◆NHK:日本放送協会

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔5/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔5/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発)】

〔右頁〕
 内閣告諭 p18/19
 ―略―
 昭和十七年一月二日
 内閣總理大臣 東條英機

〔左頁〕
ラジオは思想戰の有力なる武器である。
大東亞共榮圏と國防國家の建設には
一日も不可缺の機關である。
一億國民は悉くラジオを施設して
常に放送により
國策の嚮ふ處を逸早く知らねばならぬ。
【大詔を拝し奉りて】p18
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p18

昭和十七年三月 十五日印刷
昭和十七年三月二十五日發行
編輯兼 東京市麴町區内幸町二ノ二
發行人 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
印刷者 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水 淨
印刷所 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水印刷所
【大詔を拝し奉りて】p19
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p19
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔4/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔4/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発)】

 對米通牒全文 p14-17/19
 覺 書
 ―略―
【大詔を拝し奉りて】p14
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p14

【大詔を拝し奉りて】p15
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p15

【大詔を拝し奉りて】p16
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p16

【大詔を拝し奉りて】p17
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p17

昭和十七年三月 十五日印刷
昭和十七年三月二十五日發行
編輯兼 東京市麴町區内幸町二ノ二
發行人 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
印刷者 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水 淨
印刷所 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水印刷所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔3/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔3/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発)】

 帝國政府聲明 p12-13/19
 ―略―
【大詔を拝し奉りて】p12
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p12

【大詔を拝し奉りて】p13
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p13

昭和十七年三月 十五日印刷
昭和十七年三月二十五日發行
編輯兼 東京市麴町區内幸町二ノ二
發行人 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
印刷者 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水 淨
印刷所 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水印刷所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔2/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔2/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発)】

 宣戰の布告に當り國民に愬ふ p5-12/19
  情報局次長  奥村喜和男
  ―略―
【大詔を拝し奉りて】p05
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p05

【大詔を拝し奉りて】p06
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p06

【大詔を拝し奉りて】p07
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p07

【大詔を拝し奉りて】p08
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p08

【大詔を拝し奉りて】p09
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p09

【大詔を拝し奉りて】p10
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p10

【大詔を拝し奉りて】p11
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p11
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1092825/11

【大詔を拝し奉りて】p12
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p12

昭和十七年三月 十五日印刷
昭和十七年三月二十五日發行
編輯兼 東京市麴町區内幸町二ノ二
發行人 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
印刷者 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水 淨
印刷所 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水印刷所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔1/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送】〔1/5〕日本放送協會・昭和17年

【大詔を拝し奉りて:千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発)】

千古不滅の放送(昭和十六年十二月八日大東亞戰爭勃發)
 大詔を拜し奉りて
  社團法人 日本放送協會
【大詔を拝し奉りて】p01
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p01

〔右頁〕 p2/19
本篇は我が國民が永遠に忘るべからざる
今次大東亞戰爭勃發の當日
卽ち昭和十六年十二月八日に渙發せられたる
宣戰の御詔勅を拜したる
東條總理大臣の歷史的大放送並に
奥村情報局次長が一億國民に愬へたる言々
火を吐く熱血の大放送を採錄したものである。

〔左頁〕
 目 次
宣戰の詔勅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二
大詔を拜し奉りて・・・・・・内閣總理大臣 東條英機   四
宣戰の布告に當り國民に愬ふ・情報局次長  奥村喜和男  七
帝國政府聲明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二一
對米通牒全文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二四
内閣告諭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三二
【大詔を拝し奉りて】p02
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p02

 詔 書
 ―略―

 御名御璽
  昭和十六年十二月八日
内閣總理大臣兼
内務大臣 陸軍大臣 東條英機
文部大臣      橋田邦彦
國務大臣      鈴木貞一
農林大臣兼
拓務大臣      井野碩哉
厚生大臣      小泉親彦
司法大臣      岩村通世
海軍大臣      嶋田繁太郎
外務大臣      東郷茂德
遞信大臣      寺島 健
大藏大臣      賀屋興宣
商工大臣      岸 信介
鐡道大臣      八田嘉明
【大詔を拝し奉りて】p03
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p03

 大詔を拜し奉りて p4-5/19
  内閣總理大臣 東條英機
  ―略―
【大詔を拝し奉りて】p04
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p04

