◆京橋築地

[保温劑合資會社][日本アスベスト株式會社]【日本全国諸会社役員録】明治30・41・42・43年

[保温劑合資會社][日本アスベスト株式會社]
【日本全国諸会社役員録】明治30・41・42・43年

【日本全国諸会社役員録. 明治30年】
[保温劑合資會社] p98/520
 日本橋區堀留町一丁目
設 立    明治二十七年三月
營業ノ目的  專賣特許保温劑製造販賣及
       塗粧請負並ニ石綿販賣
資本金    貮萬五千圓
業務擔當社員 一木彌三郎
⦿製造所   京橋區新船松町
[日本アスベスト株式會社] p167/520
大阪府   西成郡下福嶋村
設 立   明治二十九年四月
營業ノ目的 用和保温劑、石綿衞帶、石綿糸、
      火浣布其他石綿製造品一切ノ製造及販賣、
資本金   五萬圓
一 株   貮拾圓
拂込高   壹萬五千圓
積立金   參百圓
社 長   宮崎純三
      西、土佐堀裏
取締役   末吉平三郎
      住吉郡平野郷町
同     兵頭昌隆
      東、横堀、一
同     久保 貢
      西、江戸堀北、四
監査役   深澤五三九
      西、本田、一番
同     松永建次郎
      西、土佐堀、二
支配人   榮屋誠貴
      南、笠屋

【日本全国諸会社役員録. 明治41年】
[日本アスベスト株式會社] p240/1053
大阪市   北區下福島五丁目
電 話   長 西七三九
設 立   明治二十九年四月
營業ノ目的 アスベスト・アスフアルト耐火煉瓦製造及
      諸機械並附屬品販賣
資本金   貮拾五萬圓
一 株   貮拾圓
拂込高   拾八萬七千五百圓
諸積立金  貮萬參千參百圓
利益配當  前期及前々期 年壹割貮分強
取締役社長 大野德三郎
      岐阜縣羽島郡下中島村
取締役   渡邊 至
      北、上福島二
取締役兼  森 謙一
計理部主任 岐阜縣海津郡東江村
監査役   赤尾 保
      西、立賣堀南六
同     大野賢治
      岐阜縣羽島郡下中島村
營業部主任 永木 榮
製造部主任 河野爲利
⦿東京支店 京橋區宗十郎町
      電話 長 新橋三四八四
支配人   大野三郎

【日本全国諸会社役員録. 明治42年】
[日本アスベスト株式會社] p120/1092
東京府   京橋區南鍋町一丁目
電 話   長 新橋 三四八四
設 立   明治二十九年五月
資本金   貮拾五萬圓(拂込濟)
一 株   貮拾圓
諸積立金  貮萬四千參百圓
利益配當  前期 年八分 前々期 年壹割
取締役社長 大野德三郎
      麻布、霞町
取締役   川島仙吉
      横須賀、汐入
同  兼  永木 榮
營業部主任 大阪、北、西野田十六
取締役   河野爲利
      大阪、北、下福島五
監査役   渡邊 至
      大阪、北、上福島二
同     大野賢治
      岐阜縣羽島郡下中島村
⦿支 店  大阪市北區下福島五丁目
      電話 長 西七三九
主任兼務  河野爲利
計理部主任 大野三郎

【日本全国諸会社役員録. 明治43年】
[日本アスベスト株式會社] p120/1125
東京府  京橋區築地三丁目
電 話  長 新橋 三四八四
設 立  明治二十九年五月
資本金  貮拾五萬圓(拂込濟)
一 株  貮拾圓
諸積立金 貮萬七千四百圓
社 長  大野德三郎
     岐阜縣羽島郡下中島村
取締役  川島仙吉
     横須賀、汐入
同    永木 榮
     愛媛縣温泉郡素鳶村
同    河野爲利
     松山、三春
監査役  渡邊 至
     大阪、北、西野田玉川一
同    大野賢治
     岐阜縣羽島郡下中島村
⦿支 店 大阪市北區下福島五丁目
     電話 長 西七三九
主任兼務    河野爲利
會計主任    大野三郎
製造部主任技師 逸見恒一
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[日本アスベスト株式會社]
【日本全国諸会社役員録】明治44年・明治45年
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《大野德三郎》【人事興信録. 4版】大正4年
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[ニチアス]沿革
1896(明治29年)
4月9日大阪府西成郡下福島村(現・大阪市福島区野田)に
日本アスベスト社として設立。
1909(明治42年)
本社を大阪から東京市京橋区南鍋町(現・東京都中央区銀座)へ移す。
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築地本場配置圖:中央卸賣市場本場並分場分布圖【東京市中央卸売市場築地本場・建築図集】昭和9年

