【曹洞宗大年表】昭和10年
著者 大久保道舟 編
出版者 仏教社
出版年月日 昭和10
皇紀 2355 天皇 東山 年號 八 干支 乙亥
支那年代 〔淸〕(聖祖) 康煕三四
西曆 1695(元禄7年?)
四月十二日
是より先、山内又四郞定俊、丹波法華寺を創し、
祖衷(丹嶺)を開山に請す、
是日、祖衷入寺す
(大陽開山丹嶺禪師紀年錄)
p438【曹洞宗大年表】昭和10年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1264337/1/438
昭和十年十月十六日印刷 【曹洞宗大年表】
昭和十年十月二十日發行 (定價金拾參圓)
編纂者 大久保道舟
東京市世田谷區上馬町二丁目一二〇九番地
發行者 來馬琢道
東京市淺草區新谷町一〇番地
印刷者 寺井藤左エ門
東京市牛込區市谷加賀町一丁目一二番地
印刷所 大日本印刷株式會社
東京市牛込區市谷加賀町一丁目一二番地
發行所 佛敎社
東京市淺草區新谷町一〇番地
(振替東京一四七五)
(電話根岸一五三二)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1264337/1/953
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2017年12月21日05:00
安養山 西岸寺(元松壽山誓願寺)2/2[檜山村誌]平成5年4月
法華寺(法花寺)廃寺 p681
宗 派 曹洞宗
所在地 字中台小字原
開 創 元禄六年(一六九三)
石川県石川郡小立野村本寺
宝円寺九世円嶺祖衷大和尚の開山にして、
開基は山内定俊、同区内山内一族の菩提寺で、
開山以来二十余世大等知蔵和尚以後
西岸寺の兼務寺となり昭和三十年(1955)合寺し、
現在寺跡と墓地のみ遺され、
墓地には卵塔十四基と開基傑岩浄俊居士
一性妙輪大姉刻銘の石塔がある。
寛永三年(一六二六)山内定俊開創の説あり。
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
2019年01月17日05:20
山内又四郎《中臺村》當村に字二ノ丸と申古跡御座候
【船井郡誌】大正4年
法地 法華寺 曹洞 ― 寛永三年
山内定俊 大字中臺小字並河
中臺村 p182/196
山内又四郎
一 私先祖當所山内之庄領主谷山城と申ものゟ
十一代に相成申候、
則當村に字二ノ丸と申古跡御座候、
代々私共支配仕來候。
一 寶永元申歳十二月帶刀仕度儀奉願候處
※宝永1年申12月:1704年12月
同二酉歳願之通被仰付候。
※宝永2年酉:1705年1月
一 同六丑春ゟ御直被仰付候。
※宝永6年丑:1709年2月
古來ゟ帶刀之者と相傳ヘ候、
元祿年中帶刀御停止之節中絶仕候ゆへ、
※元禄年中:1688年~1704年
追而帶刀相願被仰付候と相傳へ候。
御直禮之事御銀之才覺御用等相勤候者故
寶永六年ゟ御直禮被仰付たる趣に相傳候。
※宝永6年丑:1709年2月
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