横尾敬義:横尾尚

[横須賀海軍病院]軍醫中監《一 千一》【職員録. 明治45年(甲)】

[横須賀海軍病院]軍醫中監《一 千一》
【職員録. 明治45年(甲)】

【職員録. 明治45年(甲)】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p231/610
⦿横須賀鎭守府 横須賀市 p244/610
司令長官   中將 《瓜生外吉》
◎横須賀海軍病院     p246/610
長    軍醫總監 《戸祭文造》
副長   軍醫大監 《大石繁吉》
○第一部
長(兼) 軍醫大監 《大石繁吉》
     軍醫少監 《矢澤 操》
(兼)   大軍醫 《笹野正人》
(兼)   中郡醫 《那須四郎》
(兼)   少軍醫 《峯間 保》
○第二部
長    軍醫中監 《矢野淸史》
     軍醫中監 《鈴木源三郎》
     軍醫中監 《一 千一》 ※
(兼)   大軍醫 《笹野正人》
      中軍醫 《那須四郎》
      少軍醫 《峯間 保》
○藥劑科
長    藥劑中監 《永島榮吉》
     藥劑少監 《今野兵次》
     大藥劑士 《矢野靜雄》
     大藥劑士 《磯野周平》
病院附
      看護長 《秋山正祐》
      看護師 《星野林藏》
      看護師 《石田耕造》
     上等筆記 《飛田久治郎》
書記        《依岡宗敏》
○看護術練習所
長(兼) 軍醫中監 《矢野淸史》
敎官
(兼)  軍醫中監 《鈴木源三郎》
(兼)  軍醫中監 《一 千一》 ※
(兼)  藥劑少監 《今野兵次》
(兼)   大軍醫 《笹野正人》

【海軍軍医官薬剤官研究業績録. 第1巻】
 目 次
◎「フオルマリン」ノ窒扶斯菌
 「パラ」窒扶斯A、B、菌ニ対スル滅菌力試験
 海軍軍医学校選科学生 海軍軍医少監 《一 千一》/28 p24/138
◎窒扶斯菌「パラ」窒扶斯菌増菌用トシテ
 肝臓肉汁ノ応用ニ就テ
 海軍軍医学校選科学生 海軍軍医少監 《一 千一》/40 p30/138
◎「マラヒットグリユーン」酸性「フクシン」加培養基ニ就テ
 海軍軍医学校選科学生 海軍軍医少監 《一 千一》/47 p33/138
◎肝臓肉汁及ヒM、F寒天ノ応用
 海軍軍医学校選科学生 海軍軍医少監 《一 千一》/58 p39/138
明治四十三年十月一日印刷
明治四十三年十月七日發行
海軍省醫務局
印刷人 濱田傳三郎
    東京市芝區櫻川町二十番地
印刷所 濱田活版所
    同 所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[聯合艦隊司令部士官准士官等:明治38年5月27日現在]【戦袍余薫懐旧録.第2輯】大正15年

[聯合艦隊司令部士官准士官等:明治38年5月27日現在]
【戦袍余薫懐旧録.第2輯】大正15年

【戦袍余薫懐旧録.第2輯】
(以下諸表は總て明治三十八年五月二十七日現在)p240/285

第一表 聯合艦隊司令部士官准士官其の他 p240-241/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第二表 第一戰隊各艦乘組士官及准士官  p243-246/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第三表 第二戰隊各艦乘組士官及准士官  p248-251/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第四表 第三戰隊各艦乘組士官及准士官  p253/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第五表 第四戰隊各艦乘組士官及准士官  p255-256/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第六表 第五戰隊各艦乘組士官及准士官  p258-259/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第七表 第六戰隊各艦乘組士官及准士官  p261/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第八表 第七戰隊各艦乘組士官及准士官  p263-264/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第九表 第一驅逐隊至第五驅逐隊各艦乘組士官及准士官 p266-269/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第十表 諸艇隊各艇乘組士官及准士官   p271-275/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

第十一表 附屬特務艦乘組士官及准士官  p277-278/285
(傍線は大正十五年五月二十七日調 死亡者)

