木村鋭市

《木村鋭市》【明治百年島根の百傑】昭和43年

《木村鋭市》【明治百年島根の百傑】昭和43年


【明治百年島根の百傑】昭和43年
出版者   島根県教育委員会
出版年月日 1968
  木村鋭市  p36-39/342
木村鋭市は、明治十二年(一八七九)五月、
神門郡古志村(現出雲市古志町)に、
木村市太郎・ヤスの長男として生まれ、
長じて外交官となり、
昭和二十二年(一九四七)郷里で没した。
 生い立ち
 外務省にはいる
https://dl.ndl.go.jp/pid/2974625/1/36
 ヨーロッパに赴任
 パリー講和会議全権団事務次長
 ワシントン軍縮会議全権団随員
 駐米大使館参事官 外務省亞細亜局長
https://dl.ndl.go.jp/pid/2974625/1/37
 チェコスロバキア駐箚公使
 満鉄理事
 晩年の生活
 人となり・趣味
https://dl.ndl.go.jp/pid/2974625/1/38
なお遺族は東京世田谷区新町三丁目一〇番地の
三号に居住している。 (藪 信男)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2974625/1/39

昭和四十三年十月 十五日印刷
昭和四十三年十月二十三日発行
   島根県松江市殿町一番地
   島根県教育委員会
印刷 島根県平田市平田町九九三番地
   株式会社 報光社
https://dl.ndl.go.jp/pid/2974625/1/339
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《木村鋭市》獨逸軍憲ノ為「ブリュツセル」市兵營内ニ不法拘留セラレ:大正3年11月21日

《木村鋭市》獨逸軍憲ノ為「ブリュツセル」市兵營内ニ不法拘留セラレ:大正3年11月21日

件名標題(日本語) 329.木村鋭市
階層 外務省外交史料館 戦前期外務省記録5門 軍事2類
   戦争17項 補償及救恤日独欧州戦争関係救恤一件/
   申請書 第十一巻
レファレンスコード B09072988000
作成者名称(日本語) 木村鋭市
資料作成年月日 大正14年7月31日(1925/07/31)
画像数 【 3 】
組織歴/履歴(日本語) 外務省
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三二九 木村鋭市
B09072988000-1
〔画像〕B09072988000-1

(新)(副本) 審査番号329
 損害申請書 (身体又ハ生命ノ損害) (表) 
[申請者]
本籍地 島根縣簸川郡古志村
現住地 東京市赤坂区一ッ木町六十五番地
通信ヲ受クヘキ場所
 職業 官吏 氏名 木村鋭市
          明治十二年五月二十八日生

[損害]
被害者 本籍地 仝上
    現住地 仝上
    申請者ト被害者トノ關係 仝人
       職業 仝上 氏名 仝上
       仝上年 月 日生
被害者ノ被害當時ニ於ケル年収入額及其内譯
 金六千円但シ 年俸二千円 在勤俸四千円
被扶養者ノ氏名生年月日及被害者トノ関係
損害ノ種類    不法抑留
損害發生ノ場所  白耳義「ブリュツセル」市
損害發生ノ年月日 大正三年十一月二十一日
損害發生ノ事由及其前後ノ事情
 大戰當時在白耳義帝國公使館ニ三等書記官トシテ在勤中
 大正三年十一月二十一日
 獨逸軍憲ノ為「ブリュツセル」市兵營内ニ不法拘留セラレ
 仝年十二月十二日 漸ク解放セラル
損害ノ程度
 監禁ニ基ク健康上ノ危害竝ニ精神上ノ苦痛
保險金及其他ノ補償金受領ノ有無及其金額
 無し
損害總額及其算出ノ基礎
 抑留日数二十二日間
 損害額ノ見積困難ニ付 總テ救恤審査會ノ判定ニ委スベシ

[備考]
大正九年外務省令第三號ニ依ル申告ノ有無
 無し
外務省令第三號ニ依ル
申告書ニ添付シタル証據種類及証據物件ノ目錄
 無し
本申請書ニ掲クル事項ヲ証明スルニ足ルヘキ証據方法ノ開示及
添附セル証據書類及証據物件ノ目録
 大正四年一月十五日附ヲ以テ
 在白 山中臨時代理公使ヨリ加藤大臣ニ提出シタル報告及
 其他ノ記録ヲ存ス
其他參考トナルヘキ事項

