【ラジオ年鑑. 昭和16年】

南方亞細亞放送局分布圖【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

南方亞細亞放送局分布圖【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
南方亞細亞放送局分布圖 p358/360
昭和十五年十月現在
昭和16年】p358
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p358

※〔右頁〕 p320/360
社團法人  日本放送協會局所一覽(開局順)
事務所   東京市麴町九内幸町
技術研究所 東京市世田谷區鎌田町
―略―

※〔左頁〕
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
    東京市芝區田村町一丁目四番地
發行所 株式會社 日本放送出版協會
     東京市芝區田村一丁目 テキストビル
     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
    株式會社 日本放送出版協會 關西支社
     大阪市東區北久太郎町二丁目 黑川ビル
     (電話)船場三八九五番
     (振替)大阪五五九二二番
    株式會社 日本放送出版協會 中部支社
     名古屋市西區御幸本町通四丁目
     (電話)本局三五七番
     (振替)名古屋一九三三番
    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
昭和16年】p320
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p320
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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〔広告〕●大阪無線株式會社 ヘルメス 高級ラヂオ【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

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【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

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昭和16年】p334
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p334
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
    東京市芝區田村町一丁目四番地
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     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
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戰時に於ける聽取訓練:東亞共榮圏と放送【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

戰時に於ける聽取訓練:東亞共榮圏と放送
【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
[時局と放送事業]   p21-23/360
 戰時に於ける聽取訓練 p23/360
放送の完全なる成果を得るためには
ラヂオの聽取訓練が問題となる。

獨逸に於ては
平時より政府當路の發表乃至聲明は
全國的に共同聽取せしめ
政策の徹底に資して來たのである。

之は當時一部の民主々義國家から
嘲笑をあびたものであるが
今日にして如何にこの訓練が
不可缺のものであつたかをさとる處があらう。

我國に於ても同樣如何にして
大衆をしてラヂオに親しましめるか、
如何にして放送聽取の習慣を作るかが
研究を要する重大課題となつた。

 東亞共榮圏と放送 p23/360
日本に於ける放送事業は内地一圓は
社團法人日本放送協會、
臺灣は臺灣放送協會、
朝鮮は朝鮮放送協會の
夫々の獨立經營であり、

關東洲を含む滿洲一圓にあつては
滿洲電信電話株式會社が
之が經營に當つてゐるが、

最近は北支に於て
北京中央廣播電臺を中心とする
華北廣播協會の設立があり、

又 中南支に於ける各放送設備に對しては
日本及臺灣放送協會より夫々
多數の職員を派遣して
その運營に協力してゐるのである。

而して我が日本放送協會に於ては
日、獨、伊の三國同盟を契機とする
國家新體制の一翼として
國土國防衞上の見地から
放送系統と軍管區との連絡を、
有線放送の實施を計畫する外、
海外放送の劃期的の擴充を圖り、

又 臺灣、朝鮮、滿洲、華北、中南支を結ぶ
東亞放送網の連環を以て
新東亞共榮圏の推進力となり以て
國家的機關としての使命遂行に
遺憾なきを期しつゝあるのである。
昭和16年】p023
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p023
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
    東京市芝區田村町一丁目四番地
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     東京市芝區田村一丁目 テキストビル
     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
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     (電話)本局三五七番
     (振替)名古屋一九三三番
    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
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戰時に於ける報道放送、娯樂放送【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

戰時に於ける報道放送、娯樂放送【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
[時局と放送事業]        p21-23/360
 戰時に於ける報道放送、娯樂放送 p23/360
戰時に於ける報道放送は
ニユース放送の時間と分量の增加が
圖られることは當然であるが尚この外
英獨の放送宣傳戰に於ては
敵國の出版物を引用したり、
特別にまとめた解説を行つたり、
注釋や説明、或は逆説やユーモアを交へる等
種々の方法によつて
その影響力を高めようとしてゐる。
又講演や座談、
インタービユーやラヂオドラマ等の形に盛つて
政治的意圖が効果的に行はれ、
更に實況放送も盛んに政治的に利用され、
之が攻撃的にも防衞にも利用されるのである。

