伊藤勲教授(上智大学法学部)

伊藤 勲教授略歴:大正6年(1917)生~平成24年(2012)歿

伊藤 勲教授略歴:大正6年(1917)生~平成24年(2012)歿

   伊藤 勲教授 略歴
大正六年一月二十日 山形市宮町に生まれる
 学 歴
昭和  十年三月  県立山形中学(現、山形東高校)卒業
同  十三年三月  中央大学専門部法律学科卒業
同  十六年三月  中央大学法学部英法科卒業
 学 位
昭和四十四年三月  「明治政党史の研究」により
          中央大学から法学博士の学位を授けられる
 職 歴
昭和 十四年六月  内閣情報局勤務
同  十六年九月  中央気象台勤務
同 二十三年十月  東洋大学非常勤講師(三十二年まで)
同 二十四年八月  運輸省官房文書課へ出向
同 三十二年三月  上智大学法学部助教授
同 三十八年四月  同大学教授に昇任
同 四十三年四月  中央大学非常勤講師として現在に至る
同 四十六年四月  相模女子大学非常勤講師として現在に至る
伊藤勲教授略歴-1-1
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〔画像〕伊藤勲教授略歴-2-1
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〔画像〕伊藤勲教授略歴-3-1
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上智大学ソフィア会
訃報:上智大学名誉教授(元 法学部教授)の伊藤勳先生が
11月15日逝去されました 享年95歳
2012年11月20日
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上智大学 デジタルアーカイブ
伊藤 勲教授を送る
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[近代日本の最高の政治教育家 小野 梓]伊藤 勲・上智法学論集(昭和四七年一二月)

[近代日本の最高の政治教育家 小野 梓]
伊藤 勲・上智法学論集(昭和四七年一二月)

恵存 小野雄二様
[近代日本の最高の政治教育家 小野 梓]
 ~生誕一二〇年を記念して~
       伊藤 勲
上智法学論集 第一六巻 第二号(昭和四七年一二月)抜刷
近代日本の最高の政治教育家・表紙-1
〔画像〕近代日本の最高の政治教育家-1

四六頁-四七頁
(2)伝記として…等がある。
外国人の研究としてアメリカ人
Sandra T.W.Davis博士の論文が委曲をつくしている。
戦後、早稲田大学高野善一氏の編纂した
新資料にもとづいて研究した
最も詳細な伝記である。
この研究により昭和四三年、
ペンシルヴェニア大学から
Ph・Dの学位を授与された。
英文六百余枚で、
その中の一部は
「小野梓―明治の知識人」
(『明治文化全集』第二十八巻「国憲汎論」)として、
また
「小野梓と共存同衆」
(『早稲田大学史紀要』第二巻第二号・昭和四三年)、
「教育思想家・小野梓」
(『早稲田学報』昭和四三年六月号)
として発表された。
将来、全文が邦訳される筈である。
現在、ニューヨークHunter Collegeの教授で、
日本の近代政治史を研究している学者である。
※別稿に記載
抜刷-四六-2
〔画像〕抜刷-四六-2
抜刷-四七-2
〔画像〕抜刷-四七-2

四八頁
又一の長男雄二は現在、 ※長男⇒二男
京都工芸繊維大学の学生である。(13)
抜刷-四八-2
〔画像〕抜刷-四八-2

五八頁
(13) 又一氏のことについて、
   ノートルダム女学院教諭
   シスター・メリー・キャーレン
   (立花寛子様)から教えていただいた。
   および、
   ノートルダム女学院父母の会
   『清流』(昭和四七年二月二六日)参照。 ※下記
抜刷-五八-2
〔画像〕抜刷-五八-2