 右申請候也
  大正十四年七月三十一日
   申請者 木村鋭市
  外務大臣 男爵 幣原喜重郎殿
B09072988000-2
〔画像〕B09072988000-2

(新)(正本) 審査番号329
B09072988000-3
〔画像〕B09072988000-3
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《五番 木村鋭市》〔文官高等試験合格者氏名内覧の件〕明治41年11月

《五番 木村鋭市》〔文官高等試験合格者氏名内覧の件〕明治41年11月

件名標題(日本語) 〔文官高等試験合格者氏名内覧の件〕
階層 国立公文書館内閣枢密院会議文書 その他 枢密院文書・雑件・
明治三十六年一月~明治四十五年七月・枢密院秘書課
レファレンスコード A06050197200
作成者名称(日本語) 文官高等試験委員長 安廣伴一郎
資料作成年月日
明治41年11月27日(1908/11/27)
【 画像数 】7

本年文官高等試験ヲ経テ合格シタル者百六名 p1/7
有之高等官又ハ判任官任用ノ必要■之都合ニ於テ
御選擇ノ資ニ供シ度
別紙合格者氏名入
御内覧候 此段得貴意度候也
 明治四十一年十一月二十七日
    文官高等試験委員長 安廣伴一郎
 枢密院書記官長 河村金五郎 殿 
A06050197200-1
〔画像〕A06050197200-1

一番 明治十七年 三月生 大分県士族  後藤文夫 p2/7
二番 明治十六年 八月生 福岡県平民  富田勇太郎
三番 明治十五年 四月生 山口県平民  太田嘉太郎
四番 明治十六年十二月生 愛知県平民  山田準次郎
五番 明治 九年 四月生 島根県平民  木村鋭市
六番 明治十七年 一月生 長野県士族  鮎澤義信
七番 明治十五年十二月生 東京府平民  日吉平吉
八番 明治十五年十二月生 福島県平民  大嶋破竹郎
九番 明治十八年十二月生 神奈川県平民 伊藤文吉
十番 明治十七年 一月生 大分県平民  賀來惟義
   ―略―
二十番 明治十六年七月生 兵庫縣平民  太田輝次
A06050197200-2
〔画像〕A06050197200-2

二十一番 明治十六年 九月生 香川縣平民 松原權四郎
 ~
 四十番 明治十五年十二月生 福岡縣士族 惠 利武
A06050197200-3
〔画像〕A06050197200-3

四十一番 明治十五年十二月生 愛知縣平民  舟橋雅一
 ~
 六十番 明治十六年 十月生 和歌山縣士族 中松真卿
A06050197200-4
〔画像〕A06050197200-4

六十一番 明治十六年 八月生 熊本縣平民 新開渧観
 ~
 八十番 明治十三年 二月生 東京府平民 瓜生卓爾
A06050197200-5
〔画像〕A06050197200-5

八十一番 明治十五年十二月生 鹿兒島縣士族 川上親俊
 ~
  百番 明治十五年十二月生 神奈川縣平民 齋藤龜三郎
A06050197200-6
〔画像〕A06050197200-6

 百一番 明治 八年 七月生 岐阜縣平民  西脇賢太郎
 ~
 百六番 明治十六年 九月生 長崎縣平民  栁原夘三郎
A06050197200-7
〔画像〕A06050197200-7
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『国立公文書館・アジア歴史資料センター』
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《木村鋭市》【人材・島根 : 県人名鑑】昭和13年