築地本場配置圖:中央卸賣市場本場並分場分布圖
【東京市中央卸売市場築地本場・建築図集】昭和9年

【東京市中央卸売市場築地本場・建築図集】
目次 p9-11/121

1.全景圖 p15
p15-全景圖
〔画像〕p15-全景圖

東京市中央卸賣市場築地本場配置圖 p104/121
p104築地本場配置圖
〔画像〕p104築地本場配置圖

東京市中央卸賣市場築地本場配置圖 p105/121
p105築地本場配置圖
〔画像〕p105築地本場配置圖

東京市中央卸賣市場築地本場配置圖 p106/121
p106築地本場配置圖
〔画像〕p106築地本場配置圖

東京市中央卸賣市場築地本場配置圖 p107121
p107築地本場配置圖
〔画像〕p107築地本場配置圖

東京市中央市場築地本場配置圖 p109/121
p109築地本場配置圖
〔画像〕p109築地本場配置圖

東京市中央卸賣市場
築地本場・建築圖集
(非賣品)
昭和十年一月 十日印刷
昭和十年一月十五日發行
發行者 東京市役所
印刷者 新建築社
    東京市京橋區寶町一ノ六

東京市中央卸賣市場本場 並 分場分布圖 p112-115/121
p112-中央卸賣市場本場並分場分布圖
〔画像〕p112-中央卸賣市場本場並分場分布圖
p113-中央卸賣市場本場並分場分布圖
〔画像〕p113-中央卸賣市場本場並分場分布圖
p114-中央卸賣市場本場並分場分布圖
〔画像〕p114-中央卸賣市場本場並分場分布圖

1. 東京市中央卸賣市場築地本場
2.    仝  上  神田分場
3.    仝  上  江東分場
4. 4 1 仝  上  荏原分場(靑果部)
4. 4 2 仝  上  仝 上 (魚類部)
5.    仝  上  淀橋分場
6.    仝  上  豊島分場
7.    仝  上  足立分場
8.    仝  上  築地本場
           芝浦肉類部
p115-中央卸賣市場本場並分場分布圖
〔画像〕p115-中央卸賣市場本場並分場分布圖
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《大野市太郎:大野德三郎の妻 ヨシの兄》【人事興信録. 4版】大正4年

《大野市太郎:大野德三郎の妻 ヨシの兄》【人事興信録. 4版】大正4年

【人事興信録. 4版】大正4年
《大野市太郎》 p261/1041
 明治海運株式會社 取締役
 日本アスベスト株式會社 監査役
 東京府士族
 母  げん 嘉永 六年六月生
       千葉、平、滿田長九郎 長女
 妻  くみ 明治一〇年 五月生
       愛媛、士、渡邊至 長女
 男  幾男 明治二九年 四月生
 弟  仁助 明治 元年一二月生
 弟妻 とよ 明治 八年一一月生
       弟 仁助 妻
       福岡、士、渡邊守人 二女
 弟  安  明治二七年 三月生
君は福岡縣士族 大野十一の長男にして
元治元年十一月一日を以て生れ
明治三十四年六月 家督を相續す
夙に實業界に入り
現時前記諸會社の重役たり
家族は前記の外
甥  誠   明治二九年 八月生
       弟 仁助 長男
甥  勇   明治三四年一〇月生
       弟 仁助 三男
弟  三郎  明治一一年一〇月生は
其妻 小すへ 明治二〇年 六月生
       岐阜、平、大野賢治 妹
と共に分家し
妹  よし  明治一五年 三月生は
岐阜縣平民 大野賢治 弟 德三郎
妹  かつ  明治一九年一一月生は
廣島縣平民 堀江專一郎に嫁せり
(東京、麻布、龍土町七一)
(電話 長 芝 二二二一)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《大野德三郎》【人事興信録. 4版】大正4年

