大学・広島大学教授 柳原 英

[(随想)大連医院泌尿器科の思い出]
元京都大学・広島大学教授 柳原 英

京都大学学術情報リポジトリ p1/3
KURENAI 紅
京都大学KYOTO UNIVERSITY
Title     (随想)大連医院泌尿器科の思い出 Author(s) 柳原,英
Citation   泌尿器科紀要(1959),5(10):989-990
Issue Date 1959-10
p1/3
(随想)大連医院泌尿器科の思い出_p1

 泌尿器科紀要 p2/3
 第5巻 第10号
 昭和34年10月
 随 想
[大連医院泌尿器科の思い出]
 元京都大学・広島大学教授 柳原 英
私が23年間(大正9年8月一昭和18年3月)勤務した大連医院が
今は日本の手を離れて再び複元せなくなつたことは残念でたまらない.
せめて其一端なりと述べて慰めとしたいと思う.

私が赴任した当時の大連医院は旧ロシヤの軍病院即ち
日露戦争終了後の日本陸軍病院を踏襲したので
建築物は各科,各病棟共孤立して
お互いに連絡のない不便なものであつた;
例えば皮膚科,泌尿器科外来と其病棟とが離れて居る.
内科も外科も別棟であるばかりか,
X線科も別棟でそれに通ずる廊下もない,
此形式は北満のロシヤ軍病院を御覧になつた方は御承知のことと思う.

明治40年4月,
時の陸軍病院を満鉄が継承して
満鉄大連病院と命名し満州各地に分院或は出張所を設けて
大連病院がこれを統轄し,
満鉄社員及其家族の診療を開始したのである.
其際 陸軍三等軍医正 秋山春斎氏が院長となり,
其旗下に3-4名の一,二等軍医が配属せられ,
内科,小児科,外科は勿論,
皮膚科,泌尿器科も設けられたとあるから
吾が泌尿器科は大連病院の創設と共に設けられたことは事実である.
―略―
大正9年6月塙医長辞任して東京市内に開業せらるるや,
不肖 柳原英が同9年8月10日着連,乏しきを医長に就任した.
当時大連医院には泌尿器科の施設不充分であつたので
当時の院長 尾見薫氏の了解を得て
膀胱鏡其他泌尿器科に必要なる諸設備を整備して
泌尿器疾患の診療に従事した.
かくて大連医院も皮膚科,
花柳病科並びに泌尿器科の実質を備うるに至つたのである.
当時吾が科は私を加えて7名によつて
診療に従事するの盛況を呈するに至つた.
―略―
p2/3
(随想)大連医院泌尿器科の思い出_p2

―略― p3/3
私の欧米出張中(大正13年10月一大正15年3月)は
日高誠一博士が代理として着任せられ,
辞任後,帰国して大阪市に開業せられた.

私は欧米より帰朝するや
予ねて新築に着手して居た大連医院も落成し,移転を完了した.
抑も大連医院は初代満鉄総裁 後藤新平子爵によつて
創案されたものが(1907:明治40年)
約20年後の大正15年に完成された大病院で
床数約800,
冷暖房設備は勿論,
ドクター及ナースコーリング等諸装置の完備せる
名実共に東洋一を誇る大病院が出来上つたのであるが
落成後20年の敗戦と共に満鉄否日本の手を離れたのである.
―略―
而して私が大連医院を去つた後は
副医長松見一男君が医長に昇任せられ終戦を迎えられたのである.
かくて吾が大連医院泌尿器科は明治40年4月に始まり,
昭和20年8月に終つたのである.
p3/3
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[財團法人 大連醫院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】昭和15年