《木村鋭市》【人材・島根 : 県人名鑑】昭和13年

【人材・島根 : 県人名鑑】昭和13年
《木村鋭市》 簸川 古志 p111/263
 正四位勳二等
 臺灣柘植顧問
 東京市世田谷區新町二ノ三〇〇
 (電話 世田谷二五七五)
明治十二年五月、
古志の舊家 木村市太郎の長男に生れ、
大正八年八月 家督を嗣ぐ。
幼にして神童の譽れ高く、
長じて縣立師範に學びしが、
中途にして上京、
中高校を首席を通して東京帝國大學に入り
明治卅九年 法科政治科を首席を以て卒業し、
明治四十一年 外交官領事館試驗文官高等試驗に合格し、
外交官補に任ぜられ、
外務省參事官、公使館三等書記官、
白耳義(ベルギー)駐箚大使館二等書記官、
佛國(フランス)駐在兼外務書記官、
外務省書記官兼外務省參事官
亞細亞局第一課長兼第三課長、
大使館一等書記官、
米國(アメリカ)駐在亞細亞局長、
特命全權公使チエツコスロヴァキア國駐箚に歷任、
昭和五年 退官と共に滿鐵に入り、
理事奉天事務所長たりしが、
昭和七年十月 之を辭す。
昭和十年 懇はれて日蘭會商政府顧問として渡航
祖國のために活躍す。
現に外務省囑託たり、
曩にヴエルサイユ講和會議華盛頓(ワシントン)會議に
各帝國全權隋員として、
鮮やかなる外交手腕を謳はる。
尚 チエツコスロヴァキア國より、
グランクロアリヲンブラン勳章を賜はる。
けだし、
吾が縣が生んだ、
不世出の英才にして、
その頭腦に於て、
無類とすべき人材たり。
趣味はスポーツにして、
就中ゴルフに精進、
又、
文藝を愛し隋筆に秀れたる腕あり、
犬を愛育す。
〔家庭〕
妻 きよ(明治三一年)東京府 富田又助 長女、
妹 ツヤ(明治二五年)
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木村鋭市氏の勉強法【若き検定学徒の手記】昭和14年

木村鋭市氏の勉強法【若き検定学徒の手記】昭和14年

【若き検定学徒の手記】昭和14年
 木村鋭市氏の勉強法 p136-137/229
君は高等學校の經路を經ず、 ※第一高等学校卒業:別稿に記載
師範卒業の横徑より出で來りて、
苦學獨行、
遂に東大法科大學政治科を最優等にて卒業し、
天下の耳目を聳動せしめたる英物なり。

鳩山・穗積二氏の如きは、
謂はば最も惠まれたる學生なり。
家に有り餘る財産あり。
父は何れも大學敎授なり。

然るに君は全く惠まれざる苦學の徒なり。
其の勉強法に於ても、
前二氏のそれと大いに異る所あり。
君の勉強時間は夜なりき。
夜と雖も又時には生活の爲に十時頃までも
奮闘せざるを得ざる事無きにあらず。
然る時は、
君は十時より學校課業の復習及び準備に着手し、
午前一時に至りて始めて寝に就けり。
夜の十時より一時に至るの時は、
君が最も精力を集中したるの時なりき。
他人の半ばにも足らざる時を以て、
而かも他人の達する能はざる
最優等の成績に達するを得たるは、
實に君が精力集中の強大絶倫なるに因るものなり。

君には自己獨特の催眠法有りたり。
故に床に入りて枕につけば、
直ちに熟睡することを得たりといふ。
これ君が精力を集中し得たる
一の原因たらずんばあらず。
君は寝床に入るや、
其の日の遭遇したる最大の難問を繰返し、
專念之を推考す。
かくする時は精力この一事に集中して自然に睡眠を催す。
これ其の方法なり。

君のノート作製法はサブノートと稱して、
其の抜萃のみを成るべく廣き紙面に書き並べ、
自から系統を案じ、
組織を立て
一頁の中に成るべく多くの要項を見渡すを得る樣
工夫したりき。
宛かも、
山上より一目の下歷々として
山河を指摘するを得るが如きもの有らしめたり。

君の主義は記憶すといふよりは、
寧ろ不必要の事を忘れよといふに有りき。
君の前級には、
ノートを八篇も繰返して落第したる者あり。
愚なる暗誦は活用に益なし。
原理原則を強記して
之が活用の才を養ふべしといふが
君の主張にして又特色なりき。

昭和十四年五月十五日印刷
昭和十四年五月十九日發行
若き檢定學徒の手記
正 價 金壹圓八拾錢
著作者 大月靜夫
發行者 東京市神田一ツ橋二丁目三番地
    阪本眞三
印刷者 東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
    寺井藤左エ門
印刷所 東京市牛込區市谷加賀町一丁目十二番地
    大日本印刷株式會社
發行所 東京市神田一ツ橋二丁目三番地
    振替貯金口座東京八七貮番
    大同館書店
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《木村鋭市氏》[外交即實業也の説]【実業之世界創刊二十周年記念大講演録】昭和2年

