【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

〔写真〕洮南の街・齋齋哈爾の街【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

〔写真〕洮南の街・齋齋哈爾の街【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】
p1-S2-滿洲寫眞帖
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184778/1
〔写真〕洮南の街・齋齋哈爾の街 p77/86
洮南は鄭家屯の北西約五百支里、
市街は周圍五支里の土壁を以て繞(めぐ)らし、
南北二條の大街、
六條の小街に二條の大街十二條の小街が交叉して居る。
人口四萬 町家は大部分平屋建、
土葺屋根であるが、
煉瓦、瓦葺の壯麗な商舗、官衙も尠くない。
穀物、牛、馬、羊、豚、皮革類等の集散地である。
此の地は四洮線の終點、
洮昻線の出發點に當つてゐるから
鐡道による地方的刺激が多く
東蒙に於ける政治經濟の中心地として
重要性を加へてゐる。

齊齊哈爾は嫩江の左岸に位し
哈爾賓の北西七百支里。
市街は官衙の所在する内城と
商業區の外城とに分たれてゐる。
人口十萬と稱し、
黑龍江省城として行政上の中心地である。
こゝは附近に物産の尠きことゝ
交通の便益に與り得ざること等によつて
經濟的には萎靡不振の狀態であつたが、
今後洮濟線が如何に影響を齎(もたら)すかが
興味ある問題となつてゐる。
昭和三年三月二十五日印刷
昭和三年三月二十八日發行
昭和二年版【定價 貮圓】
編著者 南滿洲鐡道株式會社
    社長室情報課
發賣所 社團法人 中日文化協會
    大連市紀伊町九十一番地
印刷所 東京印刷株式會社
    東京市日本橋區兜町二番地
發行者 中日文化協會
    代表者 坂本政五郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[霊界物語.ネット ~出口王仁三郎 大図書館~]
第一三章 洮南旅館
015  次に満鉄関係者三井貫之助氏が来訪した。
   併し乍ら日出雄真澄別は一室に閉籠り、
   岡崎、大倉の両人が接見する事となつた。
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満州写真館 斉斉哈爾 チチハル
満州写真館 斉斉哈爾 チチハル その2
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〔写真〕山東移民の渡來【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

〔写真〕山東移民の渡來【滿洲寫眞帖. 昭和2年版】

〔写真〕山東移民の渡來 p33/86
山東方面から去來する苦力は
候鳥のそれのやうに年々滿洲の地が迎へ又送る
一つの民族的流れである。
然しながら最近は支那本土の戰亂と饑饉を避けて
彼等多數の無産階級が、
定住の意思を持つた植民群として
移動し來るやうになつた。
その數毎年二十萬を下らず
特に一九二六年(昭和元年)の如きは
百萬に近いとさへ推定せられてゐる。
彼等は京奉線の列車により、
大連航路の汽船により
更に又
徒歩で長途を北上するものさへある。
圖は大連に汽船で到着したその一團で、
甲板上に群がる家族の姿相にも
生活苦が滲み出てゐる。
昭和三年三月二十五日印刷
昭和三年三月二十八日發行
昭和二年版【定價 貮圓】
編著者 南滿洲鐡道株式會社
    社長室情報課
發賣所 社團法人 中日文化協會
    大連市紀伊町九十一番地
印刷所 東京印刷株式會社
    東京市日本橋區兜町二番地
發行者 中日文化協會
    代表者 坂本政五郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[満州写真館 山東移民]
山東移住民の上陸
軍閥闘争の激しい政情不安な中華民国からは大勢の移民が満州へ移住した、
と当時の書籍にあります。
『満州の民には支那、特に山東地方(中華民国三東省)からの
移住土着したものが多く居る。
彼らの多くはツバメのごとく、春に来て冬に故郷に帰っていく。
が、そのうち幾分かづつはそのまま土着して、
荒れ野を勝手に耕し土着農民となり、ある者は労働者となって要る。
写真は彼らの大群が大連へ上陸し汽車を待つ間の憩い。』
ぎっしりと見渡す限りの人です。疲労と不安が彼らの表情に見られます。
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