◆東京宿毛会

(株)徳間観光 常務 兵頭武郎:設立 昭和28年【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)

【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
出版者   帝国地方行政学会
出版年月日 1976
(株)徳間観光
〒105  東京都港区新橋3の15の15
     小松ビル
     電話(03)431局8101
設 立  昭和28年3月
目 的  ホテル、ゴルフ場経営
資本金  4,800万円
     発行済9万6,000株
決算期  3月
社 長  徳間康快
常 務  兵頭武郎
取 締  山下辰巳
     生出 寿
     宮本昇蔵
     富田誠郎
     久永良治
監 査  鈴木繁実
大株主 (株主総数7)
     徳間書店、大徳開発興業
従業員  83
年収入高 4億円内外
銀 行  平和相互(本店)・三和(日比谷)・
     富士(新橋・登別)
ホテル  登別市登別温泉町65
ゴルフ場 福島県東白川郡矢祭下関
p1402【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
〔画像〕p1402【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000178/1/1402
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(株)東京タイムズ社 取締役 兵頭武郎:設立 昭和29年【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)

【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
出版者   帝国地方行政学会
出版年月日 1976
(株)東京タイムズ社
〒105  東京都港区東新橋1の1の16
     電話(03)571局4831(代)・5121(代)
設 立  昭和29年8月
目 的  新聞雑誌発行
資本金  1億円
 授権株20万株 発行済10万株
 資本の移動  (百万円)
 31年6月 20  31年8月  32
 40年7月 50  46年6月 100
決算期  3月
配 当  無配
会 長  小宮山英蔵
代 表  岡村二一
     徳間康快
常 務  鈴木繁実
取 締  永井大三
     富山韶蔵
     山下辰巳
     生出 寿
     兵頭武助 ※兵頭武郎
監 査  宮本昇蔵
従業員  360
銀 行  協和・東海
支 社  大阪・横浜・千葉
p1320【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
〔画像〕p1320【日本会社録 第10版】昭和51年(1976)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12000178/1/1320

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『アサヒ芸能』鉄道弘済会から取引停止になるという事態に遭遇【雑誌を斬る:『文芸春秋』から『ぴあ』まで】1979

【雑誌を斬る:『文芸春秋』から『ぴあ』まで】1979
著者    岡留安則 著
出版者   教育研究社
出版年月日 1979.3
p1【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p1【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/1

  往年の精彩が失せた『アサヒ芸能』
かつて『アサヒ芸能』は、
鉄道弘済会から取引停止になるという
事態に遭遇したことがある。

女性ヌード(上半身)を表紙に載せたことに
クレームをつけられたことが発端で、
五週間にわたって、
週刊誌にとってはドル箱ともいえる
弘済会ルートから締め出しを食ったのである。

B5判の週刊誌に切り換え、
経営ベースに乗り始めた
一九五九年(昭和34年)のことだった。
当時の金にして五〇〇〇万円ほどの損害だったという。
p24【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p24【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/24

このことは大手取次なみに、
全国の駅売店という販売ルートを握っている
鉄道弘済会も同様だ。
鉄道弘済会の場合は、
出版物のみならず新聞までも
販売を手がけていることから、
出版・新聞ジャーナリズム双方にとっての
タブーといえる。

出版界ではかつて、
『アサヒ芸能』がヌードの上半身を表紙に載せたため、
弘済会の判断で五週間の取引停止を申し渡されたことがある。

週刊誌やスポーツ紙などは
弘済会への依存率が高いだけに、
悪口が書けようはずもない。

かくして鉄道弘済会も”聖域化“していく。
国鉄退職者や遺族救済のための
”福祉・救済事業“として設立された社団法人が、
「言論操作」の実力を持つに至ったのである。
p95【雑誌を斬る】1979
〔画像〕p95【雑誌を斬る】1979
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/95
昭和五十四年三月 五日 印刷
昭和五十四年三月二十日 発行
著 者  岡留安則
発行人  小林俊次
発行所  株式会社 教育研究社
     サンマークグループ
     東京都新宿区高田馬場一ノ三二ノ一三
     サンマークビル
     電話(03)208-0450
本文印刷 東洋印刷(株)
装本印刷 東京書籍印刷(株)
製  本 和田製本工業(株)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12235524/1/123
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弘済会事件『アサヒ芸能』徳間書店 昭和34年【語録・編集鬼たち】1973