《大野德三郎》【人事興信録. 4版】大正4年

【人事興信録. 4版】大正4年
《大野德三郎》 p261/1041
 日本アスベスト株式會社 社長
 中外石油アスファルト株式會社 取締役
 日本金剛砥株式會社 取締役
 日本潜水株式會社 監査役
 東京府平民
 妻 ヨシ 明治十五年 三月生
      東京、士、大野市太郎 妹
君は岐阜縣平民 大野總右衛門の二男にして
明治四年六月二日を以て生る
明治四十四年九月 分家して一家を創立す
少壯 三浦香山の門に遊び漢学を修む
大倉組に入り同組に盡すこと十年餘
明治三十八年 同組を辭し
日本アスベスト株式會社の社長となり
日本金剛砥株式會社・日本金剛砥株式會社・
日本潜水株式會社創立の際
各其創立委員長に擧けられ
設立後各其重役となり
現今尚其職にあり
(東京、荏原、大崎町四一三)
(電話 芝 二一七一)
參照=大野市太郎の項 ※別稿に記載
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[日本アスベスト株式會社]【日本全国諸会社役員録】明治44年・明治45年

[日本アスベスト株式會社]【日本全国諸会社役員録】明治44年・明治45年

【日本全国諸会社役員録. 明治44年】
[日本アスベスト株式會社] p125/1198
東京府  京橋區築地三丁目
電 話  長 新橋 三四八四
設 立  明治二十九年五月
資本金  貮拾五萬圓(拂込濟)
一 株  貮拾圓
諸積立金 貮萬八千五百圓
利益配當 前期及前々期 五分
社 長  大野德三郎 ※別稿に記載
     岐阜縣羽島郡下中島村
取締役  川島仙吉
     横須賀、汐入
同    永木 榮
     愛媛縣温泉郡素鳶村
同    河野爲利
     松山、三春
監査役  前田貞四郎
     佐世保、泉町
同    大野賢治
     岐阜縣羽島郡下中島村
⦿支 店 大阪市北區下福島五丁目
     電話 長 西七三九

【日本全国諸会社役員録. 第20回】明治45年
[日本アスベスト株式會社] p131/1268
東京府  京橋區築地三丁目
電 話  京橋 長 八四五
設 立  明治二十九年五月
資本金  貮拾萬圓(拂込濟)
一 株  五拾圓
諸積立金 壹千圓
利益配當 前期 八分
社 長  大野德三郎
     荏原郡大崎町
取締役  今井修二
     芝、西久保廣
同    川島仙吉
     麻布、廣尾
同    永木 榮
     麹町、下六番
同    河野爲利
     大阪、北、西野田十六
監査役  高谷鹿二
     大阪府東成郡天下茶屋
同    大野市太郎
     麻布、龍土
相談役  門野重九郎 ※下記
⦿支 店 大阪市北區下福島五丁目
     電話 西 長 七三九
 會計主任 大野三郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[門野重九郎]
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[日本電燈株式會社]【日本全国諸会社役員録. 第20回】明治45年

[日本電燈株式會社]【日本全国諸会社役員録. 第20回】明治45年

【日本全国諸会社役員録. 第20回】明治45年
[日本電燈株式會社] p130/1268
東京府 京橋區築地三丁目
設 立 明治四十四年十二月
資本金 壹千貮百萬圓
一 株 五拾圓
拂込高 參百萬圓
取締役 安田善三郎
    本所、横網二
同   中澤彦吉
    京橋、南新堀一
同   小野金六
    麹町、飯田三
同   櫻内幸雄
    四谷、尾張
同   小倉鎭之助
    横濱、神奈川靑木
同   島 甲子二
    牛込、新小川一
同   安藤兼吉
    下谷、仲御徒一
同   川原茂輔
    麻布、狸穴
監査役 淺野總一郎
    芝、田町五
同   雨宮 亘
    麹町、飯田三
同   長井利右衞門
    日本橋、大傳馬一
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[築地四丁目:坪數4,523:所有者 西郷從道]【東京市及接続郡部地籍台帳. 1】明治45年