[財團法人 大連醫院]【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】昭和15年

【満洲職員録. 康徳8年度(昭和16年)】
『大連市内公共醫院』 p61/73
[財團法人 大連醫院]
理事長      未 定
理 事      神崎 登
同        千種峯藏
同        村上純一
同        柳原 英 ※下記
同        松浦開地良
監 事      折田有信
同        日高爲三郎
評議員      浦 長臝
同        別宮秀夫
同        山田隆禧
院 長      村上純一
副院長      柳原 英 ※下記
事務局長     松浦開地良
内科醫長(兼)  村上純一
同        西岸眞玄
副醫長      萩野貫一
外科醫長     近藤正基
同        大澤 達
副醫長      木村宗平
小兒科醫長    小林盈藏
副醫長      森田良雄
産婦人科醫長   原 正平
副醫長      川上 博
耳鼻咽喉科醫長  塚本 寛
副醫長      永見 廣
皮膚泌尿器科醫長 柳原 英 ※下記
副醫長      松見一男
眼科醫長     船川尤三
理學診療部醫長  小西淸次郎
病理科醫長    森川義金
細菌科醫長(兼) 森川義金
歯科部醫長    鈴木 喬
藥局長      中橋末吉
同壽醫院長    山口 律
沙河口分院長   岡 信一
金州分院長    北村 政
昭和十五年十二月一日印刷
昭和十五年十二月五日發行
昭和十六年 康德八年 滿洲年鑑〔附錄〕
編輯人 福富八郎
    大連市東公園町三十一番地
發行人 白井由藏
    大連市東公園町三十一番地
印刷人 鍋田覺治
    大連市東公園町三十一番地
印刷所 滿洲日日新聞社印刷所
    大連市東公園町三十一番地
發行所 滿洲日日新聞社大連支店
    大連市東公園町三十一番地
發賣所 滿洲書籍配給株式會社
    新京特別市西七馬路一四
發賣所 滿洲日日新聞社
    奉天市大和區協和街四段
發賣所 大連日日新聞社
    大連市東公園町三十一番地
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[(随想)大連医院泌尿器科の思い出]
元京都大学・広島大学教授 柳原 英
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〔写真〕大連醫院の景・大連醫院正面【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

〔写真〕大連醫院の景・大連醫院正面【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

p5-S2-滿洲寫眞帖
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184778/5
〔写真〕大連醫院の景 p29/86
〔写真〕大連醫院正面
城といふ感じがする。
飛棟天を摩し
齊雲落星厥の高を競ふに足らすと形容したい程である。
高燥なる地の利を占め巍然として大觀を成した
大連醫院は實に東洋一の病院の名を愧しめない。
大正十五年 今の新築醫院へ移轉したのであるが、
工費六百萬圓を費し病床を有すること五百八十一、
本館、隔離病床、動力室、
共に最新式の諸設備至らぬはなく
滿洲醫界の爲に大きな貢獻をなしつゝある。
昭和三年三月二十五日印刷
昭和三年三月二十八日發行
昭和二年版【定價 貮圓】
編著者 南滿洲鐡道株式會社
    社長室情報課
發賣所 社團法人 中日文化協會
    大連市紀伊町九十一番地
印刷所 東京印刷株式會社
    東京市日本橋區兜町二番地
發行者 中日文化協會
    代表者 坂本政五郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《尾見薫叙勲ノ件:5/5》南満洲鉄道株式会社大連医院院長・大正14年9月辞任

《尾見薫叙勲ノ件:5/5》南満洲鉄道株式会社大連医院院長・大正14年9月辞任

   尾見博士功績調書    p25-27/30
一、大連醫院ハ滿洲ニ於ケル診療機関中
  其ノ規模最モ大ニ
  設備最モ整備シタルモノナリ
  現在本院ハ戦役當時ノ陸軍病院ヲ
  継承シタルモノニシテ
  漸次住民ノ増加ニ伴ヒ
  旧 ヤマトホテル跡ヲ分病棟トシ
  越ヘテ神明町ニ新築ヲ畫シ
  大正三年 二棟ヲ新築シテ
  内科及小児科ヲ置キタルモ
  駿々トシテ發展スル市運ニ伴フ
  能ハサルヲ以テ
  更ニ大病院新築ノ必要ニ迫ラレ
  大正十二年以後 二ケ年継続事業トシテ
  予算約五百萬圓ヲ以テ起工シ
  近ク竣工ノ見込ナリ
  更ニ大連市ニハ約十萬ノ中國人ヲ有スルニ付
  之等ヲシテ文明醫術ノ惠澤ニ浴セシムル爲
  小崗子ノ西方ニ地ヲ相シ
  中國人專門ノ醫院ヲ設置シ
  大正十三年三月 開院セリ 即チ
(一)敷地、建物
   本 院(山城町)敷地 二二、七〇四、〇一 平方米
      (児玉町)建物  七、五〇七、四三 同
   神明町(神明町)敷地 六九、九八三、三六 同
   分 院     建物  二、五九一、七三 同
   沙河口(沙河口)敷地 一三、〇七七、六七 同
   分 院     建物  一、二一八、〇〇 同
   同 壽(沙河口)敷地  六、三〇一、〇〇 同
   医 院     建物  一、五二四、〇〇 同
(二)設置分科
   内科、外科、小児科、眼科、産婦人科、皮膚科
   耳鼻咽喉科、歯科、研究部、薬局、事務局ヲ置キ
   各科、部局ニ長ヲ置ク
(三)患者収容力
   ―略―
p25/30
尾見薫叙勲-25

