◆【支那事変実記】讀賣新聞社編輯局

栗山 基:長澤長市【想い出感動の樺太大泊:遥かなるサハリン紀行】1990

【想い出感動の樺太大泊 : 遥かなるサハリン紀行】1990
出版者   [北海道大泊会]
出版年月日 1990.5
p1【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p1【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/1
 米穀・雑穀・食料品・粉類
長澤 長市  大泊町 榮町南仲通
栗山  基  大泊町 旭町二條通一丁目

長澤 長市  大泊町 本町西一條南五丁目
p109【想い出感動の樺太大泊】1990
〔画像〕p109【想い出感動の樺太大泊】1990
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/109
  あとがき
平成二年五月吉日
第八回 日ソ平和友好大泊訪問団
    編集者一同

発行所/〒065
    北海道札幌市東区北17条東2丁目10
    大和五郎
    011-731-5629
印刷所/(有)五水房
(サハリン訪問記・非売品)
https://dl.ndl.go.jp/pid/13130444/1/122
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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[樺太]魚菜及仲買商《栗山 基》大泊町旭町二條通一丁目【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年

【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
著者    中外興信所 編
出版者   中外興信所
出版年月日 昭和13
p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
〔画像〕p2【中外興信録:分冊 樺太之部】昭和13年
[樺太]キ 魚菜及仲買商
  栗山 基
大泊町旭町二條通一丁目
電 大泊二一五
營 魚菜、果實、食料品、和洋酒類、雜貨
銀 拓殖銀行大泊支店
収 35.11
所 11.75
創業 大正五年
昭和十三年七月十一日 印刷
昭和十三年七月十五日 發行 非賣品
發行兼編輯  株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一ノ三
代表者    松澤 國治
印刷所    株式會社 中外興信所印刷部
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
編纂兼發行所 株式會社 中外興信所
       東京市京橋區銀座西一丁目三番地
       電話京橋(56)代表六三四〇番
       振替口座東京一三三八七七番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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【樺太官庁会社紳士録 昭和16年3月】
著者    中央情報社 編
出版者   東樺日日新聞社
出版年月日 昭和16
栗山 基
日用雜貨商
大泊町旭町二一ノ一三〇
電話 二一五
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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大泊町出身の出征兵士 歩兵上等兵「栗山基」君は 榮ある南京攻略一番乘 森塚部隊に屬して入城…【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年

【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
著者    国民新聞社 編
出版者   国民新聞社
出版年月日 昭13
p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
〔画像〕p5【支那事変聖戦赤心譜】昭和13年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/5

  山頂に飜る日章旗、南京城一番乘り
     譽は高し郷土部隊

大泊町出身の出征兵士
歩兵上等兵 栗山基君は
榮ある南京攻略一番乘
森塚部隊に屬して入城せる
唯一の郷土出征兵士であるが
去る元日付 義弟 長澤長市氏の許へ
左の如き書翰を寄せ
近隣は勿論 町内一般に對し多大の感銘を與へた。

第二回目のニュースをお送致します。
今回向ひました處は南京占領です。
先回も申上げた通り敵の逃げ足の早い事
毎日五里乃至七里といふ進軍には
誠に我々兵士もヘトヘトに相成り、
身には軍裝十四五貫目位付いて居ります。

周宅といふ處より初まり南翔站、安定站、昆山、蘇州、
無錫常洲、金丹、丹錫、白面站、旬容、修山まで
追撃々々とて我軍の食料も食ひつくし
支那米の徴發にて毎日毎日食鹽よりなく
夜は野原に休んだり偶には支那の家に休んで
誠に百五十里位の道を修山迄來た時は
自分ながら能く來たものと思ひました。
明日向ふ處は支那の都南京です。

さすがに敵國の都です。
敵も今までの退却ばかりでなく
我軍に向つて打出す砲撃を惜まず
何分にも南京の右側に在る
紫金山といふ山はトーチカ陣地です。
盛んに打出す小銃、機關銃、追撃砲、野砲です。
二回目の畔家宅の激戰當日の樣でして
(中略)
小隊長 佐藤(藤)殿の談にて始めて
自分等が下關占領致したのだと云ふ事が判りました。