[築地四丁目:坪數4,523:所有者 西郷從道]
【東京市及接続郡部地籍台帳. 1】明治45年

【東京市及接続郡部地籍台帳. 1】明治45年(1912)4月

築地一丁目 p355/617
p355-地籍台帳:築地一丁目
〔画像〕p355-地籍台帳:築地一丁目

築地二、三丁目 p355/617
p356-地籍台帳:築地二、三丁目
〔画像〕p356-地籍台帳:築地二、三丁目

築地四丁目 p357/617
地番 一
地目 宅地
等級 六五
坪數  四、五二三・五二
地價 三八、四五〇・〇〇
所有者住所 築地四ノ一
所有者   西郷從道 ※下記:明治35年(1902)歿
p357-地籍台帳:築地四丁目
〔画像〕p357-地籍台帳:築地四丁目


【東京市及接続郡部地籍地図. 上卷】大正1年(1912)

築地一、二丁目 p206/647
備前橋 
p206-地籍地図:築地一、二丁目
〔画像〕p206-地籍地図:築地一、二丁目

築地三丁目 p208/647
一五ノ一ノ丙 251坪 杉山茂丸  山本榮治郎
一五ノ二ノ一 日本アスベスト會社 日本電燈會社
万年橋 采女橋 北門橋 起生橋 小田原橋 備前橋
一六 5,069坪 西本願寺
一七 1,338坪 西本願寺
p208-地籍地図:築地三丁目
〔画像〕p208-地籍地図:築地三丁目

築地四丁目、舩松町 p210/647
濱離宮 水交社 經理学校
水路部
海軍無線電信練習所?
海軍軍醫学校 海軍大学校
會門橋? 南門橋 尾張橋 北門橋
舩松河岸 見當橋?
p210-地籍地図:築地四丁目、舩松町
〔画像〕p210-地籍地図:築地四丁目、舩松町
大正元年 十月三十日印刷
大正元年十一月 七日發行
發行者  東京市區調査會
     東京市麹町區土手三番町三十四番地
     電話 番町 三八六八番 三五〇九蕃
代表者  久保三友
兼著作者 東京市麹町區土手三番町三十四番地
印刷者  木村龜作
     東京市日本橋區兜町二番地
印刷所  東京印刷株式會社
     東京市日本橋區兜町二番地
     電話 浪花 二〇〇番 二〇一番
           二〇二番 二〇三番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[Wikipedia][西郷従道]
西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、
天保14年5月4日(1843年6月1日)~
明治35年(1902年)7月18日)は、
日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[海軍大學校ヲ東京京橋區築地四丁目一番地ニ置ク]
【官報. 1888年08月28日】明治21年
 官報 第千五百五拾號
 明治二十一年八月二十八日 火曜日
 内閣官報局
海軍省告示第四號 p1/9
海軍大學校ヲ東京京橋區築地四丁目一番地ニ置ク
 明治二十一年八月二十八日
 海軍大臣 伯爵 西郷從道
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築地之圖-明治九年頃:京橋區小田原町(南築地)昭和七年【創立満五周年記念史】昭和7年

築地之圖-明治九年頃:
京橋區小田原町(南築地)昭和七年十月一日現在(地番入)
【創立満五周年記念史】昭和7年

【創立満五周年記念史:附・青年文藻、南築地今昔物語】昭和7年

築地之圖-明治九年頃 p69/115
三之橋 安藝橋(※①海幸橋)
築地四丁目 海軍省
p69-築地之圖-明治九年頃
〔画像〕p69-築地之圖-明治九年頃

京橋區小田原町(南築地) p70/115
昭和七年十月一日現在(地番入)
京橋區靑年團南築分團
小田原橋
魚市場
築地川東支川 魚河岸橋 海幸橋(舊安藝橋) ※①下記
波除神社 海軍軍樂隊
p70-京橋區小田原町(南築地)昭和7年
〔画像〕p70-京橋區小田原町(南築地)昭和7年

