坂本恭啓(公文牛松:坂本牛松)

《川上俊介》明治3年12月12日生【日本有名誌:即位記念】大正3年(1914)

【芸妓からアメリカの大富豪の妻へ】
モルガンお雪 ~明治のシンデレラの生涯
しかし当時、お雪には京都帝国大学の学生、
川上俊介という恋人がいたため、
モルガンからの求婚を断った。
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【日本有名誌:即位記念】1914
著者    杉謙二 編
出版者   杉謙二
出版年月日 1914
《川上俊介君》
君は鹿兒島の人
川上親郷氏の次男なり
明治三年十二月十二日を以て生る
※1871年2月1日
初め熊本高等學校に學び後、
東京帝國大學に入り ※記録無し
故ありて半途退學し
職を文部省に奉ず
明治三十年(1897)
京都帝國大學の創立せらるゝや
大學書記として赴任せしが
翌年冬
辭して大阪の鹿島屋に入り
外國貿易の業に從ふ
明治三十二年(1899)
京都帝國大學法科に入り
明治三十六年(1903)卒業し
直に浪速銀行大阪支店に入り
縦横の手腕を揮ひ
關西銀行界の俊才を以て稱せらる
明治三十八年(1905)
米國及び英京ロンドンに漫遊し
具に先進國銀行界の眞相を觀察し
明治四十一年(1908)
歸朝再び浪速銀行に入り
明治四十二年(1909)
抜擢して東京支店長に舉げられ
中央財界に於ける同行の代表者として雄飛せり
 p496【日本有名誌:即位記念】1914
〔画像〕p496【日本有名誌:即位記念】1914
https://dl.ndl.go.jp/pid/3440526/1/496
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坂本電器株式會社・立石電機株式會社・オクダ電機株式會社・松下電器産業眞空工業所【京都年鑑 昭和25年版】

【京都年鑑 昭和25年版】
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1949

坂本電器株式會社  p241/357
東山區清水五丁目
祇園一八八
社長 坂本牛松

立石電機株式會社
右、花園土堂町
西八二六九
社長 立石一眞

オクダ電機株式會社
下、唐橋經田町
下五四二
代表取締役 奥田憲太郎

松下電器産業眞空工業所
下、西九條鳥居口
下三四〇四
所長 井植 薫

坂本電器株式會社  p241/357
東山區清水五丁目
祇園一八八
社長 坂本牛松
 p241【京都年鑑 昭和25年版】
〔画像〕p241【京都年鑑 昭和25年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988157/1/241
  窯業
株式會社 東山窯
伏、深草開土町八九
伏二一七三
代表取締役 宮永友雄

  雜工業製品
合名會社 山内任天堂
下、正面加茂川西
下二四七〇
代表者 山内 君
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988157/1/242

坂本牛松  p282/357
坂本電器社長、
上京區出雲路俵町四
(上一五七〇)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988157/1/282
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《坂本牛松》坂本電器(株) 東山區淸水五丁目一二七【全国会社総覧 昭和22年 上】

【全国会社総覧 昭和22年 上】
著者    商工省 編
出版者   ジャパン・クレヂット・ビューロー
出版年月日 昭和22
名 稱  坂本電器(株)
所在地  東山區淸水5ノ127
電 話  祇園 188
資本金  100万円
代表者  坂本牛松
營業種目 電氣機器
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【京都会社名鑑 1951年版】昭和25年
著者    京都商工会議所 編
出版者   夕刊京都新聞社
出版年月日 1950(昭和25年)
     坂本電器株式會社
所在地  東山區淸水五丁目一二七
     (電話 祇園一一三六~一一三九)
設  立 大正五年四月
主要事業 琺瑯鐵器、X線装置、理化器械、醫科器械製作
資本金額 二、五〇〇千圓
役  員 (社 長)   坂本牛松
     (取締役)   伊藤傳三
             吉川正男
     (取締役工場長)藻川四郎
従業員  七〇名
 p178【京都会社名鑑 1951年版】
〔画像〕p178【京都会社名鑑 1951年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2459761/1/178
「京都會社名鑑」1951年版
昭和二十五年十月 二十日印刷
昭和二十五年十月二十五日發行
    定價 六百五十圓
編集者 京都商工會議所
    調査課長 山畑俊吉
發行者 夕刊京都新聞社
         安岡哲三
發行所 夕刊京都新聞社
    京都市中京區室町通夷川上ル
    電話上六六、九八〇~九八三
    振替口座、京都二五九一六番
印刷者 大日本印刷京都營業所
         安達信雄
發賣所 夕刊京都販賣部
    京都市中京區室町通夷川上ル
https://dl.ndl.go.jp/pid/2459761/1/267
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【電気年鑑 昭和25年】
著者    日本電気社 編
出版者   日本電気社
出版年月日 1950
坂本電器株式會社(特殊電機)
祇園 一八八
東山區淸水五ノ一二七
社長 坂本牛松
https://dl.ndl.go.jp/pid/2477402/1/99
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【京都年鑑 昭和25年版】
著者    都新聞社 編
出版者   都新聞社
出版年月日 1949
坂本電器株式會社
東、淸水五丁目
祇園一八八
社長 坂本牛松
https://dl.ndl.go.jp/pid/2988157/1/241
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阪本牛松(通稱善次郎)石炭 銑鐵 電球販賣【商工資産信用録 第36回】昭和10年