大正十五年十二月十二日印刷
大正十五年十二月十五日發行
定 價 金二圓五十錢(送料トモ)
編輯兼 藤田定一
發行者 東京府下豐多摩郡中野町中野二七三五番地
印刷者 島 連太郎
    東京市神田區美土代町二丁目一番地
印刷所 三秀舎
    東京市神田區美土代町二丁目一番地
發行所 財團法人 有終會
    東京市京橋區築地四丁目一番地
    水交社内
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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日本海海戦における連合艦隊幹部は
1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて戦われた
日本海海戦に出撃した日本海軍連合艦隊幹部の役職と出身の概要である。
予備役海軍士官の団体である有終会が昭和初年に刊行した
『懐旧録』に付録として収録された
『明治38年5月27日時点の准士官以上名簿』を底本に、
海軍兵学校が刊行した『海軍兵学校沿革』、
海軍機関学校の同窓会名簿を参考に作成した。
掲載した人物は、兵科、機関科の分隊長以上、軍医長、主計長である。
これら以外に、『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』に掲載、
およびWikipediaに記事が存在する人物を収録した。
特務艦隊所属船については『懐旧録』に記載が無いものは
海軍軍令部編『明治三十七八海戦史』から船名と艦長等を補った。
階級については日本軍の階級 明治30年12月1日〜を参照のこと。
日本海軍の士官の数は、日露開戦の前年にあたる
1903年(明治36年)3月で
兵科1354名、機関科394名、軍医官269名、
主計官267名、その他38名の規模であった[1]。
この数字に海兵30期から32期、
海機11期から13期の合計757名が加わって
日本海海戦が戦われたのである。
連合艦隊司令長官から水雷艇長以上の幹部
(各艦の科長、分隊長を含まず、
特務艦を8隻とした数字)は179名[2]であった。
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《横尾 尚:海軍大佐》【職員録.大正2年甲】~【職員録.大正8年】

《横尾 尚:海軍大佐》【職員録.大正2年甲】~【職員録.大正8年】

【職員録. 大正2年甲】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p253/627
◎海軍大學校 京橋區築地四丁目 p258/627
敎官
(兼) 大佐 《秋山眞之》
(兼) 大佐 《淺野正恭》
    中佐 《横尾 尚》

【職員録. 大正3年甲】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p292/679
◎海軍大學校 京橋區築地四丁目 p297/679
敎官
 中佐 《横尾 尚》

【職員録. 大正4年甲】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p294/693
◎海軍大學校 京橋區築地四丁目 p299-300/693
敎官
中佐 《横尾 尚》

【職員録. 大正5年甲】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p299/718
◎海軍軍令部 海軍省構内 p312/718
出仕 p313/718
中將 《依仁親王》
少將 《佐藤鐡太郎》
少將 《秋山眞之》
少將 《小笠原長生》
大佐 《竹内重利》
大佐 《金丸淸緝》
    豐多、澁谷、大字下澁谷一七九六
大佐 《横尾 尚》
    小、小日向臺、三、八九
大佐 《山本英輔》
    荏、大崎、大字下大崎六八
中佐  ―略―

【職員録. 大正6年甲】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p305/720
⦿大臣官房 p306/720
外國駐在
 英國
駐在員監督 少將 《舟越楫四郎》
駐在員   大佐 《横尾 尚》
      大佐 《鳥巢玉樹》
      大佐 《飯田延太郎》
      中佐 《江渡恭助》
      中佐 《大湊直太郎》
      中佐 《藤田尚德》
      少佐 《森田 登》
      少佐 《濱野英次郎》
      少佐 《益子六彌》
    機關大佐 《水谷光太郎》
    機關少佐 《赤堀研吉》
    軍醫少監 《福島久之》
    軍醫少監 《橋本正直》
    主計少監 《横見補一》
   造船大技士 《藤本喜久雄》
   造船大技士 《田路 坦》
   造機大技士 《岩藤二郎》
   造兵大技士 《山家信次》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927664/306

【職員録. 大正7年】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p164/578
⦿大臣官房 p164/578
外國駐在
 瑞西
駐在員   大佐 《横尾 尚》
    軍醫少監 《國府田 中》
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986600/164