娯樂放送は戰時の種々の苦難に堪へてゐる
銃後國民や前線の將士に對し
夫々適當なる慰安が送られるが、
何れも明日への活躍の糧となるべき
健全明朗なる内容のものが採り上げられてゐる。
例へば戰線にある兵士の生活や戰闘が
實況放送や錄音放送と共に劇化して銃後に傳へられ、
又戰線に於いて希望する音樂、
演藝が内地より中繼せられ
前線銃後一體の種々の番組が案出される。
昭和16年】p023
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p023
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
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發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
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     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
    株式會社 日本放送出版協會 關西支社
     大阪市東區北久太郎町二丁目 黑川ビル
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     名古屋市西區御幸本町通四丁目
     (電話)本局三五七番
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    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
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支那事變と我が放送【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

支那事變と我が放送【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
[時局と放送事業]  p21-23/360
 支那事變と我が放送 p22-23/360
昭和十二年七月七日
蘆溝橋事件を發端とし
日支關係が極めて緊迫を告ぐるや、
帝國政府は直ちに重大決意を發表したが、
この發表は時を移さず電波に乘せて
國内に又海外に昂揚せられた。
同年八月一日には香月北支駐屯軍司令官の
聲涙流るゝ講演が天津より前線放送として行はれ、
續いて軍報道部松村秀逸少佐の放送等
國民感激の中に行はれたのである。
その後北支戰況の展開に伴つてこの前線放送は、
「北支の時間」として
八月二十四日以降實施せれることゝなつた。
中支よりの前線放送も戰線の發展に從つて企劃せられ、
早くも十二月十九日には上海より
「南京に於ける松井最高指揮官の戰歿將士慰靈祭弔文朗讀」が
錄音放送によつて送られて來た。
その後上海の秩序恢復と共に
昭和十三年五月六日
上海總領事日高信六郎氏の
「事變後の上海について」と題する講演を第一回として
毎週金曜日定時中繼放送を實施することゝなつた。

斯くて天津・上海より定時に入中繼せらるゝ
前線將士の實戰談、從軍記者の現地報告、
前線實況は銃後國民の感動的番組となつた。

殊に昭和十三年五月十九日徐州陥落の日、
午後十時劃期的前線放送が河西アナウンサーの
「故國日本の皆樣、祖國われらが日本の皆樣、
 我々のマイクは現在非常な困難と危險を冒して
 ○○戰線に出動中であります……」
に依つて開始され、
毎日午後十時より十分間
全日本の聽覺を緊張せしめたのであつた。
又十月二十五日午後四時三十分
「遂に皇軍は漢口の一角に突入せり」
と發表されたこの日午後七時十五分
漢口最前線より中繼放送を行ひ、
以後十日間毎日午後七時十五分より十分間、
戰況報告、戰況錄音が中繼放送された。

事變の進展に伴ひ放送の戰時體制は着々と整備せられ、
國内放送に於ても前記
中北支よりの現地放送の外に
ニユース時間の增加、特別講演、及びラヂオ時局讀本、
ニユース解説等
その番組は事變遂行の一途へ集中せられてゐる。
〔写真〕ソ軍を惱ましたフインランド國境の芬軍擴聲機

而して一日の全國放送時間の約八十五パーセントは外地
昭和16年】p022
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p022
滿洲及支那に中繼せられ、
その送出種目はニユース、經濟市況、
講演、學校放送、婦人の時間、
音樂、演藝等國内に於ける重要なる放送の悉くに及び
東亞共榮圏の確立に協力してゐるのである。
   ×   ×
國際放送は十四年五月訪日
ドイツ新聞使節ウイルケン・ケンバー氏外の
事變下日本の現狀の報告放送を初め、
米國のジアーナリストや、
前述ヒツトラー總統のポーランド進撃に關する獅子吼、
英帝の對獨宣戰布告の世界放送、
伯林、紐育、倫敦等よりする
各駐在同盟支局長の歐羅巴情勢の現地放送其他
駐米大使等の世界情勢に關する放送等
ラヂオの持つ機能を遺憾なく發揮して
餘すところがなかつた。
   ×   ×
海外放送に於ても
歐羅巴向、南米向、北米東部向、
北米西部布哇向、支那南洋方面の五方面、
放送時間使用國語十ケ國語をもつて、
毎日日本時間午前四時より
午後十一時三十分に至る間
放送を通じて正しき眞の日本の姿の昂揚並に
在外同胞の鼓舞に努力しつゝあつたが、
昭和十五年六月一日以降、
獨逸のダンチヒ獨逸復歸宣言
以後に於ける新情勢に卽應し、
バルカン、印度支那をはじめ
蘭領東印度諸島を含む西南アジア向に又、
布哇向に新しく各一時間の放送時間を增設、
放送時間一日十時間、
使用國語は日本語及び英、獨、伊、西班牙、
ポルトガル、和蘭、泰、支那、ビルマ、
ヒンドスタニーの各國語を網羅したが、
更に時局は瞬時も止まることなく
内には新體制運動の發展、
外には日、獨、伊、三國同盟の成立と
目まぐるしい伸長があり、
海外放送も更に完璧を期する爲
昭和十五年十二月以降
マレー語、アラビア語を加へて
十六ケ國語四十餘時間といふ
劃期的擴充を行ふ豫定である。
昭和16年】p023
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p023
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
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戰時に於ける放送の威力【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