【語録・編集鬼たち】1973
著者    江国滋 著
出版者   産業能率短期大出版部
出版年月日 1973
p3【語録・編集鬼たち】1973
〔画像〕p3【語録・編集鬼たち】1973
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/3

 崖っぷちに立った社主兼編集長
 「週刊アサヒ芸能」
 徳間康快(徳間書店社長)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/59

『アサヒ芸能』が完全に軌道に乗った
昭和三十四年(1959)に
”弘済会事件“という出来事が起きている。
ヌードの上半身を表紙に載せたのが
刺激的すぎるという理由で、
鉄道弘済会(東鉄管内)が五週間にわたって
取引を停止するという事態に立ち至ったのである。

「あの当時の金で五千万円の損害だった。
 真偽のほどは知らんが、
 ある新聞社の策謀だという説も耳にしましたが、
 実際、いま見りゃまったく何ということもない表紙ですよ。
 たまたま、あのときわたしゃ、
 腎臓周囲膿瘍という病気で慈恵医大に入院中で、
 二回も大手術を受けたあとなんだ。
 手術台から運ばれてきて、
 麻酔がきれると指示をあたえるというありさまで、
 そら凄絶なもんでしたわ。
 これまでに、わたし、
 死ぬか生きるかちゅう危機を何度か経験してきましたが、
 弘済会事件もその一つですな。
 あれを突破したことが、
 みんなに自信を植えつけたようですな。
 わたし自身にしても、
 異常な境地を切り抜けるたびに、
 一つのあきらめと勇気と見通しが出てくるんだな。
 ま、わたし、働きもんですからな、
 営々としてやってきたわけですわ」
p63【語録・編集鬼たち】1973
〔画像〕p63【語録・編集鬼たち】1973
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274032/1/63
語録・編集鬼たち
昭和48年8月25日 初版発行
著 者 江國 滋
発行者 上野一郎
発行所 産業能率短期大学 出版部
    東京都世田谷区等々力6-39-15
    電話 03(702)4151(大代表)
    振替口座(東京)44404
印 刷 朝陽会
製 本 協栄製本
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兵頭武郎君が徳間書店営業の重役で、徳間観光の常務:徳間康快社長【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977

【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
著者    戸田寛 著
出版者   講談社
出版年月日 1977.4
p3【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
〔画像〕p3【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/3

21 徳間書店社長
  徳間康快(とくま やすよし)氏
  昭和50年6月18日 於 徳間書店
[徳間書店]
戦後まもなく出来た
アサヒ芸能新聞と徳間書店が、
昭和二十九年合併して現在に至る。

週刊誌「アサヒ芸能」にみられるような、
大衆向きの雑誌、単行本からスタート、
最近は「十八史略」など硬派ものも出版、
総合出版社として今後が期待されている。

資本金一千五百万円、
従業員百七十七人。
本社・東京都港区新橋4-10-1
電話433-6231
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/120

  書店創立までのいきさつ
[徳間康快]
それから、
いま名古屋の中部読売で話題をまきながら活躍している
地産の社長竹井博友君が私の読売社会部時代の友人で、
アサヒ芸能新聞を戦後すぐつくってやってました。

彼は読売の社長の命を受けて大阪に工場をつくって、
大阪読売進出の基礎をつくっているわけです。

大体それができ上がって
「自分は日東新聞という新聞を出したい、
 なんとか徳さん助けてくれ」
ということで、
私も根が新聞屋ですから、
まあいいだろうといって、
竹井君と組んで日東新聞を出すのです。

これも悪戦苦闘の末、
借金だらけで遅配欠配、
何日も徹夜で労組におどされて、
結局紙も買えない、
輪転機も回らないでつぶれちゃうわけです。

その借金を竹井君と私が背負い込んで、
そのときの処理方針として、
前から東京タイムズの岡村二一氏に
面識がありましたので、
泣く泣く社屋、輪転機、社員もろとも買ってもらって、
それが東京タイムズになるわけです。