【商工資産信用録 第36回】昭和10年
著者    商業興信所 編
出版者   商業興信所
出版年月日 昭和10
姓  名  阪本牛松(通稱 善次郎)
住  所  中、河原町三條下
職  業  石炭 銑鐵 電球販賣
調査年月  昭和9年9月
 p237【商工資産信用録 第36回】昭和10年
〔画像〕p237【商工資産信用録 第36回】昭和10年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688401/1/237
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【電気年鑑 昭和13年(23回)】
著者    電気之友社 編
出版者   電気之友社
出版年月日 昭和13
坂本商店(電球販賣)
嵯峨 六〇九
右京區常盤山下町
店主 坂本牛松
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【商工資産信用録 第42回】昭和16年
著者    商業興信所 編
出版者   商業興信所
出版年月日 昭和16-18
第四十二回 商工資産信用錄
株式會社 商業興信所
昭和十六年十一月刊行
https://dl.ndl.go.jp/pid/1683178/1/3
姓  名  阪本牛松
住  所  中、河原町三條下
職  業  コークス、石炭 銑鐵 合金鐵
調査年月  昭和16年2月
https://dl.ndl.go.jp/pid/1683178/1/186
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《草野稻穗》(株)三榮商會【官報 1937年11月19日】昭和12年

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年01月07日06:31
《坂本牛松》合資會社 三榮鑄工所
【官報 1935年10月01日】昭和10年
【官報 1935年10月01日】昭和10年
著者    大蔵省印刷局 [編]
出版者   日本マイクロ写真
出版年月日 昭和10年
◎商號 合資會社 三榮鑄工所
 目的 紡機織機其ノ他諸機械ノ鑄造販賣
    前項ニ關聯スル一切ノ業務
 設立ノ年月日 昭和十年四月十五日
 社員ノ氏名住所 出資ノ種類 價格及責任
 金 四千圓 無限 坂本 牛松
   京都市右京區常盤山下町四番地ノ一
 勞務    無限 淸水金之助
   京都市下京區西九條島町十七番地
 金 三千圓 有限 橋本孫治郎
   京都市下京區梅小路中町五十四番地
 金 一千圓 有限 河村半次郎
   京都府宇治郡宇治村字木幡四十二番戸
存立時期 設立ノ日ヨリ滿二十箇年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年01月07日06:35
《小野安》合資會社 三榮商會
【官報 1936年07月07日】昭和11年
【官報 1936年07月07日】昭和11年
◎合資會社設立 p34/34
商號 合資會社 三榮商會
本店 京都市中京區木屋町通三條下ル
   材木町一百八十番地
目的 コークス 石炭 電球 鋼鐵 家具
   竝ニ室内装飾品ノ販賣
   前項ニ關聯スル一切ノ業務
社員ノ氏名 住所 出資ノ種類 價格 責任
 金 一萬圓也   無限 坂本牛松
   京都市右京區常盤山下町四番地一
 金 五千圓也   有限 公文喜久馬
   高知縣幡多郡和田村大字中角五十三番屋敷
 金 二千五百圓也 有限 倉田正男
   大阪市東成區生野田島町二百七十一番地
 金 二千五百圓也 有限 小野 安
   京都市上京區紫竹牛若町十九番地ノ一
設立年月日 昭和十一年五月一日登記
存立時期  設立ノ日ヨリ滿二十箇年
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2023年01月07日06:40
《坂本牛松》株式會社 三榮商會
【官報 1937年11月19日】昭和12年
【官報 1937年11月19日】昭和12年
◎株式會社設立  p32/34
一 商號 株式會社三榮商會
一 本店 京都市中京區木屋町三條下ル
     材木町一百八十番地
一 目的 一 コークス石炭及各種燃料ノ販賣
     二 古鐵合金鐵及各種鑄造用材料ノ販賣
     三 右ニ附隨スル一切ノ業務
一 設立ノ年月日 昭和十二年六月二十七日
一 資本ノ總額  金二万五千圓
一 一株ノ金額  金二十圓
一 各株拂込額  金二十圓
一 公告方法   本店店頭ニ掲載ス
一 取締役ノ氏名住所
