[高松市立 商業學校長 前橋孝義先生]
【現代讃岐人物評論:一名・讃岐紳士の半面】明治37年
【現代讃岐人物評論:一名・讃岐紳士の半面】
[高松市立 商業學校長 前橋孝義先生] p68-69/85
曩に讃岐に入りし時、
高松市立商業學校長
前橋孝義先生の名を聞く、
余輩窃かに訝りて思ふ
是れ同名異人ならなからんや、
奈何ぞ我邦經濟學の大家たる
前橋先生の來りて
此邊陲に隱るゝものぞと、
越へて相見るに及びて其然らざるを知り、
知りて而して學海の忘恩なるに概す。
今を去ること拾數年前に於て、
天野爲之氏の萬國歷史が
如何に洛陽の紙價を貴からしめしものぞ、
又其著
經濟原論が如何に讀書界の明星たりしものぞ、
余輩は自白す、
余輩の萬國史を窺ひしは
天野氏とバーレー氏に始まりしを、
余輩の經濟學に入りしは、
天野氏と乘竹孝太郎氏に始まりしを、
而して此當時にありて
余輩の鼓膜を刺激せしものは、
前記二氏の外
町田忠治氏あり、
前橋孝義あり、
前橋先生、學東西を貫き識古今に徹し、
歷史を談じ地理を講じ、
經濟を論じ財政を議す、
余輩親しく先生の門に遊びしこと無しと雖も、
先生の著作は常に机上の餘師として尊びし所也、
今や天野氏早稻田學界の一角に耀き、
乘竹氏横濱に去りて正金銀行に據り、
町田氏浪華金融界の樞機を握る、
獨り前橋孝義先生遠く帝京を去りて
一小市の商業學校に隱る、
先生の高潔なる固より
意に介する所なかるべしと雖も、
余輩にして之を見る豈俯仰
今昔の感に堪へざらんや
先生は眞の學者也、
故に聞達を社會に求めず、
孜々として討ね
丌々として究め、
得る所は直ちに江湖に布きて
以て人心の歸嚮を補く、
現時の學界才人なきを憂へず、
智者なきを悲まず、
獨り眞面目の學者に至りては
寥々晨星の如し、
而も高潔篤學
前橋先生の如きの人、
去りて地方に蟄して伏櫪の感を爲さしむ、
慷すべき哉。
明治三十七年七月廿五日出版
明治三十七年八月 一日發行
定 價 金貮拾錢
編輯兼 淺岡留吉
發行者 高松市兵庫町十二番戸
印刷者 高橋長十郎
高松市一番丁ヘ四十番戸
印刷所 讃岐實業新聞社 印刷部
高松市丸龜町三丁目十六番戸
發行所 宮脇開益堂
高松市丸龜町三丁目
【中等教育諸学校職員録. 明治37年版】
市立 高松商業學校 p345-346/539
香川縣高松市大字五番町
現在生徒 百六十人
學校長兼敎諭 前橋孝義
敎諭 橋本啓三郎
同 野田 一
同 井上廣太郎
同 高橋文治
同 林 治郎
同 黑川 榮
助敎諭 坂東德次郎
助敎諭兼書記 井上春治
雇敎員 楊 學洞
囑託講師 野尻隣太郎
同 栗本延太郎
囑託敎員 森崎 淸
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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