一〇九頁
   むすび
 小野梓は極めて短い生涯中に、
血を吐く病魔と、
火を吹く力も無い生活と闘いながら、
政治に、学問に、教育に、
はたまた平和のために、
満腹の抱負と理想をいだき、
その実現に情熱を燃やしつづけた。
彼の抱負と理想は不幸にして、
生存中、美しい花を咲かせることはなかった。
しかし、梓によって一度、
蒔かれた数々の種子は枯れることなく、
つまれることなく、
多くの人々に承けつがれ美しい花となり、実となり、
また開花せんとしている。
今日、われわれは立憲政治、民主政治の下にあって、
文物制度進歩の光に浴しているのは、
梓が病弱の身体をなげうって尽瘁した
無限の余徳であることを知らなければならない。
この意味において、
小野は近代日本文化の先覚者であり、
パイオニアであったと言えよう。
 去者日日に疎くして、
梓の名前は漸く忘却の彼方に追いやられようとしている。
けれども、憲政上に、教育上に残した余風は、
彼の仁徳と共に讃えられ、
消えることなく、燃えつづけ、
千秋に語り継がれるであろう。  (おわり)
 (本学法学部教授)
〔画像〕抜刷-一〇九-2
〔画像〕抜刷-一〇九-2
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
[清流]第24号《小野先生を偲ぶ》
『シスター メリー キャサリン』p4
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伊藤 勲教授(上智大学法学部)から小野文子(母)宛の手紙:昭和48年

伊藤 勲教授(上智大学法学部)から小野文子(母)宛の手紙:昭和48年

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 大学の年中行事も悉く終りホット一息をしております。
入学試験、学年試験等で一月下旬から連日のように会議でしたが、
昨日からようやく私の時間をもつことができるようになりました。
あとは四月七日の入学式を待つだけとなりました。
 過日、立花さんを通じてお送り申し上げました私の論文に対して、
早速、御禮と御注意をいただき有難うございました。
雄二様のことについて大変なことをしまして ※①
何とおわび申し上げてよいのやら、
ただただ心から深く深く
p1-伊藤勲-手紙-1
〔画像〕p1-伊藤勲-手紙-1

おわび申し上げます。
お送りしました分については完全な訂正はできませんでしたが、
御注意いただきました後の分には訂正しました。
幾重にもおわび申し上げます、
 宿毛の小野哲夫様から公民館、
図書館の住所をおしらせ下さいましたので、
すでにお送り致しました。
宿毛市長はじめ多数の方からお禮狀を頂戴いたしました。
大変お喜び下さった御様子で喜んでおります。
急ぎましたことと紙数の関係から三分の一に圧縮しましたこと、
更に私の下手な文章から充分に説明できませんでしたことを恥
p2-伊藤勲-手紙-1
〔画像〕p2-伊藤勲-手紙-1

かしく思っております。
近代日本の最高の政治教育家であることが、
おわかりなっていただければと思っております。
四六頁に書きました ※②
サンドラ・ディヴィスさんは
私の指導の下に長い論文を書き、
そして、学位をとった方です。
この方は女性ですが、
四十一年の五月に私をたずねてきました。
その後、小野梓先生を研究した方です。
一旦、帰国し、一昨年夏、日本にきましたが、
今はニュージャーシーにおります。
たえず文通し研究を継續しております。
この方に将来、大著を出版させたいと思いますので、
私は大略を書いた次第です。
p3-伊藤勲-手紙-1
〔画像〕p3-伊藤勲-手紙-1

小野梓先生のような大人物が生れましたことに
おどろきながらも世界にほこりうる大人物と思います。
私の尊敬する人物です。
学生に説明しておりますが、
皆おどろいております。
 まだ少々残部がありますので、
御入用でしたらお送り致します。
御返事おそくなり申しわけありません。
 御自愛の上、女子教育にお励み下さい。
立花様によろしくお伝え下さい。
  三月十五日 午後 研究室にて ※昭和48年(1973)
           伊藤 勲
  小野文子様
p4-伊藤勲-手紙-1
〔画像〕p4-伊藤勲-手紙-1
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※立花様:ノートルダム女学院教諭
     シスター・メリー・キャーレン
     (立花寛子様)
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※①②:別稿に記載
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