  草野 稻穗  門司市大字小森江三百六十八番地ノ四
  坂本 牛松  京都市右京區常盤山下町四番地ノ一
  梅本 睦一  大阪市西區南堀江下通三丁目十六番地
  澁谷 英男  大阪府南河内郡高鷲村大字北宮百九十九番地
  加藤内藏助  長崎市大浦町二十六番地
一 監査役ノ氏名住所
  倉田 正男  大阪市東成區生野田島町二百七十一番地
  公文喜久馬  高知縣幡多郡和田村大字中角五十三番屋敷
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【著名商工案内 昭和17年版】
著者    商業興信所 編
出版者   商業興信所
出版年月日 昭和17
株式會社  三榮商會
設立年月  昭和十二年六月
資本金   拾五萬圓
取締役社長 阪本牛松
本  店  中京區木屋町三條下
電  話  本局②二一七七(三)
營業所   大阪市西區京町堀一丁目
      安田ビル
      土佐堀@五六二一
出張所   東京市赤坂區田町四丁目
      電話赤坂 三九七九
營業種目  日本フエロアロイ協議會指定問屋、
      日滿鐵鋼販賣株式會社再生鐵指定、
      三池コークス、住友コークス、
      日月コークス、日鑛コークス
 p194【著名商工案内 昭和17年版】
〔画像〕p194【著名商工案内 昭和17年版】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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佐々木社員は家族とともに約一年間、坂本産業倉庫の二階に住んだ【草野惣市小伝】昭和54年(1979)

【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
出版者   草野産業
出版年月日 1979.2

坂本関係の整理完了には約三年を要した。
その間佐々木社員が京都に駐在し、
整理の事務を担当した。

 坂本電器倉庫
〔画像〕坂本電器倉庫

佐々木社員は家族とともに約一年間、
坂本産業倉庫の二階に住んだ。

 小野一雄・佐々木?
〔画像〕小野一雄・佐々木?

 小野雄二・佐々木?
〔画像〕小野雄二・佐々木?

 小野雄二と佐々木ひろこ-1
〔画像〕小野雄二と佐々木ひろこ-1

 小野雄二と佐々木ひろこ-2
〔画像〕小野雄二と佐々木ひろこ-2

坂本が電気代不払いのため電源を絶たれると、
ランプの生活をしなければならなかった。
あやうく水道も切られるところであった。
以上のような経緯を経て、
対坂本の債権四千九百万円のうち
二千三百万円は坂本の需要先から回収し、
残余二千六百万円は
昭和三十一年(1956)までに
損金として処分することが出来たのであった。

坂本産業について述べた機会に、
朝鮮戦争終結の反動不況により、
草野産業の受けた苦難について
記述しておかなければならない。
朝鮮戦争の突発が会社の危機を救ったことは前述した。
今度はその終熄により大難である。

休戦協定は
昭和二十八年(1953)七月二十七日調印された。
 p90【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p90【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/90
    年 譜
昭和二七年(六九歳)十月
 坂本産業株式会社に巨額の焦付き債権が発生したが、
 協和銀行の支援を得て切り抜ける。
 同社の債権回収を契機として
 関西以東へ進出する端緒を摑み
 惣市自ら陣頭に立って活躍し、
 重要市場に相次いで営業所を新設する。
 十二月名古屋出張所を開設する。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/115
草野惣市小伝
    昭和五十四年二月二十六日発行
発行人 草野泰太郎
発行所 草野産業株式会社
    草野倉庫株式会社
    草野不動産株式会社
    〠104 東京都中央区銀座三丁目
       九番四号(草野ビル)
    電話(〇三)五四一ノ二九一一(代表)
印刷所 製本所 笹徳印刷工業株式会社
(非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/116
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坂本商事の社長には山田民蔵氏の就任を懇請した【草野惣市小伝】昭和54年(1979)