竹井君はノイローゼになっちゃったもんですから、
私は労働組合の終戦処理を一手に引き受けて
解決したわけです。

そうしている間に、
労組の執行部が休刊になってる
アサヒ芸能新聞をなんとか再生してくれというので、
よっしゃというんで社長になって、
同志十五人くらいを糾合して、
ごみ箱みたいな小さな二階を借りて始めるのです。

当時の十五人はいまほとんど
徳間書店の首脳部でして、
山下辰巳君が徳間書店の常務で、徳間音工の専務、
兵頭武郎君が徳間書店営業の重役で、徳間観光の常務、
梨本実君が現代史出版会の常務、
鈴木繁実君が徳間書店の役員で、経理の責任者、
宮本昇蔵君が大徳開発の専務というふうに
いまうちの事業団の中心になっているわけです。

週刊誌のアサヒ芸能新聞はタブロイド判、
内容はスクリーン・アンド・ステージで、
『平凡』が猛烈に出ていたときです。

岩堀さんが非常に活躍したときで、
※岩堀喜之助
私も真善美社で同じ神田の小さな印刷屋で
知ってたんですよ。

私のところは最初いいお得意さんで
扱ってもらったんだけど、
向こうがどんどん出ちゃって、
こっちははずされて、
ああこういうのが売れるのかなあ、
だれがやってるんだろうって聞いたら、
時事新報出身の岩堀という人だ。

『平凡』という非常に平凡な題をつけて
やっていると聞いて
考え込んだことがあります。

それから単行本活動をやろうということで
徳間書店をつくって、
アサヒ芸能新聞社と徳間書店と二つやっていて、
合併する。

徳間書店はことしで
創業二十一年ということになるわけです。

[戸田 寛]
いま徳間グループはどのくらい……。

[徳間康快]
徳間書店を軸にしまして、
ミノルフォンレコードの徳間音楽工業、
日刊紙の東京タイムズ社、
最近参加した大映映画、
それから北海道のホテル、
福島県のホテル、
矢祭カントリークラブを造成中の徳間観光、
印刷部門の新光印刷、東タイ印刷と
いうものを大ざっぱに分けた
メーングループとしながら、
そのほかに現代史出版会とか、
徳間牧場とか、大徳開発とか、
小さいのを周辺に置いていると
いうようなところですね。
p123【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
〔画像〕p123【対談・出版社のトップは何を考えているか】1977
https://dl.ndl.go.jp/pid/12276304/1/123
出版社のトップは何を考えているか
昭和52年4月15日 第一刷発行
著 者 戸田 寛
発行者 野間省一
発行所 株式会社 講談社
    東京都文京区音羽2-12-21
    郵便番号112
    電話東京(03)945-1111
    振替口座 東京8-3930
印刷所 慶昌堂印刷株式会社
製本所 株式会社 島田製本
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《兵頭武郎》徳間書店・徳間観光常務【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976

【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
出版者   光文社
出版年月日 1976
p1【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
〔画像〕p1【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/1


  數點梅花天地心  p170-171/259
    徳間康快
いま私は、
心静かに五十嵐社長との出会いを思い起してみると、
それはたしか、
日東新聞が奮戦、武運つたなく破れ去り、
その残党と同じ経営体下にあった
「アサヒ芸能新聞」の若い社員に懇望され、
当時、スクリーン・ステージ専門の
同誌経営を引き継いだ前後であったことと思う。

当時の私は、
文字どおり満身創痍、
精神的、経済的に破局の状態にあり、
その日の生活にも追われるような日夜を送っていた。

私を中心に集まった連中は、
現在、徳間書店専務・徳間音工副社長の山下辰巳君、
徳間書店・徳間観光常務の兵頭武郎君、
大徳開発専務の宮本昇蔵君、
徳間書店・徳間音工常務の鈴木繁実君、
現代史出版会常務の梨本実君など十四、五名であった。

