運命の爆撃(奉天)1/4
昭和19年12月8日[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年
運命の爆撃
それは昭和十九年十二月八日であつた。
この日私は発動機部の的場係長と共に、
満州第二百三十七部隊(航空支廠)に要務のため、
出掛ける事になつていた。
午前八時半頃会社の玄関から車で正門を出ると
何時ものように守衛が挙手の礼をしていたが、
突然そのうちの一人が車に走り寄つて
「空襲警報のようです」と囁いた。
私は一寸車を止めさせて会社の屋上を見たが、
警報の赤旗も立つていないので別に意にもとめず
そのまま車を走らせた。
会社から自動車で十分位で行く大東門を過ぎると
城内(満人居住区)に入るのであるが、
この辺に来たとき、
満人が右往左往して避難の様子を呈しておるのが分った。
然し奉天には、いまだ一度も爆撃がなかつたので、
又鞍山だろう位に考えて部隊に急いだ。
然し千代田通りを過ぎ、
奉天駅近くになると空襲警報のサイレンが盛んに鳴つている。
日本人も満人も、
ただならぬ様相をして居るので、
これはほんとうに敵機の来襲かと、初めて感じた。
―1-
私は運転手に「部隊に急げ」
と命じながらもさして不安の気持はなく、
やがて部隊へつくや正門で下車し、
衛兵所で「満飛」ですと言つて、
荒木主計少佐の室に駆けこんだ。
丁度九時半頃であつた。
荒木少佐は「鞍山だよ」と静かに言つて
ストーブのそばの椅子を指したので
二人は挨拶もそこそこに椅子にかけた。
その時部隊のサイレンは退避の信号を吹鳴し、
兵隊はメガホンで「敵機米襲ツ、退避ツツ」と絶叫した。
私たち二人は部外者であつたから私は荒木少佐に、
「何処の防空壕に退避すれば良いのですか」と聞いた。
少佐は、
「僕の隣りの壕に入りなさい」と言つたので、
少佐と共に防空壕に走つた。
壕に入るやいなや、
部隊の高射砲は奉天のさむぞらにこだました。
と見るや銀翼に光をうけつゝ四本の飛行雲を引いた
十機編隊の飛行機が南方から飛来し、
部隊の上空で東方に方向転換し、
隊伍堂々部隊の上空を通過して北へと移行した。
高度は七千米から八千米位であった。
私たちは零下二十度位の寒い壕の中で足ぶみをしながら、
かたずを呑んで見守ってぃたが、
それでもこれが敵機か、
これが戦争かと目分ながら信じられない。
私は的場君に、
-2-
「あれがほんとうに敵機か」と聞いた。
的場係長は
「課長、まだ日本では発動機四発の飛行機はない筈です。
あれは確かにB二十九です」と答えたので、
私は初めて現実的な戦争をじかに感じたのであつた。
この時隣の壕から突如「万才万才」と言う声が上つたので
私は頭をあげて北方の空を見た。
と、その瞬間、
真紅の炎がパツと燃えて敵機の墜落する姿を目撃した。
私も思わず万才を叫んだ。
じいんと目頭の熱くなるのを覚えた。
この快事は「B二十九」の一機が
日系満軍将校春日中尉の壮烈なる体当りで墜落したのであつた。
春日中尉の飛行機は満飛で作った
「キ二十七」の飛行機であったことも後で分つた。
春日中尉の自爆は
満州に於ける最初の空軍犠牲でなかったであろうか。
それからどの位の時間が経つたか、
「B二十九」は延べ約百機、
悠々私たちの視界から遠ざかり
やがて空襲解除のサイレンが鳴つた。
悪夢から覚めたようにホットした気持で
荒木少佐の室に戻つた時は
十時五十分頃で一時間半の退避であった。
零下二十度の寒い壕にいたが気が張つていたので
足が非常につめたいと思つただけで、
さして苦痛も感じなかつた。
―3―
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
満州っ子 平和をうたう
B29 満洲も空襲 奉天・鞍山
<<作成日時 : 2014/09/26 06:54>>
1944(昭和19)年12月7日、
奉天にB29約70~100機が空襲、
(満洲国軍の)蘭花特別攻撃隊第一編隊・春日園生中尉が
体当たりし1機を撃墜した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