戰時に於ける放送の威力【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
[時局と放送事業]    p21-23/360
 戰時に於ける放送の威力 p21/360
我國は聖戰三周年下、
光輝ある紀元二千六百年を迎へ、
愈々確固不動の體制を整へ以て
新東亞建設の大理想完遂に
國家の總力を擧げて邁進しつゝある時、
歐洲にあつては
獨ヒツトラー總統の獅子吼放送は、
英帝の宣戰布告放送となり
今や第二次歐洲大戰は熾烈を極めてゐる。
第一次大戰當時の未だ
ラヂオの存しなかつた時代と比較する時、
如何にラヂオが近時の戰爭に
重大なる役割を持つてゐるか
想像にかたくないであらう。

又我々には事變の初め
通州に起つた叛虐事件を忘れることは出來ない。
當時南京よりする蔣政權のデマ放送は
冀察政權下の支那兵をして
支那側の勝利を盲信せしめるに至り
斯くも未曾有の慘劇を惹起したのである。

又、昭和十四年十二月
突如上海の一角から和平建國の叫びを擧げた
汪精衞氏の熱血溢る放送は、
重慶政權をして周章狼狽成す處を
知らざる混亂に落し入れたのである。
昭和十五年三月
新中央政府成立式典の行はるる運びとなるや、
その前夜より數日に亘つて、
林森、孔祥熙を始め蔣麾下の領袖は
交々マイクに立つて
必死の反汪放送を行つたのであつた。
其の他蔣政權のデマ放送は枚擧にいとまがない。

元來平時に於ける對外放送は
主として友好的外交機關として
行はれるに止まつたのであるが、
その持つ特性の直接性と迅速性並に擴播性は、
戰時にあつては遺憾なく發揮せられ、
政治的に果敢に驅使される。
對手國の政狀や外政に對する批判論難、
その他の對抗的内容の放送は直ちに攻撃、
干渉、破壊の威力を發揮するに至るのである。
昭和16年】p021
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p021
〔写真〕 p22/360
 火花を散らす宣傳戰に於てゲツペルス宣傳相の直轄下
 日夜大活躍のベルリン放送所全景
   ×   ×
ドイツ及イタリヤは早くから
ラヂオの國家的運行に關心を有し、
長波、中波、短波の特性に從つて
夫々の使命を與へたのであるが就中、
短波放送の活用は目覺ましきものがあつた。
卽ちイタリヤに於ける地中海周邊を目標としたる放送は、
イギリスをして短波放送に外國語を採用せしめ又、
獨、伊の中南米向けの放送は
短波放送に立後れの感あつたアメリカに衝激を與へ、
急速に之が實現と整備に當らしめるに至つたと謂はれる。
獨墺合邦とチエツコ併合に活躍したドイツの放送は
歐洲諸國を驅つて外國語による放送宣傳の強化に狂奔せしめ、
かくして烈しい電波戰を舞臺として
今次歐洲大戰の勃發とまで進展したと見られる。
昭和16年】p022
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p022
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
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    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
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     (電話)八九六番
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サンフランシスコ萬國博に【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

サンフランシスコ萬國博に
【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
※右頁
サンフランシスコ萬國博に
「放送」の大壁画
 (一五・五・二五)
 (一五・九・二五)
  世界に示す科學文化
左上・光線電話の實驗狀况を 右上・凍つた水銀の音を聽く
  (14.7.21 BK)      (15.8.2 BK)
左下・人工の聲を      右下・聞えぬ音を聽く
  (15.7.28)         (15.8.2 BK)
※左頁 正誤表
昭和16年】p012
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p012
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
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發行所 株式會社 日本放送出版協會
     東京市芝區田村一丁目 テキストビル
     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
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     (電話)船場三八九五番
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    株式會社 日本放送出版協會 中部支社
     名古屋市西區御幸本町通四丁目
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     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
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放送開始十五周年記念特輯放送「勸進帳」【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