p26/30
尾見薫叙勲-26

p27/30
尾見薫叙勲-27

号外 大正十五年二月三日   p28-30/30
 関東長官 伯爵 児玉秀雄
賞勲局総裁 宇佐美勝夫殿
 尾見博士叙勲ニ関スル追申
客年九月 官秘乙第八七號ノ二ヲ以テ叙勲上奏致置候
元南滿洲鐡道株式會社大連醫院長 醫學博士
尾見薫ノ功績左記ノ通及追申候也
  記
一、日支親善ニ關スル事項
  ―略―
p28/30
尾見薫叙勲-28

  尚起臥飲食等習俗ヲ異ニスル中國人ノ爲 p29/30
  專門ノ醫治機關トシテ
  大連市中最モ支那人密集ノ地點タル
  小崗子ニ同寿醫院ヲ設立シ
  賤民無産ノ者ト雖 安ンシテ
  我卓越セル醫術ヲ受ケ以テ
  天寿ヲ保持スルノ基ヲ開キタルカ
  之レ主トシテ
  博士ノ提唱ト努力トニ依ルモノナリ
二、地方衛生ニ關スル事項
  ―略―
p29/30
尾見薫叙勲-29

p30/30
尾見薫叙勲-30

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件名標題(日本語) 正六位尾見薫叙勲ノ件
階層 国立公文書館 内閣 叙勲裁可書 大正大正15年~昭和元年
   叙勲裁可書・大正十五年・叙勲巻三・内国人三
レファレンスコード A10113026900
所蔵館における請求番号 勲00643100(所蔵館:国立公文書館)
言語 日本語
作成者名称(日本語)  内閣総理大臣若槻礼次郎||関東長官伯爵児玉秀雄
記述単位の年代域    大正14年~大正15年(1925 - 1926)
資料作成年月日     大正14年9月30日~大正15年8月14日
        (1925/09/30 - 1926/08/14)
画像数 30
組織歴/履歴(日本語) 内閣
『国立公文書館・アジア歴史センター』
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纏め《尾見薫叙勲ノ件》 1/5 2/5 3/5 4/5 5/5
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《尾見薫叙勲ノ件:4/5》南満洲鉄道株式会社大連医院院長・大正14年9月辞任

《尾見薫叙勲ノ件:4/5》南満洲鉄道株式会社大連医院院長・大正14年9月辞任

大正十二年度大連醫院事業概要 p17-20/30
p17/30
尾見薫叙勲-17

p18/30
尾見薫叙勲-18

p19/30
尾見薫叙勲-19

p20/30
尾見薫叙勲-20

大正十三年度大連醫院事業概要 p21-22/30
p21/30
尾見薫叙勲-21

p22/30
尾見薫叙勲-22

大正十三年度大連醫院事業概要 p23-24/30
p23/30
尾見薫叙勲-23

p24/30
尾見薫叙勲-24

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件名標題(日本語) 正六位尾見薫叙勲ノ件
階層 国立公文書館 内閣 叙勲裁可書 大正大正15年~昭和元年
   叙勲裁可書・大正十五年・叙勲巻三・内国人三
レファレンスコード A10113026900
所蔵館における請求番号 勲00643100(所蔵館:国立公文書館)
言語 日本語
作成者名称(日本語)  内閣総理大臣若槻礼次郎||関東長官伯爵児玉秀雄
記述単位の年代域    大正14年~大正15年(1925 - 1926)
資料作成年月日     大正14年9月30日~大正15年8月14日
            (1925/09/30 - 1926/08/14)
画像数 30
組織歴/履歴(日本語) 内閣
『国立公文書館・アジア歴史センター』
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