【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
出版者   草野産業
出版年月日 1979.2

需要家を訪問すれば、
工場の隅々までつぶさに見て廻り、
工員に話しかけてまで、
実態を知り尽くそうとする社長の姿を、
まざまざと想い浮かべたからである。

惣市はこの急報を門司の病床で聞いた。
青天の霹靂であった。
直ちに京都に急行した。
病気のことなどは念頭になかった。
京都に着いた惣市は、
東山の旅宿半茶に会社幹部を集め、
社員を叱責する暇なく善後策を凝議するのであった。

坂本からの債権回収が絶望的であることは、
調査の結果決定的であった。
回収不能金額四千九百万円はあまりにも巨額である。
会社が内密に処理し得る範囲を遥かに越えている。
いかに対処すべきか。

泰太郎は熟慮の末
小田切協和銀行頭取を訪ね、
坂本との取引き実情と今回の顚末とを詳細に報告し、
会社並びに個人の資産状態を提示して、
会社の採るべき方途の判断を乞うた。
会社の解散を覚悟した上での捨身の行動であった。

裸になる臍を固めた泰太郎の決意に、
頭取は少なからぬ好感を寄せられたのであろう。
その助言と処置は温情に溢れたものであった。

坂本の不良債権は協和銀行が一時棚上げする、
坂本以外の焦付き債権は他銀を中心に善処し、
草野の信用維持のため
坂本との取引き実情を内密にせよという内容であった。
小田切頭取のこの計らいは、
泰太郎にとって一生涯忘れることの出来ぬ感激であった。
惣市父子は狂瀾を既倒に廻らし、
文字通り蘇生の思いをしたのである。

父子は勇躍した。
坂本産業の得意先から債権を回収し、
さらにその得意先を足場として
大阪、京都、名古屋方面の新市場を切り開くことは、
惣市社長が進んで買って出た。

坂本の後始末は当然副社長の担当になった。
その坂本整理の段取りはおよそ
次のようなものであった。

まず坂本産業と坂本電器の経営を分離して
電器を倒産させ、
別に坂本商事株式会社を設立し、
この新会社が坂本産業の得意先を引き継ぎ、
しかる後に坂本産業を倒産させ、
最終的に坂本商事の債権事務を草野産業に移譲、
坂本商事を解散するというのである。
坂本商事の社長には山田民蔵氏の就任を懇請した。

山田氏は惣市と同郷の知己である。
上頓野きっての秀才と謳われ、
各地の公務員を歴任した後
京都市助役となり、
退任後そのまま京都に止まって、
紫野大徳寺に在住していた。

惣市は京都に着くと間もなく、
地元の同氏を訪ねて事件の発生を打ち明け、
その援助を乞うたのである。
同氏は或いは知人の弁護士の意見を徴し、
或いは坂本所有の土地を
京都市に売却する可能性について瀬踏みするなど、
さまざまな協力を惜しまなかった。

blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2016年07月05日05:45
[思い出の写真帖]038〔ホテル東園:坂本恭啓社長〕
ホテル東園の前が、坂本電器(株)
坂本電器:京都市東山区清水5丁目
   北隣は税務署・京都清水郵便局
[京都市東山区 Part7]
808 名前: 近畿人 投稿日: 2016/03/03(木) 01:09:14
>>798
図書館は今の消防署が出来た時に新設された記憶。
京女近くの東山七条にあったのは区役所だね。
ちなみに今の総合庁舎の場所には
ホテル東園があって、ボーリング場もありました。
 〔ホテル東園:坂本恭啓社長〕小野又一
〔画像〕〔ホテル東園:坂本恭啓社長〕小野又一

坂本商事の社長就任も快諾された。
余談にわたるが山田氏と惣市との間に、
相互の利害関係のない
 p89【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p89【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/89