ちょうどその頃、
私は日本雑誌協会の存在を知り、
その入会の労をとっていただくことで、
亡くなられた五十嵐社長と
ダイヤモンド社の故・松本実氏とご縁ができ、
お二人の推輓で
「アサヒ芸能」を雑誌協会のメンバーに
加盟させていただいたのです。
その日のことが、
いまさらの如く想い出され、
感謝の念に堪えない次第であります。
p170【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
〔画像〕p170【日日是好日:追想の五十嵐勝弥】1976
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/170
昭和五十一年一月二日 発行(非売品)
編纂発行 株式会社 光文社
印  刷 大日本印刷株式会社
用  紙 十條製紙株式会社
     日本加工製紙株式会社
     ダイニック株式会社
     株式会社 岡本
発行所  株式会社 光文社
     東京都文京区音羽二ノ一二ノ一三
https://dl.ndl.go.jp/pid/12257039/1/256
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《兵頭武郎》大映映画(株)京都撮影所監査役【京都年鑑 1977年版】

【京都年鑑 1977年版】
出版者   夕刊京都新聞社
出版年月日 1976.12
p1【京都年鑑 1977年版】
〔画像〕p1【京都年鑑 1977年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/1

大映映画(株)京都撮影所
所在地 京都市右京区太秦多薮町14
    〒616 電話861-1161~9
設 立 昭和49年9月
資本金 2億円
本 社 東京都調布市小島町602
    〒182 電話0424-82-1151(代)
営 業 映画 TV その他 映像関連事業
役 員 社長 徳間康快
    専務 武田 敦
       並河 敏
    常務 金丸益美=京都撮影所長
    取締 大平 洋
       松丸謙一
       山下辰巳
       鈴木繁実
    監査 兵頭武郎
幹 部 溝口勝美=次長 京都撮影所
    小池清茂=部長 スタジオ経営
    太田雅二=課長 総務
    小林正雄=企画室長
    原田国一=課長 製作
    斉藤良明=課長 営業
    上田春夫=課長 総合サービス
業 務 「わが青春のとき」
    「金環蝕」
    「君よ憤怒の河を渉れ」
    「天保水滸伝・大原幽学」
    「ひとごろし」
    「妖婆」を製作
    TV映画 CFの受注製作
銀 行 京都 三井
決 算 8月
従業員 271名(うち京都96名)
事業所 営業 東京 札幌 名古屋 大阪
    工  東京都調布市
p259【京都年鑑 1977年版】
〔画像〕p259【京都年鑑 1977年版】
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/259
京都年鑑 1977年版(昭和52年)
定価 4,000円
昭和51年10月25日印刷
昭和51年11月1日発行
編集兼発行人 原 在修
発行所    株式会社 夕刊京都新聞社
       京都市中京区烏丸通二条上ル
       電話(075)231-1101(代)
       振替口座 京都25916
印刷所    株式会社 石田大成社印刷所
https://dl.ndl.go.jp/pid/9569754/1/368
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徳間事業団第1回ソ連視察団(団長 兵頭武郎営業部長)1970(昭和45)年8月22日【日本出版クラブ三十年史】1987

【日本出版クラブ三十年史:戦後出版史への一証言】1987
著者    小宮山量平 編
出版者   日本出版クラブ
出版年月日 1987.2

p3【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p3【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/3

日本出版クラブ維持員(昭和六十一年八月現在)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/71
日本文芸社  兵頭武郎
p72【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p72【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/72

1970(昭和45)年 8月22日
徳間事業団第1回ソ連視察団
(団長 兵頭武郎営業部長)
p152【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p152【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/152

1970(昭和45)年 10月21日
クラブ杯 第10回出版役員ゴルフ会
(富士レークサイドCC)参加一六人
優勝 兵頭武郎(徳間書店)
p170【日本出版クラブ三十年史】1987
〔画像〕p170【日本出版クラブ三十年史】1987
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/170
財団法人日本出版クラブ三十年史
一九八七年二月 初版一刷発行
定価七〇〇〇円
編 集 小宮山量平
発行者 武内 俊三
発行所 財団法人日本出版クラブ
    〒162 東京都新宿区袋町六番地
    電話03-260-5271(代)
印 刷 凸版印刷株式会社
製 本 凸版印刷株式会社
装 幀 工藤 強勝
https://dl.ndl.go.jp/pid/12277199/1/203
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《兵頭武郎》徳間書店営業代表【日販20年のあゆみ】1969

【日販20年のあゆみ】1969
著者    『日販20年のあゆみ』編集委員会 編
出版者   日本出版販売
出版年月日 1969
p2【日販20年のあゆみ】1969
〔画像〕p2【日販20年のあゆみ】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274231/1/2