其後十二日間は
毎日二千人三千人の敗殘兵殺しにて
突く又は斬る打つので
揚子江の河畔は死人の山にて
お話になりません。

私等も毎日なので飽きました、
よくもこんなに斬り殺し
突き殺したものと思ひました。

私等の目についたものだけでも
三、四萬人以上にて
上海より南京迄の敵國の死體
百萬人を算すると言われて居りますが
尤もと思ひます。

十日間は毎日の殘敵殺しに
上海より南京間の敵兵全部打ち殺したと申しまして
口はゞかり無いと思ひます。

その後は兵站部付と相なり
十二月二十八日まで南京に居り
二十九日には鎖江に始めて汽車にて行軍です。
それに當鎖江には我軍の電氣がついて
家らしき家へ這入りました。
上陸以來百十日目でした。

なほ書き殘しましたが
十二月十七日には南京城へ入城式に參加したが
北海道部隊としては我が篠原隊だけで
皆外部隊の人の目に
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/855
付いたのでした。

又 南京攻撃の時には食料缺乏致した時
敵彈の雨霰と來る中を潜り
牛を分捕りに行き
その肉を食はせてやりました。

兎も角御安心下さい。
栗山基は達者で戰線に働いて居ります。
皆樣御安心下さい。
尚本日はお正月元日でキナコ餅の樣な
黴た餅を雜煮に致し目出度く
新年を迎へました。
其後子供に出した年賀狀に

 一句
  あらたまの年を迎へてお目出度
         いくさの庭も賑はふ雜煮

皆樣の御健康を祈ります。
尚 家内よりの書簡には
毎度皆樣の引立をあづかり居り
安心して國家に大君の爲め
忠節を盡す樣とあります。
誠に有難く陣中より銃後の皆樣へ御禮を申し上ます。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/856
昭和十三年七月拾五日印刷 支那事變聖戰赤心譜奥附
昭和十三年七月 廿日發行 定價貳拾參圓也
編纂人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
發行人  楓井金之助
     東京市杉並區髙圓寺四ノ五五三
印刷所及 瀧澤印刷所
印刷人  代表者 瀧澤松平
     東京市牛込區左内町三十八番地
發行所  國民新聞社
     東京市京橋區銀座西七丁目二番地
     電話代表銀座五五五一番(10)
     振替口座東京三六六三番
https://dl.ndl.go.jp/pid/1685564/1/865
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【輝く郷土部隊 第1編 (蘆溝橋事件より徐州会戦まで)】昭和16年
著者    加藤愛夫 編
出版者   北方文化出版社
出版年月日 昭和16
   佐藤隊の殊勳
駒田上等兵の快擧に部隊は勇氣百倍、
佐藤隊は紫金山麓を江岸に出て、
下關停車場(南京驛)の占領を命ぜられた。
十二月十三日揚子江と城壁の間に
挟つた沼湖地帶を進んだ
長谷川、竹下、兩角の各部隊は
正午頃水西門を占據した。
市街戰は至るところに演じられて、
友軍の猛進は續けられ、
中華路方面は千葉、山田、天ケ崎、山本等の
部隊が進攻して來た。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/171
昭和十五年十二月二十二日印刷
昭和十六年 一月二十五日發行
旭川師團情報部檢閲濟
編輯者 加藤 愛夫
發行者 扇   廣
    札幌市南一條西四丁目八番地
印刷者 若林吉郎兵衛
    東京市牛込區加賀町一ノ十二
發行所 北方文化出版社
    札幌市南一條西四丁目八番地
    電話二二四〇番
    振替小樽二五〇〇〇番
東 京・大日本印刷株式會社印刷
定 價 金四圓
送 料 金十四錢
https://dl.ndl.go.jp/pid/1034235/1/285
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安藤部隊長代理と間瀬副官:(原特派員)讀賣百萬讀者【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

安藤部隊長代理と間瀬副官:(原特派員)讀賣百萬讀者
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年八月二十九日) p173-174/187
 流彈は壁に喰い込む
部隊長を失つた○○中央最前線の倉永部隊は、
三十日陸續たる後續部隊の到着とともに
決然一大弔合戰をなさんとの決意をかためた。

空にわが友機數機飛んで敵陣地の偵察、爆撃、
風は江南の野に滿ちて、
敵本陣への總攻撃の機は
黄浦江に迫る夜のとばりとともに充ち滿ちて來た。

嵐の前のごとく
依然として不氣味な唸りをたてつづける
流彈のなかをくぐつて、
記者(原特派員)は
※読売新聞社 社会部 原 四郎:下記
前線に倉永部隊長なき倉永部隊を訪へば、
安藤部隊長代理と間瀬副官は
いきなり記者の手を握り男泣きに泣いて、
必ず弔合戰を行ふことを誓ひ、
記者を通じて左の手記を
讀賣百萬讀者に傳へられんことを懇望された。

