石塔と妓生(盧明花):妓生の話《妓生の寫眞》[新妓披露]
【観光資料柳京の話】昭和13年
【観光資料柳京の話】昭和13年
【観光資料柳京の話】昭和13年
一一、得月樓 p22/33
牡丹台一帶の樓亭門閣は總て
高台の展望を主眼として建てられてゐるが
この得月樓だけはその趣を異にし低谷にある。
恰も幽谷に忘れられた庵舎の如き姿である。
あの浮碧樓の豪華な盛宴に飽けば
醉歩蹣跚として閑靜なこの小樓に登り
樹間の月影を玩賞しながら詩を詩じた
高位大官の面影が幻の樣に見えるではないか。
多分李朝初期の建築らしく
この樓に因んだ朝鮮の唐人お吉
妓生 崔玉香の哀話も今は知る人さへない。
〔写真〕得月樓 石塔と妓生(盧明花)
一二、轉錦門
―略―
一六、大同門 p25/33
―略―
附
妓生の話 p25/33
朝鮮に於ける妓生なるものゝ起源に就いては
據るべき文献を有しないが
その濫觴は王廷の娯樂的機關が
漸次社會民衆化されたものと推知される。
李朝中世時代迄も妓生なるものは主に官妓にして
其の民間に侍するものゝ如きは頗る異例なりしと傳へらる。
官妓は之れを官簿妓案に着名し
その品性、技藝の優劣に由りて
一牌二牌三牌の等級に區分し
それぞれ宮廷、中央廳、地方
廳に隷屬せしめ各々其の保護に浴し
高官の宴會に際し酒杯を侑め
歌舞を演ずることもあるも
一切無報酬にして時に纒頭を贈るに過ぎず、
然るに其の妓生となるに就いては
別に資格系統あるにあらざるも
多くは地方官衙に於ける使令の子女
又は良家の子女が其の虚榮に誇らんが爲めにするもの
或は其の父兄が之に賴りて
權貴に近づき榮達を謀らんとするもの
或は妓生が年老いて其の子女又は養女をして
世襲的に己れが事業を繼がしめ
老後を養はんとするもの多し
而して其の妓生の産地は
平壤、晋州、京城、全州、海州、大邱等あるも
其艶麗機敏を以て顯るゝものは
平壤にして其數に於いても斷然他を抜きたり、
殊に古くより一定の敎養機關を設置して
組織的に之れを養成したる處は
平壤と晋州の兩地のみにして
其他は各妓家に於いて之れを敎養するに過ぎず。
又妓生は蝎甫(カルボ・朝鮮娼妓の名稱)の如く
專ら賣春をことゝするものにあらざるも
亦決して桃李墻を施して人の入るを拒むものに非らず、
然れども其慇懃を得るに至る迄は頗る鄭重の次第ありて
其門地品格なきものは
直に儐斥せらるゝことあり、
又相當の地位を有するものと雖も
〔写真〕
《以下妓生の寫眞は昭和十二年下半期中稼高順位に並ぶ》
《韓品玉》 《林陽春》
《曺眞實》 《趙仙女》 《車成實》
之が為めに數千金を費さる事も珍しからず、
自ら妓生としての見識を失はざるに努め
而して一方に於いてはその慇懃を結ぶ前に
其嫖客の贈りし金を以て
新に室内の改装をなし
特に其人の來りし際には
其の室に於いて待遇し
嫖客は三四日或は十日間も其妓家に逗留し、
御祝儀の授受は妓生へ直接なすことを非禮となし
暫しの別を惜む形宜しく
妓家を辭する際妓生の母に渡して去る。
妓生は一人の嫖客が通ふ間は絶對に他客と接せざるものなり。
平壤に於ける妓生養成所の起りは
李朝初期時代に始まり
日韓併合後妓生組合を組織し後
箕城券番と改められるや
妓生養成所をその經營に置く。
現在同養成所、俗稱妓生學校は
初等學校三學年修了程度以上の志望者より嚴選入所せしめ
三年間の修業年間に初等學校六學年の課程を敎授せしめ
朝鮮の歌舞は勿論、
日本歌謡、舞踊、洋樂ダンスを全般的に敎へ
傍ら書畫を敎習せしめて古典的情調を盛り
特に日本式のお行儀を習はし
觀光平壤の第一線に立ちて恥かしからざるものゝ
養成に努めつゝあり。
その素質の優秀なること全鮮に冠たり殊に平
〔写真〕
《金福相》 《李一枝花》
《金碧桃》 《安明玉》
《李素紅》 《車陵波》 《金蓮月》
《李鶴逢》 《王成淑》
壤に於いては自分の生みの親元に在らざれば
妓生の免許を與へず
全く溫和なる家庭に入りて
貞操を守ることを自由ならしむ。
現在營業中の妓生數は約四百七十名、
養成所在學中の生徒約二百五十名にして
毎年約百名の新妓が
華やかな柳京の花の街にデビユーしてゐる。
實に牡丹台と妓生は觀光平壤の
最も大なる觀光資源なりといふべし。
〔写真〕
《韓蘭珠》 《崔初月》 《崔明珠》 《金玉心》
《洪桃花》
《玄錦女》 《韓惠淑》 《李貞姫》?《李錦花》
[新妓披露]
《金明梧》 《崔春心》 《韓蓮實》 《金春子》
《朴溫實》 《崔順紅》 《金花仙》 《楊春實》
△市内觀光便覧 p29/33
一、市内の乘物
―略―
二、旅館の宿料
―略―
三、朝鮮料理
江岸通りに高層建物軒を並べ
國一舘、東一舘、明月舘の如き一流料亭を始め
妓生を呼べる朝鮮料理屋が十餘軒もある。
一食卓なら大皿十餘皿が並べられ先づ五、六人では
完全に處分出來ない程豊富なものである。
四、妓生の招出方法
現在箕城券番の在籍妓生數は四百七十餘名に上るが
何れも自家で通ふ所謂自前で
料理屋を通じて券番から呼ぶことになつてゐる。
一時間の芳酬は初めの一時間が一圓五十錢で
後はずつと一時間一圓
の計算である。
妓生を呼ぶ時には成るべく料理屋に任せず
お好みの條件を付けて注文になれば
御滿足を得ると云ふ趣向である。
五、紀念寫眞の撮影
―略―
△平壤觀光協會
―略―
昭和十三年八月十三日印刷
昭和十三年八月二十日發行
【定價金貮拾錢】
發行所 平壤府廳内務課内
平壤觀光協會
印刷人 平壤府泉町四番地
脇坂武兵衛
印刷所 平壤府泉町四番地
合資會社 脇坂印刷所
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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