同郷人としての交友が生まれたのは、
同氏が大分県臼杵市市長時代、
惣市が鄭重な表敬訪問をして以来のことであった。
その時山田氏は、
突如目の前に現れて草野惣市と名乗る紳士が、
記憶に残る山本家時代のみすぼらしい
鍛冶屋の小僧のイメージと、
余りにも懸隔があるのに驚き、
しばし呆然として惣市の姿を凝視し続けていたという。
 p90【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p90【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/90
草野惣市小伝
    昭和五十四年二月二十六日発行
発行人 草野泰太郎
発行所 草野産業株式会社
    草野倉庫株式会社
    草野不動産株式会社
    〠104 東京都中央区銀座三丁目
       九番四号(草野ビル)
    電話(〇三)五四一ノ二九一一(代表)
印刷所 製本所 笹徳印刷工業株式会社
(非売品)
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《坂本牛松》小田切武林協和銀行頭取:坂本電器(株)坂本産業(株)【草野惣市小伝】昭和54年

【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
出版者   草野産業
出版年月日 1979.2

 坂本電器株式会社
 坂本産・・・・・
 小野一雄と小野雄二
 坂本電器・坂本産業
〔画像〕坂本電器・坂本産業

惣市が関西以東へ進出する好機は意外に早く訪れた。
ただ遺憾なことは、
この好機は会社存立の根幹をゆるがす
大暴風雨を道連れにしていた。

京都市所在の坂本産業株式会社に発生した
巨額の不良債権が台風の眼であった。

坂本産業の坂本牛松社長は
草野産業と間接的な繋がりがあった。
戦前草野稲穂が社長であった
 p87【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p87【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/87

 小野又一 坂本電器01-1
〔画像〕小野又一 坂本電器01-1

来る日来る日を
 給料 遲拂
 手形決済
に惱んだ頃・・・・・
 1949(昭和24年) 夏//
 小野又一 坂本電器01-2
〔画像〕小野又一 坂本電器01-2

三栄商会の、
地元京都側出資者であったからである。
昭和二十五年(1950)、
折から東京に在住していた稲穂が、
坂本産業を推挙し、
会社の取引き先に申し入れてきた。

稲穂の推挙を容れて取引きを行うべきか否か、
その是非が社内の問題になった。
泰太郎副社長は取引き開始に積極的であった。
関西市場へ進航する水先案内としたかったのである。

河野、野村両支配人を派遣しての信用調査の結果も、
取引きを見合わせねばならぬほど悪くなく、
何よりも坂本個人が、
小田切武林協和銀行頭取と
親交関係にあるという安心感が基底にあった。
協和銀行も月商三百万円程度の取引きであれば、
差支えあるまいという意向であった。

ところが惣市の意見は全然違っていた。
坂本という男が信用出来ぬという絶対的な否定であった。
にもかかわらず副社長が惣市に乞い、
あえて坂本産業との取引きに踏み切ったのには、
副社長として右のような
それなりの根拠があったからである。

取引きを始めてみると、
坂本産業の販売活動は予想以上に活発に見えた。
同産業に対する債権はみるみる膨張し、
会社債権総額の二割に近い巨額に達した。
月商三百万円どころではなかった。

昭和二十七年(1952)十月、
恒例の行事として全社員が京都に旅行した時、
明後日期日の手形が決済出来ぬと、
坂本社長が泰太郎副社長に告げて来た。

坂本についてとかくの風評を耳にした矢先であったが、
時既に遅かった。
ともかくも旅行の行事を済ませ、
副社長は坂本産業に急行し
その帳簿を調査した。
河野支配人と内田、佐々木両社員が同行していた。
調査が進むにつれ、
事態の重大さがはっきり判ってきた。
草野産業もこれ迄かという絶望感が一同を打ちのめした。

坂本産業は銑鉄の回収代金を
坂本電器株式会社の損金に充当するほか、
使途不明の坂本個人用に支出していた。
坂本電器は電熱器や琺瑯鉄器を製作する
坂本産業の関連会社である。