(株)徳間書店
 東京都港区新橋四ノ一〇ノ一
 電話(四三三)六二三一(代)
 〒一〇五

   <社 史>
当社は昭和二十八年十月、
東京都港区新橋に東西芸能出版社として発足。

昭和二十二年一月より発行されていた
タブロイド版の「週刊アサヒ芸能新聞」の業務を継承した。

昭和三十一年十月、
同誌をB5版の「週刊アサヒ芸能」とし、
従来の映画、演劇、音楽界のファン誌的な傾向を
政治、経済、社会、スポーツ、芸能などの
動きを対象とした一般週刊誌にあらため、
昭和三十三年九月には社名も
アサヒ芸能出版株式会社と改称した。

その後、昭和三十六年四月、
同社の書籍出版部門が
株式会社徳間書店として分離独立し、
教養、文芸、美術書などの出版を開始、
昭和四十二年十月、
アサヒ芸能出版、徳間書店両社が再び合併し、
総合出版を旨とする
株式会社徳間書店として新発足した。

社  長 徳間康快
営業代表 兵頭武郎
編集代表 竹本容三
p78【日販20年のあゆみ】1969
〔画像〕p78【日販20年のあゆみ】1969
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274231/1/78
日販20年のあゆみ
頒 価 三〇〇円
発 行 昭和44年9月10日
編 集 日販20年のあゆみ
    編集委員会
発行者 田中孝知
印刷所 太陽印刷工業株式会社
    東京都新宿区市谷台町二二
発行所 日本出版販売株式会社
    弘報課
    東京都千代田区神田駿河台四の三
    TEL(二九三)二一一一(大代表)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12274231/1/98
図書館・個人送信資料利用可 ログイン中【小野一雄】
【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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《兵頭武郎》徳間書店常務取締役【戦後20年・日本の出版界】1965

【戦後20年・日本の出版界】1965
著者    戦後20年・日本の出版界編集委員会 編
出版者   日本出版販売弘報課
出版年月日 1965
p8【戦後20年・日本の出版界】1965
〔画像〕p8【戦後20年・日本の出版界】1965
https://dl.ndl.go.jp/pid/3000695/1/8

(株)徳間書店
 東京都港区芝新橋四ノ三四
 電話(四三四)六一九一~六
徳間書店主要刊行書籍
全集=日本の戦史、全十一巻 各巻定価五七〇円、
   旧参謀本部編、桑田忠親、山岡荘八監修、
   第一巻 桶狭間姉川の役
  (昭和四十年五月二十九日発売以後毎月続刊)
全集=西郷隆盛、全十二巻 林房雄著 各巻定価三八〇円、
   完結十三巻以後毎日新聞連載予定
全集=中国の思想、全十二巻 松枝茂夫、竹内好監修、
   各巻定価五八〇円
   ①韓非子②戦国策③孟子➃荀子⑤墨子
   ⑥老子列子⑦易経⑧菅子⑨論語
   ⑩孫子 呉子 尉繚子 六韜三略(以上既刊)
   ⑪左伝⑫荘子
▽リスのマークの平和新書
 (ミステリー、フィクション、生活の知恵)
▽趣味の新書(水石、日本刀、陶磁関係書)
▽現代人の古典シリーズ
 (宮本武蔵五輪書、葉隠など)
▽今東光選集

代表取締役   徳間 康快
常務取締役   兵頭 武郎
取締役営業部長 梨本  実
第一編集長   村山  孚
第二編集長   増村外喜雄
p76【戦後20年・日本の出版界】1965
〔画像〕p76【戦後20年・日本の出版界】1965
https://dl.ndl.go.jp/pid/3000695/1/76
戦後20年・日本の出版界
定 価 一八〇円
発 行 昭和40年8月1日
編 集 戦後20年・日本の出版界
    編集委員会
発行者 田中孝知
印刷所 太陽印刷工業株式会社
    東京都新宿区市谷台町二二
発行所 日本出版販売株式会社
    弘報課
    東京都千代田区神田駿河台四の三
    TEL(二九三)二一一一(大代表)
https://dl.ndl.go.jp/pid/3000695/1/88
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【 】『国立国会図書館デジタルコレクション』
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