折柄敵の迫撃砲は附近支那農家の屋根窓に炸裂、
一彈、二彈、三彈と
記者と間瀬副官の握り合つた手の上を越えて
傍らの壁に喰ひこんで行く……


 部隊長代理 安藤元一 手記
本官は以下に記す
部隊長戰死の眞相を先きに各部隊長に傳へ、
その眞相を部下一同に傳達するとともに
益(ますま)す士氣を作興し、
部隊長のために一大弔合戰をなすの覺悟を
喚起せられんことを望んだが、
いま再び讀賣新聞記者を通じ
讀者諸君にその眞相を傳へんとするものである。

八月廿九日拂曉、
第一線の銃砲聲激烈となりしを以て、
部隊長は間瀬副官と小出曹長を呼び、
護衞兵に名を從へて午前二時五十分、
敵狀及び第一線狀況視察並びに
戰闘指揮のため本部隊建物を出て、
約三十メートル前進、
部隊長が十字路を左折せられんとしたる刹那、
前方より飛來したる一彈胸部に命中、
アツと聲を發せられ
二、三歩後方によろめき倒れたり。

間瀬副官及び小出曹長、
護衞兵二名は直ちに駈け寄りて手當したるも、
弾丸は心臓部より左肺に貫通しをり、
約三十秒にして遂に名譽の戰死を遂げられたり。

 「敵は裏だ」と慈悲の一語
  間瀬副官 手記
わが部隊長の戰死に際し、
余は何をさきにいふべきかを知らない。

あの、部下に慈悲深かつた部隊長、
食事は兵より先に決して攝らず、
夜も兵が寝てから一々兵舎を廻り
『どうだ皆寝たか』と
兵の顔を覗き込むやうにして
コツコツと見廻られたあの靴音は、
あゝもはやこの夜からはわ
 第1輯】p173
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p173

が兵舎に聞くことは出來ない。

部隊長は敵陣にバタリ倒れられた際
駈け寄つたわれわれに
『裏だ裏だ』と繰返し繰返し呻くやうに仰有られた。

敵彈は裏の方向から飛んで來る、
みな注意せよと、
飽くまで死の最後
部下の身を思つてゐられたのだ。

宜しい!
我々はこの部隊長の大きな慈愛に滿ちたお氣持を
骨身に徹して全軍みなよく知つてゐる。

この恨みを晴らすことが今我々に殘された任務だ。

○○部隊の名譽のために我々皆死を覺悟、
敵の本陣地の攻略へ向ふであらう。
幸ひに後續部隊は續々と到着した。
あとはただ合戰があるのみである。
『弔合戰!弔合戰』
 第1輯】p174
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p174
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
 特製 定價 金三十圓
編 者  讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者  樺山寛二
發行者  東京市淀橋區下落合二ノ九一六
     佐藤邦秀
印刷者  東京市神田區鎌倉町一九
     井關敦雄
東京市淀橋區下落合二ノ九一六
讀賣新聞社編輯局編纂
  大東亞戰史發行所
  電話大塚(86)三四七一番
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【日本新聞年鑑. 昭和12年(15版)】
[讀賣新聞社] p246/264
 昭和十一年十二月現在
社 長   正力松太郎
社會部長  宮崎光男
グラフ主任 三浦薫雄
      原 四郎
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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支那軍隊の一般人民に對する暴虐ぶりは…【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

支那軍隊の一般人民に對する暴虐ぶりは…
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年八月二十八日) p165/187
(支那の動き)
張治中は上海正面作戰部隊の總指揮に任ぜられた。

呉淞戰線より遠く蘇州方面まで充滿してゐる
支那軍隊の一般人民に對する暴虐ぶりは言語に絶し、
掠奪暴行勝手次第といふ鬼畜の如き支那戰場風景を呈している。

豫備線より前線に出た支那軍には、
掠奪など一切の暴虐は正式に許されてゐることが判明した。

二十八日には嘉定縣長
郭某が支那兵の掠奪に不滿の意を漏らした廉で、
賣國奴の名を冠せられて
慘虐目を蔽ふ火焙りの極刑に處せられたといふ事實がある。
 第1輯】p165
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p165
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
 特製 定價 金三十圓
編 者  讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者  樺山寛二
發行者  東京市淀橋區下落合二ノ九一六
     佐藤邦秀
印刷者  東京市神田區鎌倉町一九
     井關敦雄
東京市淀橋區下落合二ノ九一六
讀賣新聞社編輯局編纂
  大東亞戰史發行所
  電話大塚(86)三四七一番
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連日無辜の市民大量虐殺のテロ政策【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