《木村鋭市氏》[外交即實業也の説]
【実業之世界創刊二十周年記念大講演録】昭和2年

【実業之世界創刊二十周年記念大講演録】昭和2年
《木村鋭市氏》 p30/87
氏は島根縣出身、
明治三十九年東京帝大政治科
抜群の成績を以て卒業した銀時計組の一人である。

島根縣師範學校を出てから東京に出で、
高等師範を卒業して一高に入り、
大學の門を叩いたのであるが
頭腦の明晰、議論の徹底を以て
早くより頭角を現はし、
帝大卒業後望まれて住友の總務部に招聘された。

恰も別子銅山に軍隊まで使つた有名な騒擾事件があつた時
君は總理事鈴木馬左也君の命をうけて現場に出張し、
恩威並び行ふて之を鎭壓したエピソードなどは
後年外交官としての面目を躍如たらしめるものがある。

後 ベルギー、フランス等の大使館書記官を歷任し、
ヴエルサイユ、ワシントン兩會議、
山東條約交渉等の各全權委員隨員、
駐米大使官參事官
外務省亞細亞局長等を經て現職にあり、
將來の大臣を以て目される人である。
【実業之世界】p30
〔画像〕【実業之世界】p30

[外交即實業也の説] p31-45/87
チエツコ・スラバキア 駐箚全權公使《木村鋭市》
 ―略―

昭和二年十月三日印刷
昭和二年十月五日發行
定價三十錢
編輯兼 東京市芝區愛宕町三丁目二番地
發行人 野依秀一
印刷人 東京市芝區櫻田太左衛門町七番地
    天沼藤太郎
印刷所 京市芝區櫻田太左衛門町七番地
    製英舎
發行所 東京市芝區愛宕町三丁目二番地
    實業之世界社
    電話芝一五五〇・一五五一
    振替東京三四三三番
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《木村鋭市》【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】

《木村鋭市》
【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】

【人事興信録. 第12版(昭和14年) 上】
《木村鋭市》 p660/1079
 從四位勳二等
 忠成工業(株)社長
 臺灣拓殖(株)顧問
 島根縣在籍
 妻 きよ 明治三一年九月生 東京、富田又助 長女
島根縣木村市太郎の長男にして
明治十二年五月出生
大正八年家督を相續す
明治三十九年
東京帝大法科政治科を卒業し
明治四十一年
外交官及領事官試驗文官高等試驗に合格し
外交官補に任じ爾來
外務省參事官公使館三等書記官大使館二等書記官
同一等書記官に歷任し白耳義佛國に在勤す
大正八年
ヴエルサイユ講和會議に全權委員被仰付
歸朝後直に外務省參事官に任じ
亞細亞局第一課長兼第二課長を命ぜられ
大正十年
華府會議に全權委員隨員
大正十一年
山東懸案解決に關する條約所定の共同委員會隨員及
日支通信問題に關する交渉委員隨員として
北京濟南に出張を命ぜらる
大正十二年
大使館一等書記官に任ぜられ米國に在勤
大使館參事官となり
大正十四年歸朝
外務省亞細亞局長たりしが
昭和二年
特命全權公使に任ぜられ
チエツク・スロヴァキア國に駐箚す
昭和五年七月
南滿洲鐵道會社理事に就任し後之を辭す
曩に日蘭通商代表顧問たり
家族尚ほ
妹  ツヤ(明治二五年八月生)
弟  敏二(明治三一年七月生)あり
妹  アイ(明治一四年一一月生)は
其夫 利市(明治一六年二月生、島根、山根福市 弟)に從ひ分家し
妹  チヱ(明治二〇年三月生)は
島根縣 横木岩助 三男 平左衞門に
妹  アヤ(明治二一年二月生)愛媛縣 伊藤正慶に
妹  勝子(明治三八年八月生)は
東京府人 玉置恪三に嫁す
(東京市世田谷區新町二ノ三〇〇 電話世田谷二五七五)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072976/660