【大詔を拝し奉りて】p05
〔画像〕【大詔を拝し奉りて】p05

昭和十七年三月 十五日印刷
昭和十七年三月二十五日發行
編輯兼 東京市麴町區内幸町二ノ二
發行人 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
印刷者 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水 淨
印刷所 東京市京橋區湊町一ノ九
    淸水印刷所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【支那事変と思想戦】〔8/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】〔8/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(八)結 論 p19-20/22
此處にお集りの皆樣は思想戰の舞臺に活躍する
戰士の養成者とも申すべき方々であると私は存じますが、
何として  に於ては訓練されたる思想戰の部隊と
整備された思想戰の參謀本部が必要であらうと思ふ。

世界大戰の經驗は此思想戰の重要性に眼を開かせました。
從ひまして之に對して力を非常に注ぐやうになりました。

ソヴイエト・ロシアは昔から之に對して
專門的なる敎育訓練を施して居る位でありますが、
伊太利、獨逸に於ては中樞機關として
何れも宣傳省を造りました、
獨逸の宣傳省の如きは是は
ヒツトラーの世界大戰に於ける所の體驗が
物を云つて造つたものであります。

ヒツトラーは宣傳なるものゝ性質を
眞に會得した人の手に掛つたら
恐るべきものだと
自身述懐されて居るのでありまして
そこで獨逸に於ては宣傳省が
出來上つて居るのであります。

其他の國に於ても宣傳省こそありませぬが、
思想戰に於ける機構の整備運營の適切を
企圖致して居るのであります。

我國に於ては從來餘り關心を持つて居りませんでしたが、
滿洲事變に際し、
更に今回の事變にぶつかつて見ますると、
思想戰と云ふものゝ重要さが
ハツキリ解つて來たのであります、

恰もラヂオが娯樂機關のみと思つて居つたのが、
今日では思想戰上重要なる武器である
と云ふことが解つて來たと同樣に、
思想戰と云ふものに
段々注意を向けて來るやうになつたのは
非常に注目すべきことだと思ひます。

私は微力ながら
此方面に職を奉じて居るのでありますが、
思想戰の重要なるに鑑み、
甚だ乏しきを顧みて忸怩たるものが
あるのでありますが、
我が國の思想戰に關する
行政組織乃至運用と云ふものは、
今後の思想戰に備へて更に十分なる考慮を
必要とするものと思ひます。
而して今後來るべき思想戰に打勝たなければ
ならないと思ふのであります。

時局は極めて重大でありまして、
所謂更生新支那の育成と云ふことに付きましては、
今後吾々の爲すべき所は非常に大きいのであります。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p19
〔画像〕【支那事変と思想戦】p19

【支那事変と思想戦】p20
〔画像〕【支那事変と思想戦】p20

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎
【支那事変と思想戦】p21
〔画像〕【支那事変と思想戦】p21

擧つて国防 揃つてラヂオ
ラヂオ普及運動
【支那事変と思想戦】p22
〔画像〕【支那事変と思想戦】p22
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【支那事変と思想戦】〔7/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】〔7/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(七)行動に依る思想戰 p18-19/22
それからもう一つ、
私はビラなどのポスターだの、
放送だの色々思想戰に於ける
あの手此の手に付てお話をしたのでありますが、
全然口を利かない思想戰
行動に依る思想戰と私は名づけて居りますが、
一寸申上げたい。

唯 ビラ、ポスター、
或はラヂオ、蓄音機、映畫、演劇、
大道具、小道具が思想戰の宣傳にあるが、
行動それ自身が大いなる宣傳をする、
是は「沈黙の宣傳」と言つたならば
言葉として如何かと思ひますが、
所謂至誠天に通ずと云ふか、
行動に依る思想戰と云ふのを
熟々感じて居るのであります。

是は此間支那に行つた時に話を聽いて
非常に感動しあのであります。

爾來受賣をして居るのでありますが、
是は方々に行つてお話したので
或はお聽になつた方があるかも知れませぬが
二つ話がある、

一つは日本の一婦人の話でありますが、
北支の汽車の中で汚い支那人の男やもめが
赤ん坊を抱いて乘つて居たのですが、
連れて居た赤ん坊が火の付くやうに泣いて
どうにも仕樣がなく閉口して居た、

傍に居る人達は皆やかましいので苦い顔をして居る、
中にはチエツと云ふやうな譯で、
出て行けと言はんばかりの態度を示して居る、
併しだませどすかせど子供は泣き止まない、