放送開始十五周年記念特輯放送「勸進帳」
【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
右上・放送開始十五周年記念特輯放送「勸進帳」
   マイクを圍む
   右より、羽左衞門、幸四郎、仁左衞門
   (15.3.27)
右中・學童 白衣の勇士に感謝を捧げる會
   (14.7.7 BK)
右下・宇和島市八ツ鹿踊り
   (15.3.2 FK)
右中・左團次、猿之助
   合同劇「元祿忠臣藏」東京劇場
   (15.1.5)
中上・ラヂオ體操に佐々野アナウンサー颯爽登場
   (14.4.26)
中中・南加の夕 初放送
   (15.7.27)
中下・各レコード會社專屬歌手の
   「紀元二千六百年」發表を
   (14.12.15)
左上・日本放送協會合唱團の初放送
   (15.2.11)
左中・歌謡曲の白光さん
   (14.7.5)
左下・滿映スター 李香蘭 日獨伊語にて獨唱
   (14.12.7)
昭和16年】p011
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p011
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
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     (振替)東京四九七〇一番
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     (電話)船場三八九五番
     (振替)大阪五五九二二番
    株式會社 日本放送出版協會 中部支社
     名古屋市西區御幸本町通四丁目
     (電話)本局三五七番
     (振替)名古屋一九三三番
    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
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戰場を語る【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

戰場を語る【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
※右頁
戰場を語る
右上より・兵士と母を語る 櫻井忠溫氏
     (14.12.5)
     戰場より還りて 火野葦平氏
     (14.11.8)
     戰場より還りて 上田廣
     (14.12.15)
     戰場の體驗を  安達軍曹氏
     (14.7.7)
※左頁
左上・訪日ドイツ新聞記者
   リヒアルトフエルスター氏は語る
   (15.5.30)
中・從軍を語る 篠崎ハル女史
   (14.10.9)
下・遺族の覺悟を述べる 高橋さん、中島さん
   (14.10.5)
左下・銃後現地報告に棟田博 勇躍出發
   (一五・八・一一)
昭和16年】p010
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p010
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
    東京市芝區田村町一丁目四番地
發行所 株式會社 日本放送出版協會
     東京市芝區田村一丁目 テキストビル
     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
    株式會社 日本放送出版協會 關西支社
     大阪市東區北久太郎町二丁目 黑川ビル
     (電話)船場三八九五番
     (振替)大阪五五九二二番
    株式會社 日本放送出版協會 中部支社
     名古屋市西區御幸本町通四丁目
     (電話)本局三五七番
     (振替)名古屋一九三三番
    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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テレビ・ドラマ 初めて電波に乘る【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

テレビ・ドラマ 初めて電波に乘る【ラジオ年鑑. 昭和16年】日本放送協會

【ラジオ年鑑. 昭和16年】
テレビ・ドラマ 初めて電波に乘る
 度々の實驗放送にやうやく
 實用化の域に達する成果を納めた
 我國テレビジヨン技術は、
 十五年四月十三、十四、二十日の三日間、
 技術研究所、愛宕山舊演奏所間に
 最初のテレビジヨン・ドラマ
 「夕餉前」の實驗放送を行つて
 一段の成功を納めた
  寫眞上・向つて右は接寫カメラ
      同左は遠寫カメラ
      他は各場面及受像實驗
昭和16年】p009
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和16年】p009
昭和十六年 ラヂオ年鑑
定價金一圓三十錢
昭和十五年十二月二十五日印刷
昭和十五年十二月 三十日發行
編輯者 社團法人 日本放送協會
    松田儀一郎
    東京市麴町區内幸町二丁目二番地
發行兼 株式會社 日本放送出版協會
印刷者 和田利彦
    東京市芝區田村町一丁目四番地
發行所 株式會社 日本放送出版協會
     東京市芝區田村一丁目 テキストビル
     (電話)銀座〇七〇七・六二六六番
     (振替)東京四九七〇一番
    株式會社 日本放送出版協會 關西支社
     大阪市東區北久太郎町二丁目 黑川ビル
     (電話)船場三八九五番
     (振替)大阪五五九二二番
    株式會社 日本放送出版協會 中部支社
     名古屋市西區御幸本町通四丁目
     (電話)本局三五七番
     (振替)名古屋一九三三番
    株式會社 日本放送出版協會 九州支社
     熊本市上通町三丁目
     (電話)八九六番
     (振替)熊本三〇〇〇番
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