【職員録. 大正8年】
[海軍省] 麹町區霞ケ關二丁目 p184/641
⦿大臣官房 p184/641
外國駐在  p185/641
 佛國
駐在員監督 大佐 《大角岑生》
駐在員   大佐 《小山田繁藏》
      中佐 《船越隆義》
      大尉 《川瀬義重》
      大尉 《三川軍一》
    機關少佐 《小野德三郎》
    軍醫少監 《壁島爲浩》
 瑞西國
駐在員監督 大佐 《大角岑生》
駐在員   大佐 《横尾 尚》
      大尉 《井上茂美》
    軍醫中監 《國府田 中》
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《海軍大佐 横尾 尚》[独国ト通信ノ件]大正8年8月14日

《海軍大佐 横尾 尚》[独国ト通信ノ件]大正8年8月14日

大正八年八月十四日 p1/7
  海軍大佐 横尾 尚
 海軍次官 栃内曾次郎殿
   独国ト通信ノ件
    附 独国ヨリ譲渡ニ済ル軍需品
一、小官滞独中 議国海軍少佐クイル氏ノ語ル処
  左ノ如シ
(イ)独国化来ニ近キ ナウール無線電信所ハ
   日本船橙無線電信所ト通信可能ナリ
   然ルニ日本ト受信様ハ独国ノ通信ヲ感受スルニ足ラスト思ハル
   救ニ著シ独国製ノ受信様リ船橋ニ海フルニ於テハ
   両国ノ直接通路ニ為ストヲ得ヘシ

(ロ)右ノ次第ナルヲ以テ同官ハ p2/7
   日本カ船橋用トシテ受信様ヲ購入センコトヲ希望ス
(ハ)条約ニ依リテ或ハ独国ノ軍事通信ハ
   不可能トナルヤト計アレサルヒニ
   商用電信ノ交換ハ勿論差支ナシト認ムルニ付キ
   平和成主編ニ於テ
   両国間ノ通信可能トナリ
   承般ノ便冝ヲ得候コトノ信ス
 ―略―
※判読不能、多数あり:小野一雄
 原本、参照願います。
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件名        8年8月14日 独国と通信の件
レファレンスコード C10100810800
作成年月日     大正8年8月14日
作成者       海軍大佐横尾尚
【画像数】7
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《横尾大佐》[スイス・ベルン:大正6年6月20日着任]

《横尾大佐》[スイス・ベルン:大正6年6月20日着任]

  大正六、八、二一起案 海軍 横尾? p4/7
    軍務局長 省副官
  在瑞西 横尾大佐宛 電報 八月二十一日午前十時五〇分・・・
貴官六月三十日附 海軍省副官宛書面到達ス 然ルニ
着任届未タ届カス 加俸送附ノ都合モアリ電報アリタシ
C10100810700-4
〔画像〕C10100810700-4
 
 瑞西官憲ニテ検閲ノ爲 遅着 p5/7
    6,9,3 官房受領
    六年九月七日 人事局受

大正六年六月二十五日
   第二課  海軍大佐 横尾尚
 海軍次官 鈴木貫太郎殿
命ニ依リ六月六日 倫敦出發
即チ 七日 佛國巴里到着
十九日 同地出發
翌二十日ベルン ニ着任致度
右御届ス
 追テ旅行中 “特記スヘキ故障無之通過致シ”
 当地 當分滞在ノ豫定ニテ
左ニ宿所ヲ定メ契約
共通信ハ公使館氣付ヲ便利ト被存候
C10100810700-5-宿所
〔画像〕C10100810700-5-宿所
C10100810700-5
〔画像〕C10100810700-5
件名        倫敦着の件
レファレンスコード C10100810700
作成年月日     大正6年3月28日~
作成者       海軍大佐横尾尚
【画像数】7
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《横尾大佐》[大正6年3月26日倫敦着:留守宅 通知済]

《横尾大佐》[大正6年3月26日倫敦着:留守宅 通知済]