京橋區小田原町(南築地) p71/115
昭和七年十月一日現在(地番入)
京橋區靑年團南築分團
築地川南支川 小田原橋 門跡橋 備前橋
築地川 堺橋 南明橋 明石橋
魚市場
築地川東支川 魚河岸橋 海幸橋(舊安藝橋) ※①下記
波除神社 海軍軍樂隊  海軍經理學校
一丁目四番地 盲人技術学校 和光童園 京橋消防署
かちどき渡 隅田川
p71-京橋區小田原町(南築地)昭和7年
〔画像〕p71-京橋區小田原町(南築地)昭和7年

 小田原町(南築地) p73/115
前に記した如く、
南築分團は小田原町の靑年敎育の爲に、
修養の爲に、
親睦の爲に、
町内發展の爲に生れたものであるが、
小田原町といふ土地とはどんな處かと云ふと。
小田原町は東京市京橋區の東南の隅にありて、
隅田川の沿岸に添ひ、
月島と相對する一小島をなす地で、
東西約三町、南北五町弱程の街である。

月島へは勝鬨の渡、月島の渡の二渡船に依り、
明石町へは明石橋(舊寒さ橋)、南明橋(舊新榮橋)、
堺橋(舊加賀爪橋)に依つて、
築地へは備前橋、門跡橋、小田原橋に依つて、
魚市場へは魚河岸橋、海幸橋(舊安藝橋)に依つて ※①
連絡をとつている。
昭和七年(1932)七月一日以來、 p74/115
區劃整理による地區改正に基き町名が變更された、
卽ち舊名南小田原町一丁目並びに小田原河岸が
小田原三丁目
南小田原町二丁目並びに南本郷町、上柳原町が
小田原町二丁目
南小田原町三丁目、四丁目、並びに南飯田町及南飯田河岸が
小田原町一丁目と改稱され、
舊の七ケ町が僅か三ケ町に區分された。
舊稱南小田原町の名は
日本橋小田原町に對して名付けられたものである。
 ―略―

大日本地名辭書(築地本願寺の條)
 p81/115
築地海軍省屬邸は本願寺の西南にして、
今築地四丁目と稱し、
方五町許の大邸なり、
三方水を繞らし、
東南は海灣に臨む、
今海軍大學校、水交社等在り、
舊は增山河内守、稻葉長門守、
松平越中守(定信)等の別邸、
並びに一橋殿、尾張殿の庫舎に充てられし地なり。
幕政の末期に、
海軍所を其東岸(舊淺野家の別莊)に置かれ、
尋いて維新の初めに轉じて海軍省に爲り、
隣近の諸邸を収む、
已にして兵學校を此に開き、
本省は溜池葵坂へ移り(後日比谷に移る)
其屬邸として保持せらるものとす。

 魚市場の話 p94-95/115
震災後日本橋の魚市場は一時芝浦へ行つたが、
すぐ其歳築地四丁目、
もとの藝州侯邸址に移轉したのが、
現在の築地魚市場である。
 ―略―
p94-魚市場の話
〔画像〕p94-魚市場の話
p95-魚市場の話
〔画像〕p95-魚市場の話
昭和七年十月二十三日印刷
昭和七年十月二十六日發行
(非賣品)
編 著 毛利素風
發行者 小林光三郎
    東京市京橋區小田原町二丁目四番地
印刷所 周文堂森印刷所
    東京市京橋區小田原町三丁目十二番地
發行所 京橋區靑年團南築分團
    東京市京橋區一丁目五番地 町會々館
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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築地魚市場・京橋區築地四丁目海軍技術研究所跡に移轉開業【東京市商工要覧】昭和5年