連日無辜の市民大量虐殺のテロ政策
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

 デマに惑ふな p162/187
(昭和十二年八月二十七日)
午後三時半、
憲兵司令部では北支並びに上海事變、
または軍事上に關する流言蜚語取締に關して
警察側とも密接に協力して全國に指令を發した。
巷間に流布される種々のデマに惑ふなといふのである。

(支那の動き)
上海、南京間一切の通信線は切斷され、
自動車、汽車、汽船、飛行機等の交通機關は
完全にその機能を停止した。

わが海軍機の南京空襲は今日まで既に九回決行されたが、
軍事關係施設以外の被害は一箇所もなく、
驚嘆すべき正確さを示してゐる。

支那側は日本軍空襲による
一般民衆の被害は盛んに書き立ててゐるが、
南京市民は日本飛行機襲來の警報が鳴り渡つても
日本軍は軍事機關以外を爆撃しない事を知つてゐるので、
その態度は寧ろ平靜である。だが
 第1輯】p162
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p162

支那は自ら黄浦江並びに揚子江を封鎖して以來
次第に食糧難に陥り、
一流ホテルにおいてすら一罐のバタも手に入らない狀態である。

また賣國奴の名の下に
連日無辜の市民大量虐殺のテロ政策を續けてゐるので、
暴動の勃發は表面的には極力抑へられてゐるが、
市民は内心ひとしく
更に險悪な狀態が遠からず來るべきことを豫期して居り、
戰々兢々たるものがある。
 第1輯】p163
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p163
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支那事變實記 全十五輯
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殘兵の掃蕩終り、天津治維會成立【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

殘兵の掃蕩終り、天津治維會成立
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年)七月卅一日
殘兵の掃蕩終り、天津治維會成立 p70/187
山東省居留民・靑島に引揚
(戰況)
午前五時頃より高木部隊は、
總站附近の鐘紡工場地區に殘留する
敗殘兵を攻撃して四散せしめた。

また通州兵變の敗殘兵約一千名は、
北平安定門外に於て、
完全に武装解除を行ふ。

この日萱島部隊は通州に到着、
市内の保安隊殘兵を掃蕩した。

なほ殷汝耕氏の拉致に依り空席となつた長官には、
冀東政府秘書長池宋墨氏が代理に任命された。

天津に於ける日本租界及び隣接地區より、
完全に支那兵を驅逐し終へたので、
愈々金融界方面の實力者を主體とし、
高凌蔚氏を委員長に治維會を組織し、
安民樂土の建設に踏出すことに決定した。
 第1輯】p70
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p70
昭和十七年四月 十日印刷
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支那事變實記 全十五輯
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冀東防共自治政府長官・殷汝耕氏【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

冀東防共自治政府長官・殷汝耕氏
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年七月三十日) p67/187
通州事件の消息がはつきりと分らなかつた
卅日の天津の話である。

居留民會から罐詰のやうな長期に耐へる食料は
なるべく食べないで貯藏しておくこと、
といふ決議が通達された。

正陽門の河北銀行は朝から取付け騒ぎがはじまつた。
同銀行は流通の紙幣が使へなくなるといふて、
札束をもつた支那市民が狂氣のやうになつて
ワイワイとたかつてゐる。

ある映畫班がそれをクランクしてゐるところを、
保安隊と群衆に包圍されフイルムを取りあげられ
ハウハウの體で逃げてきた。

夕方皇軍の通州爆撃から逃れたてきた
冀東保安隊五〇〇名が安定門外へ到着した。

二日間も物も食はずヒヨロヒロだから、
飯を食はせてくれれば、
武裝解除に應じる旨を傳へてきた。

こんな奴等は餓死が因果應報だが、
武器を持たしておいたら何をするか判らない。

わが〇名の兵がトラツクで急行、
安定門の城壁の上と下で交渉をはじめたが、
やつと交渉がついたらしく
城門を半開
 第1輯】p67
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p67

していよいよ城外で武裝解除をやつた。

保安隊の服裝をかなぐりすてて
今は土匪同樣のテイタラクで、
たつた〇〇名の我が兵の命令で
ヅラリと並んだ五百餘の敗殘兵どもは銃を捨て、
靑龍刀を投げて早く飯を食はしてくれと言はんばかりの
ガツガツした顔色だ。