坂本は代金流用の事実を銀行用、税務署用、
草野産業用の三重帳簿によって隠蔽し、
草野産業には全く虚偽の報告を続けていたのであった。

事件発覚と同時に、
坂本は実印を携帯し、
滋賀県方面に逃亡して一時行方を昏ました。
明らかに詐欺横領である。

従来から草野産業は二次問屋の利用を避け、
需要先への直売を販売の基本方針としていた。
坂本産業の場合はその例外になった。

坂本産業も下請け店利用の販売を主とし、
実需工場との日常接触はほとんどなく、
需要先については盲目同然であった。

それだけに草野産業としては、
特に厳重な監視が必要の筈であった。
惣市が坂本不信を直感しているのであるから
尚更のことである。
坂本産業自体についても最終需要家についても、
その実情把握に重大な手抜かりがあったのだ。
坂本事件に当面したある幹部社員は
惣市社長を想起して、
 p88【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p88【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/88
深い悔恨の情を禁じ得なかったという。
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/89
草野惣市小伝
    昭和五十四年二月二十六日発行
発行人 草野泰太郎
発行所 草野産業株式会社
    草野倉庫株式会社
    草野不動産株式会社
    〠104 東京都中央区銀座三丁目
       九番四号(草野ビル)
    電話(〇三)五四一ノ二九一一(代表)
印刷所 製本所 笹徳印刷工業株式会社
(非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/116
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《社長 草野稲穂・専務 坂本牛松》昭和13年京都に(株)三栄商会:草野宗一商店が六割出資【草野惣市小伝】昭和54年

【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
出版者   草野産業
出版年月日 1979.2

 草野惣市翁寿像  晝間 弘・作
 P4【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p4【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/4

草野惣市は明治十六年(1883)五月二十一日、
福岡県鞍手郡上頓野村字藤田丸で呱々の声をあげた。
現在の直方市上頓野字藤田丸である。

上頓野は福智山々塊の中央支脈が、
緩やかな起伏を作りながら、
遠賀川流域の筑前平野に低まってゆく、
その山裾の斜面を占める地域である。
 p9【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p9【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/9
このような環境の中で、
惣市は宮近久市、妻キクの長男として出生した。
久市三十歳、キク二十六歳であった。

惣市の父久市は
安政元年十一月五日の生れ、
※1854年12月24日
久三の三男である。
 p10【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p10【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/10

関西方面に対するコークスの売込みは、
稲穂の発案で間接的な形をとった。

昭和十三年(1938)
京都に三栄商会を起こしたのである。 ※別稿に記載
資本金十万円、
草野宗一商店が六割出資して稲穂が社長、
地元京都の出資者
坂本牛松氏が専務に就任した。

三栄商会は兵庫県飾磨に黒崎コークス、
三井ブリーズおよび長崎コークスを集め、
これらを適宜混合して
京都、大阪、金沢などに売り捌いた。
日月コークスという銘柄であった。

長崎コークスとは、
長崎市土居首にあったビーハイブ炉を、
昭和十二年(1937)草野宗市商店が
その所有者山田鷹治氏から買い取り、
引き続き焼成していたものである。

このような商法、
他人との合弁事業は惣市の意に反するものであった。
三栄商会は再生銑も取り扱った。
日満鉄鋼が再生銑販売店の整理統合を行った時には、
その銓衡に残っている。

三栄商会はその終りを全うすることが出来なかった。
手形の不渡りを出して自滅したのである。
 p56【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
〔画像〕p56【草野惣市小伝】昭和54年(1979)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12188731/1/56
草野惣市小伝
    昭和五十四年二月二十六日発行
発行人 草野泰太郎
発行所 草野産業株式会社
    草野倉庫株式会社
    草野不動産株式会社
    〠104 東京都中央区銀座三丁目
       九番四号(草野ビル)
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印刷所 製本所 笹徳印刷工業株式会社
(非売品)
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《兵頭直明》国際観光会館常務、ホテル東園支配人【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】昭和36年(1961)

《兵頭直明》国際観光会館常務、ホテル東園支配人
【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】昭和36年(1961)

【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】昭和36年(1961)
出版者   日本ホテル協会
出版年月日 1961-09
   業界人 消息  p24/26
兵頭 直明氏(元箱根ホテル支配人)
株式会社国際観光会館 常務取締役、
ホテル東園支配人として活動中、
京都市東山区下河原町四六三の九
(電話(6)三六五四)居住
p24-1【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】
〔画像〕p24-1【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】

[HOTEL REVIEW]
九月号(第百三十七号)
昭和三十六年九月 十日印刷
昭和三十六年九月十五日発行
  頒布実費 五十円(送料十円)
  東京都千代田区丸ノ内一ノ一
   交通公社ビル内
    日本ホテル協会
編輯兼発行人 河西静夫
  東京都千代田区丸ノ内一ノ一
   交通公社ビル内
発行所 社団法人 日本ホテル協会
 電話 東京(211)四八三七番 一五二九番
 振替口座 東京参〇五七弐番
印刷所 東京都文京区雑司谷町六四
    福音印刷株式会社
p24-2【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】
〔画像〕p24-2【Hotel review = ホテルレビュー 12(137)】
https://dl.ndl.go.jp/pid/2630195/1/24
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