築地魚市場・京橋區築地四丁目海軍技術研究所跡に移轉開業
【東京市商工要覧】昭和5年

【東京市商工要覧】昭和5年
 昭和五年三月 東京市商工課
3. 築地魚市場 p106-107/160
大正十二年九月一日の大震火災で、
江戸名物の一つに數へられてゐた
魚河岸(日本橋魚市場〕は全燒した。
そこで一時芝區芝浦二丁目に
天幕張とバラック店舗にて
臨時魚市場を開設したが、
其の不便言はんかたなく
遂に同年十二月一日
京橋區築地四丁目海軍技術研究所跡に移轉開業し、
東京魚市場組合員(昭和三年度末一、二九四名)たる
問屋、仲買、及各種附屬業者は
直接市の監督の下に營業を續け今日に及んでゐる。

本市場の設備に就て述べれば、
其の使用敷地は現在約二千五百七坪にして、
隅田河口に臨み海陸の運輸至便なる地にある。

建物構造は、
震災直後適當なる材料乏しき時
建設せられたる關係上、
總て亞鉛板葺、裏板張の木造バラックである。
但し冷藏庫及氷販賣所は防熱装置とし、
場内一圓混凝土を以って舗装してある。
其他各營業者店舗、待合所、附屬商店舗、
食堂、荷捌場、營業用計算所、鹽乾魚倉庫、
銀行、郵便局、巡査派出所、市及組合事務所等
合計八十二棟を有し、
更に蝟集する漁船の爲に七箇、
買客の爲に一箇の木造棧橋を備へ、
以って取引の便益に供してゐる。
 ―略―
本市場の監理に關しては、
本市は場内に事務所を設置し、
市設卸賣市場使用條例及び
同施工細則等に基いて
場長以下市場管理竝に營業者たる
東京魚市場組合員の取締の任に當ってゐる。
卽ち場内の整理、
發生事故の處理を爲す外、
衞生設備には特に留意して、
閉市場後場内を全部洗滌し、
尚下水溝河岸に消毒防臭藥を撒布する等
淸潔の保持に努めてゐる。
 ―略―
 ―略―
大正十三年七月以來、
冷藏庫を直營して魚介の冷藏保管を取扱ひ、
營業者の利益に資してゐる。
機械は二十噸壓縮機で
アンモニア直接膨脹式を用ひ、
百八十噸の収容能力を有して、
昭和三年度は總計九千八十餘噸の入庫數量を示してゐる。
別に十噸機を以って毎日十噸の製氷販賣を爲しつゝある。
 ―略―
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[濱離宮・築地四丁目][海軍大學校・築地四丁目]【大正博覧会と東京遊覧】大正3年

[濱離宮・築地四丁目]
[海軍大學校・築地四丁目]
【大正博覧会と東京遊覧】大正3年

【大正博覧会と東京遊覧】大正3年
[築地] p96/175
築地は舊外國人の居留地なりしを以て、
街衢の風光水流に包まれて
今も異なる色彩を有す。
又、割烹待合の第一二流に算すべきもの頗る多し。

[濱離宮] p96/175
德川氏の別館にして濱御殿と呼びしもの
維新後朝廷に収め、
明治三年濱離宮と稱す。
庭園林泉の勝あり。
中央八千餘坪の地には、
島あり茶亭あり、藤棚あり。
架すに三橋を以てす。
毎歳春季觀櫻の御宴あり、
又時に鴨御獵等の御催あり。
東京灣に南面するを以て、
房總の連山を白帆靑波の間に遠見すべく、
風光の明媚、
比肩するもの無し。
築地四丁目に屬す。

[海軍大學校] p96-97/175
築地四丁目にあり。
附近に水交社、海軍經理學校
海軍軍醫學校、
工手學校、
東京府工藝學校あり。
大正三年三月十五日印刷
大正三年三月十八日發行
正 價 金貮拾五錢
    向上社編輯部編纂
發行者 石田茂三郎
    神田區錦町三丁目五番地
發行所 向上社
    神田區錦町三丁目五番地
印刷者 中島藤太郎
    神田區錦町三丁目一番地
發賣元 向上社圖書販賣店
    東京大正博覽會第一會場敷地凌雲橋北側
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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