見るに見兼ねた一人の日本婦人が
突如として立上つて乳房を出して、
其汚い支那人の赤ん坊を抱いて乳を呑ませた、

其赤ん坊は病氣をして居るかどうかは分りませぬが、
そんな事を考へずに進んで乳房をふくませた、
正直なもので其赤ん坊は直ぐ泣き止んで
一生懸命乳を呑んで居たが、
其裡スヤスヤ寝入りました、

其汚い支那人は感激して感謝の意を表した、
所が其時の言葉が實に味ふべきで、
何と言つて禮を述べたかと言ふと
「私は貴女を日本人とは思ひませぬ。」
日本人と云ふものは惨酷な人だとばつかり思つて居る、

私は貴女を日本人とは思はないと言つた
此支那人の言葉は實際味ふべきものと思ひます。

さうして此一婦人は
此支那人の今までの考へを轉向させて、
日本人は親切な者であると云ふ
非常な原動力を與へたのでありまして、
私は之を行動に依る思想戰だと、
斯う評して居るのであります。

もう一つは兵隊さんの話、
第二師團だと云ふことですが、
戰爭では戰場の跡片付けと云ふ仕事がある、
即ち敵の遺棄屍體を取片付ける、
幾人かの兵隊さんが苦力を使つて居ましたが、
丁度本年の巖寒のことであるが
屍體が凍付いてあがらない、
そこで兵隊さん
自ら手を下して鄭重に運んだ、
其運ぶ時に自ら頭の方を持つて
苦力が足を持つて穴の中に入れ、
靜かに土をかけて懇ろに葬つた。

苦力はポケツトから煙草を出して火をつけて
お線香の代りにたてたさうです。

其後で苦力が兵隊さんの所に水を持つて來て
「どうぞ手を洗つて下さい、
 今の屍體に毒がついて居たかも知れないから…」
斯う言つて出した、

兵隊さんは
「有難う」
と言つて手を洗ひましたが、
毒がついて居るかも解らない屍體を少しも厭な顔をせず
兵隊さん自ら手を下して、
而も懇ろに葬つて呉れた其情け深い行動を見て、
其處で働いて居た苦力が非常に感動をした。

是は沈黙の宣傳で效果も甚だ大きい。
此話は先達て支那に行つた時の土産話であります。
太原の特務機關長から直接聽いた話で
非常に私も感動致したのであります。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p18
〔画像〕【支那事変と思想戦】p18

【支那事変と思想戦】p19
〔画像〕【支那事変と思想戦】p19

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎

擧つて国防 揃つてラヂオ
ラヂオ普及運動
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【支那事変と思想戦】〔6/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】〔6/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(六)國家總力戰と思想戰 p15-18/22
斯樣に今日の戰は單なる武力と武力との戰ではなくなつて、
武力戰の他に思想戰あり、

殊に最近吾々は多年使ひ慣れた羊毛とも別れ、
木綿とも別れ、
金とも別れ、
敢然と國策に從つて戰うて居る
所謂 經濟戰もある。

此 經濟戰をも戰つて行かなければならぬことに
相成つて居るのであります。

此頃では國家總力戰と云ふやうな言葉が
非常に用ひられるようになつて來た。

時代の推移は必然的に戰爭の進化を齎しまして、
世界の各國とも好むと好まざるとに拘らず、
意識するとせざるに拘らず
國家國民の全體を歸一統合し、
全國民の全知全能を盡し、
國家の總力を擧げて有事に備へなければ
ならぬのであります。
それが今日の實情であります。

従ひまして戰爭は國民自身に向けられて居るのであつて、
國民自身が深刻に戰爭の苦痛を共にするに至りまして、
初めて勝利が得られるのであります、

従ひまして
獨逸のルーデンドルフ將軍
「何處から陸海軍の力が始まり、
 何處で國民の力が終るかといふ事は
 現今の戰爭では最早限界がつけられなくなつた。
 軍と國民とは一體となつた。
 實際文字通りの國民戰爭であつた。
 世界列強はこの終結した力を以て
 相拮抗したのである。
 廣大なる戰線と洋々たる海上に於て敵の武力と戰ふと共に、
 敵國民の精神及び生活力を破壊する事に努力したのである」
と言つて居る。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p15
〔画像〕【支那事変と思想戦】p15