【人事興信録. 第13版(昭和16年) 上】
《木村鋭市》 p571/976
 從四位勳二等
 忠成工業(株)社長
 臺灣拓殖(株)顧問
 島根縣在籍
 妻 きよ 明治三一年九月生 東京、富田又助 長女
島根縣木村市太郎の長男にして
明治十二年五月出生
大正八年家督を相續す
明治三十九年
東京帝大法科政治科を卒業し
明治四十一年
外交官及領事官試驗文官高等試驗に各合格し
外交官補に任じ爾來
外務省參事官公使館三等書記官大使館一等書記官に歷任し
白耳義佛各國に在勤す
大正八年
ヴエルサイユ講和會議に全權委員被仰付
歸朝後外務省參事官に任じ
亞細亞局第一課長兼第二課長を命ぜられ
大正十年
華府會議に全權委員隨員
大正十一年
山東懸案解決に關する條約所定の共同委員會隨員及
日支通信問題に關する交渉委員隨員として
北京濟南に出張を命ぜらる
大正十二年
米國に在勤に轉じ大使館參事官となり
大正十四年歸朝
外務省亞細亞局長たりしが
昭和二年
特命全權公使に任ぜられ
チエツクコ・スロヴァキア國に駐箚す
昭和五年七月
南滿洲鐵道會社理事に就任し後之を辭す
現時前記會社の重役たり
曩に日蘭通商代表顧問たり
家族
妹 ツヤ(明治二五年八月生)
妹 アイ(明治一四年一一月生)は各分家し
妹 アヤ(明治二一年二月生)愛媛縣 伊藤正慶に
妹 勝子(明治三八年八月生)は東京府 玉置恪三に嫁す
(東京市世田谷區新町二ノ三〇〇 電話世田谷二五七五)
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《木村鋭市》【人事興信録. 6版】大正10年~【人事興信録. 第8版(昭和3年)】

《木村鋭市》【人事興信録. 6版】大正10年~【人事興信録. 第8版(昭和3年)】

【人事興信録. 6版】大正10年
《木村鋭市》 p1050/1245
 從五位勳三等
 外務書記官兼外務事務官
 外務省參事官
 亞細亞局第一課長兼第三課長
 島根縣平民
 父 市太郎 文久 三年 七月生 現戸主
 妻 釣   明治二一年 八月生
       東京府人 大高ふさ 從妹
 弟 敏二  明治三一年 七月生
 妹 ツヤ  明治二五年 八月生
君は島根縣平民 木村市太郎 長男
◉明治十二年五月生
◉明治三十九年
 東京帝國大學法科大學政治科卒業
◉外交官及領事館試驗、文官高等試驗合格
◉外務省參事官、公使館三等書記官、同二等書記官、
 大使館二等書記官、同一等書記官兼外務事務官等歷任
◉妹 アイ(明治一四年一一月生)は
 其夫 利市(明治一六年二月生、島根縣人 山根福市 弟)
 に從ひ分家し
 妹 チヱ(明治二〇年三月生)は
 島根縣人 横木岩市 三男 平左衞門に
 妹 アヤ(明治二一年二月生)は島根縣人 伊藤正慶に
 妹 勝子(明治三八年八月生)は分家 養弟 利市の養子となれり
(東京、麻布、三河臺町二二 電話芝二七二六)

【人事興信録. 7版】大正14年
《木村鋭市》 p1229/1469
 正五位勳三等
 外務省亞細亞局長
 島根縣平民
君は島根縣木村市太郎の長男にして
明治十二年五月を以て生れ
大正八年八月家督を相續す
明治三十九年
東京帝國大學法科大學政治科を首席を以て卒業し
明治四十一年
外交官領事官試驗文官高等試驗に合格し
外交官補に任ぜられ爾來
外務省參事官公使館三等書記官(白耳義)
大使館二等書記官(佛國)兼
外務書記官等に歷任
ヴエルサイユ講和會議に際し
講和全權委員隨員被仰付
歸朝後
外務書記官兼外務事務官外務省參事官に任じ
亞細亞局長第一課長兼第三課長を命ぜられ
大正十年華盛頓會議には全權委員隨員となり
尋で山東條約所定の共同委員會隨員被仰付
又日支通信問題に關する交渉委員隨員となり
大正十二年四月
大使館一等書記官に任じ米國駐在を命ぜられ
大正十四年二月現職に至る ※亞細亞局長
家族は尚
妹  ツヤ(明治二五年八月生)
弟  敏二(明治三一年七月生)
妹  勝子(明治三八年八月生)
養子 きみ江(大正一〇年三月生、廣島 坂本忠恕 二女)あり
妹  アイ(明治一四年一一月生)は
其夫 利市(明治一六年二月生、島根、山根福市 弟)に從ひ分家し
妹  チヱ(明治二〇年三月生)は
島根縣人 横木岩市 三男 平左衞門に
妹  アヤ(明治二一年二月生)愛媛縣人 伊藤正慶に嫁せり
(東京、赤坂、新坂町四二 山本邸内)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704004/1229

