【満洲飛行機の思い出】昭和57年(1982.6)
著者 満洲飛行機の思い出編集委員会 編
出版者 満州飛行機の思い出編集委員会
出版年月日 1982.6
満洲飛行機の思出 小野久雄
入社の日
私は昭和十八年一月二十五日(月)に入社した。
一月二十三日(土)
北陵の関東軍無線電信教習所を現地除隊し、
友人宅に一泊、
翌二十四日(日)花園街の自彊寮に急いでいた。
雪の水道局給水塔附近で、
数頭の野犬が何かを奪い合っていたが
其の中の一頭が弁当包み程の大きさの物を
銜えて来るのをふと見て驚いた、
女の首ではないか、
戦場ではこの程度では感じないが
この奉天でこの様な事件を見ようとは
夢想だにしなかった。
これは大変なところへ来たと言って
今更引返すわけにもいかづ
急ぎ足で自彊寮に着き
寮友河野君と寒い一夜を明かした。
翌二十五日機体原価係
畑久雄氏の下で勤務することとなった。
渡辺はま子会社慰問のこと
入社して漸く勤務にも慣れ
落ち付いた
(昭和18年)三月中旬だったと思う。
歌手の渡辺はま子が慰問に来ると云うので
大型組立工場の大型機と大型機の
中間に舞台を急造した。
全従業員が集合している時間だろうと
社屋裏トイレ前を急ぎ足で過ぎた。
トイレは極寒の満洲のこと
氷結した汚物が入口まで裾野を引いていた。
入口に二人の男を付け、
当のはま子さんが中に入っていた事を
後になって皆が気付いた。
あとあと話題になったこと申すまでもなかった。
渡辺はま子さんも一生忘れ得ぬことと思う。
blog[小野一雄のルーツ]改訂版
会社の疎開と思い出3/4
[追憶の曠野]小西達四郎・昭和34年
機体大型工場の忘れられない思い出は、
昭和十七年秋、
突然歌手の渡辺はま子さんが
会社に来たことである。
渡辺はま子さんは以前から
会社の北村洋二理事と旧知の間柄で、
丁度満洲慰間旅行の帰途奉天に立寄り、
北村理事へ電話をかけたことから
此の慰問が実現されたのであつた。
応召の前后
昭和十九年七月十一日
故郷より召集令状を知らせる電報が
千代田寮に来ていた。
寮司が静かな調子で渡してくれた。
電文は
「一三ヒ タカサキブタイニ ハイレトノ
セウシユウレイジヨ キタ
スグ カエレ モモノ ソンテフ」
と云うのであった。
奉天駅で運賃先払いと云う
前代未聞の切符を貰い出発し
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/239
四日遅れて高崎部隊に入隊することが出来た。
が、部隊は既に編成を終って
フイリッピンに出発した後だった。
今振り返って過去を思うとき
満飛在社が存命に連なる運勢だったと思うと
満洲飛行機製造株式会社に感謝感激している。
是非お会いして感謝し語り合いたい人は
数え切れないが中でも
中川智課長、
奥徹課長の二課長と荒川忠雄さん。
私を満飛に紹介して下さった
三田暁君健在でいて下さい。
祈っています。
(現住所)群馬県利根月夜野町石倉四七
回 想 竹中大毅
―略―
(現住所)和歌山市大垣内三七七
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/240
満州飛行機の思い出
定価 五千円 〒 五百円
昭和五十七年六月一日 印刷
昭和五十七年六月二十九日 発行
編集並発行 満州飛行機の思い出編集委員会
代表 澤柳誠四郎
〒202 東京都保谷区柳沢一ノ三ノ一四
電話 0424-62-7056
花園会事務局 山内サッシ工業株式会社内
〒332 埼玉県川口市川口二ノ一三ノ一
電話 0482-52-2370
印 刷 舶印刷株式会社
https://dl.ndl.go.jp/pid/11952761/1/254
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