【支那事変と思想戦】p16
〔画像〕【支那事変と思想戦】p16

【支那事変と思想戦】p17
〔画像〕【支那事変と思想戦】p17

【支那事変と思想戦】p18
〔画像〕【支那事変と思想戦】p18

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎

擧つて国防 揃つてラヂオ
ラヂオ普及運動
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【支那事変と思想戦】〔5/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】〔5/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(五)支那の宣傳と國際的影響 p14-15/22
所で支那の宣傳戰が第三國にどう云ふ風に響いたかと
云ふことを一二申上げます。

支那のデマ宣傳には現に日本人でさへも
眞實かと思ふ人がある、
支那からのデマ宣傳を聽いて
つひ引掛かる、
況や外國に居つて事情に暗い人は澤山引掛つたものです。

吾々の噴飯に堪へないやうなことでも
誠しやかにやるもので、
つひ事情の分らぬ人は本當と思ひ込んでしまふ、

所で今度は寫眞に付てお話申上げますると、
宣傳を効果あらしめるのは
寫眞が一番良いことは言ふ迄もない、
そこで贋の寫眞が非常な威力を發揮した
と云ふことを申上げて見ませう。

是は昨年の九月二十八日だつたと思ひますが、
亂暴な贋の寫眞が全米に撒布されました。

それは支那人が木に釣下げられて
日本兵が銃劍で突いて居ると云ふ寫眞であります。

此寫眞は全く贋寫眞で、
日本兵がそんな事をやつたのでも何でもない、
それは支那側がA・Pの特派員を詐つてアメリカに送らせ
A・Pの株主である二千の新聞紙に撒かれた、
是は誰もが眞實なものと思ひまして
排日空氣を非常に煽つたのであります。

而も偶々其時分
日本の潜水艦がジヤンクを撃沈したとか、
非戰闘員を空爆したと云ふやうな
デマ宣傳が傳つて居つた時でありましたから、
唯さへ排日氣分が盛な所へ是が行きましたもので
非常な効果を擧げまして、

遂にルーズベルト大統領の
あの有名なシカゴ演説となつた。

ハル國務長官の如きは
日本を指して條約違反者とも言ひ、
侵略者と云ふ言葉まで使つて居る。

是等は皆此寫眞が動機となつたと云ふ風に、
寫眞と云ふものは全く宣傳力の偉大なものであります。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p14
〔画像〕【支那事変と思想戦】p14

【支那事変と思想戦】p15
〔画像〕【支那事変と思想戦】p15

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
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發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
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    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎

擧つて国防 揃つてラヂオ
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【支那事変と思想戦】〔4/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】〔4/8〕内閣情報部長 横溝光暉氏述・昭和14年

【支那事変と思想戦】
(四)支那のデマ宣傳 p11-14/22
支那の宣傳戰でラヂオ等に依つて
非常にデマが飛ばされて居ります。
新聞などもさうですが、
事變勃發以來あることないこと、
所謂針小棒大に世界に向つて流布しました。

それが段々露骨になつて參りました。
例へば國内の不安を掩はんが爲には
誇大な戰捷の宣傳をやる。
或は如何にも眞實らしく戰捷を報じて某國に働き掛ける、
さうして對日干渉の基を造らうとする、
其悪辣巧妙なるデマ宣傳は
洵に驚くべきものがあるのでありますが、

デマ・ニユース鐡則三箇條
=是は事變勃發以來のニユース發表の要領ですが、=
日本の飛行機の空襲があつたら必ず數機撃墜を發表しろ、
それから其次は戰闘に於ける支那軍の被害は少く發表しろ、
同時に日本軍による支那非戰闘員の死傷者數は最大限度誇大に發表しろ、
是がデマ・ニユース發表の鐡則として
事變當初に訓令されたものであります。
 ―略―
【支那事変と思想戦】p11
〔画像〕【支那事変と思想戦】p11

【支那事変と思想戦】p12
〔画像〕【支那事変と思想戦】p12

【支那事変と思想戦】p13
〔画像〕【支那事変と思想戦】p13

【支那事変と思想戦】p14
〔画像〕【支那事変と思想戦】p14

昭和十四年二月 十日印刷
昭和十四年二月廿五日發行(非賣品)
編輯兼 熊本市城見町一番地
發行者 熊本中央放送局
代表者 永松善次
印刷所 熊本市紺屋今町四一番地
    合名會社 博文舎印刷所
印刷者 右 同 所
    角 安次郎

擧つて国防 揃つてラヂオ
ラヂオ普及運動
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