【人事興信録. 第8版(昭和3年)】
《木村鋭市》 p548/1789
 從四位勳三等
 特命全權公使
 チエツク・スロヴァキア國駐箚
 島根縣在籍
君は島根縣人木村市太郎の長男にして
明治十二年五月を以て生れ
大正八年八月家督を相續す
明治三十九年
東京帝國大學法科大學政治科を卒業し
明治四十一年
外交官及領事官試驗文官高等試驗に合格し
外交官補に任ぜられ爾來
外務省參事官公使館三等書記官二等書記官
同一等書記官に歷任し白耳義佛國に在勤す
大正八年
ヴエルサイユ講和會議に全權委員隨員仰付けらる
歸朝後
外務書記官同事務官外務省參事官に任じ
亞細亞局第一課長兼第二課長を命ぜられ
大正十年華盛頓會議に全權委員隨員
大正十一年
山東懸案解決に關する條約所定の共同委員會隨員及び
日支通信問題に關する交渉委員隨員として
北京濟南に出張を命ぜらる
大正十二年
大使館一等書記官に任ぜられ米國に在勤
大使館參事官となり
大正十四年歸朝
外務省亞細亞局長たりしが
昭和二年
特命全權公使に任ぜられ
チエツク・スロヴァキア國に駐箚す
家族は尚
妹  ツヤ(明治二五年八月生)
弟  敏二(明治三一年七月生)あり
妹  アイ(明治一四年一一月生)は
其夫 利市(明治一六年二月生、島根、山根福市 弟)に從ひ分家し
妹  チヱ(明治二〇年三月生)は
島根縣人 横木岩市 三男 平左衞門に
妹  アヤ(明治二一年二月生)愛媛縣人 伊藤正慶に
妹  勝子(明治三八年八月生)は
東京府人 玉置恪三に嫁せり
(在チエツク・スロヴァキア國帝國公使館)
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《木村鋭市》【東京帝国大学一覧】明治35~39年

《木村鋭市》【東京帝国大学一覧】明治35~39年

東京帝国大学
  法科大学政治学科 明治35年9月入学
  第一・二回受験生迄 松村仙造と同窓生
           (木村鋭一)
東京帝国大学
  法科大学政治学科 明治39年7月卒業
  第三回受験生から (木村鋭市)

【東京帝国大学一覧. 明治35-36年】
第二 法科大学学生及生徒(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルは特待生)
政治学科 p217/344
第一回受験生(姓名イロハ順)p218/344
松村仙造 島根 p219/344
木村鋭一 島根 p219/344

【東京帝国大学一覧. 明治36-37年】
第二 法科大学学生及生徒(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルは特待生)
政治学科 p224/357
第二回受験生 p225/357
○(特待生) 木村鋭一 島根
松村仙造 島根 p226/357

【東京帝国大学一覧. 明治37-38年】
第二 法科大学学生及生徒(姓名ノ上ニ〇印ヲ附スルは特待生)p206/343
政治学科   p211/343
第三回受験生 p212/343
○(特待生) 木村鋭市 島根

【東京帝国大学一覧. 明治39-40年】
法學士 政治學科 p276/405
明治三十九年七月卒業
木村鋭市 島根
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《木村鋭市》【第一高等学校一覧】明治31-33年・明治35-36年

《木村鋭市》【第一高等学校一覧】明治31-33年・明治35-36年

第一高等学校 英法科 明治32年9月入学
第一高等學校大學豫科 明治35年7月卒業
(木村鋭一)

【第一高等学校一覧. 明治31-33年】
[第一高等學校本部一覽 自明治三十二年 至明治三十三年]p74/154
一部一年一之組 英法科 p133/154
木村鋭一 島根

【第一高等学校一覧. 明治35-36年】
明治三十五年七月(第一高等學校大學豫科)卒業p112/131
英法科志望
木村鋭一 島根
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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