檜山校 山本照雄【社頭の感激:遺児の感想文集】昭和17年
【社頭の感激:遺児の感想文集】
〔画像〕p3【社頭の感激:遺児の感想文集】
(左頁上)府廳正面玄關に於ける出發式
(左頁下)府廳正面出發
〔画像〕p4-1【社頭の感激:遺児の感想文集】
〔画像〕p4-2【社頭の感激:遺児の感想文集】
(右頁下)解散式に於ける萬歳三唱
(左 頁)はしがき 昭和十七年十月 軍人援護會京都府支部
〔画像〕p5【社頭の感激:遺児の感想文集】
檜山校 山本照雄 p49-50/102
今日は待ちに待つた靖國の父と對面の日である。
喜び勇んで一同は宿を出た。
先づ靖國神社前で下車して行く行く見上げる大鳥居は、
一の鳥居である。
靑空に聳え立つ何十米もあらうと思ふ靑銅の大鳥居である。
やがて社殿の廻廊に入り神主さんからお話があり
其れから拜殿に昇り、
神殿の中央の御鏡を近く拜し二禮二拍手をして、
またゝきもせず御鏡をじつと見つめた。
應召された時の父の軍服姿の笑顔が僕の前に現れ
「おゝ來たか。」と言はれたやうに感じた。
其の時お父さんと聲が出さうになつた。
「お父樣、照雄が參りました。」
「お母さんも姉さんも妹も皆元氣です。
妹も早七つになりました。
……家の者が元氣で暮すやうに
日本が益々榮えて行く樣にお守り下さい。」
と心の中で祈つた。
何時までもじつとして居たかつた。
殘り惜しい氣持でふり返り、
父に「さやうなら」といひ、
ふり返りふり返り御本殿を後にした。
其の後御紋章のかをる神門で記念寫眞を取り
國防館・遊就館など見物して宿舎へ歸つた。
皇恩の忝さと今日の此の感激とは
僕にとつてどうしても忘れる事は出來ない。
きつときつと父に負けない立派な日本人になり
御國へ御奉公申上げようと誓つた。
昭和十七年十月十二日印刷
昭和十七年十月二十日發行 〔非賣品〕
恩賜財團 軍人援護會京都府支部
編輯兼發行者 進藤友之
印刷所(西京七) 京都市下京區西洞院通七條南入
内外出版印刷株式會社
代表者 須磨勘兵衞
發行所 京都府廳内
恩賜財團 軍人援護會京都府支部
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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※『山本姓』下記書籍には、記載なし。
[平和の礎]瑞穂町遺族会:昭和58年
発行日 昭和五十八年二月二十一日
発 行 瑞穂町遺族会
編 集 瑞穂町遺族会顕彰録編集委員会
編集人 上田重太郎
印 刷 株式会社 北星社
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[檜山村誌]平成5年4月
第六節 戦歿者 p635-644
平成五年四月発行
発行者 桧山村誌編集委員会
桧山財産区
印刷所 瑞穂印刷所
(非売品)
表題題字 山内勝氏書(字橋爪)
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