その中から突然一人の平服の男が獨り
『ワツ』と聲をあげてとび出して來た。

之が意外にも
冀東防共自治政府長官
殷汝耕氏だつたのだ。 ※殷汝耕:下記

ヨレヨレの服は泥によごれ破れて
痛ましくも脚に輕傷を負ひ憔悴しきつた姿だ。

『あゝ、よかつた。』
と殷長官は感極つたやうに涙をボロボロ流し、
その救出は誠に劇的場面であつた。

保安隊どもは共産學生と敗殘兵の煽動に乗つて暴動を起し、
殷長官を拉致して北平へ乗りこめば、
宋哲元が喜んで正規軍に編入してくれるだらうと
いい氣になつてここまでやつて來たものらしい。

ところが來てみると案に相違して
北平はどの城門もピツタリ閉ぢ
『支那軍大勝利』の夢は一ペンに覺め途端に、
空腹が身にこたへ、
かくは泣込んだ始末。
 第1輯】p68
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p68
昭和十七年四月 十日印刷
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支那事變實記 全十五輯
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blog[小野一雄のルーツ]改訂版
《殷汝耕》國民政府外交部長等
【日本人名選:昭和16年】
【早稲田大学校友会会員名簿】
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南京政府は洛陽の毒ガス工場に命じて…【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

南京政府は洛陽の毒ガス工場に命じて
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年七月二十八日)
 宋哲元等逃げだす p62/187
この日の我軍の總攻撃に、
北平外廓の敵軍は殆んど全滅の形で、
最早殘軍を整理して
有力な抗日戰を行ふ望みがなくなつたのと、
身邊の危險に迫られた
宋哲元、秦德純、馮治安等の冀察首腦部は、
午後十一時頃逸早く西直門驛より長辛店を經て、
保定に逃亡してしまつたので、
城内の兵も之に從つて退去する者多く、
北平市内の治安は張自忠が臨時に治維會を組織して、
之に當つてゐる。

(外 交)
 ―略―

(支那の動き)
中央が賴みとする廿九軍は、
たつた一日の戰闘で殆んど主力を失つてしまつたで、
此の上は毒ガスでも撒布して勝つより外ないと考へたのか、
南京政府は洛陽の毒ガス工場に命じて、
盛んに毒ガスの製造をつづけてゐると報ぜられる。

中型タンク六十臺を津浦線にて前線へ急送した。

事變以來銀資金の海外への逃避を防止するため、
國民政府は防戰賣りを行ひ、
旁々公債の崩落を喰止めてゐる。

孔祥熙は英國との鐵道借款にあたつて、
一千萬磅(ポンド)の三分の二を鐵道材料の購入に、
三分の一を爲替資金とすることを提案して
一蹴されたと傳へらる。
 第1輯】p62
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p62
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
 特製 定價 金三十圓
編 者  讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者  樺山寛二
發行者  東京市淀橋區下落合二ノ九一六
     佐藤邦秀
印刷者  東京市神田區鎌倉町一九
     井關敦雄
東京市淀橋區下落合二ノ九一六
讀賣新聞社編輯局編纂
  大東亞戰史發行所
  電話大塚(86)三四七一番
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

籠城を決意する北平の邦人女性【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

籠城を決意する北平の邦人女性
【支那事変実記. 第1輯】讀賣新聞社編輯局・昭和17年

【支那事変実記. 第1輯 大東亞戰史 〓編】

 第1輯】p3
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p3

(昭和十二年)七月二十二日 p51/187
籠城を決意する北平の邦人女性
民間鳥人蹶起す
(戰況)
 ―略―
 雄々し白粉をすてて
硝煙の北平籠城風景を彩る花―
それは白粉氣をなくした雄々しい大和撫子だ。

蘆溝橋の砲聲は、
北平在留の日本女性の半分以上を追ひ立てた。

天津經由で内地へ避難しただけでも六百人、
事變はじめの悲壯感は、
皇軍の派兵で大分落付いて來たとはいふものの、
それでも毎日幾人かは北平を去つて行く。

後に殘つた籠城娘子軍は
半島の女性を交へてただ四百人あまり、
これが北平をかざる悲壯な花である。

彼女達はいよいよ最後の籠城となつたら
炊出しを引受けて女ながらも
力の續く限り働いて見せやうと力んでゐる。
 第1輯】p51
〔画像〕【支那事変実記. 第1輯】p51
昭和十七年四月 十日印刷
昭和十七年四月十五日發行
支那事變實記 全十五輯
 特製 定價 金三十圓
編 者  讀賣新聞社編輯局
編輯實務
責任者  樺山寛二
發行者  東京市淀橋區下落合二ノ九一六
     佐藤邦秀
印刷者  東京市神田區鎌倉町一九
     井關敦雄
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