大正六年三月廿八日      倫 敦 局發
大正六年三月廿八日 午后二時 外務省 局着
   發信者 在英大使館附
   受信者 海軍次官
  電譯報
横尾大佐 二十六日着
  第二課
  第一課
 留守宅 通知済
C10100810700-1
〔画像〕C10100810700-1
件名        倫敦着の件
レファレンスコード C10100810700
作成年月日     大正6年3月28日~
作成者       海軍大佐横尾尚
【画像数】7
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《英國駐在 海軍大佐 横尾 尚》[大正6年1月16日横濱出帆諏訪丸ニテ]

《英國駐在 海軍大佐 横尾 尚》[大正6年1月16日横濱出帆諏訪丸ニテ]

大正五年十二月二十三日 p1/1
  英國駐在 海軍大佐 横尾 尚
 海軍次官 鈴木貫太郎殿
  出發届
小官儀 今般英國駐在被仰付候ニ付
明年一月十六日横濱出帆諏訪丸ニテ
印度洋經由赴任可仕候
午前八時三十分東京驛発仝午前十時
右御届ス
C10100810600-1
〔画像〕C10100810600-1
件名        5年12月23日 出発届
レファレンスコード C10100810600
作成年月日     大正5年12月23日
作成者       イギリス駐在海軍大佐.
【画像数】1
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《英國駐在 海軍大佐 横尾 尚》[帰省及見學旅行ノ件]大正5年12月4日

《英國駐在 海軍大佐 横尾 尚》[帰省及見學旅行ノ件]大正5年12月4日

大正五年十二月四日 p8-9/22
  英國駐在 海軍大佐 横尾 尚
 海軍次官 鈴木貫太郎殿
  帰省及見學旅行ノ件
小官儀 本邦出發赴任前 左記ノ日取ヲ以テ
帰省及見學旅行致度候条御認計相成度
右出願ス
  左記
C08020756500-8
〔画像〕C08020756500-8

自 十二月 七日 東京ヨリ佐賀市赤松町二〇一 横尾義男方ヘ
至 仝   十日
自 仝  十一日 呉海軍工廠
至 仝  十三日
自 仝  十四日 神戸大阪京都ニ於ケル諸工場
至 仝  十六日
  十二月十七日 帰京
C08020756500-9
〔画像〕C08020756500-9
件名        見学(7)
レファレンスコード C08020756500
作成年月日     大正4年12月4日~
作成者       海軍次官||株式会社...
【画像数】22
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《横尾 尚:海軍大尉》[明治36年7月将校科乙種學生入學試験成績表]

《横尾 尚:海軍大尉》[明治36年7月将校科乙種學生入學試験成績表]

[明治三十六年七月将校科乙種學生入學試験成績表] p53/59
成績順序 志願專科 官姓名
 8   水雷術  海軍大尉 河野通男
 6   航海術  仝    東島乙吉郎
 7   水雷術  仝    福島熊太郎
 3   航海術  仝    横尾 尚
11   砲 術  仝    大谷幸四郎
 4(2)航海術  仝    川上正一
10   仝    仝    毛利陽二
 4(1)仝    仝    井口第二郎
 5   水雷術  仝    玉岡吉郎
 2   仝    仝    宮地民三郎
 1   航海術  仝    小牧自然
 9   砲 術  仝    石川秀三郎
※点数等:略
C06091447400-53
〔画像〕C06091447400-53
件名        大学校学生入学試験施行並
          卒業試験成績表及証書授与付卒業在学延期の件
レファレンスコード C06091447400
作成年月日     明治36年3月20日
作成者       海軍教育本部長
【画像数】59
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《横尾 尚:海軍大尉》[大學校乙種学生採用願]明治36年6月3日

《横尾 尚:海軍大尉》[大學校乙種学生採用願]明治36年6月3日

 [大學校乙種学生採用願]p18/59
 専修科目 航海術  小官儀
海軍大学校乙種学生志願ニ付御採用???度
奉願候也
 明治三十六年六月三日
  葛城航海長兼?隊長
    海軍大尉 横尾 尚
 海軍大臣男爵 山本権兵衛殿
C06091447400-18
〔画像〕C06091447400-18
件名        大学校学生入学試験施行並
          卒業試験成績表及証書授与付卒業在学延期の件
レファレンスコード C06091447400
作成年月日     明治36年3月20日
作成者       海軍教育本部長
【画像数】59
『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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