[事業概觀]二、終戰と放送
【ラジオ年鑑. 昭和22年版】日本放送協會
【ラジオ年鑑. 昭和22年版】日本放送協會
【ラジオ年鑑. 昭和22年版】
[事業摡觀] p7-15/135
[事業概觀]※正誤表(p2/135)にあり
二、終戰と放送 p8/135
戰爭中の放送は、
國民に對する上からの一方的呼びかけであり、
軍官を中心とする所謂指導層の號令であつた。
内容的には軍國主義、
日本第一主義の推しつけであり、
偏狭な神權主義の強要であつた。
かうした戰爭中のわが放送に終止符を打つたのは、
昭和二十年八月十五日正午の、
天皇陛下のポツダム宣言受諾に關する終戰の御放送であり、
日本の放送は陛下の御聲を初めて電波にのせると共に、
萬世に太平を開かうとする新しい進路に踏み入つたのである。
終戰と共に轉換し、
生れ變つた放送の方向は、
放送が民衆自身のものであり、
聽取者のものである、
といふことであつた。
「放送は皆樣のものである」
といふモツトーは、
放送從事者の自覺であり、
又、放送内容の基調でもなければならない。
それと共に、
敗戰から立直るための民主主義の確立と徹底が
放送の果すべき第一の任務となつた。
そこには連合軍の日本占領があり、
放送に對しても、
アメリカの先進的發達が、
わが放送の甦生に寄與しつつあることを
見逃すことは出來ない。
かうした現實と方向の下に、
わが放送は終戰後如何なる動きを見せたか。
―略―
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和22年版】p008
三、我國の放送事業
―略―
〔画像〕【ラジオ年鑑.昭和22年版】p009
凡 例 p123/135
一、本年鑑は昭和十七年四月より
昭和二十一年三月までの四ケ年間における
放送事業の推移を集錄したものである。
一、紙數の關係上取材は重點的に、
記述は簡易を旨としたが、
特に集錄の重點を太平洋戰爭後に置いた。
一、要覽の部はなるべく新資料によるため
昭和二十二年六月一日現在で集錄した。
一、新假名遣、漢字制限以前に執筆したので
新しい方式に依らなかつた。
〔奥付〕 p123/135
昭和二十二年 ラジオ年鑑
昭和二十二年八月二十日印刷
昭和二十二年九月 一日發行
定價 七〇圓
編輯者 社團法人 日本放送協會
榮谷平八郎
東京都千代田區内幸町二ノ二ノ二
發行者 日本放送出版協會
奥屋熊郎
東京都中央區日本橋馬喰町二ノ一
印刷者 株式會社 細川活版所
東京都中央區銀座西六ノ二
發行所 日本放送出版協會
東京都中央區日本橋馬喰町二ノ一
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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